私は天使なんかじゃない






密室の未亡人







  彼女の秘密。





  リベットシティ。ヴェザリーホテル。
  現在自分が滞在している宿泊施設。女主人のヴェラ、甥っ子の少年ブライアンの2人で運営しているホテル。ああ、Mr.ハンディ型のタコロボットもいるか。
  「おはようございます、グリン・フィス様」
  「おはよう」
  部屋を出るとカウンターで事務処理をしていたオーナーのヴェラが頭を下げた。甥っ子の少年ブライアンはモップで床を磨いている。
  今日も一日が始まった。
  「何か伝言は?」
  「ございません」
  まだか。
  ハンニバルは知っている、面識がある、主は彼にリンカーンという者の品を送るべく打診したわけだが……まだ彼は来ていない。
  旅程で何かあったのだろうか?
  主はオラクルとともにカンタベリー・コモンズに旅立って既に2日だ。向こうで合流する手筈になっているが……この分ではまたすれ違いになってしまいそうだ。
  まいったな。
  宿の女主人に礼を言い、部屋に戻る。
  ベッドに座った。
  別に届け物をする為に居残ったわけではないのだ。結果的にはそうなっているが、あくまで行方をくらませたハーマンを探す為で乃居残りだ。
  届け物はそのついでに命じられたに過ぎない。
  あの子供、どこ行った?
  ただの少女ではないことは分かってる。
  彼女はタムリエルの出で、アイリス・グラスフィルの妹。強大な魔力を持つ黒魔術師で、恐らく魔力のキャパシティはあのフィッツガルド・エメラルダを超える。アークメイジのハンニバル・トレイブン
  でも敵わないだろう。魔王や神を除けば、虫の王マニマルコあたりが唯一ハーマンの魔力を越えるぐらいか。
  魔王シェオゴラスに協力する形でこちらに来て、置いてけぼりを食らった少女。
  何をしに来たんだ?
  正直怖いものがある。
  魔力を失ってはいるが底知れない何かがある。
  さて。
  「飯でも食うか」
  今後のことはそれから考えよう。
  ハンニバルへの届け物の為にあまりリベットを動き回れないのでハーマンが探しづらい。
  立ち上がって扉に向かい、開ける。
  カウンターのヴェラがこちらを見た。
  「どうかなさいましたか?」
  「食事を頼む」
  「かしこまりました」
  ここの食事はなかなかの美味。
  楽しみだ。
  食事を頼み、部屋の扉を閉めた。

  「おお、ここがそうなのか? 結構いいところじゃねーか」
  「レディ・スコルピオンに感謝だな、ボス」
  「ボスの為だから別にいい。でも軍曹さんは料金払いなさい」
  「何でだよっ!」
  「ふん」
  「喧嘩すんなって」

