天使で悪魔




違う価値観、異なる思想




  九大神。
  タムリエルで信仰されている、九体の神々。九大神とは、オブリビオン16体の魔王と敵対する者。
  タムリエルの人々を祝福し守護する者。
  基本的に世界に介入する事は出来ず、その為に直接介入出来るオブリビオンの魔王達に比べるとどこか影の薄い存在
  ではあるものの、その実力は魔王達を凌駕する。


  《アカトシュ》
  九大神の主神であり、有史以前に繁栄したアイレイドから奴隷だった人間を解放(直接的にではなく、間接的に力を貸した)
  した神であり一説では龍の化身らしい。歴代の皇帝が崇める、帝国の守護神。

  クヴァッチに祀る聖堂がある。

  《アーケイ》
  九大神の1人。輪廻転生を司る神で、アカトシュの息子。
  司る領域の関係上、死を否定する者達……死霊術師や吸血鬼の敵対者。信奉者にもその傾向が強い。

  シェイディンハルに祀る聖堂がある。

  《ディベラ》
  九大神の1人。美を守護する女神。
  芸術家などの、美を愛し追及する者達に信奉されている。
  アンヴィルに祀る聖堂がある。

  《ゼニタール》
  九大神の1人。商業を守護する神。
  交易、商売、労働を司る神で商人達に信奉されている。
  レヤウィンに祀る聖堂がある。

  《ステンダール》
  九大神の1人。慈悲や慈愛を司る神。
  人々を憐れむ特性を持ち、信奉する司祭は慈愛を胸に秘め、信者達を救済する使命を与えられている。
  コロールに祀る聖堂がある。

  《マーラ》
  九大神の1人。愛を守護する女神。
  豊穣を司り、慈愛に満ちている。勇者ギャリダンの悲劇に涙した慈悲深い女神でもある。
  ブラヴィルに祀る聖堂がある。

  《ジュリアノス》
  九大神の1人。知恵と論理を守護する神。
  文学を司る神で、文学を愛する学者や市井の者達に信奉されている。
  スキングラードに祀る聖堂がある。

  《キナレス》
  九大神の1人。自然を守護する女神。
  動物を創造した女神であり、自然は彼女の一部であるとされている。
  特定の聖堂を持たない。


  《タロス》
  九大神の1人であり、九大神の末席で一番新しい神。
  元は人間。
  第二紀にタムリエル全土を統一した帝国の皇帝タイバー・セプティムが死後、神格化した存在。

  タロスが加わるまでは、八大神と呼ばれていた。
  ブルーマに祀る聖堂がある。



  世界には神々がいる。
  世界には宗教がある。
  神の数だけで宗教があり、その神の性質も様々な側面だけ各々が強調し細分化し、宗教は宗派として様々な枝分かれをし
  派生していく。

  何が正しく、何が過ちかは断定出来ない。
  何故なら、価値観は人それぞれ違うからだ。特定の人物には神でも、特定の人物には魔に映る。
  それが例え同じ存在であっても、見方によって善悪は逆転する。
  神。
  魔。
  人はそれぞれ自分の価値観に従い、それを分けるだけでなく、自身で生み出す。
  ……どちらが正しいのだろう?







  「いやぁ貞操の危機でしたねぇ」
  「もう、笑い事じゃないですよ」

  いつものペースを乱さずにこやかに喋るシャルルさんに、あたしは唇を尖らせて言い返した。
  レヤウィンにある聖堂。
  宿が取れないので、シャルルさんがツテ(信仰する神は違うものの、九大神繋がりのツテ)で借りている一室であたしは
  不服そうに天井を仰ぐ。

  シャルルさんはアーケイ司祭。ここの聖堂はゼニタールを信仰。
  オブリの魔王たちとは違い九大神は一枚岩で、結束は強い。それを信奉する者達も九大神繋がりで協力している。
  奇跡の占い姉妹騒動は、昨日の事だ。
  「はぁ」
  溜息。
  貞操の危機かぁ。
  ……。
  あのインチキ姉妹は部屋に心を惑わす、催眠性の強いのお香を焚きその匂いを充満させる事によりお客を傀儡としていた。
  目的は簡単。

