小学生の頃、たしか学校の先生だったと記憶しているのだが、その人から「悪いことをすると神様から罰がくだり、生まれ変わって虫になってしまうんだぞ」と言われたことがある。仏教かキリスト教か、はたまたギリシャ神話からの影響かは知らないが、何らかの思想的な影響によってそうした考え方が一般化していたのだろうと思う。私は小さい頃から虫や植物と身近に接しながら過ごして来たのだが、この言葉を聞かされた時、すんなりと心の中に浸み込んでは来なかった。ひとつには、私の母が日常生活の中で虫や植物をむやみに低くあつかうような発言や態度を見せなかったことにあるだろう。自然界にある大と小、明と暗、美と醜はすべて表裏一体で、上下・優劣の差はない、という母の考え方が、長年にわたる無言の教えとして私を包んでいたからだ。
私はその後も虫たちと接し、先生の言葉を思い出しながらつぶさに虫たちの様子に見入っていたのだが、やはり浸み込んで来ない。どう見ても、虫たちには自分が虫であることを嘆いている様子や、自分が人間でないことを悲しんでいる様子がないのである。虫たちはひたすらせっせと餌をさがし、食べ、巣作りをし、睡眠し、交尾と産卵にいそしんでいるだけだ。私がそばにいてもほとんど彼らの眼中には入っておらず、それ以上接近しなければ、私のことを警戒もしないし、ましてや私が人間であることを羨ましがる素振りなどまったくない。美しい虫もそうでない虫も、大きいのも小さいのも、みんなそうだった。トンボもてんとう虫も平気で私の体にとまって来て、単なる棒っきれ扱いだった。
虫になるのは神様の罰? なぜそれが罰なのか。人間の幸せと虫の幸せは別もの。私たちから見て、いかに卑小でどれほどおぞましい姿をしていようと、彼らはケロッとしているではないか。虫になればなったなりの幸せがあるのだとしか思えなかった。それが当時の私のつたないながらの結論だったし、今でもその結論はほとんど変わっていない。
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