天使で悪魔






挫折と後悔と






  今まで何でも出来ると思ってた。
  今まで……。

  だけど現実は残酷で。
  そして気付く。
  わたくしにとって自分は主人公、しかし相手にしてみれば自分が主人公。そういう理屈で考えれば私のも思惑が全て無条件で叶うという道理はない。
  そう。
  誰しもが主人公。

  自分の思い通りの展開にしたければ努力しなければならない。
  それをしなければ誰かが死ぬのだ。
  それをしなければ……。






  アンヴィル当局の公式発表。

  アンヴィル港湾地区にあるルドラン貿易の倉庫での死傷者は100名を越える。
  火災の発端は不明。
  事件の真相を明確する為にアンヴィル衛兵隊はレックス隊長指揮下の元で調査に乗り出した。

  別にアンヴィル衛兵隊が真相を隠しているのではなく元老院が揉み消したのだろう。この一件により諜報機関アートルムは壊滅。
  事件の真相?
  ふん。
  どうでもいいですわ。
  結局は帝国の主導権争い。
  わたくしが手を出したのはとてつもなく大きかった。
  ただ、それだけ。





  アンヴィル。
  わたくしは場末の酒場で飲んでいた。
  1人で?
  1人で。
  「……」
  黙って安ワインを喉に流し込む。
  女性が1人で行くには物騒な店ではあるものの客の荒くれどもは誰も絡もうとはしない。
  ここに通って既に一週間。
  初日に絡んで来た連中を問答無用に叩きのめした。
  だから皆、わたくしを恐れている。
  極力関らないようにしている。
  賢明ですわね。
  今のわたくしなら誰かを殺しかねない。
  「……」
  ごくり。
  グラスに満たされていたワインを一気に飲み干した。酔いが全身を駆け巡る。それでもわたしの心の憂いは消えそうもない。
  「おかわり」
  「……」
  無言でマスターはわたくしのグラスに酒を注ぐ。
  金払いはいいものの物騒なわたくしをマスターすらも敬遠していた。もちろん素性は伏せてある。
  子爵が通うにはあまりにも品がない店だ。
  わたくしの陣取る場所だけ浮いていた。
  「……」
  あれ以来。
  あれ以来わたくしはここに通っている。
  グレイズが死んだあの日から。
  遺体?
  彼の遺体はない。あの状況だったから遺体を持ち出す事も出来なかった。
  わたくしは逃げた。
  あの場から文字通り逃げたのだ。
  まるで歯が立たない状況というのはあれが初めてだった。
  ……。
  ……遺体がないから生きている可能性?
  そんなものはない。
  そんなものは。
  あの状況だから確実に死んでいる。わたくしはそういう楽観的な考えは好きではない。そして確信しているのだ、グレイズは死亡したと。
  ジョニーは生存した。
  アートルムの生き残りのボズマーが運び出してくれたから生きている。
  かなりの深手だったけど今は何とか起き上がれるようになった。
  諜報員のボズマー?
  確かユニオ。
  そいつはどこかに姿を消した。まあ、どうでもいいですわ。
  そう。
  もうどうでもいい。
  貴族も。
  義賊も。
  もうどうでもいい。
  何一つ満足に出来ないのであれば、それが分かった以上はどうでもいい。
  「そんなもんか」
  ドサ。
  わたくしの隣に誰かが座る。
  ちらりと見る。
  インペリアルだ。年齢的には三十代前半だろうか。腰にはアカヴィリ刀を差していた。……虫唾が走る武器ですわね。ブレイズ御用達の武器。黒の派閥
  の親玉もマスターとか呼ばれていた奴もアカヴィリ刀を使っていた。
  武器を見るだけで虫唾が走る。
  「勝手に隣に座らないで欲しいですわね」
  「世を拗ねているのか?」
  「ふん」
  「意見されて面白くないか?」
  「ええ。嫌いですわ。貴族ですから。……それに殺し屋に意見される筋合いはありませんわね」
  「ほう。腐っても鯛だな」
  「気配で分かりますわ」
  そう。
  隣に座った男からは血の匂いがする。そしてこの気配を覚えている。
  この間わたくしを狙った殺し屋だ。
  ただこの間と異なる点が1つある。それはこいつではなく、わたくしだ。いまのわたくしには覇気というものがない。
  そういう意味では世に拗ねている。
  「倉庫での一件は俺も調べた」
  「……」
  調べた?
  「ジョフリーとデュオスが関っていたようだな。奴らはブレイズ出身だ」
  「……」
  だから何?
  「何なら手を貸しても良い。俺はどちらにも恨みがあるからな。……あんたと組めばどちらかとはぶつかりそうだ」
  「……」
  報復なら自分でしろ。
  「がっかりだな」
  「あら、そうですか?」
  「まるで覇気がない。その程度の女か、お前は」
  「……」

  「そんなものだったのか。ならばあの時、殺せたな。殺せばよかった」
  「わたくしを殺す?」
  言ってくれる。
  言ってくれるっ!
  このわたくしが易々と命を渡すと思っているのであれば片腹痛いですわ。この命はグレイズが護ってくれたもの。殺し屋風情に易々と渡すものかっ!
  ……。
  ……その時、気付く。
  護られた命なのにわたくしは嘆いているだけ。
  「ふっ」
  思わず失笑する。
  笑える。
  実に笑えますわね。
  殺し屋風情と思った相手にそれを示唆されている事に気付いたからだ。
  どうやらわたくしはよっぽど泥沼的な精神状態だったらしい。
  その程度の事を示唆されないと分からないとは。
  笑えますわ。
  我が名はアルラ=ギア=シャイア。
  没落した(現在は貴族として復権したとはいえ元々はさらに上級貴族だった)とはいえ名門シャイア家の当主。殺し屋に示唆されなきゃプライドの
  喪失に気付かないとは笑止の極み。このままこの雰囲気を引き摺るつもりはない。
  「わたくしを殺します?」
  「依頼は破棄した。それに依頼主はこの間の火災で全滅。殺しても一文の得にもならない」
  「それはわたくしも同じですわ」
  「……?」
  ここで嘆いていも一文の得にもならない。
  貴族であると同時に義賊。
  一銭にもならないのであればそれは無駄だ。

  「……」
  ガタ。
  わたくしは立ち上がる。
  あれだけ飲んだにしては足取りは確かだ。
  「……」
  「良い顔になったな」
  「元々良い顔ですわ。わたくしは美形ですもの」
  人斬りにそう言い返す。
  奴は笑った。
  「貴方に心配してもらう必要はありませんわ。……まあ、感謝はしますわ。多少のね」
  嘆くだけ嘆いた。
  泣くだけ泣いた。
  これ以上悲劇のヒロインを演じるつもりはない。
  悲劇?
  わたくしらしくない。
  「必ず見返してあげますわ、黒の派閥にね」
  「だったら俺を雇ってみないか?」
  「貴方を?」
  「フリーの殺し屋は疲れる。そろそろ1つの組織に留まろうと思ってな。……金はいらん。衣食住さえ保障してくれたらな」
  「いいですわ」
  「寛容だな」
  「貴族たるもの寛容でなくてはいけませんからね」
  「俺の名は好きに呼べ」
  「好きに?」
  「人斬り屋とでも呼べばいい。……これからよろしく頼む、子爵様」
  「アルラですわ」
  「了解した、アルラ様」


  新たな一歩をわたくしは踏み出す。
  今までは中途半端だった。
  それを変えよう。
  もっと強く。
  もっと。

  ……もっと……。