  身包み剥いで、お金を巻き上げる事。
  もちろん裸で客を追い出したら衛兵が黙っていない。
  服を脱がせて金目の物……金貨とか宝石の類だけ頂くと、服を着せて客を追い出す。
  薬で思考力が停止した状態のお客に『占いは完璧。お陰で人生の悩みが消えたぜひゃっほぉー♪』という暗示を植え込み、薬の
  効果が消えても訴訟などを起こさないように記憶を操作していた。

  元々は魔術師ギルドの錬金術師だったようだ。
  やってる事はともかく、催眠術師としての能力は完璧だった。
  ……誉められた事はしてないけどね。
  銀色のアルゴニアン&二組の異なる思想の集団の乱入により、薬の効果が消えたあたしが一網打尽にして当局に引き渡した。
  貞操の危機、ではないものの服脱がされかけたのは万死に値する重罪だ。

  思い出しても怖い。
  ……知らない人の前で全裸になるところだったよぉー……。
  ……生涯のトラウマになるな、きっと……。
  ……はぅぅぅぅぅぅっ……。

  「それで占いは、してもらえたんですか?」
  「ええ、まあ」
  言葉を濁す。
  奇跡の占い姉妹を衛兵の詰め所に渡し、事情聴取の際に呼ばれた魔術師ギルドのアガタさんの紹介で彼女の師である
  ダゲイルさんに占ってもらったもののまったく意味不明。
  フィフスの居場所が聞きたいだけ。
  なのにあたしを『紡ぎしモノ』だとか言ったり『過去の存在』とか『本来介入しないはずの存在』とか意味が分からない。
  結局、お手上げ。
  一度スキングラードに帰ろうかなぁ。
  路銀はブラヴィルでの一件で臨時収入も入ったし、一ヶ月ぐらいは旅しても飢えない程度には持ってる。
  でも旅が目的、じゃないし。
  「スキングラードに帰ろうかと思います」
  「スキングラード? ……へぇ、フォルトナさんはスキングラードに住んでるんですか」
  「住んでる、というか住まわせてもらっていると言うのが正しいですけど」
  「住まわせてもらっている?」
  「ええ。フィーさんの善意で住まわせてもらってるんです」
  詳しい経緯はシャルルさんに説明しないけど、多分あたしの笑顔で分かってくれると思う。
  どれだけフィーさんが素晴しい人かが。
  「ところでシャルルさん。その眼鏡というのは、結局なんなんですか?」
  「説明しませんでしたっけ?」
  コクン。頷く。
  ま、まあ説明してもらったけど『メガビー出せる』とか『サッチーにも有効』とか結局意味分かんないし。
  正直、顔に装着しているあの器具という異物は怪異でしかない。
  「実はこれ、召喚器なんです」
  「召喚器?」
  「ええ。前作では銃型でしたけど、最新作では眼鏡型の召喚器でペルソナするんです」
  「はっ?」
  「でも僕としてはやはり掛け声だけで『ペルソナーっ!』したいですね。中途半端に、微妙に旧作と繋がっている感じが
  正直嫌ですね。その理屈で行くとデビサマと繋がってる事になりますし」

  「す、すいません意味が分からないんですけど何故でしょう?」
  「坊やだからさ」
  「はっ?」
  ……本当に掴み所のない人。
  考えてみればアカトシュを信奉していたマーティン神父もこんな感じだったけど、聖職者って全部こんなノリ?
  「まっ、フォルトナさんが分かってくれたところで僕も旅支度しますかね」
  「……眼鏡の話、納得はしてないですけど……それはともかく、旅に出るんですか?」
  「ええ。ここに来たのはレヤウィンの古い文献調べるだけですから」
  「そういえば、特命とか言ってましたよね」
  「ええ。僕は……」
  ガチャァァァァァァァンっ!
  割れる音が響く。
  聖堂の方からだ。それからしばらくして、大勢が騒ぐ声。顔を見合わせるあたし達。
  聖堂へ。





