天使で悪魔




解放の矢 〜実力伯仲〜






  伝説の義賊グレイフォックス。
  元老院や帝都軍当局は、その存在自体を否定している。彼が率いる、盗賊ギルドもまた然りだ。
  アンヴィルに左遷(考えようによっては栄転)されたレックス隊長のように、存在を信じて追い続ける者もいる。
  その差は何か?
  帝都に住む、参謀のアーマンド曰く「賄賂を受け取ったかどうか」で決まるらしい。
  つまり、存在を否定し、捜査すらしない連中は賄賂で黙らされている。
  レックス隊長のように追い続ける者達は、賄賂を拒んだ者達。
  なかなか分かり易い区別ですわね。

  さて、グレイフォックスの目的は何か?
  それは大体の察しは付いている。
  前回の《サヴィラの石》を手にした際に、彼はこう口にした。王宮の警備がこれで分かる、と。
  サヴィラの石とは千里眼の水晶とも呼ばれる、全ての事象を垣間見れる万能の魔道アイテムだ。
  それを使い、王宮の警備を把握する。
  灰色狐の思惑は果てしない。







  「ふぅ」
  ベッドに寝そべりながら、読書。
  読んでいる本は《ホムンクルスの謎》という本だ。
  寝そべりながら本を読む、それは淑女としての礼節に反しているものの今のわたくしは貴族ではない。没落貴族。
  もちろん、貴族は貴族。
  そこは、いい。
  今のわたくしは以前ほど、躍起になっていない。
  かつての我が家であるローズソーン邸は今は人手に渡ってしまった。
  お金を集める理由は、生活するという理由以外に今はない。屋敷を買い戻す為のお金集めはもうお終い。
  これからは、わたくしは自分の為に生きよう。
  ……自分の為に。
  場所は帝都スラム街にある、自宅。
  没落直後、帝都に流れて来た際に買い取ったボロ屋。
  元々のこの家の持ち主は、帝都軍総司令官アダマス・フィリダ(レヤウィンで暗殺されて殉職)に直々に逮捕され、監獄送りに
  されたブレトン女性。
  帝都軍に接収され、安く売り出されていたところを買い取った。
  アンヴィルに豪邸を構えているものの、ここ一週間ほどは帝都のスラム街で寝起きしている。
  何故ならここスラム街は盗賊ギルドの拠点の一つ。
  仕事をする上で、ここ以上の拠点はない。
  「興味深いですわね」
  本の内容、なかなかに面白い。
  ホムンクルスは、魔道で創られる人造人間の事だ。
  現在の評議長ハンニバル・トレイブンは死霊術と同じように、ホムンクルスの研究を禁じている。
  理由?
  倫理的な問題だと思うけど。あの人、命を弄る所業は大嫌いな人だから。
  トレイブンは父(……と書いてクソ親父と読むっ!)の友人。
  そのツテでわたくしは彼から魔術を学んだ。
  ギルドそのものには加盟していないものの、直弟子と言っても問題はないだろう。
  「……ぜぇぜぇ……」
  そよそよー。
  生涯丁稚奉公のアルゴニアンの召使い、ジョニーが団扇でわたくしを扇いでいる。一時間、ぶっ通しで。
  涼やかですわー。
  「ジョニー」
  「あっ、もう止めてもいいですか?」
  「風力が弱いですわ」
  「お、鬼ぃー……」
  もう1人の従者である騎士道崩れのオークのグレイズは帝都闘技場で汗と血を流しながら全力で奮戦中。
  つい最近グランドチャンピオンになった《レディラック》が前チャンピオンのノルドの女性を倒したから、グレイズは近々チャンピオン
  まで昇格するだろう。
  何故って、グレイズは騎士道崩れで女性には手を出さない主義。
  だから実力ではチャンピオン級ではあったものの、ノルドの女性とは戦えなかった。
  ノルドの女の後釜は男性。
  グレイズはその後釜を引き摺り落とすのは、時間の問題だろう。
  「不思議ですわねぇ」
  本の内容、本当に飽きない。

