天使で悪魔





裏工作



  「こ、ここが既に人のものですってっ!」
  「そのようで。その、無駄な努力でしたね、その、今までの盗み云々は」
  「むきーっ!」
  バキっ!
  あまりの事実に、ジョニーを殴り倒す。
  それだけ唖然とする事実。
  それだけ憤然となる現実。

  スキングラード、ローズソーン邸。名門シャイア家がかつて所有していた、豪邸。
  株が暴落し借金王となった際に接収された。
  ……株って怖いですわ素人が手を出すものじゃありませんわねー……。
  「あいてて。お嬢様、殴るなんて……」
  「お黙りっ! それより、誰が住んでいるのっ!」
  空は星空。
  空は満月。
  しかしわたくしが見上げるものは天に瞬くモノではなく、ローズソーン邸。
  この家を取り戻し貴族として再興するのが、当主としての務めであり養い親である母様への恩返し。
  母様はご逝去し、親父は地下で腐ってますけどね。
  母様、は養い親で実の母親は親父の愛人。実の母様も既に亡くなってる。
  さて。
  「調べましたところ、フィッツガルド・エメラルダとかいうブレトンの女が住んでますね。年齢は二十歳。……あれ?」
  「なんですの?」
  「いえ、地下監獄脱獄した際にお世話になった姉御もそんな名前だった気が……」
  「……? それより、その人物はどんな奴ですのっ!」

  喧嘩売るにも経歴が分からない事には売りようがない。
  情報もなしに喧嘩を売って負けたら、いい笑いものだ。じっくりと見極めてから喧嘩を売る。
  それが勝つ為の常套手段。
  「フィッツガルド・エメラルダという女性は、スキングラード領主であるハシルドア伯爵と懇意みたいですね。その関係で屋敷を
  もらった、と衛兵達は噂話してました。すごいっすね、屋敷もらうなんて」
  「む、無料ですの?」
  「ええ。ただっす」
  「そ、それで何者?」
  「急ぎで調べましたから、正確には。……あっ、ただ家を空けている事が多いそうなので冒険者とも考えられますよね。これも
  衛兵達の噂話なんですけど、最近正妻失った伯爵夫人が、後妻に迎えようとしてるとか」

  「後妻?」
  「ええ。サシで食事したそうですし。伯爵夫人候補みたいっすね。……噂ですけど」

  借金総額は金貨にして10万枚。
  屋敷も差し押さえられ、シャイア家は没落。再興不可能と思われているけれど……甘いですわっ!
  ほほほ、必ず立て直して見せますわーっ!
  「お嬢」
  「……? グレイズ、何故ここにいますの?」

  元々シャイア家の用心棒だったオークのグレイズ。
  好きな事は武者修行。
  帝都の闘技場に籍を置く、剣闘士でもある。
  実力だけ見ればグランドチャンピオンであるグレイプリンスに匹敵するだけの技量を持っているものの、騎士道崩れである
  為に女性闘士が相手の場合は欠場し不戦勝となる為に勝ち進めないでいる、不遇のオーク。
  ……まあ、不遇というより馬鹿なだけなんですけどね。
  「帝都の闘技場で鍛錬するんじゃなかったんですの?」
  「スラム街で異変です」
  「……どういう事ですの?」
  帝都、スラム地区。

  正確には城壁の外に住む、税金を納める事すら出来ない貧しい暮らしをしている者達の地区。
  盗賊ギルドはそこを拠点にしている。

  スラム地区に住む者は盗賊ギルド構成員かその庇護を受けている貧民達、つまり皆が皆、何らかの形で盗賊ギルドの頭目で
  ある伝説の義賊グレイフォックスに関係した生き方をしている、とも言える。

