女性は土俵からおりて下さい


女性は土俵からおりて下さい



きまぐれ睡龍・筆


 愚劣、蒙昧、唾棄に値する妄言、…そんな言葉しか私には思いつかない。

 近年の白鳳関や、歴代力士たちの“品格”について、あれやこれやと上から目線なことをさんざん言い続け、さも「相撲協会は高邁な理想をかかげている組織である」ような立ち位置を長年にわたって誇示していながら、土俵上の急病人の救命にあたっている女性たちに対し、「女性は土俵からおりて下さい(すなわち、女人禁制だから)」、という場内アナウンスを平然と流す、愚昧きわまる対応を地方巡業の場でさらけ出した。品格などかけらほども無い。場内アナウンスをしたのは若い行司だったそうだが、これは明らかに行司の若さや不見識から生じた個人的なミスではなく、相撲協会の体質が露呈したものと断言していい。驚きの話だが、起こる必然性とその土壌があったという事だ。「国技」と呼ばれる相撲の土俵上においてこのような出来事。女人禁制? 女性は不浄な存在?


 ――誰から生まれたんだ? 誰のおっぱい飲んで、誰の子守唄を聴きながら育ったんだ、アンタたちは!


と言いたくなる。折りしも、横綱・日馬富士関の暴力事件に端を発した貴乃花親方の協会に対する反乱が収束し、貴乃花親方への厳しい処分が決定した直後のていたらくだ。時代遅れとか、そんな問題を超越している。どこの世界でも、伝統を守るのは大いに結構だし、大切なことでもある。しかし、それがまったく無益なもの、さらには害悪を生じるものなら、それは改善なり廃止なりしていくべきなのだが、いかんせん、どこの世界でも組織というのは大体において頭がカチコチな連中に牛耳られ、問題提起があっても、「伝統だから」とか「時期尚早だ」とかいうほとんど脳波停止レベルの話に帰結するのがオチである。そして時期尚早とのたまう人たちはたいがい、適切な時期を自分で決めないまま無難に勇退していくのが特徴で、それが代々繰り返されていき、それ自体まで伝統と化してしまう。

 今まで何度となく、女性と土俵のことは世間で議論になった。森山真弓官房長官や太田房江大阪府知事が表彰式で土俵にあがるのを拒否されたり、わんぱく相撲で優勝した女の子が国技館の決勝出場を拒否されるなど、数々の無益な問題を引き起こした。心が傷ついた人たちもいただろう。それが、とうとう人命救助まで後回しにさせようとするところまで窮まったのだ。土俵上の女人禁制とは、こうまでして守らなければならないほど価値のある伝統か? いや、そもそも伝統と呼ぶ価値なんてあるのか?


 ――相撲協会の面々は全員、へその緒をつないで母親のお腹からやり直したらどうだ?


 長年積み重なった組織的退廃から、とつぜん晒し出された漫画みたいな椿事。これほど恥さらしな事が起こっても、いや「起こして」も、なお協会が女人禁制の解除へと積極的に踏み込んでいけないようなら、ほとほと呆れ果てる。今後、あの人たちはどういう顔をしながら、相撲道や力士の“品格”について語るのだろうか。伝統や品格、それを守るのと、もたれかかるのとは違う。もちろん伝統と「弊習」も違うのだ。「女人禁制は今日でやめます」と言ってしまえば、簡単にやめられるとしか私には思えない。戦争をやめるより百億倍くらい簡単だろうし、やめたら何の不都合が生じるというのか。

 擁護派とおぼしき人たちによるネット上の投稿文もいくつか読んでみたが、「なるほど」と合点がいく理論にはお目にかかれなかった。どの文章にも、なぜ「禁制」を続けなれけばならないか、やめたらどういう不都合が生じるか、というような論拠らしい論拠が見当たらないのだ。やめたって不都合は生じない、でも続けていると不都合が生じる、だったらやめりゃあいいじゃん…、それだけの事ではないのか? 問題の根本は、なぜ女性が土俵にあがってはいけないのか、その明確な理由説明がない点である。それを相撲協会が明言しないままで「禁制」にしているから騒ぎになるのであって、その状態で伝統論をいくら語っても、すべてが空回りするだけなのである。馬鹿げた騒ぎの繰り返し、まったく時間の無駄、としか言いようがない。


 ――女人禁制の理由をなぜ相撲協会は明確に説明しないのか?


 つまりは、説明できる妥当な理由が存在しない、ということだろう。今回ひとつ再認識したのは、どこの世界でも伝統という言葉には、害のあるしきたりをも正当化または美化できる魔力のような、一種の高級感があるということだ。そしてその感覚がしばしば、ていのいいご都合主義や一部の人間の保身に利用されて、前向きな改善や革新の足を引っ張ってしまう。そしてその首謀者はたいがい頭の固いオッサンたちだ。長年続いているから伝統…、伝統は守るべき…、そんな一本調子でいいわけがないだろうに、それを、地位も名声もある年配者たちが少しも改善できずにズルズルと引きずり続けているのだ。そして騒ぎになると亀のようにダンマリを決めこんでほとぼりが冷めるのを待つという、質の低い政治家や官僚たちと同じことを平気でやっている。それが品格について語る人たちのすることか? 私には相撲協会が単なるポンコツの集まりに見えてくる。

 女性は土俵からおりて下さい…か。思いがけず、爽やかな春の日に不愉快なニュースを目にしてしまった。


(2018年4月7日・記)




             
前頁へ戻る