天使で悪魔







エルダースクロールズ





  エルダースクロールズ。
  別名『星霜の書』。
  過去が自動的に刻まれるという謎の巻物。……欲しがる人がいるかすら不明。しかし伝説級の代物だ。
  帝都の王宮に収められているらしい。

  解読は不能。
  特殊な文字で記されているらしく賢者と呼ばれる者達にも普通読めない。
  読めたところでただ過去が記されているだけ。
  つまり正確無比な歴史の巻物なのだ。
  その特殊な文字を解読出来る者達を帝国は無数に抱えているものの、文字は読み手の眼を次第に潰す。だから長年巻物に眼を通している者達
  は盲目。帝国は盲目となった解読者達でも辞職させずに知識の情報源として召抱えている(実質飼ってるようなものだけど)。
  そして……。






  「げほげほっ!」
  どんな通路ですのよこれはーっ!
  アイレイドの遺跡を抜けた先は暖炉の中だった。……火が付いてたら丸焼きですわ……。
  そもそもこのルートは数世紀前の皇帝の脱出経路。
  何故暖炉の中に秘密の扉?
  ……。
  ……意味分かりませんわ。
  灰っぽいったらありゃしない。喉がイガイガしますわ。
  「まったく」
  とりあえず。
  とりあえず王宮の中に潜入。
  今頃アイレイドの遺跡ではメスレデルがゴーレム2体相手に激闘を繰り広げている事だろう。……うーん。少し読みが甘かったですわね。グレイズ
  はジョニーを探しにアイレイドの遺跡を彷徨ってる。戦力は分散してしまったわけだ。
  読みが甘かったですわ。
  メスレデル。
  死んだら報酬で立派なお墓立ててあげますわー。
  成仏するのですよー。
  ほほほ☆
  「ふぅむ」
  暖炉から這い出して周囲を見渡す。
  パンパン。
  当然灰を皮の鎧から叩き落とすのも忘れない。
  「げほげほっ!」
  舞い上がる灰。
  ……逆にむせた。喉が灰で忌々しいですわねぇ。
  音を立てるな?
  問題はありませんわ。
  ここはどうやら王宮近衛兵の寝室みたいですけど……居並ぶベッドの上で近衛兵達は眠ってる。数は10名。ぐっすり寝てる、二度と起きないだろう。
  何故?
  だって永眠ですもの。
  睡眠ではないですわねぇ。何故なら全員喉を裂かれている。
  全部死んでる。
  寝こみを襲われたのだ。……あいつに。
  「あいつか」
  先に地下から飛び出した『あいつ』の仕業だろう。
  深紅の同盟の吸血王ストーカー。
  どの程度の規模、どのような思想かは分かりませんけどストーカーは元老院の総書記官オカート暗殺を目論んでる。戦力である自我のない吸血鬼
  100体をわたくし達にぶつけている間に1人王宮に入り込む。
  つまり兵力は問題ではないのだ。
  つまり自力でどうにか出来るのだ。……おそらくはね。
  ただの自信ではあるまい。
  確かにグレイズとほぼ互角に渡り合える腕なら王宮近衛兵相手でも遅れは取らないはず。いやむしろ王宮近衛兵よりも格段に強い。
  王宮近衛兵は装備が異なるだけで実際一般兵とそう変わらない。
  ……。
  それに既に皇帝が崩御して存在しないから、皇帝直属の親衛隊であり諜報機関であるブレイズは王宮にはいないだろう。連中が王宮に居残る必
  要が既にない。そもそも皇帝護れなかったんだから王宮に残れるはずがない。
  どこに引き篭もってるかは知りませんけどブレイズがいない以上、吸血王を止められる人材は王宮にはいない。
  オカート暗殺?
  特に問題はない。
  特に問題ないけど『オカートを暗殺したのは盗賊ギルド』という評判になられたら困る。
  世間的に暗殺犯(今のところは未遂だろうけど)も盗賊も犯罪者。
  一括りに世間は見る。
  それは困る。
  わたくしは義賊として……少なくとも人を殺さずにエルダースクロールズを手に入れたい。そうする事で伝説となるのだ。
  まさに黄金伝説と言っても過言ではない。
  そんな伝説の一端に傷が付くのは困る。吸血王ストーカーの所為で『オカート暗殺の共犯』にされても困るのだ。
  わたくしの手で吸血王を仕留めなければ。
  もしくは別々の目的で王宮に潜入した、という事を世間にアピールする必要がある。
  仲間だと思われるのは癪に障る。
  「行きますかねぇ」
  ここからは独力だ。
  援護はない。
  支援はない。
  オカートの部屋は知らないし王宮近衛兵達に『オカートどこにいる?』と聞くのも無理。
  ならば。
  「先に入手しましょうかねぇ」
  エルダースクロールズを今のうちにゲットしよう。
  吸血王ストーカーがどれだけの手並みだろうとオカートを暗殺するのは実際不可能だ。雑魚のような兵士でも数はいる。何故ならここは帝国の
  中枢。兵隊の『おかわり』はたくさんいる。人海戦術は帝国の得意な戦術だ。
  暗殺しようとしても人の壁で弾き返そうとするだろう。
  吸血王が成功しても。
  吸血王が失敗しても。
  いずれの場合でも王宮内部は蜂の巣を突いたような騒ぎになる。
  今のところはまだ静寂だ。
  今のところはね。
  静寂な間に必要な物を手にするのが最善であり最適。一旦吸血王ストーカーの事は忘れよう。
  懐から地図を出す。
  ある程度の見取り図は支給されている。
  「ここか」
  図書室を目指す。