  レヤウィンの聖堂は、九大神のゼニタールを祀っている。
  商売の神様だ。
  騒ぎは祭壇の前に司祭が立ち、礼拝の準備をしている時に起きたようだ。半ば野次馬根性で駆けつけたあたし達は事の
  成り行きを見守る。

  ゼニタールの司祭と口論している集団は、昨日法衣の見た集団だ。
  「アカトシュの信者のようですね」
  「アカトシュの?」
  「ええ。おそらく」
  シャルルさんの言う事が正しいなら、あの集団はクヴァッチを拠点にしている信者達。
  顔には怒り。

  感情のままにゼニタールの司祭に詰め寄る。
  「あの男はどこだっ!」
  「存じませんね」
  「嘘をつくなっ! たった今ここに駆け込んだ、あの悪魔の使いのトカゲだっ! 引き渡せっ!」
  「……引き渡せ? これはこれは横暴ですね」
  「正義の為だ、引き渡せっ!」
  「お断りします」
  「……なにぃ……?」
  ざわり。
  殺意が渦巻く、聖堂内。
  あたしの知る限り、神様を信奉する者達は温厚だった。……どうやらその概念は違うらしい。
  神様の信徒=慈愛の持ち主、とは限らないだろう。
  結局、宗教は己のみを正当化してそれ以外を否定するものなのだろうから。
  あたしは身構え……ようとすると、シャルルさんがあたしの腕を掴んだ。
  首を横に振る。
  戦闘にはならないという意味か、それとも無意味な厄介は避けろという意味か。
  判断はつかない。
  さて。
  「アカトシュの名において我々は悪魔の化身を始末せねばならぬっ!」
  「ならば自分もこう答えましょう。ゼニタールの名の元に、あなた方の要請は否定します」
  「くっ!」
  「ここはゼニタール様の聖堂。例え九大神の主神であるアカトシュの信奉者といえど身勝手は許しません。例え誰であろうと
  頼ってきたものは我々は保護します。どうぞお引取りを。……さもなくば査問に発展しますぞ」

  「……っ!」
  静かな脅し文句を聞き、歯軋りをさせて睨み合う。結果、アカトシュ信者は退いた。
  「……帰るぞ」
  『はっ』
  わざわざレヤウィンに出張って来たのは喧嘩する為?
  少なくとも伝道の為に来たわけではなさそうだ。
  シーリア隊長の言葉を思い出す。そして昨日の状況を。奇跡の占い姉妹の店に乱入して来た集団は、片方がアカトシュ信者。
  そしてもう片方はベライト信者ではないだろうか?
  最近、この街に両信者が徘徊しているらしいし。
  「帰りましたよ」
  「助かったぞ、神父」
  柱の影から、1人のアルゴニアンが出てくる。
  おそらくは彼がアカトシュ信者に追われていた人物。

  「……あれは……」
  奇跡の占い姉妹の一件で出会った風変わりなアルゴニアンの人だ。物腰からして、おそらく男性。
  トカゲ族はパッと見では性別は分からない。
  銀色の、アルゴニアン。
  どういう原理か知らないけど火も吹ける。おそらく、亜種か何かなのだろう。

