気砲記


古書市場の『気砲記』について



きまぐれ睡龍・筆


 国友一貫斎の『気砲記』は、自家版として1819年(文政2)に刊行された。恒和出版の『江戸科学古典叢書42 大小御鉄炮張立製作・他』(1982年〔昭和57〕刊)に、版本の全頁がそのまま複写されていて、図書館へ行けばその文面や挿図を見ることができる。あまり出回ってはいないものの、古書店やネット販売で買うこともできるのだが、実物の和綴じ本となると、昔から古書市場ではほぼ見ることのない稀少本になっている。だが、世界屈指の古書店街として知られる東京の神田神保町において、近年、比較的短期間で『気砲記』の流通にふたつの動きがみられたので、これを機に、ごく個人的な経験談と所感ではあるが、今後『気砲記』を探す人の参考に供する意味も含めて、古書市場における『気砲記』について記しておく。


 まずひとつ目の動きだが、2016年(平成28)、秦川堂書店(神保町)が顧客向けに発行した『秦川堂書店 総合目録』の6月号に、『気砲記』の写本(次のモノクロ写真)が1冊掲載された。ほどなく売れたそうである。秦川堂書店は、古書籍・古地図・古文書などを多量に取りあつかう創業100年以上の老舗だが、社長の永森譲さんによれば、「これまで当店に気砲記が入荷したことはなく、それ以外の場所でも目にした記憶がない」とのことだ。

 
(『秦川堂書店 総合目録』平成28年6月号 p.26)

 人物画が細部まで版本のものとそっくりに描かれているので、透き写しで作られたのではなかろうか。キャプションにある「三柳居 杉浦氏蔵之記」は、古書の蒐集家として知られた京都三条の豪商・杉浦三郎兵衛のことを指す。国文学研究資料館の蔵書印データベースには、「三柳居杉浦氏蔵書記」と刻されている印形の写真が数点掲載されているが、それを見るに、キャプションにある「蔵之記」は正しくは「蔵書記」で、おそらく「書」の草書体を形がそっくりな「之」に読み違えたのだろう(ちなみに、ウインドドルウルも「ウインドルウル」が正しい)。この写真を見ると、本来の版本にはみられない銃筒の拡大図が、とじ込み付録のように挿入されているらしいのが分かる。「国友一貫斎文書」(国友一貫斎家のご子孫が所蔵)に残されている手記や図版の中にも見られないものなので、一貫斎が作った気砲の銃筒ではないのだろう。

 この本が秦川堂書店にたどり着くまでの経緯がどういったものだったかは分からないが、元々は、死後に散逸してしまったという杉浦三郎兵衛の蔵書のひとつだったようだ。江戸期には木版刷りの印刷製本が商業として盛んになったが、それでも肉筆による写本の需要は高く、書写や描画をハイレベルにこなす技師たちが写本作りに従事する職業集団があったというから、そうした組織によって作られたものが三郎兵衛の手に渡ったのだろう。しかし、『気砲記』自体がそもそも銃砲や砲術という特殊分野に属し、一般庶民が読んで楽しむ書物ではないため、求める人がそう多くはなかったであろうから、写本も数多く作られたのではあるまい。全国から大量の古書が集散する神保町ですら、今までおそらく何十年ものあいだ写本も版本もほぼ(もしかしたらまったく)流通しなかったとみられることが、そうした背景を暗示していると思われる。


 そしてふたつ目の動きは、ABAJ(日本古書籍商協会)が運営するサイトの「特選Web古書展 Vol.13」というページに、2017年(平成29)7月12日付けで、沙羅書房(神保町)が販売する『気砲記』の版本が掲載されたケースである。販売冊数は1、サイト画面には「絵入 14丁 版本は稀書」との説明が表示された。すでにSoldとなっているが、秦川堂書店の写本とは違い、しばらくのあいだ売れずにいたとのことだ。沙羅書房でも、今回までに『気砲記』が入荷したことはないそうで、「今後も入荷の可能性はほぼないのでは」との店主のご見解であった。大量入荷した古書の中にたまたま含まれていたという。沙羅書房も創業から50年以上を経ている実績のある老舗だ。


(「国友一貫斎文書」の中の版本より)

 現在も、ABAJのサイトには販売された実物のカラー写真が掲載されているが(金額は削除されている)、残念ながら買い手が誰だか分からず、その写真の使用許可が得られなかったので、まったく同じ構図を、私が所持している「国友一貫斎文書」のコピーから代用した。このケースのように、『気砲記』が市場に流通する機会は、杉浦三郎兵衛のような蒐集規模の大きい人物や歴史学者などの、大量の遺品が処分された場合ぐらいしかないのだろうが、当然それは、いつ起こるか予測不能でちょくちょく起こることでもない。そうした蔵書の中に『気砲記』が含まれていること自体も極めて稀であろうから、あまり今後の流通に期待の持てる話ではない。

