天使で悪魔
裏切り者
裏切り者。
味方に背き敵に付く者。またその行為。
グラーフ砦。
牢獄区画にある地下牢の中。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
突然、絶叫があがった。
密室の地下監獄に残るのは2つだけ。
悲鳴の残響と新鮮な血臭。
その2つだけだ。
ドサ。
トカゲは倒れる。
目に生気がない。完全に死んでいる。アルゴニアンを殺した女は、背後に立つ仲間のアルゴニアンに振り返って微笑した。
「晩餐に首が必要なんだよね?」
「ああ」
頷く仲間のトカゲ。
女は静かに微笑して血塗られたショートソードを倒れているトカゲの首に押し当てた。
数秒後。
肉を裂き、骨を断ち、血が吹き出る音が響いた。
ただその音だけが地下牢に響く。
ただその音だけが……。
その頃。
グラーフ砦にあるもっとも豪華な部屋。
この部屋の主は港湾貿易連盟の総帥であり、その中核&母体である犯罪結社ドレスカンパニーのボスの私室。
アレン・ドレスの部屋。
「座ってくれ」
「ええ」
わたくしはドレス・カンパニーの親玉に誘われて私室に足を踏み入れた。
親玉の部屋は砦の最上階。
つまりオークション会場とは真逆の位置にある。
あそこは地下でしたしね。
別に地下の空間は否定しませんけどやっぱり息苦しさや圧迫感、閉塞感があるのは確かだ。
ビバ開放感、ですわね。
窓から入る夜の空気が気持ち良い。
「晩餐にお誘い頂き感謝ですわ」
椅子に座る。
何気なく視線を部屋の内装に向ける。室内の内装や調度品はエレガントでシック、そして非常にクール。
ふぅん。
金に物言わせてゴージャスな成金かと思えばセンスの良い内装だと思う。
部屋にお金は掛けてる。
確かにお金は掛けてるんだけど嫌味のない投資の仕方だと思う。趣味は合いそうですわね。親玉は金ぴか=お金持ちという発想ではないようだ。
まあ、そこはいいですわね。
テーブルには次々と料理が運び込まれてくる。
「うまそうだ」
「ですわね」
運び込まれる間、わたくしと親玉は料理とテーブルを挟んで向かい合って座ったまま静かに見つめ合ってる。
素顔はまだ晒していない。
わたくしは灰色狐の仮面、親玉はクラヴィカスの仮面を被ったまま。わたくしの場合は完全に素顔が隠れているわけではなく仮面の構造の関係で口元や
瞳は相手に見えているもののクラヴィカスの仮面は完全に顔を顔を覆っている為に相手の顔はまったく分からない。
うーん。
まずいですわね。
瞳も見れないというのは非常にまずい。
向うさんは完全にポーカーフェイス状態であって表情が読めない。
まあ、それでもこの場は晩餐の場。
食べる時になれば向うは仮面を当然ながら脱ぐだろう。
……。
……純粋に晩餐する気ならね。
もしかしたら晩餐は誘き出すだけ……いえ、誘き出すだけというのも確かにある。というかそれが目的だろう。ただ、本当に晩餐してわたくしの素性を引き出
そうとするのか、それとも問答無用で襲い掛かってくるのか。表情からそれが読みたいけど出来ないでいる。
「ははは」
「ほほほ」
使用人が全て下がる。退室。使用人と言っても堅気ではないだろう。給仕役を受け持っているものの結局のところはいざとなれば戦闘要員、ですわね。
雰囲気が堅気ではなかった。
ただの偏見?
まあ、そうかもしれませんわね。
ともかく。
ともかく全員が下がった。
ふぅん。
つまりワインは手酌って事かしら?
ソムリエなしの晩餐、か。
不満ではあるものの親玉とサシなのは考慮すべき点かしらね。ワインや食事に毒が盛られてる?