  その彼が、こちらを見て口を開く。
  「あんたらも悪かったな。午後の一時を台無しにして」
  「いえ、別に」
  ぴょこんとあたしは頭を下げた。
  まじまじと顔を見つめるものの、向こうは不思議そうに見返すだけ。ファレギルでの一件、忘れたのかな?
  オーガ退治に貢献してくれた事を忘れてる?
  トカゲは再び神父の方に向き直ると、頼み込む。
  「自分が厄介な存在なのは分かってるが、夜まで泊めてはくれぬか? 今出ても連中が待ち構えているだろうしな」
  「ここは神の家。事情は聞きません。どうぞご随意に」
  「……同じ九大神繋がりとは思えんな。連中は偏執症だよ、本当に。存在が罪だと言われたのは初めてだ」
  「……と申されますと?」
  「いや忘れてくれ。何も言わずに留まるのは無礼だとは思うが、我輩にも理由があってな」
  「無理には聞きません。ただ、お名前は?」
  「我輩は龍である。名前はまだない」
  「龍っ!」
  あたしは思わず、叫んだ。






  「ああ、これですねぇ」
  宛がわれている部屋に戻り、シャルルさんに本を見せてもらう。
  タムリエルの生命の歴史が綴られている書物だ。
  正直難しい単語はまだ読めないものの、堅い内容の割には表現は柔らかくあたしでも読める。
  文章を指で追い、呟きながら読む。
  口に出さないと意味が理解できない。まだまだ勉強不足。頑張ろう。


  『種族名。ドラゴニアン。
  希少種であり、一説にはアルゴニアンの亜種とも言われるものの明確な断定を出来る材料はない。
  完全な独立的個体とも言われている。
  繁殖能力が極めて低く、既に伝説的な存在。ただ、遡れば有史以前に栄えたアイレイド文明の頃の文献上には存在しており、
  最も古き種族であるともされている』


  「龍、かぁ」
  読み終わった時、あたしの口は感嘆の吐息が洩れる。

  マーティン神父に色々と神様の事は聞いた。別に神様なんて信じてないけど、マーティン神父の語る奇想天外な神様のお話
  は好きだったなぁ。

  もっとも、動機の半分以上が神父様に会いたいだけだったけど。
  ともかくその関係で神様の逸話はそれなりに詳しい。
  「フォルトナさんは龍について詳しいですか?」
  「はい」
  「では問題です。龍を見た、もしもそんな事を言う人がいれば?」
  「嘘つきです」
  「はい、正解ですねぇ」
  この世界に龍は存在しない。

  それが絶対の定義。
  龍とは神聖な存在。龍、といえば最高神アカトシュを連想するのが普通だろう。龍はアカトシュの化身の一つなのだ。
  あの『名無しの龍人』が神様関係の種族なのかは知らない。
  けど、すごいなぁ。
  「あっ、サインもらおうかな」
  別の一室で休んでいる、彼に想いをときめかせる。
  ただシャルルさんが渋い顔で首を振った。
  「消されますよ、そんな事したら」
  「えっ?」
  「なぁんとなく分かりましたよ、アカトシュの信者どもが来た理由」
  「本当ですかっ!」
  「あいつらは彼を消しに来たんですよ。龍だから。アカトシュの化身である龍の名を冠する種族だから。冒涜なのでしょう、存在
  そのものがね。だから消す。殺す殺す言う時点で彼らも立派な俗物ですね」
  「……それだけ?」
  「おやもっと詳しい推察がご所望ですか?」
  「そうじゃなくてっ! そんな、そんな理由で殺すんですか、あの人を」
  そこまで言って、ふと自分のしてきた事を振り返る。
  ……あたしは暗殺者じゃないの……。
  「宗教はね、恐ろしいものですよ。一身に信じるとは実は怖い事なんです。何でも出来ますからね。そして神様の為だから、
  という大義名分に酔いしれて残酷な事も躊躇いもなくこなせてしまう。宗教は怖いんですよ」

  「……」
  「特に自分が正しい絶対に正しい、と思い込むと手の付けようがないですね。自分を正義と吹聴しそれ以外を悪と断定して
  排除する。理屈なんてないんです。だから話し合いなんて皆無。ヒステリーに相手を叩き潰すだけ」

  「でも、でもシャルルさんは彼の事……」
  「僕はアーケイの司祭ですからね。アカトシュの化身の龍には興味ないんです。ただ、それだけですよ。信じる事柄が違うから
  平静でいられるだけです。それでも、アーケイの性質上吸血鬼や死霊術師は殺戮の対象です。連中と大差ないですよ、僕も」

