木の葉化石園
【2012年秋】
木の葉化石園探訪
(塩原温泉郷 2012年9月)
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――文・Photo. きまぐれ睡龍――
温泉地として1000年以上の歴史がある栃木県那須塩原市・中塩原の温泉郷には、自然史博物館「木の葉化石園」がある。この博物館には、その敷地内から産出する新生代の第四紀・更新世中期(数十万年前)の植物化石が多数展示されているが、それらは作り物かと見まがう人もいるほど、国内産の化石としては指折りの保存状態を誇っている。化石の愛好家なら知らない人はいないというほど有名で、研究家からの学術的評価も高く、化石図鑑などにはしばしば写真が掲載される。一般的に、その化石は「木の葉石(このはいし)」と通称されている。木の葉化石園は塩原温泉郷の観光名所のひとつだ。
かつてこの一帯には、東西約6キロ、南北約3キロにわたる三日月型の湖があった。塩原化石湖と称され、遠い昔に消滅したものだが、湖の周辺に生息していた植物や昆虫などが、死んで湖底の土砂に埋もれ、長年にわたって大量の土砂が塩原湖成層と呼ばれる地層を形成していき、多くの生き物たちがその中で化石となっていった。そんな地層の間近に、木の葉化石園は建てられている。
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(JRバス関東の停留所「塩原温泉駅」と、その前を通る国道400号。右は木の葉化石園の入り口にある看板)
木の葉化石園は、国道400号沿いにある塩原温泉駅というバス停の前から、上塩原方向へ約1.2キロ進み、日塩もみじラインへの分岐点付近から右手を流れる箒川(ほうきがわ)にかかる八幡橋(はちまんばし)を渡って、塩原中学校の前を通過しながらおよそ200メートルのところに位置しており、大きな看板が分かりやすく迎えてくれる。陽当たりのいい山あいにある閑静なたたずまいの博物館だ。森の中にあるため、駐車場に入っても建物の姿はほとんど見えない。私が今回訪れたのは9月中旬と、まだ夏の暑さが残ってオニヤンマやシオカラトンボが舞い、蝉の声もわずかに響いてくる時期だったが、10月下旬ころになれば、周辺の山々は紅葉の見ごろを迎えはじめるという。
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(駐車スペースの先にある入場券売り場。その脇から建物へと通じる橋)
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(橋からは豊かな緑と澄んだ小川の流れを見渡す)
樹木に囲まれた小道を抜けて博物館の玄関前へ近づくと、その向こう側に、柵を隔てて薄茶色の土手が見えてくる。やや右上がりに傾斜したその地層が、まさに、数十万年前に湖底に堆積した木の葉石を産出する露頭だ。定規で描いたような、均整なラインをあらわにして横たわっている。
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(石畳の敷かれた森の先に、玄関と木の葉石の地層が現れる)
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(博物館裏での発掘風景。玄関前では美しいハンミョウの出迎えも)
露頭の前には、化石についての解説を記した看板があり、玄関を入ればすぐに、壁にたくさんの標本が懸けられているのを目にする。化石だけでなく、その上段には、周辺地域で採取された現生の植物たちの標本も掲げられていて、化石との対比ができるようになっている。木の葉石に見られる植物のほとんどは、周辺に自生する現生植物たちと種類が一致しているという。したがって、見つかる化石は、馴染みのある植物が多い。これまでに220種類以上の動植物の化石が見つかっているという。また、肉眼では見られない花粉や植物プランクトンの化石なども、この地層内には含まれている。
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(まずは看板を一読。右は玄関を入ってすぐに見えてくる展示の光景)
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(化石標本〔左写真〕と、その真上に掲げられている現生植物の標本)
木の葉石は植物の産出量が非常に多く、植物だけでも百数十種を超える豊富さである。展示されている標本もとても数が多いため、ここではほんの一部だけを紹介するが、ほとんとすべての化石は葉脈まで細かく保存されていて、最近まで生きていた落ち葉を石に張りつけたかのようにも見える。火山灰などが元になった非常にきめの細かいシルト状の泥質岩であるため、微細な部分まで保存が可能になったのだろう。
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(ハルニレ〔左・ニレ科〕と、オオモミジ〔右・カエデ科〕)
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(ナナカマド〔左・バラ科〕と、ミズナラ〔右・ブナ科〕)
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(クリの実と花〔左・ブナ科〕と、ヘビノネゴザ〔右・ウラボシ科〕)
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(ウラジロノキ〔左・バラ科〕と、ブナ〔右・ブナ科〕)
同じ地層からは、数が少ないが、ハエ・カゲロウ・蝉・カメムシ・カミキリ・トンボなどの昆虫類、そしてさらに産出量が少ないものの、魚・カエル・ネズミなどの脊椎動物も採取されている。カエルは骨が薄くて脆いため化石に残りにくく、世界的にもカエルの化石は稀少だが、同地産の標本は細部まで保存されていて質が高い。