その可能性もゼロではない。
ただいきなりは毒殺しないだろう……と思う。
わたくしが灰色狐だとばれているわけではなく疑われているだけ。子爵としての地位も有している。相手としては探りを入れたいのだろう。それは確かだ。
灰色狐の仮面を被っている、子爵という立場に相応しくないお金を持っている、疑点は2つ。
そこから素性を引き出そうとしているのだろう。
うん。
それは確かですわね。
疑わしいからといっていきなり子爵を毒殺するとは考えられない。
……。
……おそらくは。
ま、まあ、食中毒で死んだとかにする可能性はゼロではないですけどね。
さて。
「シャイア子爵」
「何ですの?」
「3000の品物に300000の値を付けて頂き感謝している」
「出し惜しみしない主義ですの」
「だが100倍の金額で落札するのは容易ではない」
「子爵程度の爵位にしては?」
「そうは言わん」
親玉はワインの瓶を手に取って自分のグラスに注ぎ、それからわたくしのグラスにも注いでくれる。
芳醇なスリリー産ワインの香りが漂う。
美味しそうですわね。
だけどすぐには飲めない。毒云々は置いといてもすぐには飲めない。だって相手はまだクラヴィカスの仮面被ってる、相手は飲むに飲めない。
最初の一杯は一緒に飲まないと礼儀に反する。
私もまだ仮面は外していないけど、この状態でも飲めるには飲めるけど……相手が外したら私も仮面を外さないとね。
それもまた礼儀。
「シャイア子爵」
「何ですの?」
「君の経歴は調べた。……いや。悪く思わないでくれ。招待客の経歴は全て調べてある。従者の経歴もな。何しろここには今回のオークション用の商品が
大量にある。いずれも高価な品々だ。警備の者を増やすだけではなく、招待客の経歴も知る必要があるのだ。気を悪くしないでくれ」
「大丈夫ですわ」
わたくしの経歴はでっち上げるまでもない。
スキングラードの名門であるのは確かだからだ。……まあ、クソ親父の代でほぼ没落してましたけど。
従者の経歴?
さすがにユニオの経歴はまずいので偽造した。
元老院直轄の諜報機関の元捜査官、さすがにその経歴は異様過ぎる。ザラにある経歴ではないし目立つ。だから偽造した。それも徹底的に。
盗賊ギルドにとって偽造もまた仕事の1つ。
完全な偽造の経歴を作るなんて容易で造作もない事。素性で知れる事はない、わたくしはそう自らの組織を誇っている。
「シャイア子爵」
「何ですの?」
「君の父君はかなりの借金をしていたようだね。名門という看板、しかし実態は浪費によって家は傾いていた。そこで愛人の娘だった君の出番だ」
「……」
「わずかな捨扶持で飼われていた君の母君。その母君が亡くなると援助は完全に途絶えた。君はスラムで金になる事はなんでもやった。そんな君を拾った
父親の目論みは別の名門に嫁がせる事。縁続きにする事でシャイア家を存続させようとしたのだな。しかし実のその婚姻を結ぼうとした家も破産寸前」
「その後クソ親父の親友の斡旋で株に手を出して暴落、ローズソーン邸は借金として差し押さえ、持って行かれる」
「その通りだ」
「わたくしを怒らせたいわけですの? その経歴、言われてわたくしが喜ぶとでも?」
「怒るな」
「怒ってはいませんわ。気に食わないだけ」
「言いたいのは君の経歴そのものではない。300000もの金額を出せる余裕がどこにあったのかだ」
「それは」
「それは?」
「内緒ですわ。まさか個人資産の管理方法まで言えというわけ? それは無粋ですわね。礼儀に反しますわ、貴族に対する名誉毀損は罪ですのよ?」
「……」
相手は黙る。
「それに淑女に対して仮面を付けたままというのも困りますわね。それも礼儀に反します。まずは殿方から外すのが礼儀。そうではなくて?」
「ほう、仮面を外す?」
「あっ」
言ってからまずいと思った。
軽率だった。
クラヴィカスの仮面は相手を魅了する効果のある魔王クラヴィカス・ヴァイルの品物。わたくしは灰色狐の仮面を被っているので影響下にはないものの
普通の者は簡単に魅了されてしまう。つまり仮面に魅了され続けたいと願う。なのにその仮面をわたくしは外せと言った。
影響下にない事を明言するようなものだ。
……。
……うーん。まずかったかも。
灰色狐の仮面は魔王ノクターナルから盗み出したものというのは有名であり裏世界の定説だ。
仮面の魔力を魔王と魔王の力で相殺し合っている、その方程式に親玉が気付いたかどうかが今後の明暗を分けそうだ。
