祖母と母と「蜘蛛の糸」
祖母と母と「蜘蛛の糸」
きまぐれ睡龍・筆
「花嫁修業なんて愚かな女のする事。そんな暇があったら本を読みな。書物の読み方を知っていれば、いつの時代でもどんな世界でも一流の生き方が出来るんだよ」と、私の祖母は母が子供の頃にこう教えたという。一流の生き方とは必ずしも名誉や金銭の問題ではない。地位や名誉を手にしていても愚かな人は少なくないし、肩書きも財産もない庶民の中にも哲人たちは存在する。
私はいい本に接すると祖母のこの言葉を思い出す。花嫁修業が愚かだとまでは思わないが、祖母の読書論そのものには共感をおぼえる。世間のどの分野でも、確かな読書力を持つ人は例外なく強いと言えるのではないだろうか。祖母から母へ伝わった本への思いは母から私にも伝えられたが、私にとってその初めての活字媒体となったのは、芥川龍之介の短編小説「蜘蛛(くも)の糸」だった。
「蜘蛛の糸」を初めて読んだのは中学2年の夏。当時の私は、自称「活字アレルギー」というほどの本嫌いで、夏休みの宿題で読書感想文を書くのが面倒くさかったため、ほんの数ページしかないこの短編で楽に済ませてしまおうと、インチキな動機で読んでみたに過ぎなかった。主人公のカンダタが数々の悪事を働いて地獄に堕ち、獄囚として苦しみぬいていたところ、そこにひとすじの蜘蛛の糸が垂れ下がってきた。糸は極楽に通じている。カンダタは死ぬ前に1度だけ1匹の蜘蛛の命を助けた事があり、そのためお釈迦様が糸を垂らして救いの手を差し伸べたのだった。カンダタは嬉々として糸にすがり、極楽を目指して登り始めたが、周りにいた無数の獄囚たちがカンダタのあとから登って来てしまい、その重みで糸が切れるのを恐れた彼は、獄囚たちをののしって「この蜘蛛の糸は俺のものだ。下りろ下りろ!」と叫んだ。すると、糸はたちまちカンダタのぶら下がっているところから切れて、再び彼は地獄の底に堕ちて行ってしまった、というのが物語の筋。
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私はカンダタの悪事と自己中心的で無慈悲な態度を批判する感想文を書いていたが、そこに母がヒョイと首を突っ込み、「神様が人間を作ったんなら悪人も神様が作ったのかな。それなら、悪人を作って悪事を働かせて、それを裁いて地獄に堕とすのはおかしいんじゃない?」と言った。私はその瞬間、頭が割れてポンとクス玉が飛び出すような感覚にとらわれ、再度じっくりと読み返してみた。そして、つたない脳を数日間フル回転させて考えた末、全面的に感想文を書き直した。それは、
「カンダタが他の獄囚たちをののしらなければ本当に救い上げたのか。彼を救ったら、後から続いてくる獄囚たちをどうするのか。一緒に救えば、獄囚たちは1人残らず極楽に上がって来るだろう。もし彼らを切り落とすなら、初めから手にすることのできない希望の光を見せておきながら再び突き落とす事になる。相手が悪辣な罪人たちだとしても、神はそんな残酷なまねをしてもいいのか。神がもし万能なら初めからこういう結果になる事が分かったはずではないか。神の方こそ罰を受けて地獄に堕ちるべきではないのか」
など、釈迦と神を混同し、カンダタそっちのけで、神と宗教の矛盾や欺瞞を厳しく攻撃する内容に変貌した。そしてこの頃を境に、それまで長年イジメられっ子でメソメソしていた私は突然、そのイジメっ子たちのむこうずねを蹴り飛ばすようになった。
本は読み手に大きな影響や転機をもたらすことがある。私の場合はその最初のものが「蜘蛛の糸」だった。作者がどんなメッセージをこの作品に託したかは知らない。読み手がカンダタの利己主義を批判するのも一つの解釈だし、小さな生き物の命をいつくしむ心の大切さを感じ取るのも一つの解釈だろう。読み手の解釈は必ずしも一つでなくてもいいし、この作品にはほかにも色々な解釈や分析や批判が可能である。人によって解釈が違えば、受ける影響も様々なはずだ。私はこの短編をきっかけに、誰もが正しいと思う事にも冷徹な疑問の目を向けるようになっていった。母は折りに触れて、私にそうした目を開かせるための道しるべを示していたが、その一つが、感想文を書いている最中にくちばしを突っ込む形となって現われた。
母が子供の頃といえば戦前から戦中。折りしも男尊女卑の真っただ中で、女は家事と育児をこなして男の三歩うしろを歩いていればそれでよし、男まがいの社会進出も、学問も自己主張も必要ない、という考えが、多くの男性や女性にとって当たり前だった時代。まさに花嫁修業は良き女への道。そうした世相の中で、祖母は「花嫁修業なんて愚かな女のする事」と、常識論を平然と切り捨てて母を読書中毒少女に仕立て上げ、母は、ベソっかきの私を糸で釣ってすね蹴り少年に仕立て上げた。「蜘蛛の糸」を一つの媒体として祖母の気概は母から私に伝染し、それが今に至るまで、仕事や私生活の上で私の考え方や行動の基準になっている。
(2004年秋・記 図版=中央公論社『日本の文学』29巻、昭和39年10月刊より)