  『……以上の理由で、ホムンクルスは完璧なのです』
  『倫理的な問題もありますが、当初この技術を確立した帝国の宮廷魔術師達の理論は正しかったわけです』
  『戦乱の終局で奴隷の確保が困難になった帝国の新たなる労働力として創り出された肉体を持つ魔道生命体は何の不平も
  言わずに命令を聞き、命令あれば自らの命すらも捨てる行動をするまさに究極の生命体』
  『しかし欠点もあります。莫大な研究資金です。一つの街の一年の運営資金以上が掛かるのです』
  『それとホムンクルス技術が確立されて以来、百年の謎。それは自我がない事です』
  『命令も聞く、得た知識を応用する知能があります。しかし結局は魂宿らぬ肉なのです。喋る事すらないのです』
  『何故自我を有しないのか?』
  『それはホムンクルス技術百年の謎なのです』


  「自我がない、肉の人形か」
  ふと、考える。
  わたくしも御家再興の為の人形だった。
  養母は優しい方だったけれども、クソ親父はわたくしを道具としか扱ってなかった。
  ……道具としか……。
  「やめですわ」
  考えない事ですわね。
  考えると、腹が立ってくる。わたくしはわたくしだ、それ以上でも以下でもない。
  「……やめですわ」
  「あっ、団扇止めですか? お嬢様、おつかれっしたー」

  「腱鞘炎になるまで団扇続行ですわ。ほら、仰いだ仰いだ」
  「お、鬼ぃー……」
  コンコン。
  「アルラ、いるか」
  扉をノックするのは、グレイズではないようだ。声の主は男ではあるものの、声の質は違うし、何より彼はわたくしを無礼にも
  呼び捨てにするという事はしない。
  来客だ。
  幸い、声の主は誰か見当がつく。知っている声だ。
  「どうぞ、アーマンド。開いているからご勝手にどうぞ」
  がちゃり。ばたん。
  部屋に入り、後ろ手で扉を閉める。
  盗賊ギルド参謀の1人でアーマンド。帝都の盗賊ギルドを仕切る、グレイフォックスの片腕だ。
  ちなみに参謀は2人いる。
  もう1人はスクリーヴァで、ブラヴィル方面の盗賊ギルドを仕切るカジートの淑女だ。
  アーマンドはスクリーヴァを恐れているので席次はカジート淑女の方が上らしい。
  さて。
  「それで、何か用かしら?」
  「家に来てくれ」
  アーマンドの家は、すぐ隣だ。
  「あら、わたくしを誘うの? ……没落貴族とはいえ、安くはないですわよ?」
  「いいから来い」
  茶目っ気は通じないらしい。
  堅物ではあるものの、ここまで真剣な表情をする理由は何?
  「アルラ。グレイフォックスがお呼びだ」





  グレイフォックスがスラム街に現れた、という情報はスラム街を駆け巡っているらしく、アーマンドの家の周りには人垣。
  ……怪しいでしょうに。
  ここで帝都軍が出張って来たら一網打尽ですわ。
  まあ、唯一の天敵であるレックス隊長はアンヴィルに飛ばされたから、わざわざ逮捕に出張る気骨のある帝都軍仕官は
  いないだろう。
  レックスを左遷させた謀略を立てたのは、グレイフォックス。
  帝都のスラム街にグレイフォックスが現れたのは、ある意味で凱歌の意味が、勝利宣言の意味もあるだろう。
  人垣の中にアーミュゼイがいた。
  盗賊ギルドの試験に落ちて、ちんけなフリーな盗賊をしていたトカゲだ。
  わたくしの姿を見ると、ガッツポーズをして見せた。
  ふぅん。
  本当に盗賊ギルドに加盟出来たようだ。
  アーマンドは屋外で待機。
  ジョニーも入室は認められなかった。自然、わたくしとグレイフォックス2人での対談になる。
  アーマンドの家に入ると、灰色狐は暖炉の前で悠然と座っていた。
  「よく来たな、我が盗賊よ。……まあ、座れ」
  「どうも」
  椅子に座る。
  挨拶もそこそこに、グレイフォックスは今回の対談の内容を語る。
  ……気が短いのか、偉ぶってるだけなのか。
  ……どっちだろ?