  「お嬢様には悪いけどグレイズ、この屋敷既に人の手に……」
  「お黙りっ!」

  「ジョニー、お嬢の気持ちも考えろ」
  「あ、あっしは別に……」
  ジョニーとグレイズ。元々はシャイア家の使用人達。
  世間一般ではわたくしが家を潰した、と思っているようですけど少し違う。家を傾かせたのは親父。
  女遊びの果てに家を傾かせ、財を食い潰した。
  挙句体壊して今じゃ土の中で腐ってますわ。
  もっとも、家にトドメを刺したのはわたくしには違いないですけどね。株で何とかしようとしたのが運の尽きですわ。
  ジョニーとグレイズ。元々はシャイア家の使用人達。
  だから、世間よりは私の立場を理解してくれている。特に、グレイズは。
  ……ありがたいですわね。
  「お嬢は身を売ってまでして、御家を建て直そうとしたのだ。軽はずみな言動はよせ」
  「す、すいませんお嬢様」
  「いいですわ。ジョニー。……後で始末ですから」
  「ひぃぃぃっ! ひでぇっ! 謝ったのに結局始末っすかっ!」
  「ほほほー♪」
  レノス・スフォルツェンド。
  婚約者の名前ですわ。結局、顔すら見た事ないですけどね。
  家傾かせた親父が押し付けた、名門貴族の1人息子。確か、アルトマーとか聞いてましたわね。
  縁続きになる事により家を建て直そうとした男の、愚かな策ですわね。

  人身御供。
  生贄。
  普通なら、蹴りますわ。でも、母様には恩義があったから。
  ……まあ。
  結局、向こうも財力目当て、政略結婚ですらなかった。つまり、向こうも借金抱えて火の車。同じ事考えたわけですわね。

  で、お互いに潰れたと。
  ……まあ、それはいいですわ。
  「それでグレイズ。どうしたのです? ジョニーを殺しに来たのですか? どーぞどーぞご自由に♪」

  「ひ、ひでぇっ!」
  「お嬢、そうではありません。スラム地区に帝都軍が展開しています」






  事態は深刻だった。
  グレイフォックス逮捕に情熱を燃やすヒエロニムス・レックスは自身が動員出来る兵力全てをスラム地区に展開、現在戒厳令
  を発令し住民達はそれぞれの自宅もしくは倉庫に押し込められ、外出を禁じられた。

  スラム地区の住民は何らかの形で盗賊ギルドに関わっている。
  構成員。
  情報屋。
  貧民達。
  その全てが家に押し込められ、動きが封じられた。
  ……ふぅん。
  レックスが分かっててやってるのかは知りませんけど、スラム地区の動きを封じる=盗賊ギルドの動きを封じる、という方程式
  になる。帝都軍がいる限り、首根っこ掴まれたも同義。
  グレイフォックスの情報を得る為に。
  可能性としては低いけれど、もしかしたらグレイフォックスがスラム地区解放の為に出張ってくる事を予測して、持久戦の構えを
  見せているのだろう。どちらにせよ作戦としては悪くない。
  さて。
  「これはこれで壮観ですわね」
  「御意」
  「お、お嬢様、見つかったら厄介なのでは?」
  スラム地区。
  あれから、帝都まで来て見たら……ものの見事に、スラム地区の居住者は家に押し込められて、誰一人で歩いていない。
  それに反して帝都兵はそこら中に溢れてる。
  動員し過ぎ。
  あちこち歩き回り、あるいは走り、グレイフォックスがあたかもそこらに隠れているように、目を皿にして探している。
  ……不毛ですわね。
  人海戦術しても見つかるとは思えない。
  「グレイフォックス、か」
  伝説の義賊。
  一説では300年生きている、人外のものという噂もある。都市伝説的な存在だ。
  貴族や金持ちからは当然蛇蝎の如く憎まれているものの民衆にとっては、特に貧しい者達にとってはヒーロー。
  わたくしの憧れですわね。

  別に伝説の盗賊だから憧れ、ではない。わたくしもヴァネッサーズを名乗り盗賊行為してますけど、盗賊そのものに憧れは
  しない。伝説の盗賊云々では、わたくしの興味は奪えない。
  何故憧れるのか?
  答えは簡単、グレイフォックスの生き方は貴族そのものだから。
  民衆への優しさ、いたわり。
  まさにわたくしが望む貴族そのもの。
  ……。
  ……じゃあお前どうして盗賊してるんだトイレットペーパーまで盗むんだ、という突っ込みはなしですわ。
  まあ、少なくとも盗んだら生活立ち行かなくなるような家は狙ってませんわ。
  その程度の配慮はわたくしにもある。
  「参りますわよ」
  「御意」
  「は、はいー」
  お供を連れてスラム地区を歩く。戒厳令が出ているのは知っている、というかグレイズに聞いた。
  何度と帝都兵に止められ、職質を受ける。
  何故で歩いているのか、と。

