モリアオガエル

モリアオガエルと出会う



 2018年5月21日(月)、東京都青梅市の某会社内の庭にある小さな人工池の低木の枝に、突然、モリアオガエル(森青蛙)の泡状の卵塊がひとつ現れた。直径は9センチあまり。少なくともこれまで四十数年間、一度も現れたことがなく鳴き声が聞こえたこともない場所である。卵塊が現れる数日前から「コロロ…、コロロ…」という聞きなれない声が聞こえていたのだが、土日の会社休業日を含む金曜から日曜のいずれかの夜に産卵したのだ。1.7×5メートルほどの広さがある洋ナシ形に彎曲した浅い池で、ミジンコ、サカマキガイ、イトトンボのヤゴ、ヒメガムシなどの小さな生物は簡単に目視できるほどいるが、目立つ生き物は10センチほどの金魚が1匹いるだけだ。金魚藻などのような水生植物は生えていない。水道を水源としている。池の片側はコンクリートの通路に面していて木はなく、通路を越えた先にはわずかな庭木と鉄筋の建物がある。逆に対岸沿いには7〜8本、人の背丈ほどかそれに満たないモミジや榊など数種類の低木が、ほとんどすき間がないくらいに並んで枝葉を茂らせていて、すぐそばには背の高いモミジが2本と松が2本立ち、その先にも庭木が多数あって緑が多い。低木は岸辺の4〜4.5メートルほどの幅を占めている。卵塊はその水辺にせり出しているモミジの低木に産みつけられた。


(池と低木の様子、その奥につづく緑)

 この庭は近くに山があり、大小の庭木が立つ小さな林のようになっていて昔からヒキガエルが生息している環境ではある。広大な庭というわけではないが緑は豊かだ。しかし周辺には他の工場や民家が多数あり、車や歩行者がしきりに往来する大きな道路も多い。モリアオガエルにとってこの池への移動は危険が多かったと思われる。ここから半径数キロ範囲の山あいには2〜3ヶ所ほど、わずかにモリアオガエルの生息の噂を聞く場所もある。彼らがどれほど広範な嗅覚を持っているのか分からないが、あえて新たな産卵場所を求め、キロメートル単位の遠距離を越えてこの池にたどりついたということなのだろうか。外部の人は入れず、社員もあまり近づかない池なので、誰かが意図的に持ち込んだのではないだろう。めったに姿を見ることのない希少種だ。おそらくオスが2匹、メスが3匹(?)来たのではないだろうか。

 週明けの5月28日(月)の朝にも、5センチくらいの小さな卵塊が池の水際にひとつ、底が水面に接する状態で産みつけられているのが見つかった。すでに表面が乾燥していて産んで間もなくという感じではなかったので、26日の夜あたりの産卵だったかも知れない。そして29日の朝にもうひとつ、新たに4〜5センチほどの崩れた卵塊が、池の隅の中ほどにある石積み(上掲写真の左下)の上に産みつけられた。これは前夜産んだものだ。またこの日には、分かりにくいモミジの根の陰(同写真の右下あたり)にも10センチほどと思われるもの(産卵日は不明だがすでに黄色く固化し、新しいものではなかった)がもうひとつ見つかり、これで大小計4個となった。池の縁一帯や背の高い木の枝先までよく探してみたが、ほかに卵塊はなかった。この頃から朝と昼、それぞれ短い時間だったが、休日以外のほぼ毎日池を観察していった。

 
(5月21日に見つかった卵塊〔左〕と、28日に見つかった卵塊)

 
(5月29日の石積みの卵塊。モミジの根の陰にも)

