天使で悪魔
退場
アンヴィルの一件により1つの組織が退場する。
それは……。
元老院直轄の諜報機関アートルム。
所属する諜報員は隠密行動に長けているだけではなく剣術にも秀でている。皇帝直轄の諜報機関ブレイズはどちらかといえば純粋な剣術集団の
側面が強く、そういう意味ではアートルムの方が諜報機関と言えるだろう。
ブレイズは基本的に帝国にとって不必要な情報の隠滅の為に破壊や暗殺に従事する事が多いが、アートルムはどちらかといえば捜査官として
の特性の方が強い。
同じ諜報機関でも特性はまるで異なる。
もちろん仕えるべき対象が皇帝、元老院とそれぞれ異なる。
ブレイズは志願制。
ただし大半は帝国の孤児養育政策に依存している。
つまり?
つまり孤児を育てブレイズとして養育するのだ。
大体孤児出身は使い捨て同然として扱われる(それでも帝国兵より給料はいい。要は任務が過酷過ぎるという意味)。
上級仕官は基本的に志願制の者が圧倒的に多い。
帝国の害になるモノを徹底的に排除する過激性を有している。
アートルムは志願制。
ブレイズが皇帝への忠誠心が必要とされるもののアートルムには基本的に忠誠心は存在しない。
何故?
捜査官達にとって『諜報』はあくまで仕事でしかないからだ。
つまり給料の為(最高の捜査官と名高いユニオもアートルムに所属する理由は給料の支払いがいいという理由でしかない)に任務をこなすだけ。
忠誠心なき組織は弊害がある?
いいや。
必ずしもそうはいえないだろう。
忠誠心がないからこそ皇帝に忠誠を誓うブレイズのように行動が暴走する事が少ないからだ。
個々の能力はブレイズに比べると若干落ちるものの、剣術一辺倒のブレイズとは異なり程度の差はあれど全員魔道に精通している為、総合的な能力
で見ればアートルムに軍配が上がるだろう。
アンヴィルで動きがあった。
ブラックウッド団残党が犯罪結社の連合体である港湾貿易連盟と取り引きをするという動きがあった。
アートルムはその情報をキャッチ。
ただちに取り引きを取り押さえる為に捜査官達を大規模動員、アンヴィルに派遣した。
本作戦のリーダーはリスティング主任。
アートルムが動いたのを見てブレイズも小隊を派遣。
ブレイズは皇帝の遺児がアンヴィルにおりアートルムが擁立の為に動いたと見て小隊を派遣したのだ。マスターであるジョフリーが直々に指揮を執った。
次の皇帝を皇帝派か元老院派のどちらが立てるかによって今後の主導権が変わる。
だからこそ。
だからこそジョフリーはブレイズを動かした。
事の真相も確かめずに。
だがそれは自ら罠に足を踏み入れたのと同じだった。
ブラックウッド団残党は黒の派閥に取り込まれており、今回残党を前面に出して動かしたのは計略。
全てはアートルムを潰す為の罠。
動員されたアートルムはほぼ全滅。
勝手に首を突っ込んだブレイズの小隊も全滅、ジョフリーは命辛々アンヴィルを脱した。
そして……。
「はあはあっ!」
血相を変えてインペリアルの男は建物の廊下を走る。インペリアルはまだ若い。二十代後半だろう。
彼はリスティング。
元老院直轄の諜報機関アートルムの若きエリートでありアンヴィルでの作戦の総指揮を任されていた。役職は主任。捜査官として有能ではあるものの
能力的に天才捜査官と名高いボズマーのユニオに比べると劣る。だが階級はリスティングの方が上だ。
理由は簡単。
リスティングの方が長官の受けがいいからだ。
「はあはあっ!」
アンヴィルでの任務失敗から2日。
馬を乗り継いでリスティングは帝都の本部に舞い戻った。
部隊はほぼ全滅。
天才捜査官と名高いユニオも行方不明だ。
失敗。
完全なる失敗。
完膚なきまでに今回は黒の派閥に出し抜かれる事になった。
「はあはあっ!」
アートルムの本部は王宮にあるのではなく帝都商業地区に存在する。表向きは商品貯蔵の倉庫という形を取っているものの、それはあくまで表向きであり
内実はアートルムの本部だった。
さて。
「失礼しますっ!」
ガチャ。
リスティングは扉を荒々しく開けて部屋に踊りこんだ。
「騒々しいぞ」
「申し訳ありません、長官。しかし……っ!」
「騒々しいと言っている」
「……」
ガーライル長官。
簡素な木材で作られた椅子に腰掛けた初老の男性だ。
下積みからの叩き上げの長官であり有能な指導者。元老院直轄諜報機関アートルムを統括している人物だ。