  「旅から帰ったばかりですわ。今、家に戻りますの。御機嫌よう」
  そう言われれば帝都兵も押し黙る。
  スラム地区の住民=常にここから離れません、という法則はない。旅に出て、丁度今帰ってきても別に変じゃない。
  「探せ、グレイフォックスを探せっ!」
  いたいた。
  堅物熱血男のレックス隊長。部下達を鼓舞し、陣頭指揮を取っている。
  ……?
  ふと、眼に止まるのは帝都兵ではない者達。

  「バトルマージ?」
  魔術師ギルド直轄の魔道兵士達が……ふぅん。どういうツテなのか知らないけれど、バトルマージを徴発したのね。

  となると相当、魔術師ギルドは頭に来ているはず。
  勝手に兵力奪われたわけですから。
  ……しかしそうなると、まずい。
  レックスは完全に持久戦の構えに出てる。出せる戦力、動かせる人員全てを投入して盗賊ギルドの手入れに乗り出してる。
  ここまでして空振りで終われるわけがない。
  グレイフォックス捕まえるまで彼は引かないだろう。
  ……んー、悪い男じゃないんですけどねぇ。

  パン。
  両頬を叩き、貴族として恥ずかしくない、柔和な笑みを作る。
  根が荒れた生活してたから、礼節は正直苦手。社交辞令も。貴族の娘、として引き取られてから身につけた後天的な素養。
  まあ、いい。
  「レックス隊長、御機嫌よう」
  ニコニコと、それでいて慎み深い笑みを浮かべ優雅に一礼するわたくし。
  普段ならここで彼も態度が砕ける。
  しかし……。
  「レディ。現在は戒厳令が発令されています。手入れが終わるまでは、どうぞ屋内に留まるように」
  「あら、ご親切にありがとう」
  「ご理解ください。帝都の秩序を乱すグレイフォックスの逮捕の為です。ご協力のほどを」
  「ええ、もちろん。では、御機嫌よう」
  駄目だ。
  彼、完全に頭にきてる。今まで散々グレイフォックスに裏掻かれて来たから、レックスとしてももう引き下がれないところまで来
  ている。こりゃ本気でここに部隊展開して、居座るだろう。

  盗賊ギルドに義理はない。
  でも、グレイフォックスには会ってみたい。
  それには盗賊ギルドで出世し、それと同時にグレイフォックスが逮捕されない必要がある。
  さて、どうしたものか?
  レックスと別れ、とりあえずスラム地区にある家に向う最中に、呼び止められる。
  「……?」
  「お嬢、あそこです。ほら、タルの陰」
  見知らぬ禿げ上がった男。身なりからして物乞い。物乞いは、グレイフォックスの情報屋。
  「あんたがアルラ?」
  「そうですわ」
  「メスレデルから聞いていたとおりの容姿だな、すぐに分かったよ。あんたなら警備をかいくぐって無事だろうとメスレデルが言っ
  ていたとおりだ。彼女から伝言がある。すぐに会いに行って欲しいんだが」
  「ええ。貴族たるもの、寛容ですからね」
  そう言って、わたくしは微笑した。





  一転して、舞台は高級住宅街に。
  タロス広場地区。
  アイレイドの秘宝マニアの大富豪ウンバカノの豪邸や高級ホテル兼高級サロンであるタイバー・セプティムのある地区。
  スラム地区と比べると天と地。月とスッポン。
  まさに格差社会の象徴ですわね。
  そんな場所に、メスレデルが潜んでいるという。
  この地区に家を持つダイナリ・アムニスという女性の家に潜伏しているらしい。その女性も、盗賊ギルドの構成員。
  当然、金持ち。
  盗賊=貧民、とは繋がらないのが世の中の面白いところ。