  「サヴィラの石を使って調べた結果、必要な物が判明した」
  「ふぅん」
  何を企んでいるかは知らないけど、グレイフォックスは大規模な計画を立てているらしい。
  サヴィラの石は、千里眼の石とも呼ばれる遥か遠い場所すらも見通せる能力を秘めていると最近、本で読んだ。
  何を考えているのやら。
  「解放の矢と呼ばれる、先端が鍵の形をした矢だ」
  「はっ?」
  「それだけで理解しろ」
  「……」
  相変わらず慇懃無礼な奴。
  グレイフォックス語は、まだ理解出来ない。
  ……別に理解したくはないけど。
  「矢は元々はファシス・アレンという名の魔術師が手にしていた」
  「元々は?」
  「食い付きがいいな。理解力もある。そうだ、既にその者は持っていない」
  「盗んだんですの?」
  「我々が盗んだなら、問題はない。その魔術師がウンバカノに売り払ったのだよ」
  「ああ、なるほど」
  ウンバカノ。
  帝都のタロス広場地区に住む、大富豪。アイレイドのコレクターとして有名。
  子供でも知ってる、名物男。
  「随分とやり易くてくれたものだよ。ファシス・アレンには、手が出せなかったからな」
  「そうなんですの?」
  少し興味が湧いた。
  ファシス・アレン、か。
  「何者なの?」
  「ファシス・アレンか? 魔術師ギルドの魔術師だ。ブラヴィル支部のな。名の売れた召喚師で、ブラヴィル伯に宮廷魔術師
  と招かれている」
  「へぇ」

  「ただ黒い噂も絶えない。研究用の自分の塔に、悪魔を放し飼いにしたりしているらしい。真偽は知らん。……まあ、盗みに行
  かせた連中がまだ帰って来ない。もしかしたら噂は本当なのかもな」
  「……」
  涼しい口調で、凄い事を言うわね。
  わたくしも駒の一つ、というわけ?

  ……やれやれですわ。
  「話を元に戻そう。奴は矢を研究資金調達の為に、ウンバカノに売却した」
  「奴から奪うんですの?」
  「不服そうな口調だな」
  「ウンバカノの屋敷には悪魔は徘徊してないでしょうけど、完全武装の私兵が徘徊してますわよ?」
  「そこは問題ない」
  「何故?」
  「今回の報酬が、解放の矢だからだ」
  「……あの、簡潔過ぎて意味が分かり辛いんですけど。内容を噛み砕き過ぎですわ」
  「それは失礼」
  座り直す。
  慇懃無礼は変わらないけど、前回よりは柔らかい感じだ。
  ……。
  ふと、思う。
  わたくし、こいつとどこかで会っているような……。
  「実はウンバカノ邸への強奪を予定していたのだがな。実行する前に、向こうから接触してきた」
  「向こうから?」
  「未開の地に、シロディール最東端にあるマラーダという遺跡にあるレリーフを奪う事。それが我々に依頼された内容だ」
  「……盗賊ですわよね、この組織。盗掘は……」
  「盗みは盗みだ」
  「……」
  「質問は?」
  「どうやって、接触して来たんですの?」
  「色々と手広く盗みをしている。私の私用の場合もあるが、純粋にビジネスとしての場合もある。別に奴が顧客になったところで、
  そう問題はない。他には?」
  「報酬に、奴が……その……まあ、名前はいいですわね。矢を提示したんですの?」
  「やれやれアルラ、お前はまだ記憶力が悪いのか?」
  「はっ?」
  「……いや、気にするな。さて……ああ、報酬の話だったな。ウンバカノが提示したのは金貨だ。それを解放の矢に変更させた。
  その矢はアイレイドの遺産ではあるものの、奴は何本も所持しているらしく、一本ぐらい失っても痛くないようだな」
  「ふぅん」
  「マラーダの遺跡から奪うのはレリーフ。全力で奪え、それが奴の指示だ。全力で任務を行えば、報酬は支払われる」
  「全力で……はあ?」
  意味が分からない。
  言葉の内容から察するに、成功報酬ではないらしい。報酬を受け取れる定義は、全力で仕事をする事?
  ウンバカノは酔狂な人物だとは聞いてたけど……これは意味不明でしょうねぇ。
  酔狂さでは、グレイフォックスも変わらない。
  「以上だ。理解出来たか」
  「無理よっ!」
  力一杯叫んだ。





  要は、簡単だ。
  マラーダに行き、アイレイドのレリーフを盗掘してくる事。
  盗掘も、盗賊の仕事の範疇らしい。
  盗掘は墓荒らしの領分だと思うけどねぇ。


  ともかく、マラーダに行きレリーフを取る為に全力を尽くす事。
  そうすれば《解放の矢》を報酬として、ウンバカノが盗賊ギルドに……というか、グレイフォックスに進呈するらしい。

  ただ問題は《レリーフを手に入れる》のではない事だ。
  あくまで《レリーフのゲットに全力を尽くす》。
  その意味は?

