天使で悪魔
デュオスとジョフリー
国家。
人が暮らす枠組み。
大きければ大きいほど弊害も多い。
善政を施せば大丈夫?
いや。
どんなに善意と自愛に満ちた君主の治世であれど必ず弊害は生まれるものだ。
帝国の支配者たる先帝の治世での弊害は……。
デュオス。
黒の派閥の総帥。
ジョフリー。
皇帝直轄の諜報機関であり親衛隊であるブレイズのマスター。
倉庫内で戦闘は続行されている。
黒の派閥は構成員を大挙として動員している。罠を張ったのは黒の派閥でありそこに掛かった元老院直轄の諜報機関アートルムに勝ち目はなかった。
能力の上では圧倒的に上ではあるものの数の上では圧倒されている。
そして罠により立ち直れていない。
ある意味で偶然にこの罠に引っ掛かったのはブレイズ。
アートルムが大動員して動いているのを知り、皇帝の遺児がここにいるのではないかと思いやって来た。
ジョフリーがアンヴィル聖堂で宗教論議をするという名目で部隊を展開したのだ。
貧乏くじを引いたのはシロディール最大の犯罪結社である港湾貿易連盟の加盟組織の1つであるルドラン貿易。
取り引きは嘘。
大量の火薬を取引材料として掻き集めた。
それがそもそもの罠だった。
火薬は爆発。
倉庫は炎上。
さらに最悪なのはルドラン貿易はこれで完全に吹っ飛んだ事だ。貧乏くじとはまさにこの事。
だが戦闘は終わらない。
何故?
犯罪結社の崩壊など前哨戦にもならない。
今からが本当の戦い。
「くくくっ!」
「ちっ!」
デュオスの刃は空を斬る。
老齢ながらジョフリーはマスターを張っている。機敏に動きデュオスの剣筋を見極めようとしている。デュオスの持つのは黒い魔剣。刃を振るう度に奇妙
な異音と刃の軌跡に黒い残滓が奔る。それに対してジョフリーが持つのは普通のアカヴィリ刀。
剣の性能では負けている。
だがジョフリーには自信があった。
経験では勝っていると。
「デュオス、今後こそ始末する。帝国に仇を成すこの逆賊めっ!」
「くくくっ!」
キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!
キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!
キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!
交錯する刃。
数合ほど斬り結ぶとデュオスは悠然と後ろに退いた。その様があまりにも悠然としていた為、ジョフリーは追わなかった。
向かい合う2人。
倉庫のあちこちでは炎が踊り狂っている。
今、戦闘している場所はまだ火の手は届いていないもののいずれは火の勢いが襲ってくるだろう。
そうすれば戦闘どころではない。いかに剣の腕が立とうとも火事には勝てない。
ジョフリーは焦っていた。
だがデュオスはただただ笑うだけ。
笑う。
「くくく」
「何がおかしい」
「随分と懐かしいものだと思ってな」
「懐かしいだと?」
「ああ。そうさ」
油断なくアカヴィリ刀を構えるジョフリー。しかしデュオスは漆黒のオーラを放つ魔剣を肩に担いでニヤニヤとしている。
戦闘の構えではない。
だがジョフリーは踏み込めなかった。
今でこそ皇位継承権に口出せるほどの政治家だが元々は一級の武人。
だから分かる。
デュオスは待っているのだと。
挑発しているのだ。
不用意に動けば一刀両断される感じがした。ジョフリーは動かない。
それに。
それにデュオスとジョフリーの戦いを遠巻きに4人の人物が眺めている。デュオスの手下。それもただの手下ではなく並々ならぬ力量を秘めている。全員
を相手にすれば確実に負けるだろう。だからこそデュオスを一撃で屠れるように機を窺っている。
介入させずにデュオスのみを倒す。
それがジョフリーの作戦。
「くくく。懐かしい」
「だからそれはどういう意味だ?」
「俺様はてめぇに育てられた。自分が皇族だと知らずにな。……俺は孤児として扱われた。生きる為にはてめぇの命令通りにブレイズになるしかなかった」
「それが義務だ」
「義務? ……こいつは恐れ入ったぜ。そういう視点は俺様は気付きもしなかった。いやぁ。まいったぜ」
「戯言はいい。何が言いたい?」
「つまりはこうだ。俺様はその義務ってやつを果たした。どんな任務だろうと生きて帰った。達成した上でな。……なのにおまえは俺を殺そうとした。それも
俺様が強くなり過ぎたって理由でな。要はコントロールし辛いってわけだろ?」
「そうだ。陛下の為にならないと判断したからだ」
「だったら最初から殺せっ!」
大声で叫んだ。
不機嫌だ。
ここ数年一緒に行動しているヴァルダーグが驚いた。初めて見るデュオスの素顔だった。しかしデュオスは取り乱す事なくすぐに自分を取り戻した。
ニヤニヤと笑う。
「くくく」
「デュオス、お前はこうして帝国に対しての悪意と化している。つまり私の判断は正しかったって事だ」
「それはそれは。なかなか楽しい推察だ。実に楽しいぜ」
「楽しむつもりはない」
「そうかい。ならば死ね」
タッ。
漆黒の刃を踏み込んで振るうデュオス。
ジョフリーは防御。
ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!