  「よく無事でっ! もっとも、アルラなら無事だと信じていたわ」
  「それはどうも」
  いつの間にかアルラと呼ばれてたりする。
  まあ、いいですけど。
  挨拶もそこそこにメスレデルは現在の状況を簡単に説明した。
  「スラム地区に居を構えてる盗賊ギルド関係者は、私以外は全員閉じ込められてる。参謀のアーマンドもね」
  「まあ、またですの?」
  「そう、肝心な時に役に立たないよ。……今の、内緒だよ?」

  「まあ、いくら払いますの?」
  「……」
  手をパタパタと振り冗談だとわたくしは笑う。
  咳払いをして、彼女は話を続ける。

  「スラム地区の住人はグレイフォックスに何度も恩を蒙っている。だから、すぐには転ぶ者はでないだろうね。しかし人は忠義だ
  けでは生きられない、飢えればレックスに何か話す者も出てくるだろうし、人道的にも何とかする必要がある」
  ふふふ。
  喉の奥で笑う。
  盗賊=悪、とも言い切れないのが世の中の面白いところ。
  少なくともグレイフォックスは貧民を擁護している。そしてその方針を護り、ギルド構成員も。
  面白いですわね。

  「今回の作戦の立案者はグレイフォックス、指揮はブラヴィルの参謀スクリーヴァが執ってる。つまり、私もアルラもそこのア
  ルゴニアンもオークも参謀スクリーヴァの指揮で動いてるわけ。報酬云々は彼女に言って」

  「ふぅ」
  いつの間にかわたくしも、ジョニーもグレイズも盗賊ギルドに組み込まれてる?
  独立した盗賊とか言いながら、利用する時は容赦なく利用するつもりらしい。
  まあ、儲かるならそれでいいですけど。
  「それで、どんな策があるのですの?」
  「凄腕の盗賊達が、それぞれ同時に同時刻に、別々の場所で大々的に盗みを行うのよ。レックスが治安維持の為の帝都兵を
  掻っ攫い、魔術師ギルドからはバトルマージを強制的に徴発してるからね、盗む方の視点からは、警備は既に霧消してる」

  「なるほど」
  「大々的に盗んだ後に、レックスを脅す。警備を元のシフトに戻さないと、もっと被害が出るぞってね」
  「まあ、妥当なところですわね」
  「アルラ、魔術師ギルドとは懇意だとか」
  「ええ。親父……いえ、父様がマスターと懇意だったので、その関係で」
  一応の、師弟関係。
  現在のマスター・トレイブンの数少ない直弟子。
  「バトルマージはいないから、盗みは簡単なはず。それに貴女は正規に出入りできる、簡単でしょう? フローミルの氷杖という
  ものを盗み出して欲しいのよ。そっちのアルゴニアンとオークは他を手伝って」

  完全にわたくし達、手駒ですのね。
  それもわたくしの従者に勝手に命令するなんて。
  「お嬢」
  「お嬢様」
  わたくしに指示を求める二人。

  レックスに恨みはないけど、スラム地区に家を持つ者としてはあまり現状は好ましくない。
  ならば。
  「協力して差し上げなさい。……しかしメスセデス」
  「……メスレデル」

  「あらごめんないさいね。わたくし、人の名前を覚えるの苦手でして。……さて、それよりも条件がありますわ」
  「分かってる分かってるわ。報酬?」
  「それもありますわね」
  「それも、という事はフローミルの氷杖の事? グレイフォックスはその辺も考慮しているわ。さすがと言うべきね。ともかく杖その
  物には今回は興味ないのよ。今回はね。要はレックスを撤退させる口実が欲しいだけ。杖は返すわ、一時的に借りるだけ」

  それなら別にいい。
  もちろん魔術師ギルドがそれを承諾するかは別だけど、わたくしの気は軽い。
  あの杖、マスター・トレイブンのお気に入りの、愛用の杖。
  恩義あるから出来れば永遠に盗むのはしたくない。
  ……返却すれば盗んでもいいのか、と言われれば別の問題だろうけど。
  「では行って参りますわ。御機嫌よう」