 卵塊がすべて現れてから後に初めて親ガエルたちの姿を確認したのだが、すでにメスの姿はどこにもなく、2匹のオス(次の写真。斑紋の薄い個体〔体長推定55ミリ〕と、濃い個体〔推定65ミリ〕)しか見られなかった。モリアオガエルの特性として、オスは産卵後の長期間その周辺にとどまって他のメスの産卵にも参加し、メスは産卵を終えるとすぐに離れた場所へ遠く移動するという、専門家のテレメトリー法による研究論文(電波発信機を取り付けての調査。「産卵を終えたモリアオガエルのテレメトリー法による追跡調査」ほか参照)がいくつか発表されているが、それと同じ行動を示していたのだろう。メスの産卵後の移動距離は100メートルを超えることもあるという。ところで「メスが3匹(?)来た」と記したのは、メスが1シーズンで1回産卵するなら、大きな卵塊2個(2匹)と2回にわたる小さい卵塊2個(1匹で0.5個ずつ)と推測してみたに過ぎない。

 
(斑紋の薄い方〔左〕が華奢でやや小さい。右の個体は6月21日の朝撮影)

 開発や水質汚染などで生き物の生息域が日本各地で狭まり、それにつれてカエルを含む両生類の生息数も大きく減少している。一方では、アライグマなど外来生物による食害が減少に拍車をかけているというが、そうした諸々の危険からこの池に逃れてきたのだろうか。まだ青梅市を含む東京西部の山あいや森には、モリアオガエルが生息・移動できる環境が少しは残っているということでもあるが、どの場所も豊富といえる生息数ではないだろうし、大きな車道に妨げられるなど移動時の障害も多い。二週目に小さい卵塊がふたつ見つかってからさらに一週間後の6月4日(産卵から9日目くらいか)、1.5センチくらいと思われる2匹のオタマジャクシの姿を池の端に確認した(すぐ逃げられ撮影できず)。しかし4個の卵塊のうち、大きめの2個の最初の卵塊は完全に干からびてしまい、分かりにくい位置のもうひとつも、雨水が当たりにくく池の水面にも接しにくい位置でそのまま乾燥にさらされながら、長いあいだ形がまったく変化しなかったので、おそらく孵化できなかったのだろう。小さな2個からの孵化だけだったようで、多くの卵が卵塊からはみ出てしまっている状態でもあったため、孵化できた個体数は多くなかったと思われる。


(6月8日朝のオタマジャクシ〔約2センチか〕)

 モリアオガエルは、世界中のアオガエル科のうち最北端に生息する日本の固有種である。学名はRacophorus arboreusで、意味は「樹上に棲むボロをまとった者」だという。樹上の高い位置で生活を営み、移動も木の枝から枝へと跳び移って行なう。産卵と冬眠以外で地上に降りることはほとんどない。本州と佐渡島に分布している。北海道にはおらず、四国・九州・沖縄では生息が確認されていないという。地域によっては天然記念物に指定され、自治体や研究家、有志によって保護されているが、多くの地域で絶滅が懸念されている。東京では三多摩でのみ生息が確認されているが、いずれの地域でも準絶滅危惧種に指定されている。個体差や地域差によって斑紋のあるものとないものがいるが、斑紋の形や数には規則性がないとされる。アオガエル科は卵を泡につつんで守る特性があり、国内ではシュレーゲルアオガエルもその一種として泡状の卵塊を地中に産むことで知られているが、モリアオガエルは池や沼の岸の樹上に産卵する特異な種類として名高い。目立つうえに希少種とあって注目されることが多く、有名な繁殖地では一般人向けの見学会が企画されることもある。寿命は10年ちかく、産卵できる成体になるまでメスは3年、オスは2年を要するというが、生態については分かっていないことが多いらしい。卵塊の中には通常、数百個の卵が入っている。産卵後、卵塊は表面が乾いて固化し、中の卵たちを乾燥や外敵から保護する。一週間から10日ぐらい経つと中でオタマジャクシになり、そのまま雨が降るのを待つ。卵塊が雨で徐々に溶けて池や沼の水面へとしたたり落ち、それと一緒にオタマジャクシたちは水中へ落下していく。