瞬間的にジョフリーのアカヴィリ刀が砕けた。
デュオスの剣は自らの魂を封じ込めた特別製。正直な話、魔剣ウンブラよりも強力だ。もっともデュオスの魔剣は生命そのものであり砕けた場合デュオス
は死ぬわけだが。
「くっ!」
「くくく」
ジョフリーは本能的に身を退いた。デュオスはさらに追う。
相手は無手であり自分は刃を持っている。
誰であろうとジョフリーのように退くと考えるだろう。デュオスもそう考えた。
バッ。
その時、ジョフリーは突進した。
手には閃く刃。
ナイフ。
「何っ!」
「ぬるいぞデュオス、まだまだだなっ!」
ザシュ。
ジョフリーはそのままデュオスの心臓を一突きした。もちろんここでジョフリーは勝ちを確信した。しかしそれは浅はかだった。もちろんジョフリーが気付く
わけもないのは仕方ないだろう。デュオスは死霊術を行使した結果、刃が砕かれない限りは不死。心臓疲れても死ぬ事はない。
ナイフが突き刺さった瞬間にそのまま黒い刃を横薙ぎに払った。
「甘いぜジョフリーっ!」
「何とっ!」
わずかな差。
わずかな差だった。
刃が振るわれる瞬間にジョフリーはデュオスを突き飛ばした。その結果、狙いが甘くなりジョフリーは辛くも死地を脱した。
再び間合を取り合う。
「くくく。相変わらず逃げる……失礼、間合を保つのは上手いなぁ」
「化け物め」
「なぁに。お互い様さ」
「どういう意味だ?」
「お前らは政治という化け物で人を殺す、俺は秘術を駆使して人を殺す。……どこに問題がある?」
「……」
ジョフリーは黙って下がった。
別に言葉負けしたのではない。撤退できるタイミングを探しているのだ。
臆したわけではない。
武器がない状況でこの戦闘を続けるつもりがないだけだ。ジョフリーは極めてドライな判断が下せる戦略家だった。これ以上の戦闘は無意味と判断した。
そんなジョフリーの心をあたかも読んだように。
デュオスは笑った。
「くくく。少し話をしないか?」
「……」
「今まで散々皇帝の子供を始末して来たよな、お前らは」
「陛下のご意思だ」
「ああ。分かってるさ。女を食い散らかした挙句に生まれた皇帝の血筋、殺すには惜しいという意味合いでお前はブレイズとして育てた。そうだな、理解は
出来るぜ。皇帝の血筋は卓越した身体能力あるからな。使い捨ての駒としては充分過ぎるほどだぜ。だがその結果はどうだ?」
「何? どういう事だ?」
「今のお前らの結果はどうだ? くくく。散々始末した挙句、皇帝の遺児はストックゼロ? 実に笑えるぜっ!」
「黙れ」
「くくく。俺様はこの時を待っていた。……捨てた皇帝の遺児はどうした? そいつらも全部結局始末したのか?」
「黙れ」
「お前らは実にお利口だよ。目先の損得だけで全部殺しちまいやがったっ! その結果はどうだ? なあ、気分はどうだ? もしも俺様の前に這い蹲る気があ
るのであればお前に擁立されてやってもいいぜ。俺様が皇帝、お前がブレイズマスター……つまりは俺様の犬になれ。どうだ?」
「黙れと言っているっ!」
「くくく。お前には色々と恩義があったから礼を尽くして接しているが……どうやら俺様達の関係はお終いらしいな」
「逆賊っ!」
「黙れよクソ爺。手加減してやっていれば図に乗りやがって」
「手加減だと?」
「ああ、そうさ」
「戯言だっ!」
「決め付けるには早いと思うぜ? ……お前程度の能力ならイニティウムを連れてくる必要もなかったな。いいや、イニティウム1人で片が付いた。つまり俺様
自身が出向いたのは無駄だってわけだ。まあ、お前まで関わるとは思ったなかったがな。今日は予想外の一日だ。お前との離別の日」
「……」
ざわり。
ジョフリーの心に奇妙な寒気が襲う。
あながち全力でないというのは嘘ではないと判断した。デュオスは全力を出していない。
後退。
後退。
後退。
デュオスは追わない。
「すまないジョフリー。どうやら俺達は思っていた以上に強くなってしまったようだ。ジョフリー、お前がこんなに雑魚だとは思わなかったぜっ!」
「雑魚だと?」
「ああ。てめぇはどうやら政治屋として生き過ぎた様だぜ。剣士としては既に腐り身だ。……さて、そろそろ本気でやるとしようか。いいよなジョフリー?」