  グレイフォックスは盗賊の……というか義賊達のヒーロー。
  盗賊ギルドを仕切るという事は情報を司るという事。
  グレイフォックスは貧民達の擁護者で、彼ら彼女らに莫大な投資をしている。貧民達の生活を護ってくれるのは、救済の手を
  差し伸べてくれるのは権威主義の元老院でも何事も法律重視の石頭の帝都軍でもない。
  その援助の見返りが、情報の収集。
  別に諜報を強いるのではなく、噂話等を拾い集める事。
  生活の援助の見返りとしては、安い事だ。

  帝都タロス地区……の路地裏に住む、物乞いの1人が一つの情報を手に入れた。
  ウンバカノのトレジャーハンターが活発に動いているらしい。
  屋敷の出入りも頻繁。
  その1人のトレジャーハンターと何度か話をしたらしく、名は判明した。クロード・マリック。
  仕事で東に行くと言っていたらしい。

  それとほぼ同時期、最近よく出入りしている女も帝都を離れたという。

  グレイフォックスはこの情報の欠片を、こう結論付けた。
  「レリーフの争奪戦だな、これは。誰が手にするかを楽しむつもりらしい。……酔狂な事だ」
  ……なるほどねぇ。

  誰が手に入れてもウンバカノは傷付かない。
  結局、全員ヒモ付きなのだから。
  道楽主義、か。
  自分のお金なのだから別に問題はないのでしょうけど……わたくしは、それはあまり好きではない。
  貴族の義務は、民衆を守る事。
  ……まあ、ウンバカノは貴族ではなく大富豪なのだけど、有り余るお金を湯水の如く無駄に使う。
  これはいかがなものかと。
  まだ、グレイフォックスの方が高潔で、偉大だ。






  グレイフォックスからの対談の後。
  支度金を貰い、グレイズと合流し、ジョニーを荷物持ちとしてマラーダに。
  ウンバカノの放ったライバル達に追いつけなければ意味がない……という事で、小船が用意されていた。
  当然、盗賊ギルドの用意した船だ。
  ルマーレ湖を船で渡る。
  陸路で迂回するのとは、距離的に全然違う。これで大幅に距離と時間を短縮。
  岸に着くとそのまま東に。
  冒険者の街フロンティアで密林踏破の装備を整え、さらに東に。
  マラーダに到着したのは帝都を出発してから四日後だった。
  ウンバカノの放った別口の盗掘連中がいつ頃帝都を発ったかは知らないけど、競争相手として盗賊ギルドを引っ張ってくるぐらい
  だから多分挽回可能な時間的な差なのだろう。……多分ね。