  「……」
  少し、怖い。
  考えてみれば闇の一党ダークブラザーフッドの基盤は闇の神シシスと夜母の信奉だった。
  宗教が結びつける連帯感は、侮りがたい(クヴァッチ聖域は連帯感ゼロだったものの)。
  少し表情と口調を和らげ、シャルルさんは自嘲気味に締めくくった。
  「信じる神様が違えば、価値観も思想も全部変わるものなんですよ。そしてそれぞれが自分は絶対に正しいと思い込み、相手は
  全て間違ってるもしくは劣っていると思い込む。宗教の、根本は全てそれです。分かり合うのは前提じゃないんですよ」
  「でも、神様は誰もを救う存在……」
  「それなら至極分かり易いんですけどね。そう……こんな言葉知ってますか? 信じる者は救われる」
  「聞いた事あります」
  「突き詰めて考えればかなり危険な言葉ですよ。だって信じない者は、救われないんですから。万人が望む全知全能で誰でも
  救う神様なんて存在しないんですよ。人間よりも人間らしいのが、神様なんですからね」

  「……」
  「少し、変な話をしましたね。そろそろ休みましょうか。遅いですしね」
  「……はい」






  《愛せ。この世界の矛盾を》
  《喜べ。この世界の悪意を》
  《殺せ。この世界の人々を》
  《我はアイレイドの人形姫。全ての命を裁定する者なり》
  《……仮初の人格よ。フォルトナを騙る小娘よ》
  《……今は大人しくしていてやろう》
  《……今だけは……》





  「……ん……」
  ベッドの上で寝返り。シーツの上で寝れるのは、心地良い。
  欲を言えばもう少しベッドが柔らかくてもいいかな。
  最近、欲深い。
  きっとフィーさんの家で暮らしているからだろう。ローズソーン邸は元々大貴族の豪邸だったらしく、内装も調度品もその
  まま受け継いでいる。家具などはフィーさんが新調したらしいけど、貴族に相応しい代物だ。
  「……んふ……」
  この瞬間が気持ち良い。
  この、寝ぼけ眼でゴロゴロしているのがとても気持ち良い。
  これも最近覚えた贅沢だ。
  虚ろな瞳に映るのは闇。部屋を支配するのも、外を支配するのもまた然り。
  夜。

  月。
  星。
  この三つが混ざり合う、時間帯。
  レヤウィンは亜熱帯の気候なので寝苦しい……と思っていたものの、聖堂はどこかひんやりとしている。寝やすい環境。
  誤解のないように明言しておくけど、シャルルさんとは部屋が違う。
  「……んんー……」

  布団を抱き締めたまま、再び寝返り。
  変な夢を見てた気がする。
  変な声を聞いた気がする。

  ……。
  まあ、夢だ。
  考えるのはやめて、寝るとしよう。明日は旅立つつもりだし、寝よう。
  ……とりあえず、スキングラードに帰る予定。

  「……んぅー……」
  何度もの寝返りだろう、あたしは寝る体勢に少々神経質。横向きに寝るのが、癖だ。
  いや、癖というより仰向けだと眠れない。お気に入りは右を向いて寝る事。
  次第に眠りに陥りつつある頭は……。
  「……っ!」
  咄嗟に、あたしはベッドから転げて落ちて両手で身構える。いつでも糸を放てる体勢だ。
  周囲を、部屋の隅々を睨みしばらく身構えるものの……何もない。
  あたしはホッと一息、構えを解く。
  「はぁ」
  職業病、というものがあるけど……暗殺者としての習慣も、それに含まれるのかな?
  正確には元暗殺者だけど。