軽率な発言でしたと認めます。
気を付けよう。
「確かに君の言うとおりだ、非礼を詫びよう」
そう言って彼は仮面を外す。
その下の顔はダンマー。顔は知りませんでしたけどダンマーだというのは知ってたけど……ふぅん、なかなか美麗な顔立ちですのね。
クラヴィカスの仮面なくとも相手を魅了出来るでしょうに。
勿体無い。
まあ、別に顔の美麗云々はどうでもいいですわね。
わたくしも仮面を外す。
これでようやく素顔と素顔の体面が叶った。つまりこれからが初めての会話ってわけですわね。相手はクラヴィカスの仮面の効力に頼れないと悟った
以上、正真正銘の会話って事になる。もちろんわたくしは別に言い負かす必要もないし言い負かす内容もない。
あくまでジョニーの援護。
彼は今、せっせと宝物庫からめぼしい宝を運び出しているはず。
その時間稼ぎ、それがわたくしの仕事。
「乾杯しようか」
「ええ」
毒が入ってないならねー。
だけどそれを確認する術はない。相手が先に飲むのを見る?
それも手ではありますけどワインそのものにではなく、グラスに毒が塗ってあった場合もあるわけだから決定的な手段ではない。
どうしよう?
どうしましょう?
コンコン。
その時、扉がノックされた。
アレン・ドレスは微笑を浮かべたまま入室をすぐには許可しない。手にワイングラスを持ったまま微笑を続けている。
それから突然哄笑した。
「はっはははははははははははははははははははっ!」
「何が楽しいのですの?」
「はっはははははははははははははははははははっ!」
「非礼ですわ、それ」
思い出し笑い?
いいえ。
そういう類には見えない。
わたくしを笑っている思うのはあながちただの被害妄想ではなさそうだ。相手の笑いが収まるのを待つ。
意味もなく大笑いする、その時点で既に礼儀に反している。
気に食わない。
「いやいや。すまなかったな」
「何が面白かったんですの?」
「実は知ってるんだ」
「何を?」
「君が本当は灰色狐だという事をさ」
「あら。光栄ですわ。犯罪者だと思ってくださるわけね。……名誉毀損で元老院に訴えますわよ」
「内通者がいるんだ」
「内通者?」
「筒抜けなんだよ、全てな。船に対する小細工が失敗したのは何故だと思う? 内通されていたからだ。だから我々は対処出来た」
「面白い話ですわね」
「面白いな」
ハッタリ?
それともただの冗談?
どちらにしてもこの場には相応しくない。だとしたら本気?
ふぅん。
そうなのであればどのようにしてその結論になったかが気になる。
「説明してくださる?」
「当然だ」
彼はワインを満足げに飲み干す。
わたくしは見ている。
ゆっくりと余裕に満ちた口調でアレン・ドレスは言葉を紡ぐ。
「君にとっては裏切者に当たる人物が全てを逐一報告してくれたんだ。つまり、最初から君が灰色狐だと知っていたのさ、我々はね」
「へぇ」
「驚かないのか?」
「誰ですの? その恩知らずの裏切者とやらは?」
「それは言えんな」
「ふぅん」
頭の中で誰が裏切者か考える。
今回の作戦を知っている者は少ない。舞台がニベイ湾に浮かぶ孤島なので大規模動員できない、つまり盗賊ギルドの一般構成員には今回の計画は
伝えていない。結局のところ動かせれないわけですからね。情報を知る者は幹部に限られる。
参謀アーマンド。
参謀スクリーヴァ。
伝令メスレデル。
伝令アミューゼイ。
護衛人斬り屋。
護衛ユニオ。
従者ジョニー。
この7名だ。
ただし伝令の2人は省く。現在は冒険者の街フロンティアでせっせと珍しい代物を買い漁っている。つまり今回の作戦には関っていない。安全な位置
から情報を港湾貿易連盟に流している可能性はないとは言わないけど、地理的に離れ過ぎているので内通するにしても機敏には動けない。
つまり内通者としての条件としてはあまりよろしくない。
参謀スクリーヴァが動かしているトビウオ師匠、海中の牙、アルゴニアンの部族、トカゲ達が内通するのも考えられない。少なくとも海中の牙は欲得で動く
人物でないのをわたくしは知っている。どんなに高額な給金と高い地位でアルケイン大学が口説き落とそうとしたものの黙殺した唯一の人物。
人柄的に高潔。
その人物に連なるトビウオ師匠、アルゴニアンの部族も信頼に値するとわたくしは考える。
……。
……まあ、上辺しか知らないから何とも言えませんけどね。
参謀が裏切る?