  「……暑いですわね」
  「御意」
  「いやぁ過ごし易い良い環境っすねー♪ ……一年ぐらいここでバカンスしません?」

  未開の地。
  それはシロディール東に位置する、亜熱帯の気候の、密林を指す。
  アルゴニアンの、トカゲ族の出身地ブラックマーシュに近く、気候もトカゲよりの気候。アルゴニアンには過ごし易い地。
  だけどわたくしはインペリアル。
  グレイズはオーク。
  ここの気候は、過ごし易くも何ともない。
  一年バカンス?
  ……ふっ、この暑さでイライラしているわたくしに対する挑戦と受け取りましたわぁーっ!
  「グレイズ、ジョニー始末」
  「御意」
  「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
  ドタバタと逃げるジョニー、追うグレイズ。
  ……かえって暑苦しいかも。
  そもそもグレイズの姿が一番暑苦しい。
  全身をくまなく包む布地。
  グレイズはローブを着込み、フードを被り、手には手袋、顔はマフラーで包んでおり露出しているのは眼だけだ。
  防御面の考慮からローブの下には鉄の鎧。
  何故こんな姿をしているのか?
  ……答えは病気。
  彼は日光を跳ね返せない、アルビノの、白色オーク。
  暑苦しい格好も仕方がない。命に関わる事だし、いくらわたくしでもそこまで文句は言わない。
  さて。
  「ここが、マラーダ」
  歌うように。
  謳うように。
  わたくしは、白亜の美しい遺跡を前にして、呻く。
  あくまでわたくしはハンニバル・トレイブンから魔術を学んだ(それも冷やかし半分に)だけでありギルドには所属していない。
  なので、アイレイドの……歴史学とか考古学は一切無縁。
  そもそもアイレイドの遺跡に潜った事すら、ない。
  しかし、美しい。
  「……はふ」
  感嘆の声。
  今まで放置されてきたアイレイドの遺跡は何度も見たけど、既にシロディールの景観と一つとして誰もが眼にしているだろうけど
  こんなに美しい遺跡は初めてだ。
  「ジョニー」
  「はい、お嬢」
  「始末」
  「な、なんでですかっ!」
  「……ああ、ごめんあそばせ。口癖で、ついつい。ほほほ♪」
  「……」
  「遺跡の扉、開けてくださる?」
  「了解っす」
  石の扉を苦心して、開くジョニー。わたくしは開いた扉に近づき、しゃがみ込む。
  少なくとも公式ではアイレイド滅亡から誰も立ち入っていない。
  ……もちろん、非公式では盗賊や盗掘家が出入りしていたのだろうけど……公式の概念から考えるなら、この扉はつい
  最近開かれている。
  非力なジョニーに開けられるほどスムーズなのは、最近開いたからだ。
  グレイフォックスからの助言が正しいのであるならば。
  既にウンバカノの持ち駒の一つが、ここに訪れている可能性は高い。
  解放の矢のゲットの条件は、一生懸命ウンバカノの放ったライバルどもと争う事。
  レリーフを奪う事が条件ではない。
  あくまで全力で奪い合う事が、仕事だ。……まあ、既に奪われた後ならただのお笑いですけど。
  ……下らないわねぇ……。
  それでも仕事は仕事だ。
  「行きますわよ」
  「御意」
  「了解っす」