  「……」
  殺気が満ちている。
  多分、常人には感じ取れないであろう研ぎ澄まされたような感覚がかすかに漂っている。
  ここが大元ではない。
  そうすると殺気の大元はどこだろう?
  あたしはランタンを取り、火を灯す。淡い、それでいて心強い光が照らす。
  明かりを灯す。
  周囲に存在を示す事になるけど、同士討ちする心配はなくなる。
  魔力の糸という能力が戻った以上、瞬時に敵を打ち倒す絶対的な自信が今のあたしにはある。

  部屋の外に出る。
  聖堂の居住区画は地下にある。ひんやりとしているのはその為だろうか。それとも神の力の息吹の賜物か。
  一先ずシャルルさんの部屋に。
  「……」
  廊下は無人。静寂そのもの。
  ドカドカドカ。
  しかしその静寂を無遠慮に破る、黒服の集団。上の階から降りてきたのだろう、上の階に通じる方向から走ってくる。
  手には光るナイフ。
  ……囲まれた。
  ……。
  いや、廊下は一本道だから囲まれる、という事はないか。

  それなりに幅のある廊下ではあるものの回りこめるほどの広さはないしあたしもそれを許すほど素人ではない。
  集団が人垣となり、群れる。
  進むべき方向とは逆なので別に無視してもいいけど……向こうは見逃してくれそうもない。
  黒衣の1人が口を開く。
  もっとも全身を黒で包み、口も顔も覆っているので顔は分からない。眼だけは血走っているのが見て取れた。
  「小娘、退け」
  押し殺した声。
  一瞬、闇の一党の暗殺者と思ったけど……それにしては動きが素人臭い。
  何者だろう?
  無視していると、黒衣の男が同じ言葉を繰り返す。
  「小娘、退け」
  「……」
  違う。
  こいつの殺気とは違う。どこかもっと研ぎ澄まされた感覚だった。
  素人の出せる殺気とはまた違う。
  「小娘、退けっ!」
  「嫌だと言ったら?」
  「な、何?」
  ひゅん。
  乾いた金属が無数に落ち、地下に反響する。ナイフの刀身が無数に散らばっていた。
  魔力の糸は鉄すら両断する。
  「……ひぃっ!」
  状況判断が一瞬遅れ、その後に驚きその場に腰を抜かす1人。
  素人だ。
  少なくとも、どんなに過大評価してもチンピラ程度の力量しかない。じゃあ、あの殺気は?
  「貴方達は何者?」
  「アカトシュか、ベライトの信者でしょうねぇ」
  黒衣の集団の背後に回ってたのは、シャルルさん。
  ……。
  いや、地下区画は一本道でありシャルルさんの部屋から、連中の回れるわけがない。
  おそらく礼拝してたのか、散歩でもして帰ってきたのだろう。
  「わざわざ黒衣を着込んで闇に同化する覆面をする。安っぽい暗殺者に扮してくれて楽しい限りですけど、フォルトナ
  さんの方が一枚も二枚も上手のようですね。さて、覆面を取ってもらいましょうか?」






  連中は、アカトシュの信者達だった。
  龍である《名無しの彼》を神を侮辱する存在であるとして、根絶やしを目的とする過激一派。
  今、シャルルさんが事後処理をしている。
  あたしは意気消沈している《名も無き彼》と礼拝堂で話をしている。あれから、夜は明けた。
  結局、殺気の持ち主も分からず終い。
  何者だったんだろう?
  ベライトの信者達も出てこなかった。ベライトはオブリビオンの魔王の1人。
  龍の姿をした魔王。
  きっとアカトシュの信者とは別の観点で、龍人である彼を追っていたのだろう。……きっと。
  「あの、大丈夫ですか?」
  「……」

  昨夜の騒動は、既に龍人である彼にも伝わっていたのだろう。
  あたしの顔をじっと見つめる。

  「……すまん」
  低い声で、彼はお礼を口にした。
  お礼の類の言葉ではないものの、感謝が籠もっていたのは確かだ。
  彼は神ではない。
  彼は魔ではない。

  ドラゴニアンという珍しい種族ではあるものの、ただの生き物、ただのタムリエルの一人間に過ぎない。
  神と崇める者。
  魔と恐れる者。
  どちらの価値観も思想も一方的であり、その価値観と思想をぶつけ合い凌ぎ合うのはただの迷惑でしかない。
  一方的なものを彼に叩き付けるのは筋違いだと思う。
  「これから、どうするんですか?」
  「……」
  無言。
  とりあえずは、事無きを得た。シャルルさんの手助けも大きい。
  しかし。
  しかし、このままで済むだろうか?