 しかし、水中には肉食系の昆虫や脊椎動物がいて、オタマジャクシの多くが小さな初期段階で捕食されてしまうため、無事に成長してカエルになり、陸へ上がっていける個体は少数だ。餌が乏しい状況下では共食いが起こることもあるという。今回の池にも強力なハンターであるマツモムシたちの姿があった。少なからぬオタマジャクシが彼らに捕食されたのではないか。水底にある枯れ葉などの堆積物の中にはおそらくシオカラトンボやナツアカネのヤゴが潜み、もしかしたらイモリもいるかも知れないので、初期段階を生き延びても安泰というわけにはいかない。そうした強敵たちから身を守るため、オタマジャクシたちは水底の藻屑や枯れ葉、石の隙間などに潜んで日々を過ごし、やたらと泳ぎ回るようなことはしないという。それを裏付けていたのか、池では孵化からしばらくの間、死滅したかと思うほどオタマジャクシの姿は見られず、6月8日の朝にやっと池の端で1匹撮影できただけだったが、6月18日あたりから急に、池の隅の石積みを中心にして続々と姿を現すようになり、水面付近にも上がってくるようになった。石積みをおもな隠れ家にして、その中に今まで潜んでいたのだろう。目視できた限りでは、多い時で20匹ちかくまで確認できるようになっていった。石の下などの見えないところにもさらに何匹かは隠れていただろうから、総数は20数匹かそれ以上だったと推測される。体が大きくなったことでマツモムシやヤゴたちの脅威が薄れていったということだろうか。

 
(続々と現れた〔6月26日の昼撮影〕。右は後ろ脚が大きくなった個体〔7月11日の昼撮影〕)

 そして、7月上旬には後ろ脚が大きくなった個体の姿が目立ちはじめたのだが、その時期から急に個体数が減っていった。隠れ家の石積みやその周辺にハトが1〜2羽たたずむ姿や、フンや羽が落ちているのが二〜三度みられたので、ハトに捕食されていたと思われる。大きくなればなったで、そのぶん鳥に狙われる率が高まったということだろうか。オタマジャクシたちは警戒してか、あまり石積みから出て来なくなっていた。無事にカエルになれず全滅してしまう不安もあったのだが、その後、突然、変態(メタモルフォーゼ)を終えた子ガエルの姿を思わぬかたちで確認することとなった。7月13日の朝、池の水面に1匹の子ガエルの死骸が現れたのだ。毎日くまなく池を見渡していたが、前日の昼の時点で死骸は見当たらなかった。両脚の大腿部を何者かに食い荒らされていたものの、まだ腐敗はあまり進んでいないようだった。変態後のモリアオガエルの子は泳ぎが苦手で水に落ちると溺れるというから、おそらく前日の午後から夜の間に木から落ちて溺死したか、それとも毒虫などの外敵に攻撃されて死んだのだろうか。

 そしてその5日後(7月18日)には、親ガエル(斑紋が濃い方)が鎮座しているモミジの低木の葉にジッと乗っている生きた子ガエルの姿を、1匹だけだったがとらえた。前脚が生えてシッポが消え始めるプロセスを観察する間もなしに、彼らは密かに変態し、上陸を果たしていた。尻にはわずかにシッポの黒い痕跡が残っており、その様子から、上陸して5日くらい経過した姿を撮影できたと思われる。13日に見つかった死骸が上陸第1号だったかどうかは分からないが、オタマジャクシの孵化を最初に確認した6月4日から五週間後には上陸が始まっていたことになる。オタマジャクシたちの個体数減少はハトのせいばかりではなく、変態を終えて徐々に池から離れていった分も含まれていたのだろう。


(7月13日の朝撮影。子ガエルの初確認)