うーん。
トカゲ達を動かした参謀スクリーヴァは除外。海中の牙が関しているわけだから盗賊ギルドの乗っ取りをスクリーヴァが考えている場合、海中の牙はなびか
ないだろう。わざわざ本来無関係な組織の内部抗争に関わるほど愚かではないだろうし、見抜けない人物ではない。
海中の牙絡みなのでスクリーヴァは除外。
アーマンドは港湾貿易連盟の船に対する小細工に失敗した。
内通しているから?
いいえ。
仮に内通しているのであれば『小細工に成功しました』という報告をしてくるはず。そうやってわたくし達を油断させるはず。
なのにそれをしなかった。
つまり彼は内通には無関係なのだろう、おそらくはね。
ジョニーに関しては問題ない。何故ならわたくしは常に博愛主義で彼に接しているからですわ。
ほほほ☆
ともかく。
ともかくわたくしは頭の中で色々な情報を総合し、そして明快に回答を導き出していく。省ける人間は全て省いた。残っている中に裏切り者がいる。
裏切り者は限定される。
護衛のどっちかだ。
「それでわたくしが灰色狐だと仮定すると、わたくしはどうなりますの?」
「我々から巻き上げた資金を返して貰いたい」
「嫌だと言ったら?」
「海に沈んでもらうだけさ」
「あら怖い」
「生命探知の魔法で砦内はくまなく警備していた。そこで透明化していた1人の不審者を拘束して地下牢に放り込んである。それでも軽口は叩けるか?」
「さあ。どうかしら」
ジョニー、拘束されたか。
生命探知の魔法で警備していたのであれば裏切り者説は本当なのだろう。
海上封鎖。
絶海の孤島。
敵の本拠地。
この三つの条件があれば普通は生命探知の魔法まではしないだろう。そこまで徹底する必要はどこにもないからだ。よっぽど神経質の指導者ならともかく
完璧な防備の条件が三つもあれば普通はそこまでしない。まあ、特別神経質なのかもしれませんけどね。
だけど神経質ではなかったら?
その場合は襲撃されるのを知っている場合になる。
ふぅん。
裏切り者説は本当のようですわね。
コンコン。
再びノックされる。
「入室は許可しませんの?」
「いまするわ」
含み笑いのアレン・ドレス。
気に食わない。
余裕を堪能してもいいのはわたくしだけ。実に気に食わない。
「入れ」
「はい」
ガチャ。
アレン・ドレスが許可すると扉が開いて金髪の女が恭しい手付きで銀製のお盆を持ってきた。
その上に乗っていたのはトカゲの首。
奴は笑う。
「トカゲの首はお好きかな、シャイア子爵?」
「……あっ、ああ……」
「犯罪者を舐めるんじゃねぇぞ小娘がっ! 俺達の金を返せっ! さもなければその体にたっぷりと聞くまでだっ! 分かってるのか、ああんっ!」
「ひぃっ!」
「ぎゃっ!」
小さな悲鳴。
黒い船がグラーフ砦のある孤島に静かに上陸した。
夜の闇の紛れての航行の為、島を囲むように海上封鎖していた港湾貿易連盟の船はまるで気付かずに上陸を許してしまった。
黒い船からはカジートの部隊が静かに上陸、犯罪結社の見張り達を静かに沈黙させて進む。
わずか数分で島を巡回する警備兵は全滅。
犯罪者達はまだ誰も気付かない。
カジート達は砦に進む。
静かに動乱がグラーフ砦内部に接近しつつあった。
その者達の正体は……。