  ブッチ・デロリアの声?
  どこにでも湧いてくるな、あいつ。
  トンネル・スネークのメンバーも一緒のようだ。扉を開ける。
  声の通りだった。
  革ジャン着たブッチがいる。
  彼はこちらに気付いた。
  「ん? これはこれは、行方不明のマルチ・パスじゃねーか。生きてたんだな」
  「久し振りだな、スーパーミュータント」
  「誰がスーパーミュータントだっ! 誰がっ! もう名前の語呂すらあってねーよっ!」
  「先に言い出したのはお前だ」
  「ちっ」
  「主が呼んだのか?」
  「優等生が? 何でよ?」
  違うらしい。
  「俺様はここに泊まりに来たのさ。前にレディ・スコルピオンがブライアン少年ちゅーのを世話したらしくてな、俺たちはここで永遠にただなんだよ」
  「ご宿泊に限りますが。レディ・スコルピオン様、甥の件、ありがとうございました」
  なるほど。
  そういうことか。
  だがいいところで会ったものだ。
  「ブッチ・デロリア」
  「あん?」
  「頼みがある」
  「何だよ改まって。水くせぇな」
  「ふっ」
  何だかんだで仲間意識を持ってくれているようだ。
  主が永遠の不良少年とか言っていたが、なかなかに可愛いものがあるじゃないか。
  ……。
  ……いや、自分はゲイではないぞ?
  ゲイではないぞ?(迫真)
  「ハンニバルという人物を知っているよな?」
  「ハンニバル?」
  知っているはずだ。
  自分たちは一緒にレイブン・ロックまで同道したのだから。
  「ああ、あのおっさんか。そりゃ知ってるよ。あの後も……お前さんらがルックアウト行っている間にもあったからよ。それがどうした?」
  「数日滞在するんだろ?」
  「ああ」
  「彼に届けて欲しいものがあるんだ」
  「届ける? そいつの元にか?」
  「リベットで接触してくれたらいい。マディ・ラダーという酒場で落ち合う予定になっている。酒場には、到着したらここに連絡してくれるように頼んである。接触したら渡して欲しい物がある。頼めるか?」
  「酒場か。悪くない。飲みたい気分だったしな」
  「そうか」
  「何か他にあるか? 引き換えに何か貰うのか?」
  「主が何らかの見返りを向こうが提示したら失礼にならない程度に受け答えしろとのことだ。相手に恥をかかせそうなら、受け取ってもいいそうだ」
  「そいつは俺様がガメてもいいのか?」
  「斬る」
  「おお、こわっ!」
  「概要は以上だ。大丈夫か?」
  「任せろ」
  「ああ。頼む」
  「ボスは相変わらずお人好しだぜ」
  「そこがボスの良いところ、でしょ」
  よし。
  これでハンニバルと接触するというイベントは終了だ。
  ハーマン探しに専念できる。
  特に接点はないのだが……主はハーマンの存在を既に知っているからな、放置して主と同行するという選択肢はなかった。
  正直な話、放置しても自分から追って来る気もするが。
  だがそれは主には言えなかった。
  彼女の素性を説明するとなるとかなり複雑だからだ。
  部屋に戻ってブッチに荷物を渡し、幾分かの酒代を渡す。
  自分が行動するのは飯を食ってからにしよう。
  腹が減った。



  食事を終え、ハンニバルとの接触をブッチに任せて、自分はリベットの通路を歩く。帯刀という武器の選択が珍しいのか、たまにじろじろ見られる。
  ふん。銃弾なんぞよく見ればかわせるというのに愚かなことだ。
  セキュリティにハーマンを聞くが知らないという。
  ダンマーだぞ?
  この辺りでは目立つ肌だ。
  にも拘らず見ないということは、存在を消してどこかに潜んでいるのか、タムリエルに戻ったのか?
  後者ならいい。
  だが前者なら何を考えているんだ?
  かくれんぼのつもりか?
  まったく。
  「ん?」
  足元に気付き止まる。
  銃が落ちている。
  32口径ピストル。昔は自分も持っていたが、今は卒業してデズモンド・ロックハートに貰った45オートピストルを帯びている。
  落ちている銃を拾う。
  通路の左右には扉。どちらかの住人の物だろうか?
  もっとも通路の左右にはいくつも部屋があるのでどこの人の物か分からないが。
  とりあえず銃が落ちているすぐ近くの左側の扉を叩く。
  無反応。
  いないのか、そもそも住んでいないのか。
  右側の扉を叩く。