  アルケイン大学。
  魔術師ギルドの総本山であり、知識の最高峰。
  親父とマスター・トレイブンが親交があり、その関係でわたくしも出入りしていた。……大分昔の話だけど。
  遊びで初めた魔術。
  気付けばマスターが直々で指南してくれるほどのレベルに達し、一応は数少ない高弟の1人。
  得意な魔法は破壊魔法。
  しかしそれ以上に召喚系を極めつつある。
  さて。
  「誰もいないですわね」
  門に守衛がいない。
  大学内に巡邏している者がいない。
  大学の私設舞台バトルマージが、見当たらない。どういうツテなのか知らないけど、レックスは本気でバトルマージを徴発して
  グレイフォックス探索に使っているらしい。なかなか無茶な事する。

  少なくとも大学は面白くないと思っているはず。
  「ラミナス、御機嫌よう」
  「……? ああ、シャイア嬢、お久し振りです」
  魔術師ギルドの中間管理職、ラミナス・ボラス。
  大学と外界の折衝役。
  生真面目な男で、事務的口調が目立つ人物。それなりに付き合い長いけど笑みも見た事ないし冗談も聞いた事ない。

  愛想がない、わけじゃない。
  敬意もあるし礼節も弁えてるけど、真面目一辺倒なのよね。
  「マスターはいらっしゃる?」
  盗みに入ろう、とは思ってない。
  バトルマージいないぐらいで盗みに入れる場所じゃない。
  それにフローミルの氷杖はマスター・トレイブン愛用の杖であり、ある意味で魔術師ギルドの象徴。それだけ価値のある物。
  盗めるとは思ってない。
  最初から、その方法は却下。
  「マスターに何か?」
  「マスターに頼みがあるのです」

  「それはどのような?」
  「……」
  エンドレス。
  ふぅ。真面目すぎる男というのも、扱い辛い。
  ラミナスも、もう少し砕けた性格なら喋りやすいんですけどねぇ。

  「フローミルの氷杖、貸していただきたいのです」
  「それは……」
  無理です。
  そう言おうとした時、評議員を引き連れた白髪の老人が眼に入る。
  ハンニバル・トレイブン。
  ……ちょうどいい。
  「マスター・トレイブン、御機嫌よう」
  「おお、アルラか。久し振りだな。元気にしていたかな?」
  「ええ。元気にしておりました」
  引き連れていた評議員達が邪魔。会話の内容、あまり聞かれると困る。
  それを察したのか、マスターは他の者達を先に行かせた。これから評議会なのだろう、きっと。
  あまり話をしている時間はない。
  「単刀直入に言いますけど、フローミルの氷杖をお貸しいただきたいのです」
  「あの杖をか? ……いや、しかし……」
  渋面のトレイブン。
  そりゃそうね。単刀直入すぎるし、魔術師にとって杖は大切なもの。
  その杖ちょうだい、いいよ、という風には行かない。

  「アルラ、何故杖が欲しい?」
  「その……」
  「もちろん理由次第では貸してもいいが……何日ぐらいかな? その日に返してくれるのであれば……」
  歯切れが悪い。
  マスターは優しいし、懐も広いけどフローミルの氷杖に関しては煮え切らない。
  まあ、それが普通の対応なんだろうけど。
  別の攻め方をしてみよう。
  「バトルマージです」

  「バトルマージ?」
  「そうです。杖をお貸しいただけるなら、帝都軍の横暴の対処の仕方を、お教えいたしますわ」

  「……」
  そして……。




  「手に入ったの? あっははははっ、さすがだねっ!」
  「お褒め頂き光栄ですわ」
  かなり揉めたけど。
  物惜しみしないマスターでも、やはりこだわりはある、か。
  無条件でフローミルの杖を貰える人物はいないわね。
  わたくしでさえ、あんな渋面ですもの。

  「他の必要な物も全て手に入った。アルラの杖で、最後だよ」
  「それでわたくしは、これからどうすればいいんですの?」
  「よく言ってくれた。暇でしょう? だったら一つ、見届けて欲しいんだ。レックスの動向をね。アルラはレックスとも懇意
  みたいだから、別に害はないし問題もないでしょう。状況を見てきて欲しいのよ」