  マラーダの内部は、比較的安全だった。
  ……いや、安全過ぎる。
  歴史学にも考古学にも疎い。そもそも建築にも精通していないので何ともいえないけど、何もなさ過ぎる。
  トラップがまるでないのだ。
  ウンバカノの駒の一つが罠に全て掛かるか、解除したのだろうか?
  しかし見たところ、そのような形跡はない。
  トラップに掛かったにしても死骸はない。となるとトラップがない?
  「……」
  「……」
  「……」
  わたくし3人は、拍子抜け。
  正直、どれだけ凄いトラップがあるのだろうと危ぶんで来たので安心もあるけど……拍子抜けでもある。
  しかしそれはそれで助かる。
  わたくし達の中には、トラップに精通している者は誰もいない。
  解除出来ないし、罠の見分けも付かない。
  罠がないのは助かる。
  ……。
  もちろん、罠がないのではなく見分けが付かずに、ただ引っ掛かる事もなく進んでいるだけかもしれない。
  ともかく何も触らずに進む。
  幸い、一本道だ。
  わたくし達は進む。どれだけ進んだだろう、やがて開けた場所に出た。
  通路もそうだったけど、この空間も仄かに明るい。
  アイレイドの遺産でもある、マリンブルー色の結晶《ウェルキンド石》のお陰だ。
  高密度の魔力の結晶であるこの石を、アイレイドエルフ達は惜しげもなく照明器具として使っていた。
  それだけでも今の文明を遥かに超越している。
  何故なら、現在の文明ではウェルキンド石の安定化が出来ないからだ。
  さて。
  「……あれか」
  広い空間。
  どうやらここが終点らしい。
  そしてそこに、二つの人影が、壁の前で立ちすくんでいる。見ると壁には蒼いレリーフが見える。
  あれが目的のモノらしい。
  「……?」
  しかし何故あの2人は、レリーフに手を出さないのだろう?
  数分、黙ったまま止まっている。
  ……。
  いや、距離的に離れているので囁き程度なら聞えない。
  すらり。
  グレイズが背負っている鋼鉄製の、特別製のクレイモアを引き抜く。わたくしは、目で制した。まだ襲うには早い。
  あのレリーフには何かのトラップがあるのだろうか?
  ……そうかもしれない。
  どの道、我々はとラップには疎いし盗賊ギルドは人殺しを禁止(例外もある)している。
  グレイフォックスや参謀のアーマンド&スクリーヴァは、人殺しは闇の一党ダークブラザーフッドの領分であって我々とは縁
  がないというのが基本的な持論だ。
  そこはいい。
  わたくしも、人殺しは嫌いだ。
  一応、それが主義。
  「……」
  「……」
  「……」
  様子を伺う事、数分。
  相手は、あの2人は女性だ。種族までは判別出来ないけど……亜人種ではない。人間種かエルフ種のどちらかだろう。
  1人の女が、大きく伸びをする。
  ……悠長な事だ。
  ドカァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンっ!
  「うひゃーっ!」
  「ぐぅっ!」
  「のぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
  女が伸びをした途端、火球を投げつけてきた。
  ……なるほど。向こうはこちらに気付いていたわけだ。
  ……ちっ。
  「グレイズっ! ジョニーっ!」
  「御意」
  「……」
  ジョニーは返答……なし。
  「ジョニーっ!」
  「……」
  しーん。
  吹き飛ばされて頭を打ったのか沈黙。まったく使えない奴ですわぁ。
  ……後で始末。
  「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
  「ふっ、あたしを舐めない事だねーっ!」
  キィィィィィィィィィィィィィィンっ!
  キィィィィィィィィィィィィィィンっ!
  キィィィィィィィィィィィィィィンっ!
  グレイズは金髪の女と切り結ぶ。魔法を放ってきたのとは、別の女性だ。
  ……すごいわね。
  あの女、剣の腕だけならグランドチャンピオンにも負けないだけの腕があるのに……あの金髪女、なかなか使える。
  グレイズは金髪と斬り合い。
  ジョニーは沈黙。
  となると、わたくしが……。
  「お相手しなければなりませんわね」
  「私の相手してくれるの? ……それ笑える」
  近づき、対峙する。
  ここまで近づけば分かる。向こうはブレトン。歳は……二十歳ぐらいかしらね。
  向こうは腰に剣を差している。まだ抜いてない。わたくしは短刀を差してあるだけ。斬り合いは、まず無理。
  ならば魔法戦に持ち込むか。
  わたくしはハンニバル・トレイブンの直弟子で、高弟。魔法で負けるものか。
  ……ふふふ。行きますわぁーっ!
  バッ。
  手を双方、繰り出し……。
  「鎮魂火っ!」
  「煉獄っ!」
  
ドカァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンっ!
  『なっ!』
  同時に声を発する。
  火力は、ほぼ互角かっ!
  ……ならばっ!
  「冷たい墓標っ!」
  「絶対零度っ!」
  冷気も双方相殺。
  ならば必殺の一撃を放つまでっ!
  「霊峰の指っ!」
  「裁きの天雷っ!」
  
バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!
  電撃と電撃が相殺っ!
  ……いや、違う。
  「くっ!」
  相殺は、されなかった。
  電撃の威力は私の方が上だ。ブレトンの女は、電撃で弾かれる。
  威力はさほど、だろう。
  ほぼ打ち消しあったからだ。だがそれでも並の相手なら黒焦げ間違いなし。死にはしないだろうけど、戦闘不能は確実。
  ほほほ♪
  「くっ、裁きの天雷っ!」
  「……へっ?」
  バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!
  間の抜けた声と同時にわたくしは吹き飛んだ。一瞬、息が出来ない。
  「こんのボケインペリアルめぇーっ!」
  「……言ってくれますわね……」
  ゆっくり、立ち上がる。足が少しガクガクする。
  あ、危なかった。
  向こうの狙いが甘かったから、直撃ではなかったものの……余波でも体が痛む。あまりわたくしは魔力耐性は高くない。
  直撃は出来れば避けたい。
  「……」
  「……」
  しばらく睨み合う。
  アイレイドの遺産である魔法《霊峰の指》の威力が向こうの電撃魔法をわずかに上回っているものの、あまり予断を許さない
  状況だ。
  魔力の練り方も、魔法の威力も、ほぼ双方互角。
  ……ハンニバル・トレイブンの直弟子のわたくしと張り合うこいつは……何者……?
  「煉獄っ!」
  先に動いたのは、ブレトンの女だった。
  甘い甘いですわっ!
  「炎の精霊っ!」
  「……ちっ」
  召喚した炎の精霊が、炎を受け止め無効化。
  「絶対零度っ!」
  「見越してますわ、氷の精霊っ!」
  「ならばデイドロスっ!」
  「嵐の精霊っ!」
  ブレトンの女が召喚したオブリビオンに住まうトカゲの悪魔に、岩石で形成された嵐の精霊で応戦。
  人外のバトルを開始する。
  ブレトンが舌打ち。
  「……ちっ。精霊使いか」
  タッ。
  そのまま地を蹴り、剣を抜刀。狙いは寸分違わずに正確。わたくしの喉元を掠める。
  一瞬でも動きが遅ければ、わたくしは死んでいただろう。
  ……。
  厄介、ですわねぇ。
  向こうは殺す気満々。対してこっちは……組織のルールと自分の主義の為に、相手を殺せない。
  まあ、負ける気はないですけどねっ!
  「魔力剣よっ!」
  ぼぅっ。
  わたくしの手に、オブリビオンの魔人であるドレモラ達が愛用する剣が具現化する。
  ドレモラ装備。
  そう、この世界では呼ばれる異界の武器。
  「はぁっ!」
  「やぁっ!」
  キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!
  キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!
  キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!
  生まれた時から貴族ではない。
  引き取られるまでは、クソ親父に飼われているも同義の愛人の娘。……別に母親を軽視はしてないし、敬愛してる。
  ともかく、貧民の階級でお金の為なら何でもした。
  その為に必要なのは腕っ節。
  剣の腕も、我流ながらに自信がある。
  「そこっ!」
  「……ふっ」
  必殺の突きを受け流し、冷笑とともに斬撃を浴びせてくるブレトン。辛くも避けて、なおも追撃してくる女の腹に蹴り。
  体術も得意ですわっ!
  「はぁっ! やぁっ! たぁっ!」
  「くそっ!」
  面白いぐらいに、蹴りが決まる。向こうは体術はあまり得意ではないらしい。
  肉体的な能力は、わたくしが上か。
  トドメっ!
  「霊峰の指っ!」
  「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!
  突き出した手から放たれる電撃をまともに受け、吹っ飛ぶ。そしてそのまま壁に叩きつけられた。
  ……。
  ……まずいですわ、殺したかも……。
  「痛いじゃないの、このボケインペリアルっ!」
  「嘘っ!」
  立った、何事もなかったように立ったっ!
  よほど高い魔法耐性を有しているようだ。魔法の威力よりも、壁に叩きつけられたダメージの方が高いようだ。
  ……潮時ですわね。
  全力で戦う事。それが任務。
  ウンバカノは、この女からの報告を聞いて酒の肴にするのだろう。手に汗握る、大激闘をね。
  そこで私が全力で戦ったかを判断する基準にするはず。
  潮時だ。
  「ウンバカノのトレジャーハンター、あまり良いミスターオーナーではないようですわね」
  「何故それを……お前何者?」
  「盗賊ギルドのエージェントですわ。では、御機嫌よう。……撤退しますわよっ!」
  甲高く叫び、わたくし達はそこから離れる。
  追撃してくる気配はない。
  ……やれやれ。
  ……疲れましたわぁ……。
  「それにしても上には上がいるものですわね。……あのブレトン、わたくしと同等かそれ以上ですわ……」







  その後、帝都に舞い戻ったわたくし達。
  ウンバカノは約束の品を差し出したらしい。解放の矢を手にしたグレイフォックス。
  別の任務まで休め、それが彼の言葉短い慰労の言葉。
  ……。
  遺跡から撤退する際に、別の一団に出会った。
  車椅子の老紳士が従える謎の一団だ。隠れてやり過ごした事は明記しておく。
  それにしても今回は疲れた。
  ……疲れた……。