ユーレイの季節


ユーレイの季節



きまぐれ睡龍・筆


 最近テレビを観ていたら、「そろそろユーレイの季節ですね」なんてことを言っていたのだが、ユーレイに季節なんてあるのかなと思い、ネットでほんの少しばかり調べてみた。すこし調べただけでは何とも言えないのだが、俳句の季語には古来、幽霊とかお化けという言葉はないらしいということだけは分かった。これは江戸〜明治期あたりの人々にとって、ユーレイは夏の風物詩ではなかったことの表れなのだろうか。昔はユーレイを怖がる人は少なかったそうで、昭和以降のホラー映画の増加にともなって現代人は過剰にユーレイを怖がるようになったとの説もある。まあ、それを更に突き詰めるほどの興味はなく、ここでは話の取っ掛かりとして書いてみたに過ぎない。

 不思議なのは、少なくとも今の人たちの感覚としてはユーレイ=夏という、風物詩のようなイメージになっていることだ。テレビで心霊番組や怪談コーナーなどが放送されるのも、夏場が圧倒的に多いと言っていいだろう。だが、なぜ夏なのか。それに疑問を感じる人もあまりいないようだ。私としては、「ユーレイも冬に出てくると鼻水たらして風邪をひくのか? シベリアにはユーレイは出ないのか? 新聞配達みたいに冬でも頑張って出て来やがれ!」と突っ込みたくなる。

 私のこうした突っ込みは子供のころから始まった。そもそもの始まりは、「霊柩車が通った時に手の親指を隠さないと親が早死にする」という話を聞いたことだった。小学校4〜5年の頃だったか、父から何度も理不尽な叱られ方をして父のことを嫌っていた私は、学校帰りにたまたま霊柩車が通ったのを見て、グイっと片手の親指だけ(母を巻き添えにしないように)霊柩車に向けて突き立てたのだ。しかし、早死にどころか病気にもならずにずっと元気なままだった。それ以後、夜に室内で口笛を吹くと天井から蛇が下りてくるとか、室内で帽子をかぶっているとどうなるとか、夜に爪を切るとどうなるとか、そういう話を聞くたびにそれを試してみたのだが、その通りになったことは一度もなかった。

 中学2年の時、テレビで、「河原の石の中には人の顔のような模様の浮き出たものがあるが、それは川で死んだ人の霊魂が宿っていて粗末に扱うと祟りがある」という坊さんだか霊能者だかの話を聞き、後日川遊びに行った時に探してみた。手のひらサイズのを2つ見つけたので、それを岩の上に乗せて別の石でなぐってバラバラに砕き、祟らせてみようとしたのだが、わが身にも周囲にも何ひとつ起こらなかった。それから約30年、私はほとんど病気もせず不運な目にも遭わずに平穏無事なままだ。

 心霊番組などではユーレイやら祟りやらの話が満載となり、突っ込みどころも多い。悪いことをすると先祖の祟りが…?「子孫を祟る先祖なんているかぃ! 祟る能力があるくれェなら子孫のおこないを正して行ってやるのが当たりめェだろうが! どうせなら悪徳政治家でも祟りに行きやがれ!」、真夜中の山中のトンネルを車で走っていたら血みどろのユーレイがフロントガラスに…?「そんなにユーレイに血があるんだったら献血に行けバカヤロウ!」、と、今でもこんな感じで、林家彦六の口調をまねて心の声で突っ込んでいる。

 とはいえ、大人になってからはその手のテレビはほとんど観なくなったので、突っ込む機会もあまりない。近年は温暖化の影響で、昆虫や植物が従来の北限を越えて徐々に北上しているという。ユーレイたちも冬に鼻水すすりながら引きこもる機会が少なくなるだろうから、いずれはユーレイが春や秋、そして冬へと進出して夏の風物詩というイメージはなくなっていく…のだろうか。動植物の生息域の北上は、同時に南国のマラリヤの宿主である蚊の日本上陸などと連動してくるのだ。ユーレイなんかよりそのほうがはるかに怖いではないか。

 ところで、考えてみたら30年まえに砕いた2つの人面石、その祟りがすぐに来るとは言っていなかったっけ。猫は7代(8代だったかな)のちまで祟るとか言うし、もしかして人面石の祟りもこれから来るのかな? 「石だけにずいぶんと腰が重いようで…(彦六口調)」。



(2010年7月・記)




             
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