「……っ!」
そして……。
その頃。
取り引き場所だった場所。
「こいつは死んでるな」
「ですね、ジャフジール様」
諜報機関アートルム全滅。
今回の作戦の指揮を任されているのはジャフジール。元ブラックウッド団。……厳密にはその母体となった傭兵集団ヘルズ・キャッツの副隊長だ。
先の一件でブラックウッド団は壊滅。
ジャフジールとその部隊は別件で本部を離れていた。
だから難を逃れた。
その後、デュオスに拾われ今では黒の派閥の構成員だ。
……。
……もっとも。
デュオスはジャフジールとその部下達が傭兵として有能なのを認めている。
だからただの構成員とは扱わずに客将的な扱いで遇している。
今回の作戦での戦果次第ではイニティウム昇格も約束されている。累々と転がるのは元老院直轄の諜報機関アートルム。ほぼ全滅状態。
ブレイズの死骸も転がっていた。
「どうされますか?」
「任務達成次第、殿下は撤退せよと仰せだ。総員退避、撤退する」
「はいっ!」
再びデュオスとジョフリー。
「これまでだな」
「くっ!」
全身ボロボロでジョフリーは転がった。
致命傷はない。
あえてデュオスは致命傷を避けたのだ。簡単に殺しては面白くない、まるでそう言いたいかのように口元を歪めた。
「世の中ってのは実に意外性に満ちてるよな」
「……何の事だ?」
「まさかお前がこんなにも脆いとは。……残念だぜ。そろそろ始末してやる……いやいや、もう少し楽しむか?」
「若。そろそろここにも火が来ます」
ヴァルダーグは冷静に進言した。
デュオスは睨みつけるものの、ヴァルダーグは涼しい顔をしている。
「若。始末するべきです」
「分かってる。分かってるよ。……聞いての通りだジョフリー。名残惜しいがそろそろてめぇを殺す」
「くっ!」
「お前との月日は実に有意義だった。だがそれももうお終いだ。……死ね、俺の過去を食い物にしたクソ爺っ!」
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンっ!
壁が吹き飛んだ。
構えるイニティウムのメンバー。特にメンバーの1人である阿片は血に飢えていた。
魔剣ゴールドブランドを抜いて吹っ飛んだ壁に近付く。
デュオスもジョフリーも他のメンツも黙ってその様を見ていた。
そして……。
「霊峰の指っ!」
「があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!
雷に絡まれながら阿片は吹き飛んだ。
そのまま叩きつけられる。
「くぅ。効くねぇ」
阿片は不死身。
一時的に行動不能になったものの意識はしっかりしている。
崩れた壁から出てきたのは2人。
キツネの頭巾を被った女と深紅のトカゲ。
「……まずい場面に出くわしたみたいですわね」
「……お嬢様ー……」
「……なんだ、あいつらは? 知ってるかヴァルダーグ?」
「キツネの頭巾。おそらくあれがグレイフォックスではないでしょうか。アンヴィルによく出没すると聞いていますのでおそらくは」
「くくく」
デュオスは笑う。
予想外の展開を楽しんでいるかのようだ。
「丁度暇をしてたところだ。俺様が直々に楽しむとしよう」
「それはまずいですな。撤退の時間です」
ドサ。
何かが転がる音と同時に初老の男の声。イニティウム・マスターだ。
床に転がったのは白いオーク。
『グレイズっ!』
女とトカゲは叫ぶ。
「爺、何だそいつは?」
「なかなか遣えるオークでした。殺してはいません……場合によっては若の手駒になるかと思いましたので」
「ご苦労」
イニティウム・マスターは恭しく拝礼した。
その動作は半ばで止まる。
「元老院直轄の諜報機関アートルムの捜査官ユニオだ。全員動くなっ!」
ショートソードを背後から突きつけるボズマー。
何かの魔力剣だろう、ショートソードは淡い光を放っていた。
デュオスは笑う。
「面白いっ! 次から次に実に面白い展開だぜっ! どいつもこいつも楽しませてくれる。くくく。人生最良の日を共に楽しむとしようぜっ!」