腐敗した者が多い帝都軍上層部とは異なり気骨のある人物。
そのガーライルの横に補佐官がいた。
女性。
長年長官の補佐をしてきたアルトマーの女性だ。
長官が指示する。
「君、下がってくれていい」
「はい」
女性は一礼、そのまま部屋を後にした。
バタン。
開けっ放しの扉を閉じてアルトマーの女性が退室するとリスティングは再び泡を食ったように口を開く。
「報告しますっ!」
「まあ、待て」
「しかし……っ!」
「既に報告は受けている。……君も知っているだろう、我々アートルムの情報伝達ルートは迅速かつ確実に整備されている。報告は既に受けている」
「……」
リスティングは絶句する。
確立された情報伝達は諜報員の基礎。その伝達ルートはリスティングも知っている。
テンパっている。
完全にリスティングはテンパっている。
基礎すら忘れている。
冷静を保てない若きエリートは自分を迂闊に思った。
長官は続ける。
「被害は甚大なのは分かっている。派遣した捜査官の被害総数は?」
「その、三分の二が殉職しました」
「ほぼ全滅か」
「……はい」
「君以外の者は帰還したのか?」
「いえ。他の支部に治療の為に行かせました。全員、手傷を負っていたので。……ただユニオさんは行方不明です。もしかしたら彼も殉職したのかと……」
「……」
「長官?」
「黒の派閥とかいう組織がいたと?」
「はい。まったく未確認の組織です」
「……」
「長官?」
「捜査官の大半は殉職。完全に我々は戦力を失った。少なくとも今後は動けるだけの数はいない」
「それは、確かに」
「既に帝都軍上層部に正式に依頼してある。今後の指揮全権を帝都軍に移譲する」
「……はっ?」
意味が分からなかった。
軍部は皇帝派、元老院直轄組織であるアートルムとは敵対的……とまではいかないものの、しっくりとはしていない。ある意味で確執がある。
あっさりと指揮権を移譲した長官に不信感を感じるリスティング。
「長官、それは、その……」
「うん?」
「それはつまり我々は軍部の傘下に入ると?」
「そうではない」
「そうではない?」
ますます意味が分からない。
怪訝そうな顔をするリスティングを見て長官は薄く笑った。
「君の考えている事は浅はかだ」
「指揮権の事ですか?」
「いいや。指揮権など問題ではない。黒の派閥の調査などはどうでもいいのだ。軍部に依頼したのは裏切り者の始末だ」
「裏切り者、ですか?」
「何故我々の作戦が失敗したと思う?」
「それは……」
未知の組織である黒の派閥に出し抜かれたから。
言うまでもなく敗因はそこにある。
リスティングはそう思っている。もちろん出し抜かれた自分にも責任はあるのは承知しているものの、問題は結局そこにあるのではないか。
何故長官は今さらそんな事を聞くのだろう、そんな顔をリスティングはした。
長官は続ける。
「今回の作戦失敗は捜査官の中に裏切り者がいたからだ」
「まさかっ!」
「事実だ」
「それで、そいつは何者ですか?」
裏切り者がいた。
もしもそれが真実ならアートルムの内部に黒の派閥という組織の内偵がいる事になる。
だとすれば。
だとすればアートルムの根底が覆されているのと同義。
「それは何者ですか?」
「作戦に参加した捜査官全てだ」
「……はっ?」
「いいや。もっと言うならば私を含めてアートルムに属する者全部だ」
「……はっ?」
「くくく」
「言っている意味が分かりませんが……」
「帝都軍に任せたのは捜査官全ての抹殺だ。帝都軍は獅子身中の虫としてアートルムを根絶やしとする事を決定した。我々は反逆者だ、全ての支部に
も帝都軍の部隊が派遣されるだろう。3日以内に全ての裏切り者が抹殺される。これで安心だ。何の問題もない」
「何を、何を言っているのですかっ!」
「お前も裏切り者だ、リスティング」
「長官っ!」
「我々アートルムは歴史の舞台から退場する事になったわけだ。これでいい。これでいいのだ。帝国の害になる我々に死をっ!」
「乱心されましたか、長官っ!」
狂ってる。
そう思った。
長官は長官で今回の捜査官を大規模投入したにも拘らずほぼ全滅が堪えているのだろうかと思ったものの、この行動は突飛過ぎる。長官は完全に錯乱
している。錯乱を通り越して狂気していると見るべきだろうか。
その時、扉が開いた。
ガチャ。
「長官。ご報告が……きゃっ!」
「逃げるんだ長官は乱心なされたっ!」