  「あら、いくら出しますの?」
  「まったく、あんたは経済観念しっかりした盗賊だよまったく。スクリーヴァに上奏しておくわ、追加報酬支払うようにね」
  「ありがとう。では行って参りますわ。御機嫌よう」






  「まだ見つからんのかっ! これだけ動員しながら……ええい、腹立たしいっ!」
  「も、申し訳ありませんっ!」

  スラム地区。
  副官と思われる人物に、苛立たしそうに吼えるレックス。
  いつもわたくしに見せる紳士の顔はなく、そこには焦燥感と義務感、そして敗北感に彩られた表情の男がいる。
  レックスはグレイフォックスに虚仮にされた。
  それ以来、憎しみ、伝説義賊の捕らえてそのトラウマを乗り越えようとする男がいるのみ。
  もちろんトラウマだけじゃない。
  とんでもなく巨大な正義感でもあるのだ。
  ……ただ、やりすぎたわね、レックス。
  ある意味で監禁。
  戒厳令は監禁であり、人権の侵害。それを忘れた、それは貴族であるわたくしにとっても悪だ。
  貴族とは庶民を護る者。
  それを無視した時、わたくしは貴方の敵になりますわよ?
  「何故、何故見つからんっ!」
  そもそも探す場所が間違ってる。
  ここに潜んでいる、という前提でない限りここまで動員して探す意味がない。

  まあ、グレイフォックスは捕らえられなくても盗賊ギルドの動きを縛るの効果にはなっているでしょうね。
  行け、と副官に指示し、レックスは1人になる。
  「……」
  屋根の上に潜んでいるわたくしは、その様を見て接触しようと試みる。
  わたくし相手なら特に敵意は見せないだろう。
  何か進展が聞けるかも……。
  「誰だっ!」
  レックスが吼える。
  わたくしは屋根に潜んだまま。レックスの視線も、こちらには向いていない。
  視線の先には……。
  「……えっ……?」
  人影。
  しかし、厳密には人ではない。人外の存在。タムリエルに住む者、ではない。
  あれはオブリビオンの住人。悪魔。
  「ドレモラ? な、何でこんな所に?」
  わたくしは呟く。
  青い肌をした、異界の甲冑に見固めした悪魔。
  ちなみにドレモラ・ロードという上位悪魔が騎士なら、下位に当たるドレモラは戦士。どちらにせよオブリビオンの悪魔の軍勢の
  中核をなす存在。
  「去れ、死すべき者よ」
  書状を投捨てて消える。
  ……ああ、魔術師ギルドの使い魔か。ドレモラを使い魔とするなんて、面白い趣向ですわね。
  オブリビオンの悪魔。
  確かに強力だけど、魔術師にとっては……特に召喚系を得意とする者にとっては、馴染み深い存在。悪魔ではあるものの召喚
  した者に対しては服従する(基本的には)ので使い勝手はいい。
  それに強い強いと言っても無敵ではないし。
  帝都兵二人でドレモラと対等に戦える。熟練の者なら1人で蹴散らせる。
  元々の能力が人より高いだけで、決して勝てない相手ではない。
  わたくしも召喚系が得意ですので悪魔は下僕。
  さて。
  「……ちっ。メッセンジャーボーイなら人間で事足りるというのに、悪魔を使うか」
  書状を拾い、内容を一瞥したレックスは吐き捨てて、書状を投げ捨てた。
  「グレイフォックスにまんまと乗せられた感はするが……全員、撤収するぞっ! 全隊撤収っ! ああもう、撤収だっ!」
  半ばヤケとなりレックスは叫んだ。
  その声を聞き、各隊の隊長はグレイフォックス探索中の帝都兵達を纏め、撤収していく。
  次々と撤退していく帝都軍。
  完全に姿がなくなるまで、そう時間は掛からなかった。
  「よっと」
  屋根から飛び降り、レックスの投げ捨てた書状を読む。
  「ふふふ」
  思わず笑う。
  なるほど、大した脅し文句だわ。悪魔まで使役して、面白い趣向ですこと。