  「ハニーかいっ! もう待ちきれないよっ!」

  扉が高速で開いた。
  男が身を乗り出して喋ってくる。
  怖いな。
  というかキモイな。
  唾が飛んでる。
  キモイな。
  自分は相手を落ち着かせるべく慎重に言葉を選んだ。
  「待たせてごめん」
  「……待ってねぇよっ! 誰だ、てめぇはっ!」
  ユーモアが通じないらしい。
  まったく。
  部屋の中が見える。ベッドにタンス、テーブルの上には鳥籠があり小鳥がいる。どことなく男の部屋には見えない。
  「銃が落ちていた。お前のか?」
  「さあな」
  警戒心が強い。
  別に馴れ合うつもりもないし知り合うつもりもないが名乗っておくとしよう。
  「グリン・フィスだ」
  「グリン・フィス? おお、聞いたことあるな、赤毛の冒険者の仲間だっけか」
  有名になったものだ。
  だが出来たら主のような二つ名が欲しい。
  「銃は知らないんだな?」
  「知らないな。そこらにいるリベットセキュリティに拾得物として預けたらどうだ? まあ、それはそれとして、ちょっと取り込み中でな、悪いが帰ってくれ」
  「あんたの部屋なのか?」
  見た感じ女性の部屋のようだが。
  少なくとも一緒に暮らしているような雰囲気はない。
  ……。
  ……こいつオカマか?
  ああ。その可能性もあるか。
  「いいや、ここは俺の部屋じゃない。部屋の主はナタリーって女性だ。俺は彼女の、良い人ってわけだ」
  「そうか。それは悪かった」
  「別にいいさ。そうだな、少し話しようぜ。来るまで暇だし」
  「その女性は出掛けてるのか?」
  「ああ。待ってるんだ。彼女はマディ・ラダーのホステスなんだがな、知り合ったばかりの俺にゾッコンなんだ。で、この後、チョメチョメ、うひひっ! なっ、分かるだろ?」
  自慢か。
  自慢したいだけなのか。
  うざいのに関わってしまった。それどころではないのに。
  早いとこハーマンを回収して主を追わねば。
  「酒場でさ、あっちから声を掛けて来たんだ」
  「そういう仕事だろ?」
  「まあ、聞けって。やたら積極的な女でさ、軽く飲んだ後でいきなり部屋に来いって。でへへ。で、俺は今ここにいるってわけさ」
  「そうか」
  ほとんど聞いてない。
  そろそろ行くか。
  「それにしても遅いな、ナタリーの奴。そうだ、あんた市場を見てきてくれないか?」
  「市場?」
  「ああ。ナタリーを見つけたら伝言を頼む。ボビーさんがもう限界ですよってなっ! 青い髪した美人だ、いつも黄色のワンピースを着てる。頼んだぜっ!」
  「お、おい」

  バタン。

  一方的に言って扉を閉めてしまった。
  迷惑な話だ。
  市場、ね。
  ハーマンの行方の情報が手に入るかもしれない。そう考えたらまだお使い感は……あるな、お使いイベント全開だ。
  やれやれ。
  市場へと向かう。
  リベットシティの市場は賑やかではあるが、戦艦の中だからやはり空がない。どこか圧迫されているような、閉塞感がある。
  ハーマンは、いないな。
  ナタリーとかいう女は……顔は分からないが黄色という服のチョイスはキャピタルではなかなか珍しいから目立つ。
  さて、どこにいるのか。
  ……。
  ……ああ、いたな。
  彼女か。
  近付いて様子を伺う。
  店主と何やら交渉していた。
  おや?
  あの店主、知っているぞ、確か以前主の銃をバージョンアップしてくれた男だ。グレネードランチャーとやらを付けてくれた男だ。店は銃砲店、ナタリーという女性はそこで何やら取引をしている。
  
  「じゃっ、ありがと。うふふ」

  取引を終えて女は去って行った。
  男が待っている、そう言伝するだけでよかったのだがあの調子では部屋にそのまま戻るのだろう。
  しかし銃砲店、か。
  似合わない。
  あくまで勝手なイメージだが。
  店主はうっとりしている。
  確かにあの女、美しかった。だが何だろう、妙な違和感を感じた。
  気のせいか?
  かもしれない。
  「ああ、いつも綺麗だぜ、ナタリーさん」
  「失礼」
  「おや、あんたは……」
  自分は目礼する。
  以前主の銃をバージョンアップしてくれた男だ。向こうもこちらを覚えていたらしい。
  「フラック&シュラプネルへようこそ。覚えているか、フラックだ」
  「ああ」
  名前は忘れていたが。
  「赤毛のお嬢さんはどうしたんだ?」
  「別行動だ」
  「そうかい」
  「今のは?」
  「今の、ああ、ナタリーさんだ。美人だったろ? うちの上客だよ」
  「上客?」
  解せない話だ。
  ここは武器弾薬の店、ああ、防具もあるか。武骨な店だ、どうしてあんな女性が上客になれるんだ?
  ホステスだと聞いた。
  護身用に銃を持つのは普通だろうが、別に上客になるほど買うってわけではあるまい。
  「どういうことだ?」
  「どうもこうもないさ。どこからか大量の装備を調達してくるんだ。それを売りに来るのさ。出所は知らんが、別に問題ないだろ」
  「そうか?」
  「そうさ」
  シロディールでは盗品は何故かばれて、一般の店では売れなかったことを思い出す。
  まあ、その土地その土地の習慣があるのだろう。
  別にそこはどうでもいい。
  どうしたものか。
  「一度ホテルに戻るか」
  来た道を戻る。
  ナタリーの部屋のある通路まで戻ってきた時……。