  「ふぅん」
  王宮内を優雅に歩きながら、わたくしは感嘆の念を抱いていた。吸血王、なかなかやる。
  王宮近衛兵を極力やり過ごしている。
  ……。
  ……まあ、たまに物陰に近衛兵の死体が転がってますけどね。
  もっとも。
  もっとも同僚が何名か死んでるのに気付くまでにまだ少しの時間がある。そうですわよね……30分ほどは気付かないでしょうね。
  その間にオカートを暗殺する、か。
  なるほど。
  吸血王ストーカーは隠密に長けているらしい。
  まあいいですわ。
  殺すだけ殺せばいい。死体の山を築きたいならどうぞご自由に。それに隠密に長けているのは別に奴だけじゃない。
  わたくしもですわ。
  「屈折する空間」
  透明化の魔法。
  隠密のスキルなんて透明化の魔法で簡単に覆せる。
  ……。
  ……まあ、公共の施設には探知の魔法を使える者がセキュリティの役目として警備についているらしいけど。銀行とかにはその手の魔術師が必ず
  1人はいるらしい。しかしまあ王宮にはいないようだけど。
  ここに来るまでに何人かの近衛兵とすれ違ったけどまったく見つからなかったし。
  さて。
  「次はー……こっちですわね」
  地図を覗き込む。
  よし、順路は合ってる。
  それにしてもこれが王宮か。ここまで賊に侵入される事はない……という思い込みというか過信があるんだろうけど、警備がザル過ぎですわ。実際
  警備は合ってないようなものだ。王宮近衛兵が定められた巡回経路を歩いているに過ぎない。
  王宮、甘過ぎですわね。
  だから皇族皆殺しにされちゃうんですわ。過去から学びなさい。
  まるで改善する気なしですわ。
  これでオカートが本気で暗殺されたらわたくしは大笑いしますわよ?
  「さっ。お仕事しましょうかしら」