  『ヒエロニムス・レックス殿。
  貴殿のグレイフォックス逮捕に関する行動により我々は重大な被害を蒙っている。
  貴殿は我々のバトルマージを徴発した。
  それにより大学の警備は消失し、結果としてマスター・トレイブン愛用の品物が盗賊に盗まれた。
  我々はここに勧告する。
  即座にバトルマージを解放し、我々の警備体制の即時復旧を勧告する。
  要求ではない。勧告である。
  万が一、これを拒否するのであれば我々は帝都軍上層部、もしくは元老院にこの旨を報告するとしよう。
  貴殿の間違いのない判断を期待する』

  書状の署名はラミナス・ボラス。
  ふぅん。中間管理職のあの人、なかなか脅し上手ですわね。

  レックスは、結果として退いた。
  バトルマージは大学に戻され、レックスが動員した帝都軍は治安維持に戻される。レックスは気付いたのだ、大々的に盗み
  が行われた事を。アルケイン大学は被害の一つでしかない事を。

  レックスは熱血漢で、堅物だけど馬鹿じゃない。
  スラム地区から撤退するまでグレイフォックスは帝都で盗みを延々と指示続けるだろうと。
  スラム地区に出張っている間、ずっと被害は拡大する。
  結果、撤退するしかない。
  そう判断してレックスは撤退した。今回の作戦はグレイフォックスの立案らしい。
  ……なかなかの策士ですわね。

  「さっ、メスレデルのところに戻りましょうか。徹夜はごめんですわ」





  タロス広場地区。
  「レックスは撤退した? やったねっ! ははは、うまくいったわっ!」
  小躍りしながらはしゃぎまわるメスレデル。
  意外に可愛い性格。
  スラム地区に展開していた帝都軍は撤退し、レックス隊長も大人しく……内心では腸煮えくり返っているだろうけどとりあえ
  ずは穏便に引き下がった。
  ……とりあえずは、ね。
  このままただ大人しくしているような人物なら、ここまで大々的には動かない。
  熱血漢通り越してると思うけど、グレイフォックス逮捕は諦めないだろう。
  融通利かないし頭固いものの一途なところはわたくしは正当に評価している。レックスは汚職に塗れている連中とは違い高潔。
  そこは、彼の美点だと思う。
  ただ融通利かな過ぎ。
  今回だって、盗賊ギルド壊滅&グレイフォックス逮捕の為の行動とはいえ、人道的に見れば横暴だ。
  そこにどんな大義名分があったとしても。
  「それであの二人はどこですの?」
  ジョニーとグレイズが見当たらない。
  「ああ、まだ借りてるよ。……ああ、そうだ。この杖、返すよ」
  フローミルの氷杖。
  メスレデルはわたくしに手渡した。約束を反故にするつもりはないらしい。
  ……この杖、かなりの価値なのに返却する。
  ふぅん。
  グレイフォックス率いる盗賊ギルド、高潔ですわね。わたくしの趣味に合いますわ、嫌いじゃない考え方。
  「それでアルラ、どうやって返すの?」
  「手渡しですわ」
  「……それって危険じゃない?」
  「盗品なら、ノコノコ返却しに戻ったら殺されますわね。でもこれ、借り物ですから」
  「ふーん」
  納得行かないような顔をしているものの、事実そうなんだから仕方ない。
  アルケイン大学。
  はっきり言ってバトルマージいないからといってそもそも盗みに入れる場所じゃない。セキュリティ万全だしバトルマージの守衛
  はあくまで飾りでありオマケ。
  評議員を含め講師や学生、どれをとっても魔術の使い手。
  盗みに入ればまず瞬殺される。
  まあ、いい。
  「それでは返却してきますわ」
  「ええ、そうして」
  「それでわたくしの報酬は?」
  「まったく、油断も隙もないね。大丈夫、ブラヴィルのスクリーヴァ参謀から送ってもらうようにする。……それとも貴女達がブラ
  ヴィルに行くならその旨を書状に書くから、持って行って」
  「戻ってから考えますわ。では、御機嫌よう」
  フローミルの氷杖。
  欲しいと言えば欲しいですけど……マスター・トレイブンのあの渋面から察するに、貰えないでしょうねぇ。