 最終的に上陸できた総数ははっきりしない。休日以外のほぼ毎日、それぞれ少ない時間ではあったが子ガエルたちの姿を池のまわりに探したうち、最も多かった日で9匹を確認したが、目の届かない位置にもおそらく2〜3匹くらいはいただろう。まだ斑紋も表れておらず、姿と色も日々変化し、見た目では個体差をほとんど判別できないので、正確な数は把握のしようがない。たぶん12〜13匹くらいは上陸できたのではないか。6月下旬以降に20数匹くらいはいたとみられるオタマジャクシの数からほぼ半減したと考えられる。餌を与えるなどの保護はまったくしなかった。タイコウチやゲンゴロウなどの捕食者が現れなかったので彼らには幸いだったが、それでも生存の厳しさでやはり上陸は少数にとどまった。しかしとりあえず、新たな場所での彼らの繁殖は成功したということである。陸でのサバイバルの日々を子ガエルたちはスタートさせた。ヘビや鳥など強敵だらけの陸上生活で、冬の寒さもしのぎ、繁殖が可能な成体になるまで生き残れる確率はかなり低いのだろう。まずは近くにいる親ガエルに獲物と間違われて捕食されないだろうかと思っていたのだが、生きた子ガエル1匹の姿を最初に確認した7月18日から以降、親ガエルは姿を現さなくなった。

 
(7月18日の昼〔左〕と、23日の朝撮影)

 
(7月23日の昼〔左〕と、26日の昼撮影)

 
(どちらも7月27日の昼撮影)


(8月6日の昼撮影)

 ここで、日々の観察で目視できた子ガエルの個体数を記す。ただし休日は観察なし、観察時間は朝7時台の約30分間と、昼12時台の約30分間のみだった。参考のため、気象庁の観測データ(気象庁のHPに掲載)による青梅市の最低気温と最高気温、降水量の推移も併記する。

  7月13日(金) 23.0〜36.3℃ 降水量00.0mm  1匹(池に浮いていた死骸。シッポの痕跡から上陸4日くらいでの死か)
  7月14日(土) 24.5〜36.8℃ 降水量00.0mm  ―
  7月15日(日) 24.7〜35.5℃ 降水量00.0mm  ―
  7月16日(月) 24.9〜36.2℃ 降水量00.0mm  ―
  7月17日(火) 24.9〜37.3℃ 降水量00.0mm  ―
  7月18日(水) 25.9〜37.8℃ 降水量00.0mm  1匹(上陸5日くらいか。翌日から親ガエル〔斑紋の濃い個体〕が姿を消す)
  7月19日(木) 25.3〜36.7℃ 降水量00.0mm  5匹(上陸3日くらいとみられる個体1匹を含む。その他は5〜7日くらいか)
  7月20日(金) 24.9〜36.0℃ 降水量00.0mm  6匹(シッポの黒い痕跡が完全に消えた個体はまだ見られない)
  7月21日(土) 25.3〜36.4℃ 降水量00.0mm  ―
  7月22日(日) 25.8〜37.2℃ 降水量00.0mm  ―
  7月23日(月) 25.8〜40.8℃ 降水量00.0mm  7匹(上陸3日くらいとみられる個体1匹を含む。シッポの痕跡が消えた個体あり)
  7月24日(火) 24.8〜36.8℃ 降水量01.5mm  7匹(朝、ジョウロで低木全体にバケツ2杯分ほどの水を散布)
  7月25日(水) 24.1〜34.3℃ 降水量01.0mm  5匹(朝、同様に水を散布)
  7月26日(木) 23.3〜30.2℃ 降水量00.0mm  2匹(朝、同様に水を散布)
  7月27日(金) 20.9〜31.4℃ 降水量00.0mm  9匹(上陸4日くらいとみられる個体1匹を含む。その他は成体の姿)
  7月28日(土) 19.8〜27.4℃ 降水量80.0mm  ― (台風12号の接近により夜間に降水。暴風はほぼ無し)
  7月29日(日) 23.6〜32.0℃ 降水量28.0mm  ― (午前中に降水)
  7月30日(月) 21.9〜33.7℃ 降水量00.0mm  0匹
  7月31日(火) 24.4〜35.9℃ 降水量00.0mm  0匹
  8月01日(水) 24.0〜37.7℃ 降水量00.0mm  0匹
  8月02日(木) 25.4〜37.6℃ 降水量00.0mm  0匹
  8月03日(金) 25.2〜37.5℃ 降水量00.0mm  0匹(この日は昼のみ短時間の観察)
  8月04日(土) 24.6〜35.3℃ 降水量00.0mm  ―
  8月05日(日) 26.1〜37.4℃ 降水量00.0mm  ―
  8月06日(月) 21.7〜35.8℃ 降水量37.0mm  1匹(シッポの痕跡はなく上陸10日以上か。夕方から夜間にわたり降水)
  8月07日(火) 20.6〜22.9℃ 降水量09.0mm  0匹
  8月08日(水) 21.4〜26.0℃ 降水量31.5mm  0匹(台風13号の接近により日中から夜間に降水。暴風はほぼ無し)
  8月09日(木) 23.3〜34.0℃ 降水量09.5mm  0匹