  「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

  どこからか男の叫び声が響いた。
  リベットシティの通路を歩いていた住人やセキュリティたちの耳にも当然ながら届く。彼ら彼女らは一気に騒然となった。
  こういう状況に慣れていないのだ。
  確かにメガトンや他の街に比べたら平和な街だ、厄介ごとは艦橋で留め、隔離して生きてきたのだから。
  どこだ?
  どこからだ?
  この街の問題、それは街が艦の中にあるということだ。
  音が反響して特定がし辛い。

  「どう? お腹一杯になった? あらぁ、まだなの? 困った子」

  ナタリーの部屋の前で、女の声。
  ナタリーのものだ。
  今のはどういう意味だろう。
  関係ない話。
  関係ない話ではあるが、自分は彼女の部屋をノックしていた。何やっているんだ、自分。どうやら主の流儀がいつの間にかしみついてしまったのかもしれない。
  扉が開く。
  女が出て来た。
  美しい。
  ナタリーだ。
  彼女越しに部屋の中を見る、何もいない、誰もいない、さっきの男もいない。
  「あら、あなたは?」
  「この銃はあなたの物か? 落ちていた」
  咄嗟に言葉が出た。
  セキュリティに渡し忘れていた。だが、彼女が銃火器を売りに市場まで行っていたなら、その時に落としたとも考えられる。
  「知らないわ」
  「そうか」
  違うらしい。
  となると完全に落とし物か。後でセキリュティに届けるとしよう。小鳥が鳴いている、さっきの声はこの子に餌をあげていたのだろう。
  それだけの話なのだ。
  「さっきの男は?」
  「何の話?」
  「男がいたはずだ」
  「よく分からないけど、中で話さない?」
  強引に招き入れられる。
  違和感を感じた。
  何だ、この感じは。
  扉は閉じられ、さりげなく鍵が掛けられたのに気付いた。
  「何故鍵を掛けた?」
  「ストーカーです」
  「ストーカー?」
  「たぶん、さっきの男というのはストーカーだと思うんです。部屋の中調べるから、少しいてくれませんか? それで、隠れてたら取り押さえて欲しいんです」
  「自分がそうかもしれないぞ?」
  「かもしれませんね」
  何だ?
  何を考えている?
  ふと床を見る。壁側に銃が置いてあった。アサルトライフルだ。彼女の体格で反動が抑えられるとは思えない。
  「護身用です」
  「そうか」
  「それで、その、相談があるんですけど」
  「何だ?」
  「あなたこの街では見ないし、もしかして傭兵さんだったり?」
  「のようなものだ」
  護衛でも頼みたいのか?
  ストーカー対策の?
  悪いがそんな時間はない。
  「帰らせてもらう」
  「ねぇ、ちょっと、暑くない?」
  「いや」
  「そう? でも、あたしはちょっと、暑いかも」
  彼女は耳元で囁く。
  「服、脱いじゃおうかな」
  「脱げばよかろう」
  「でも、やだ、やっぱり恥ずかしい」
  何なんだ、この女。
  よく分からない。
  「何か飲まない?」
  「いや」
  「コーヒーでいい?」
  「結構」
  「ウイスキーにする?」
  「失礼した。帰る」
  付き合ってられない。
  ……。
  ……?
  やはり何か違和感があるぞ、この女の態度はどうでもいい、この部屋、誰かいる?
  レイダーか?
  となるとこの女も回し者?
  あり得る話だ。
  どこにいる?
  気配を読むまでもない、タンスの中にいる。隠れれる場所はあそこだけだ。
  だがおかしい。
  さっきの男がタンスの中にいる奴に殺されたとすると遺体はどこだ?
  隠せる場所はどこにもない。
  時間的に外へ持ち運ぶのは無理だ。自分が訪ねる前にあの男を箪笥の奴が殺すことだってできたはずだ、なのにそうはしなかった、となるとナタリーと同時あたりに謎の容疑者が戻りタンスに隠れている?
  それともあの男もグルなのか?
  ダメだ。
  その場合は話が通らない、何が何だか分からない。
  ならば。
  「ウイスキーをやはり貰おうか」
  「ええ、喜んで」
  女が背を向ける。
  その隙に自分はタンスを開けた。開く音で女が振り返るものの、出て来た言葉は実に軽やかなものだった。
  「ゴンちゃーん、ご飯よー」
 