  「……」
  「……」
  無言でわたくしは相手を見る。
  何の妨害もなく図書室に侵入。相手が見えない目でわたくしを見ている。エルダースクロールズを長年解読した結果、眼が潰れた盲目の僧侶だ。
  ただ、眼が潰れても連中は本の整理をしたりと仕事をしている。
  モノが見れないだけで生活そのものには支障がないらしい。
  バタン。
  後ろで鉄の扉が閉じられた。
  この扉は入ってきた側……つまり向こう側からしか開かない。向こうにあるレバーで開閉する扉。勝手にレバーで開けて入ったものの、向こうで閉
  じられた以上は開けて貰うには一声掛ける必要がある。
  つまり?
  つまりー……わたくし、ここから出られない?
  喋るわけにはいかない。
  何故なら『開けて』と一言口にしたらわたくしは偽者だとばれてしまう。
  わたくしは正式な権限を持つ閲覧者ではない。
  ……。
  ……まあいい。
  とりあえずは『正式な権限を持つ閲覧者』だ。この時間帯に閲覧希望している『本当の閲覧者』は灰色狐が足止めしてる。わたくしは成りすまして
  エルダースクロールズを入手すればいいのだ。
  盲目の僧侶は結局盲目。
  口を開かない限りは別人だとは気付くまい。
  確か椅子に座れとか指示出してたわね、灰色狐。そこに座ればエルダースクロールズを出してくれるのかしら?
  意外に灰色狐は用意周到なんだか出たとこ任せなんだかよく分からない。
  さて。
  「……」
  円卓がある。そこには椅子が1つだけある。閲覧室にしては椅子が1つだけとは珍しい。基本閲覧する人はいないのかしら?
  無言のまま椅子に座る。
  ぎぃ。
  椅子が軋んだ。
  ……別に体重の関係ではないですわよ、椅子がぼろいだけですわーっ!
  コツ。コツ。コツ。
  しばらくして盲目の僧侶が何かを恭しく捧げて持ってくる。
  なるほど。
  軋む音で判別してるのか。
  多分この椅子はエルダースクロールズ閲覧希望の椅子であり合図。
  「時間より少し遅れましたねキャモラン様。ともあれこれがご希望のエルダースクロールズです」
  「……」
  わたくしは口を開かない。
  正確には開けない。喋れば別人だとばれてしまうからだ。
  ……。
  ……それで?
  キャモランって誰ですの?
  エルダースクロールズの閲覧申請が出来、当然ながら解読も出来る存在。
  何者だろう?
  もちろんそれが何者だろうとわたくしにはまるで関係がない。
  男だろうが女だろうがね。
  今現在灰色狐がキャモランとかいう奴を足止めしている。それだけで充分だ。わたくしはその間にエルダースクロールズを強奪する。
  それ以上でも以下でもない。
  円卓に置かれた巻物を広げてみる。
  「……」
  なんじゃこりゃ?
  文字?
  図形?
  少なくとも既存の文字ではないのは確かだ。
  クソ親父がアルケイン大学のアークメイジであるハンニバル・トレイブンと懇意だった関係でわたくしは高弟という立場となった。魔術に関しては習
  得したものの言語学には精通していない。
  ただ、古代文字は読めないもののどの文明の文字かぐらいは分かる。
  ルーン文字ではないのは確かだ。
  アイレイド文字でもない。
  なんじゃこりゃ?
  「……」
  まあいい。
  読むのは仕事ではない。奪うのが仕事だ。
  灰色狐の思惑は不明ではあるもののこれで任務は達成。少なくとも入手は出来た。……脱出はまた別問題ですけどね。
  それにしても王宮にしてはザル過ぎる警備体制ですわね。
  正面ルートから入るのこそ難攻不落かもしれないですけど、別ルート……つまり地下からなら容易ですわね。しかも入りさえすれば後はどうとでも
  なる。皇帝暗殺されたのにまるで学んでないのがおかしくて仕方ない。
  巻物を丸めて小脇に抱える。
  スタスタスタ。
  そのまま席を立ち上がり歩き出す。
  来た道は戻れない。
  扉が閉鎖されているからだ。
  開けて貰うには扉の向こうにいる奴に声を掛ける必要がある。しかしそれは出来ない。
  何故?
  簡単ですわね。だってそうしたらわたくしがキャモランでないのがばれてしまいますもの。そうしたら袋の鼠。それは困る。
  さてさてどうしたものか。
  
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンっ!
  な、なんですのーっ!
  「……っ!」
  突然鋼鉄の扉が爆ぜた。
  散らばる鉄片と王宮近衛兵と盲目の僧侶。煙の中に1つの影があった。……そうですわこいつがいましたわね。良い機会に現れたものですわ。
  紳士風の人物。
  吸血王ストーカーだ。
  砕けた扉の向こうには王宮近衛兵が累々と転がっている。
  なかなかお強い事ですわね。
  オカート暗殺に成功したかは知らないですけど王宮近衛兵を蹴散らす事には成功しているらしい。
  「またお会いしましたなっ!」
  「……」
  無言。
  『侵入者だっ! キャモラン殿お下がりくださいっ!』
  手に手に武器を握り盲目の僧侶達は吸血王に殺到する。さらに紳士の背後から近衛兵の一団。
  ちっ。
  結局来た道は戻れないか。
  ならば。
  「帝国の雑兵どもよっ! 深紅の同盟がオカートの首をいずれ頂くぞっ! ふははははははははははははははははははははははははははははっ!」
  ……。
  ……馬鹿め。
  自ら盗賊ギルドとは別の組織だと名乗ってくれましたわ。これで盗賊ギルド、妙な巻き添えにはならないでしょう。
  少なくとも帝国の連中が『深紅の同盟と盗賊ギルドが組んでいる?』という妙な勘繰りをしない限りはね。
  まあいいですわ。
  オカート暗殺は失敗したらしいですし、それに全ての敵を引き受けてくれている。
  まさに好都合ですわ。
  日頃の行いがいいからですわね。
  ほほほ☆
  「……」
  タタタタタタタタタタタッ。
  わたくしは上を目指して走る。来た道は戻れない。そして軽業の能力を高めるスプリングベールの靴をわざわざ灰色狐はわたくしに渡した。
  つまり高所から飛び降りて脱出しろ、とも取れるわけですわ。
  上に。
  上に。
  上に。
  わたくしは喧騒を後に上層を目指す。
  ……上に。