  彼らは大人しくなるかもしれない。でも、別のものだって珍しい種族の彼をどうこうしようとするかもしれない。
  ……。
  ふと、考える。
  あたしも人の事を心配してられないかなぁ。他人事じゃあない。

  ドラゴニアンの彼の心配が出来るのも、ある意味で当事者ではないからだ。つまり一般的な種族だからだ。
  でも、あたしは本当にブレトンだろうか?
  たまに自信がない。
  ……別に自分の種族が分からなくて怖くもないし、どんな種族でもいいけど。
  「あの」
  「……」
  「あの、名前がないと呼び辛くて不便ですね」
  「……」
  他愛もない会話で、ワンクッション。
  神として持ち上げる者や存在そのものを悪と断定する者との追いかけっこはこの先も続く彼に、ストレートに話すのは
  どこか遠慮を覚えたからだ。

  言葉を掛ける以上、真意に触れる以上は真面目に話す必要がある。
  中途半端な感情や適当な言葉で相対するものではない。
  「そうだ。名前付けてあげますよ。可愛い名前で……チャッピーなんてどうです?」
  「……」
  「チャッピー♪」
  「……」
  「……あの、冗談なんですけど……」
  「……」
  その時、シャルルさんが戻ってくる。
  表情から察するに、アカトシュ信者達は手を引いたのだろう。……とりあえずは。
  「どうなりました?」
  「顔見てわかりません? 上々ですよ。アカトシュ信奉の定義が間違ってる旨をクヴァッチ聖堂に申告するがいいか、と脅してや
  りましたよ。九大神繋がりですからやりやすかったですよ。……当面は、大丈夫なはずですよ」
  「よかった」
  「ところでフォルトナさん、犬でも拾ったんですか?」
  「……?」
  「だってチャッピーって聞えましたけど……」
  「ああ。それは彼の名前です」
  もちろん冗談だ。
  ウィットに富んだ軽いジョークで場を和ませ『これからどうするんですか?』的な真面目な話をするつもり。
  彼の名前です、それを聞いてシャルルさんが顔をあからさまに歪ませて、悲鳴に似た声を上げる。
  「何て馬鹿な事をっ!」
  「……えっ?」
  「我が名はチャッピー。ご主人様に絶対の忠誠を」
  「……えっ?」
  慌てるシャルルさんとは対照的に、恭しく頭を下げる龍人。
  一般的な全種族中、アルゴニアンの表情読みにくい。アルゴニアンだけ哺乳類系ではなく、爬虫類系だからというのもあるだろう
  けどよっぽど慣れ親しんだ人以外の表情は分からない。オチーヴァさんやテイナーヴァさんは、家族だから分かるけど。

  ドラゴニアンも、アルゴニアンと大差ない。
  つまり、チャッピーの表情が読めない。
  ……本気?
  「あの、シャルルさんこれは……」
  「ドラゴニアンは名前を付けた者に対して、忠誠を誓う種族なんですよ。……正確には信頼に足る人物以外には従わないそう
  ですけど。名前はある意味でその人物を縛るもの。彼らの概念では、それが主従の始まりなんですよ」
  「ええっー!」
  「よかったですね主人に認められたと言う事は、信頼されているという証です。……じゃ僕はこれで」
  「に、逃げるんですかっ!」
  「そりゃ逃げますよ。追いかけっこの仲間入りしたフォルトナさんとは違い、僕は常識人ですから」
  「はぅぅぅぅぅぅっ!」