  「ぐぎゃぎゃぎゃぎゃーっ!」

  タンスの中から何か飛び出してくる。
  それは二本の腕を持ち、球状の体型の周囲にはおびただしい数の触手をうねらせた何か。
  ミュータントかっ!
  球状の体には大きな口があり目はない。その大口を開き、何かをこちらに吐き出す。

  しゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ。

  回避。
  だがその液体を浴びたテーブルは鳥籠ごと溶けていく。
  酸かっ!
  この女、こいつをけし掛けて襲わせていたのか。
  ……。
  ……なるほどな、銃砲店に売り続けていたのは女の誘惑に乗ったスケベな男たちの遺品っていうわけか。うまい商売を考える。だとするとさっきの男はこいつに殺され、そこのアサルトライフルは
  そいつの物ってことも考えられる。ナタリーは腕組みし、ニヤニヤと笑っている。
  ショックソードを構える。
  抜刀の構え。
  化け物は威嚇しながらこちらを見ている。目がないので見ている、という表現はおかしいが。
  こいつが強いか弱いか。
  それは分からない。
  だが場所が悪い。
  こんな閉鎖空間では満足に動けない。そして自分の武器はこのような場所でこそ発揮する。
  床を蹴る。
  「斬っ!」
  「キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」
  一刀両断。
  化け物は真っ二つとになり、その肉塊は音と煙を発しながら消失していく。
  後には床にわだかまりが残るだけ。
  「ああっ! なんてことっ!」
  「動くな」
  ショックソードをナタリーに突きつける。
  彼女は咄嗟に手にしたアサルトライフルを、捨てた。
  狂ったように女は叫ぶ。
  「ゴンちゃんっ! 大丈夫、ゴンちゃんっ! あんた、何てことしてくれたのっ!」
  「身を護っただけだ」
  「あたしはペットに餌をあげていただけ。それのどこが悪いわけ?」
  悪びれもせずに女は言った。
  何だ?
  どうして化け物にそこまで思い入れが出来る?
  ただの損得ってわけではないのか?
  「……また、1人になっちゃって、あたしはこれからどうしたらいいの……?」
  「ナタリー」
  「さっさと消えてよ、このペット殺しっ!」
  「分かった」



  一日後。
  気になってナタリーの元に訪れる。ハーマンはまだ見つかっていない。
  ナタリーは半狂乱で騒いでいた。
  部屋には所狭しとタンスが並んでいる。
  無数に。
  無数に。
  無数に。
  彼女はそんなタンスを開け閉めしながら歩き回っていた。
  「……ああ、ゴンちゃん、帰ってきてゴンちゃん……」
  「ナタリー」
  「ああ、いない、どんなに新しいタンス買ってもゴンちゃんがいないっ! ゴンちゃんはもう二度と戻ってこないのっ!」
  「……」
  彼女はそもそも自分に反応すらしていない。
  何も見ていない。
  ただタンスの同居人を探している。
  自分が悪かったのか?
  そんなことはない。
  彼女がやっていたことは悪そのものだった、しかし……。
  言葉なく自分は部屋を後にした。





