南京そむ


「南京そむ」とは何ぞや?



きまぐれ睡龍・筆


 昨年のことだが、あるテレビ番組で「南京そむ」という言葉が紹介された。これは「南京そば」の誤りなのだが、国内におけるラーメン(中華そば)の発祥についてアナウンサーが簡略に語りながら、昔の文献にはラーメンが「“南京そむ”と書かれている」と紹介し、字幕にもそのように表示されたのだ。番組中の説明では、その文献に書かれている「そむ」が「そば」の誤記であるとの補足はなされなかった。番組の原稿を書いた人や校閲した人の調査不足により、誤記にもとづいた情報だとの認識を得ないまま放送するに至ったのだろう。「そむ」とは何ぞや? と疑いを持たなかったということだ。オフィシャルな情報発信者としては少々手ぬかりだったと言っていい。

 某ネット情報によれば、国内でラーメンが初めて一般に供されたことをしめす明らかな記録は、1884年(明治17)4月28日づけの函館新聞に掲載された料理店の広告(次の写真)が、最も古いという。番組で取りあげたのはこの広告にもとづく情報だったのだろう。「養和軒」という店が掲載したものだが(アヨンは広東省出身の店主〔陳南養〕の名だという)、ここでその歴史学的な検証をしたいわけではなく、「そむ」の正体が何なのかを明らかにしておきたいのだ。


(函館新聞の広告)

 広告は5行にわたる前書きのあと、「南京御料理」と見出しをつけていくつかのメニューを掲げ、その下段の2行目に、「一、南京そむ 同(御壱人前) 十五銭」と記している。当時はラーメンのことを「南京そば」「支那そば」などと呼んでいたそうだが、この広告にある「そむ」は「そば」の誤植である。勘のいい視聴者は、アナウンサーの説明と「南京そむ」という字幕を見て、そば屋ののれんを思い浮かべたかも知れない。くずし字や古い文献に詳しい人なら、さらに気づきやすい。つまり、「む」は私たちが見慣れているそば屋ののれんの字(変体仮名)と形がそっくりなのだ。


(生楚者〈生そば〉と書かれたのれん)

 私たちが使っている平仮名は漢字をくずして作られたものであり、たとえば「は」は「波」のくずし字で、ハと読む変体仮名だ。しかし現在の平仮名はそれぞれ、かつて複数あった変体仮名のうちのひとつが採用されており、ハと読む変体仮名は「波」のほかにも「者」「葉」「盤」「婆」「半」「破」など複数使われていたものが、今は「波」のくずし字だけに集約されて一般に使われているのだ。そば屋ののれんに多くみられる変体仮名は「楚者(そは)」なのだが、「者」の変体仮名に濁点がつくと、写真のとおり「む」とそっくりになる。

 上記の函館新聞の広告は明治時代の中ごろのものだが、当時の新聞記者が書く原稿は手書きだった。そして現代と違い、一般の人たちが複数の変体仮名を日常的に読み書きしていた時代でもあり、実際、写真の広告には現代人が判読困難な草書体文字がいくつか含まれている。このことからして、おそらく記者(もしくは店主自身か?)が書いた原稿には「南京そば」に濁点つきの「者」が書かれ、植字工がその原稿をもとに活字を拾うさい、「む」と誤って読んでしまって「そむ」になったという経緯が考えられる。あるいは、もしかしたら誤植ではなく、濁点つきの「者」を使おうとしたが活字の中に作られていなかったため、そっくりに見える「む」で意図的に代用したとの推定もできなくはない。昔の印刷物は、組み方も字の扱いも現代よりいい加減なものが少なくなかったので、そうした雑な代用もあったのかも知れない。

 そば(蕎麦)は昔、原料であるそばの実を「そばむぎ」と呼んでいたのが略された言葉だという。「そむ」とは無関係なので、やはり「南京そむ」は誤植か代用であり、存在しなかった言葉だと言っていい。現代人が「南京そむ」を見て「そば」の誤植だと気づくのは簡単ではないが、広告が掲載された当時は複数の変体仮名を使うのが日常であり、南京そばという名称も一般に普及していたのであれば、「そむ」を見て誤植か代用だと判断することは、当時の人たちには簡単にできたのではないだろうか。「南京そむ」をそのまま「そむ」と読んでしまうのは、うなぎ屋ののれんや看板を「うふぎ」と読みたくなるのと同じで、古い変体仮名になじみの薄い現代人ならではの感覚なのだ。





(2017年8月・記。2枚目の写真は戸井田和之さんのブログから引用し加工したものです。)




             
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