 7月13日以前は上陸に気づいていなかったため不明である。また13日と18日の数字の少なさは、観察者である私がまだ探し方の要領を得ていなかった分を差し引いて考えなければならないが、これらの経過からは、最初の死骸が見つかった13日あたりが上陸のもっとも加速した時期だったように見てとれる。オタマジャクシが孵化して以来、なるべく人の補助を彼らに加えまいと思っていたのだが、13日から24日は記録的な猛暑のピークと降水量ほぼゼロが続き(21日が関東の平年の梅雨明け日)、それが子ガエルたちの上陸時期と重なっていたため、さすがに危険かと思い、ジョウロで3回水を撒いた。池の水面や底、木々の下の地面まで細かく見て回ったが、どうやら、これだけの高温と雨降らずの状況が続いても死んだ個体はいなかったらしい。もちろん水辺の木陰なので、離れた場所にある観測所の数字よりはやや低い気温だっただろうし、この結果だけでモリアオガエルの子が高温に強いと言い切れるわけではない。

 観察できた個体数は日によって大幅な変動もみられたが、池の低木に接するような近距離には他の木や雑草などが生えていないことから、子ガエルたちが水辺から距離のある他所と往復していたとは考えられないので、少ない日は同じ場所の確認しにくい位置に隠れていたと思われる。当然、上記の個体数は実際その場にいた総個体数より多少とも少なかったとみるべきだろうから、あくまで大まかなデータである。この結果から、最初の死骸は7月9日ころの上陸、最後の新規個体1匹(27日)が7月24日ころの上陸と推定できようか。ざっとだが、上陸が少なくとも二週間にわたって行なわれたことが分かる。小さなふたつの卵塊は産卵に1日か2日の時間差はあったと思われるが、それを差し引いても、孵化の速さや発育のスピードには最大で二週間ていどの個体差があったといっていいのではないか。また、とりわけ7月26日の確認数の少なさには、狭い場所にもかかわらず観察者の目をあざむく子ガエルたちの擬態能力の高さが表れていたと思う。

 そして7月30日の朝、子ガエルたちは1匹も見当たらなくなっていた。昼も丹念に探したが、池のまわりの地上も含めてまったく見つけられなかった。その前の2日間は観察していなかったので確かなことは言えないが、7月27日の昼の時点ではそれまでで最多の9匹を確認していたので、早く成長した個体から徐々に水辺を去っていったということではない。カエルは雨が降ると活発になる。モリアオガエルの成体も繁殖期の雨の夜に産卵場所へよく移動するようだが、おそらく子ガエルたちにも同様の性質が備わっていて、台風12号の接近による28日夜の多量の雨に乗じて一斉に移動していったのではないか。初期のころに上陸を果たした子ガエルたちは、最長で二週間くらい水辺にいて雨が降るのを待っていたということだろうか。気温が下がったことも移動に関係していたのかも知れない。もし例年並みの梅雨模様だったら、おそらく雨が降るごとに順次水辺から去ったのだろう。その後8月9日まで水辺をくまなく探してみたが、6日の昼に1匹見られただけだった。シッポの痕跡はまったくなく、上陸から10日以上は経っているように見えたので、おそらく台風の接近前に上陸した個体で(27日確認の新規個体か? いた位置も数十センチほどしか違わなかった)、7月28日の時点では長距離の移動ができるほど成熟していなかったのかも知れない。そしてその個体も、6日以降は姿を確認できなかった。6日の夜はまとまった量の雨だったので、それを機に去ったのではないか。