  グリン・フィスが去った後のナタリーの部屋。
  タンスがゆっくりと勝手に開く。
  「誰っ! ゴンちゃんなのっ!」
  「残念外れ。あんたの願い、叶えてあげようか? 代わりに私のお願い聞いてもらうけど。どう?」





  翌日。
  再びナタリーの部屋を訪ねる。ノックするも無反応。
  自分の顔を見たくないのは分かるがこれではいささか後味が悪いし放っておくのも、な。
  どうしたものか。
  「ん?」
  気配がしない。
  留守なのか?
  扉のノブを何となく回してみる。開いた。不用心だな。部屋の中を見てみるが確かにいない。
  「タンスが」
  開いている。
  かつてゴンちゃんとやらがいたタンスが。そこだけが開いている。
  それは別にいい。
  気になるのはそこに黄色いワンピースがあるからだ。
  ハンガーに掛かっているわけではない、タンスの中に頼りなく落ちている。ここから見るだけでも分かる、それはズタズタだった。
  部屋の中に足を踏み入れた。
  まさかあの化け物の再来か?
  1つ1つタンスを開ける。
  だが何もいない。
  ワンピースを手に取ってみる、ズタズタで、何らかの粘液が付いている。扉から出て行ったのか、だがさすがに誰かが気付いて騒動になるはずだ。
  おや?
  タンスの奥に何かある。
  手に取って見るとナタリーの日記のようだ。ページを開く。


  『あの男に無理やり連れてこられて、この部屋で暮らすことになった』
  『あの男はすぐに私を殴る。この先が、不安』

  『殴られ過ぎて意識が朦朧とする』
  『生き延びる為にはあいつを殺すしかない』
  『でもあいつの腕力には、とてもじゃないけど勝てやしない』

  『殺されそうになった』
  『本当にやばい』
  『誰か助けてっ!』

  『今日も殴られ、首を絞められた』
  『殺される、そう思った』
  『その時タンスの中から何か飛び出してきてあの男を食べてしまった。あいつは必死に助けを求めて来たけどあたしはずっと笑ってた、こんなに笑ったのは久し振りっ!』
  『知らなかった!』
  『この部屋のタンスにこんな素晴らしい生き物が住んでいたなんてっ!』

  『ゴンちゃんと一緒になります』


  最後のページ、ゴンちゃんと一緒になりますは走り書きだった。
  彼女の最後の言葉?
  だがどういう意味……。
  「人の幸せって人それぞれだから、理解できなかったりするけど、自分に害が及ばない限りは生暖かい眼で見るべきだと思うわけですよ」
  「ハーマンか」
  いつの間にか彼女がいた。
  椅子に腰を下ろしてマグカップを両手で握っている。
  得体の知れない力を持っている。
  それが魔力によるものだとは分かっているが末恐ろしいものだ。ほとんど消耗している状態でこれなのだから、全力の場合はどの程度の力を持っているんだ?
  ナタリーの顛末はこの子が関わっている。
  そう思った。
  「何をした?」
  「何も」
  「とぼけるな」
  「とぼけてはないよ。私は願いを叶えただけ。それだけ。それが彼女の望んだ顛末。彼女が幸せならそれでいいじゃん。見返りにとあるものをいただいたからギブ&テイクってやつだね」
  「とあるもの?」
  「負の感情ってやつ。変換して魔力にする。この世界は魔力がないからこういう方法でしか充填できないのです」
  「……」
  自分は黙る。
  ある意味でナタリーが望んだことであり、彼女にとっては幸せなのだろう。
  ハーマンの真意は分からない。
  だがあながち間違った対処ではない。
  「……」
  「何か悩みごと? 飴ちゃんあげようか?」
  「結構」
  「ふーん、あげないもん」
  「……」
  願わくば。
  願わくばナタリーの魂に幸福が訪れますように。