  上に。
  上に。
  さらに上に。
  「はぁ」
  どこまで登れば?
  段々と失望感に包まれていくのが自分でも分かる。王宮は螺旋状に上に伸びている。しかし飛び降りる場所すらない。
  窓?
  窓は小さくてとても通れない。
  つまり飛び降りる場所がないのだ。
  いくらスプリングベールの靴を履いているとはいえ王宮の頂上から飛び降りても無事でいれる保証はどこにもない。むしろ確実に死ぬ。
  それは困る。
  それはとても困りますわー。
  王宮近衛兵達は見当たらなかった。……いや、たまに遭遇するもののわたくしは物陰に潜んでやり過ごす。近衛兵達には既に『オカート暗殺未遂
  を企てた奴が下で暴れている』という情報が伝達されているのだろう。一目散に下に駆けて行く。
  これは助かる。
  「まさかストーカー、わたくしのファンかしら?」
  そうかもしれないですわ。
  お陰様でザルのような警備がさらに手薄になった。……いえいえ完全に消え去った。
  非常に助かる。
  非常に……。
  「ふはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!」
  「はぁ」
  高笑いが近付いてくる。
  ……やれやれ。
  本当に雑兵か王宮近衛兵は。吸血鬼とはいえたった1人にここまで出し抜かれるなんて雑魚過ぎですわ。
  蹴散らしたのか撒いたのか。
  その辺は分かりませんけど吸血王ストーカーはやり遂げるだけの技量があるというわけだ。
  ストーカーねぇ。
  名前通りの『ストーカー』なのかしら?
  付き纏われて迷惑。
  迷惑っ!
  「鎮魂火っ!」
  ドカァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンっ!
  高笑いを上げながら現れた吸血鬼を視界に捉えたと同時に炎の魔法を放つ。
  そのままわたくしは後ろを見ずに走った。
  怖い?
  いいえ。
  いちいち相手をしていたら王宮近衛兵達に追いつかれてしまう。
  「逃がすものかっ!」
  「……ああ、もう」
  何で追っ掛けてくるのよーっ!
  目標はオカートでしょう、本来の目的忘れて付き纏うんじゃないですわよーっ!
  追いかけっこをしつつさらに上に。
  上に。



  ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンっ!
  わたくしは扉を蹴破る。
  この部屋を選んだ理由?
  特にない。
  ただ別の扉が堅く施錠されていたのでこの扉を選んだに過ぎない。この扉だけ半開きで開いていたからだ。
  蹴破った理由?
  景気付けですわ☆
  さて。
  「ふははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!」
  ……しつこい。
  廊下から声が響いてくる。
  ここに至って吸血王殿はわたくしに固執してしまっている。
  もてる女は辛いですわー☆
  「まったく」
  追撃は執拗。
  たまに出会う王宮近衛兵は奴の爪で一刀(一爪?)で屠られる。雑魚過ぎ。転職をお勧めしますわ。だから皇帝暗殺されるのですわ。
  それで?
  それでこれからどうします?
  吸血王は強い。
  追い付かれそうになるたびに魔法を叩き込むものの大抵は弾かれ、避けられ、反らされる。
  まともにぶつかれば勝てますけどいちいち相手もしてられない。
  戦闘メインではない。
  撤退メインなのだ。
  悠長に相手をしていたら王宮近衛兵達に包囲されてしまう。追いつかれてしまう。雑魚ではあるものの、瞬殺は容易ではあるものの、出来ればそ
  れは避けたい。血を流さないのが盗賊ギルドとしての高潔なる芸当なのだ。
  それにここで吸血王を始末しても一文の得にもならない。
  王宮近衛兵達も、奴を始末したからといって手心を加えてくれるわけでもなく見逃してくれるわけでもない。
  撤退メイン。
  例のブツも手に入れたし撤退メインですわ。
  「……っ!」
  ドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンっ!
  咄嗟にわたくしは倒れる。
  本能的にだ。
  何かが背中の上を通り過ぎ、暖炉に直撃した。何も見えない攻撃、おそらくは魔力による衝撃波だろう。不可視の攻撃か。
  面倒ですわね。
  「魔剣よっ!」
  キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!
  異界の魔剣を魔力で召喚、容赦なく振り下ろされる爪を弾いた。弾きつつわたくしは立ち上がり、間合を保つ。
  吸血王ストーカーだ。
  「何故わたくしに付き纏うのかしら? ……もしかしてファン?」
  「脱出ルートを知っているだろうからだ」
  「それは残念。わたくしも探している最中ですの。だけどご一緒する気はありませんわ」
  「言え。脱出ルートを」
  「知らない」
  「レディ・レッドの命令を受けた私に逆らう気かっ!」
  「……逆切れですわね」
  バッ。
  床を蹴って吸血王は動いた。
  早いっ!
  一気に肉薄する。
  両手には目一杯伸びた鋭利な爪。考えようによっては10本のショートソードを手にして向かって来ているようなものだ。
  しかし実際には腕は2本しかない。
  無数の武器があろうともまやかしでしかない。
  それに……。
  「終わる世界っ!」
  「……っ!」
  ドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンっ!
  炎。
  雷。
  氷。
  三属性ミックスの魔法を叩き込む。……床に向って。
  爆風が飛び交い視界がゼロになる。
  今だっ!
  「鎮魂火っ!」
  「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  まともに直撃だ。
  どんなに強くても吸血鬼である以上弱点は炎だ。
  しかも高位であればあるほど炎に対する耐性がゼロになる。吸血王は高位の吸血鬼なのだろう、見事に燃える。
  一丁上がりですわ。