補佐のアルトマーの女性の手を取って自分の背後に匿うリスティング。
チャッ。
抜刀し長官に突きつける。
「長官、すぐに軍に討伐令を撤回するように指示してくださいっ!」
「嫌だと言えば?」
「内務規定に従い……」
「元老院に報告、監察官が派遣され調査、調査の後に委員会で審議、その上で元老院から正式な命令……全滅だな、その間に」
「長官っ!」
「無駄よ無駄。完全に私の術中の虜だもの」
「……何?」
声は背後からした。
女の声だ。
自分が護ろうとしていた補佐官の声。
「何を言っている、ルディリア補佐官?」
「ああ。ごめんなさい。私の名は本当の名はクリュセイス」
「本当の名だと?」
「ええ。私はクリュセイス、幻惑の魔女と称される幻術のエキスパート。アートルムに潜入し壊滅させるのが任務だったわけ」
「ちっ!」
裏切り者。
裏切り者。
裏切り者。
つまりこの補佐官が裏切り者として入り込んで来たのだ。
女は楽しそうに続ける。
「長官閣下の潔癖なまでの正義感はこの私の幻術を持ってしても厄介だった。でもね、人は誰しもが心に隙があるもの。アンヴィルでの捜査官の全滅
でこの男の心に猜疑心が生まれた。幻術の根幹は相手の心の隙を衝く事。容易に事は運べたわ。二年掛かりの任務はこれで達成ですわ」
「逆賊っ!」
リスティングは叫んだ。
叫んでそのまま斬り付けた……つもりだった。
だがそれが出来ない。
足が動かないのだ。
足が動かなければ踏み込んで斬る事が出来ない。
女は笑う。
「あら、貴女も来たの? ……駄目じゃない。勝手に殿方の影に潜んでるなんて」
「ヴァルダーグ殿の命令だ」
「ヴァルダーグ? 若の命令ではないの?」
「一時的に彼が指揮を取っている」
「ふぅん」
リスティングの足元、影から手が伸びている。漆黒の黒い両手が足を押さえている。
ギョッとして顔を強張らせる。
「彼女は黒き狩り人。私の同僚。アンヴィルから貴方にストーカーしてたみたい。……まあ、そんな情報はいいか。今すぐ死ぬんだし」
「な、何だとっ!」
「死ぬ前に最後に教えておくわ。我らは黒の派閥。デュオス皇太子殿下の忠実なる臣下。帝国の統治は殿下が引き継ぐ、安心して死になさい」
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
崩れ落ちる死骸。
次の瞬間、クリュセイスは長官に一言呟いた。
「お前も自裁しなさい」
「はい」
長官は机の中からナイフを取り出しそのまま躊躇いもせずに喉に突き刺した。
ドサ。
大量の血を吹き出しながら机に長官は突っ伏す。
ここに。
ここに元老院直轄の諜報機関アートルムは表舞台から退場した事になる。支部は今だ健在ではあるものの帝都軍が長官の要請を受けて『裏切り者』と
して全て潰すだろう。捜査官達は訳も分からず始末されるだろう。
完全にアートルムは壊滅する事になった。
この本部施設にしてもそうだ。
直に根絶やしにされる。
「それにしても」
クリュセイスが微笑を浮かべて呟く。
「それにしても?」
黒き狩り人は聞き返す。
「それにしてもこんなに簡単に事が運ぶとは思わなかったわ。いくら捜査官が出払っていて手薄になったとはいえ、こんなに簡単とはね」
「若の慧眼よ」
「まあね」
「それよりも早く撤退するわよ。……貴女の影に入るから早く連れ出して」
「横着ものね、相変わらず」
「若。クリュセイスと黒き狩り人が帰還しました」
「くくく。ヴァルダーグ、首尾は?」
「元老院の諜報員達は殲滅されました。これで元老院にとっての目は潰れました。元老院は既に盲目です」
「くくく。これでいい」
「若の計略には頭が下がります」
「くくく。これでシロディールの各地で問題が起きても、各都市が陥落しようとも元老院は動くまい。例え各地がマンカー・キャモランが呼び寄せた悪魔の
軍勢に侵略されようとも元老院は動かない。くくく、これで元老院の権威は完全に失墜、各都市は帝都に対して反感を持つ。あわよくば反乱」
「御意」
「それで? 爺はどうした?」
「マスターですか?」
「そうだ。俺様のイニティウム・マスターの爺だ」
「ジョフリーと共にコロールに帰りました」
「そうか。一緒に帰ったか」
「はい」
「あの爺、役者になればよかったんだ。まさかジョフリーを騙せるんだからな。……くくく。それにしても全ては俺様の思い通り。だろう?」
「御意」
「くくく」