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(カミキリと、エゾハルゼミの羽)
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(シオバラカエルと、ウグイ〔コイ科〕)
木の葉石は、1888年(明治21)にスウェーデンの科学者・ナトホルスト(A. G. Nathorst)の研究によって世に紹介され、以来、1905年の木の葉化石園開園を経て発掘が続けられてきている。発見された化石により、数十万年前の塩原一帯は、今の気候状況とほとんど差がなかったことが判明している。今後の発掘により、さらに新しい種類の植物や昆虫、脊椎動物などが見つかる可能性がある。カブトムシが見つかる日も来るかも知れない。
また塩原からは、木の葉石のほかにも化石の産出が知られている。木の葉石よりも時代の古い新生代の第三紀・中新世後期(約1000万年前)の地層から、二枚貝や巻貝などの海生生物の化石が数多く採取されており、木の葉化石園に展示されている。
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(カネハラヒオウギ〔左・イタヤガイ科〕と、カネハラカガミ〔右・マルスダレガイ科〕)
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(トクナガヒタチオビ〔左・ヒタチオビ科〕と、ニノヘサルボウ〔右・フネガイ科〕)
これらの貝類を産出した地層は、近年、風化の進行などによって産出量が減少しているという。館内にはそのほか、三葉虫・アンモナイト・ウミサソリ・メソサウルス(爬虫類)・シダ植物・甲殻類・昆虫・魚類など、外国産の化石の数々、そして北海道産アンモナイトが展示されている。
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(通路の両側に数々の標本を展示。右の写真は各国の三葉虫)
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(メソサウルスやウミサソリなど〔左〕と、国内外のアンモナイト〔右〕)
さらに先へ進むと、自然金・オパール・孔雀石・水晶など、国内外の美しい鉱物もいろいろと展示されており、鉱物ファンにも見応えのある標本がそろっている。
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(各種鉱物標本の展示スペース)
鉱物展示場の先にはさまざまな土産物を売るコーナーがあり、敷地内で採取された木の葉石をたくさん売っている。植物化石は豊富に採れているため、種類によっては、子供の小遣いでも買える安価な標本もたくさんある。一般客が同館の露頭で発掘することはできないのだが、土産物コーナーでは、発掘体験用の原石を袋分けして販売しており、その場でハンマーを使って割らせてもらうこともできる。もしかしたら、博物館クラスの稀少な化石を手に入れることができるかも知れない。
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(土産物コーナー。右は販売されている木の葉石)
土産物コーナーを抜ければ出口に至り、そのそとは、ふたたび木漏れ日のゆれる森の中となる。その先にはあずま屋があって、美しい景色に囲まれながらひと息入れることができる。周辺の山々に生息している植物たちの多くは、ここに展示されている化石たちの直系の子孫なのかも知れない。木の葉化石園は、そんな太古の風を感じながら、のんびりと見学できる場所である。
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国内屈指の保存の良さを誇る木の葉石。化石にあまり興味のない人でも、その美しさには少なからず感じ入るところがあるのではないか。訪れてみる価値のある博物館だ。
――― 付 記 ―――
木の葉化石園のほど近くに、「逆杉」という2本の巨木が立つ塩原八幡宮と、「源三窟」という全長40メートルほどの小さな鍾乳洞がある。中世の歴史の一端を感じさせてくれる観光スポットで、いずれも化石園や塩原温泉駅から歩いてさほど時間のかからないところにあるので、ついでに紹介しておく。
〈逆 杉〉(さかさすぎ)
全国名木100選のひとつで国の天然記念物にも指定されており、夫婦杉(雄杉・雌杉)とも称される。平安時代、源義家(八幡太郎義家)が奥州東征のさい、神気を放つこの2本の杉に勝利を祈願し、勝ちを得た御礼としてここに八幡宮を建立したと伝えられている。雄杉は幹周が11.5メートル、雌杉は幹周8メートルで高さは40メートルという。
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〈源三窟〉(げんざんくつ)
平治の乱に敗れ、治承4年(1180)に京都・宇治の平等院で自刃した源頼政。その嫡孫である源有綱が、鎌倉での戦に敗れてから逃亡の身を隠したのが、現在、源三窟と呼ばれているこの鍾乳洞だったという。この中でひそかに再起の機会を窺う日々を送っていたが、洞内の小さな滝で米を洗ったため、外へ流れ出た米のとぎ汁によって敵方に居場所を発見され、殺されてしまったとの悲話が伝えられている。
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温泉地としてだけでなく、紅葉の美しさでも知られる塩原。切り立つ山々が鮮やかな紅葉に染まる時期にこの地を訪れれば、木の葉化石園の見学も、そのほか箒川の流域沿いを中心に数々ある観光スポット巡りも、さらに見映えがするものになるのだろう。 (2012年9月23日・記)
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