 7月の中旬以降は池の中にオタマジャクシが動く様子もまったく見られなかったので、8月6日に確認した1匹以外に残っている子ガエルはなく、今後新たな個体の上陸もないだろうと判断し、8月9日の昼をもって観察を終えた。

 
(水辺の低木から見あげた庭木たちと、苔むした地面)

 子ガエルたちがどこを目指して進んでいったのか分からないが、低木が生えている側の水辺の先には大きな庭木が何本もあり、そちらの方がコンクリートの通路や建物がある方よりも進みやすかったのではないか。そびえるような高さのモミジやイチョウやアオギリなどを含め、いろいろな木が立っているのだが、そのどれかの高所の枝に登っていった個体もいたのだろうか。数日の間、それらの庭木たちの葉を陽光に透かしながら何度か見上げてみたが、子ガエル1匹の影すら見えなかった。庭の地面はほとんどの場所が苔でおおわれており、晴れが続く真夏の盛りでも湿度が保たれている。餌となる虫も多い。モリアオガエルの冬眠は浅い地中や苔の下で行なわれるという。この庭は彼らの生息や冬眠に適しているかも知れないので、定住しようとする個体がいても不思議はないように思われるが、ともあれ、5月の中旬に親ガエルたちの鳴き声が聞こえはじめてから、およそ2ヶ月半で子ガエルたちの旅立ちの日を迎え、今回の成長物語は終結となった。


 モリアオガエルはただでさえ希少種だが、陸に上がってからは山や森の木々の高いところで生活し、生息域も限定的であるため、森やその近辺で暮らしている人たちですら姿を見る機会はほとんどない。繁殖期に池沼のまわりへ降りてきた時が出会うチャンスだが、それでも産卵が止水の上にせり出した木の上で行なわれることが多く、しかも夜行性なので、間近な姿を写真や映像におさめるのは容易ではない。また、マニアらによる密猟を避けるため、研究家や地元民が詳しい生息場所を一般には公表しないこともあるので、なおさら出会うのは難しいのだ。今回の出会いはまったく予期せぬ幸運で、二か月ほどの長期にわたって間近に写真と動画を撮影することができた。彼らが過ごした水辺の木々の多くが人の背丈ほどしかなかったお蔭だ。

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 それから2匹の親ガエルについてだが、7〜8本ほどの低木が並んで枝葉を茂らせている中で、彼らはそれぞれ、朝から日中のあいだは一定の枝からほぼ動かずにまどろんでいることが多く、たまに合唱のように鳴いてメスを呼んでいるくらいで変化があまりなかったが、翌朝にはまったく違う木の枝にいたので、夜は毎晩のようにあちこちに位置を変え、おそらく盛んに鳴き声をあげて活発に動いていたのだろう。しかし縄張り意識だろうか、2匹が同じ木の上に居合わせたことはなく、常に一定かそれ以上の距離を保っていたように思われる。そして性格や力関係に差があったのか、斑紋の濃い方は姿が見えない日もたびたびあったものの、ちょくちょく岸辺の枝に姿を見せていた。しかし薄い方は二週間くらい姿が見えないこともあるなど、岸辺にいる回数が少なかった。ある日(6月21日)の朝などは、池のもっとも隅のもっとも低所にある枯れかけの棕櫚の葉に窮屈そうな感じで乗っていて、少し離れた別の木の高い枝に濃い方が陣取っていた(前掲写真)。もしかしたら、体格にやや勝る濃い方が優位に立って縄張りを主張し、華奢な薄い方は日常的に威圧されていたのかも知れない。7月6日に現れたのを最後に彼はいなくなってしまい、濃い方は18日まで姿がみられた。