 また、サイト画面に「版本は稀書」と表示されたが、これは写本よりも版本の方が少ないということだろうか。何しろ版本も写本もほぼ流通しておらず、国会図書館サーチ、カーリル、CiNii Booksなどの検索サイトで探しても、所蔵施設がほとんど見当たらない。極めて僅少の図書館や博物館などしか所蔵していないとみられるため、実際にどちらが多く現存しているかを計れるデータは乏しい。一貫斎の出身地の滋賀県ですら、公立図書館や大学図書館に所蔵されている情報はない。『気砲記』の序文には、「気砲ノ制ヲ聞伝エ来問フ人、日々門ニ満ツ…」とあり、そうした来客にいちいち対応する暇がないので『気砲記』を書いたとの旨が記され、『武江年表』に気砲に関する記事がみえることなどから、国産初の珍奇な空気銃として、江戸を中心に一定の話題を集めて、一貫斎のもとを多くの人が訪れたであろう様子は推測できる。その後、砲術家や好事家など、熱心に版本や写本を求める人も少なからずいたのかも知れない。しかし、版本が何部刷られたのか「国友一貫斎文書」にも記録されておらず、写本が量産されるくらい注目書籍になったと明言できる根拠も見当たらない。それに、『気砲記』はいわば気砲の使用説明書であって、製造方法が詳しく書かれた技術書でもない。どちらとも言えないが、私の知るかぎりでいえば、版本の方が現存数が少ないという印象はない。「版本は稀書」は、一般論として商売人が使いがちな常套句という要素も含めて、実情とは別の話と受け止めておいた方がよいのではないか。

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 上記の2冊はたて続けといえるほど近い時期に神保町に現れたが、特に関連性はなかったようだ。おそらく二度と起こらない稀有な出来事、と言っていいのではないか。値段は決して安くはなかった。ここに正確な金額は書けないが、ただ、「2冊とも普通のサラリーマンには入手不可能というほどの額ではなく、そして写本よりも版本の方がけっこう割高ではあった」とだけ書いておく。頁数の少ない地味な小冊子としてはなかなか高額だったと言っていいが、引く手あまたの古美術品とは異なり、マニアックな少数の研究家や蒐集家が求めるタイプの、比較的簡易な内容の書物なので、ほぼ流通しない稀書とはいえ、べらぼうな高額になる商品でもないということだろう。世間での一貫斎の知名度の低さも反映されていると思う。

 かく言う私自身、学生時代からかれこれ30年ほどの間、『気砲記』を入手できないものかと、たまに神保町へと足を運んだ際、足を棒にしながらあちこちの古書店を聞き歩いたりしたことも何回かあったのだが、見つからないどころか、ほとんどの店主や店員が『気砲記』を知らないし、国友一貫斎という人物さえ知られていないという悲しい現実にぶつかるばかりだった。折にふれてあれこれネット検索を試みてもヒットしなかった。江戸科学史の分野ではビッグネームの一貫斎だが、平賀源内の一般的な知名度とは比べようもなく、技術者であって著作物を残す人でもなかったので、古書の世界では知名度を得ないのが必然ではあろうが、それによって、『気砲記』はよほど古書市場に縁がないものという、あきらめに近いマイナスな印象が私の頭に固定されすぎていた。そのため、神保町に現れたこの2冊にすぐには気づかなかった。しかも、沙羅書房の版本は「しばらくのあいだ売れずにいた」というのだから、それをも入手できないという、およそ30年越しで愚昧な結果を引き寄せてしまったのだ。

 昔は一貫斎ファンとして、「ただ欲しい」という思いで探していたが、近年は、個人的に何度もお世話になった滋賀県長浜市の長浜城歴史博物館か、国友鉄砲の里資料館へ寄贈したいという思いに変わっている。どちらも一貫斎の出身地にあり、一貫斎の知名度アップも兼ねて研究に力を入れているにもかかわらず、レプリカや写真資料しか所有されていない。そして市や町が運営しているので、予算の関係もあって、どこかで運よく見つけても一般人のように即決で買えるわけではなく、現状、企画展などで実物の展示をしたい時には、国友一貫斎家のご子孫から版本をわざわざ借り受けなければならない。

 秦川堂書店の永森さんが、「こうした稀少本との出会いは、運と熱意ですよ」と、苦笑しながらも励ましてくださった。まさに、近くにあったふたつの運を熱意の低さが遠ざけてしまったのだ。以前から予約を頼んである古書店もあるものの、他人まかせの軽い意識ではダメということだろう。ただ、今まで値段の傾向すら分からなかった『気砲記』だが、今回の2冊によって、版本も写本も今のところ、平均的な一般人が入手困難なほど高額とはならないことが分かった。もはや博物館や大学図書館にしか存在しないのではと思うほどだったのが、そうではなく、今後も流通の可能性が無くはないのだと、極めてわずかだが現実味のある期待を持てるようにもなった。それだけでも収穫だった、…と負け惜しみを書いて終わりにしておく。今後、『気砲記』を探したい人の参考になれば幸いである。



 今回、『秦川堂書店 総合目録』からの写真の転用を永森さんからご了承いただき、写本を購入された方からも永森さんを介してご承諾を頂戴できた。感謝申し上げたい。ついでだが、『江戸科学古典叢書42』に複写されている版本は、砲術史研究家でコレクターとしても有名だった故・安斎実氏の旧蔵品である。安斎氏の蒐集品の数々が国立歴史民俗博物館に寄贈されたというから、『気砲記』もそこに入っているのかも知れない。

(2019年5月5日・記)




            
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