  『こっちだーっ!』

  「……ちっ」
  王宮近衛兵達が追いついて来た。派手な爆音だったからここを突き止めるのは時間の問題だろう。
  どうする?
  どうしよう?
  「……あれ」
  風の音がする。
  微かにだけど風の音がする。
  耳を澄ます。
  音だけではなく頬を風邪が撫でた。窓は閉じている。風はどこから……暖炉か。覗き込む。
  「へぇ」
  底が見えない。
  穴が開いている、底が見えない。
  王宮への入り口は暖炉の中だった。もしかしたらこの暖炉は、入って来た場所の暖炉の真上?
  だとしたら飛び降りたらそのまま入り口に戻れる。
  下を見る。
  火の気は見えない。
  だから飛び降りたところで炎の中に飛び込む事にはなるまい。三匹の子豚の狼状態にはならないでしょう。仮に出入り口に到達できなくても王宮
  近衛兵達は出し抜ける。上に上に集結しているから出し抜ける。
  さらに言うならこれしか方法がない。
  「やれやれ」
  スプリングベールの靴を履いてるから多分死ぬ事はないでしょう。
  ……。
  ……多分っ!
  治療費は確実に灰色狐に請求しよう。
  ついでに精神的ショックの代償もね。きっちり取り立ててあげますわー。
  せーの。
  「よっと」
  意を決して飛び降りる。
  その時、丁度王宮近衛兵達が部屋に踏み込んでいた。……まあ、相手さんはわたくしの背中を見た程度でしょうけどね。
  素性がばれる事はあるまい。
  ひゅーんと落ちていく。
  ひゅーんと。
  ひゅーん。
  「そうかここから逃げられるのかーっ!」
  「ちっ」
  上から影が迫ってくる。
  吸血王ストーカーだ。
  再生しやがった。
  無駄にしぶといですわね。こりゃ完全に『ストーカー』。わたくしに付き纏うとは良い度胸ですわっ!
  追撃の際には散々わたくしの攻撃を避けてきましたけどここでは避けられまい。
  食らえ最強の一撃っ!
  「霊峰の指っ!」
  「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
  バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!
  雷が吸血王を吹き飛ばす。
  わたくしは下に。
  奴は上に。
  双方行く道が異なる。これが人生ってやつですわね。
  ……。
  ……結局、深紅の同盟って何だったのかしら?
  レディ・レッドも正体不明ですし。
  まあいいですわ。
  少なくとも吸血王ストーカーはこれで完全に息の根が止まった。あの至近距離だからまず助からない。
  絶対に?
  絶対に。


  その後、わたくしは無事に脱出。
  スプリングベールの靴のお陰で怪我はない。……靴は壊れましたけど。
  脱出成功。
  ミッション終了。
  さてさて、次は楽しい報酬の時間ですわ。