 一度、私が池の対岸から「ココココ…」と舌を鳴らして彼らの鳴きまねをしてみたところ、それまで90度くらい他の方を向いて枝の上で微動だにしなかった濃い方は、鳴きまねを始めて数秒ほどでこちらへぱっと向き直って鳴き声をあげ始め、それにつれて薄い方も、隅の茂みから声をあげ始めて、30秒くらい2匹が合唱状態になったことがあった。後日、二度ばかり同じことを試してみたが、まったく反応しなかったので、カエルの声ではないことが分かったのかも知れないが、せまい場所ということもあってか、より強く主導権を握ろうとする対抗意識が表れていたように思われる。

 ちなみに棕櫚の葉に乗っていた以外の時、薄い方はたいがいモミジの枝にいて、濃い方は種類を問わないかのようにいろいろな木にいた。それぞれ、より自分の斑紋に近い木を選ぶ傾向があったのだろうか、それともたまたまそうなっていただけか。



 そして姿が見えない日に彼らはどこにいたのか。木の根元か池の水際のどこかに隠れる隙間でもあるのかと探してみたが、見つからなかった。そもそも彼らは樹上生活者だ。見上げるような高さのモミジもそばに2本あるので、その高所の枝にいたのではないか。テレメトリー法を用いた研究論文によれば、産卵場所の木と20〜30メートル離れた場所の木とを往復していたケースもあったようなので、数メートルかそれ以上の距離を隔てた木の高所に居場所を定め、夜のあいだに池との間を枝伝いに行き来していた可能性もあろう。薄い方が二週間ほど姿を見せなかったときも、夜間だけ来て朝までに戻った日があったのかも知れない。同論文にはモミジの樹上に定位する傾向がみられるとの一文もあるので、基本的にモミジが好きなのだろうか。だとすれば、モミジのある場所を伝って他の地域からこの池まで来たというひとつの移動経路を想定できるのかも知れない。低木のそばにあるモミジの高所を何度か見上げてみたものの、もしいたとしても、とても肉眼で見通せるものではなかった。夜間の観察はできなかったので、姿が見えない日の彼らの居場所は分からずじまいだった。

 

 4個の卵塊が現れて以降も、7月初旬ころまで2匹はメスを呼び寄せるため競い合うように鳴いていたが、その間、他のメスも他のオスも現れることはなかった。斑紋の濃さや色には日々変化があったものの、2匹の斑紋の特徴を確認しながら観察と撮影を続けていたので、彼ら以外の似た個体と入れ替わっていたことはなかったと思う。やがて徐々に声が小さくなって鳴く回数も減り、7月中旬くらいまでで繁殖期にピリオドが打たれたようだ。今年の関東地方は6月末という異例の早さで梅雨が明けてしまい、その後ほとんど雨に恵まれない猛暑が続いたことも、彼らやオタマジャクシたちの生活、そして他の成体たちの移動に何らかの影響を及ぼしただろうか。


 今後、この池が毎年の繁殖場所となっていくかどうかは分からない。モリアオガエルは個体それぞれが定位置を持っているというが、だとすれば、早々に池から去ったメスは元の生息場所の自分の木へ戻っていった可能性が高いということか。意外と遠くないところに人知れぬわずかな生息地があって、来年もそこから産卵に来る道筋が作られたのかも知れないが、繁殖期を過ぎたオスは、その付近に留まり続けるものと元の住みかへ去るものと両方あるという。もしかしたら、2匹の親ガエルのどちらか、もしくは2匹ともこの庭に定住するのかも知れない。この池で生まれた子ガエルたちが少しでも生き延びて、さらに生息域を拡げてくれることを期待したい。それにしても、彼らの擬態はとても優れていて、子ガエルたちもそうだったが、2匹の親ガエルもほぼ完全に周囲の緑に同化していたので、いることが分かっていて狭い場所であるにもかかわらず、見つけるのが簡単ではなかった。普通にその場を通りかかったら誰もその姿には気づかなかっただろう。いずれにせよ、私にとっては初めての、そしてめったにない貴重な出会いだった。

 (2018年8月15日・記)




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