雷は怖くない


雷は怖くない



きまぐれ睡龍・筆


 小学6年の頃だったと思う。ある夏の日、私は母と一緒に街を歩いていた。途中、激しい雷雨に見舞われ、しばし喫茶店での雨宿りを余儀なくされたのだが、やがて雷雲は遠ざかり、雨はやみ、空の半分ちかくが青空となって、陽射しも見えはじめ、遠くでかすかに雷鳴がとどろく程度になった。

 通行人が道に増え、もう傘をさす人もなく、私と母も外に出て歩き始めた時だった。私たちが歩いていた近くの建物だろうか電柱だろうか、まったく予想外とも言うべき雷が一発、全身を貫くような轟音を響かせて落ちたのだ。

 通行人たちは、悲鳴をあげる人あり、うずくまる人あり、反射的にそばの建物の陰に隠れようとする人あり、茫然とたたずむ人ありで、皆がそれぞれ度肝を抜かれた様子を見せる中、同様に放心状態だった私の目に見えたのは、ただひとり何事もなかったかのように背筋を伸ばして悠然と歩いて行く母のうしろ姿だった。

 のちにその雷の日のことを思い出した時、母に聞いてみた。なぜ平然と歩いていられたのか、と。雷が怖くてしかたがなかった子供時代の私には、母の悠然たる姿が別世界の人間のように見えたのだった。

 母の言い分はおおむね次のようなものだった。「落ちた雷はもういない」、そして「2発目は落ちてこない」、ということだ。つまり、雷は「落ちた」と思った瞬間にはもうどこかへ消えてしまっている。すでに消えて無くなっているものを怖がる必要はない。そして、雷は同じ場所にたて続けに2発落ちてくることはほとんどなく、ましてや、あの日の落雷は半分晴れ間が広がって雷鳴が彼方へ遠のいた時に落ちて来た。それ自体がごくまれな事であって、そんなまれな雷の2発目が落ちてくる確率、しかも同じ場所に落ちてくる確率はゼロといっていい。したがってこれも怖がる必要はない。

 落ちた雷はもういない、2発目は落ちてこない、そうした状況下で、悲鳴をあげたりうずくまったり、建物に隠れようとしたりと、そんなことをしてもしょうがない、という論法だった。

 いかなる時も人にうろたえた姿を見せない、ましてや息子に対してはなおさら、という母のプライドと教育意識も含まれていただろう。とにかく、母のその時の説明は、私にひとつの小さな目を開かせた。「雷は怖くない」と。それは何も雷だけのことではない。同じ論法になぞらえて考えれば、怖がる必要、うろたえる必要のない物事がいろいろと見えてくるのである。

 その頃を境に、私は布団の中に避難したいほど怖かった雷がだんだん怖くなくなってしまい、雷雨が来ると、窓に張り付いて雷の落ちる様やその轟音を楽しむちょっとした雷マニアになってしまった。今でも、会社での勤務中に雷雨が来ると、仕事をとめて見物に行きたい気持ちをひそかに抑えながら、母の悠然としたうしろ姿が目に浮かんでくる。

 うろたえた姿を見せない…、それは、母のプライド、理性や理論、教育意識、見栄や強がり、自己満足、優雅、美意識、きっといろいろなものの結晶化したものであったのだろう。そしてその心意気は母の生涯にわたって貫かれていた。母のそうした姿や言葉に接しながら育った私はそうした影響を多分に受けた。

 しかし、母が人生を終える際、長年の病がいよいよその命を奪わんとした時、その堪えがたい苦しみに、母の心の中に強固にそびえていた結晶は崩れ、死への最期の昏睡に入るまでの数分間、母は少女のように弱々しい悲鳴をあげながら身をよじり続けた。雷鳴にまったく動じずに悠然と歩いたときの姿はなくなっていた。

 うぶ声を上げながらこの世に生をうけ、苦痛に悲鳴を上げながらこの世を去る。しかたのない運命ではあろう。母は生前に、「私は死ぬ間際に、心が錯乱してみっともない姿を見せたり口走ったりしないかと、そのことは怖いと思う」と言ったことがある。母にとってはそれが、雷はおろか、死よりも怖いことだったのかも知れない。

 私の知る限り、うろたえる姿、おびえる姿、なさけない姿、そうしたマイナスな姿を一切見せたことのなかった母。それが死の昏睡に入るまでの数分間に見せた悲鳴と苦痛に悶える姿。しかしそれは、私の目にみっともない姿にはまったく映らなかった。むしろ、残り数分までの人生に見事に金色の結晶を維持し続けた、と、ある種の晴れやかな印象を私の心に残しているのだ。

 「雷は怖くない」、それは、雷ごときにうろたえる姿を誰にも見せるべきではないし、怖がる理由もないのだ、という威厳と冷静さを自分の中に求め続けた母の心根を、私に示した言葉だったように思う。私もそんな母と同様、残り数分までのギリギリの戦いに挑んでいくつもりでいる。母の悠然たる姿が私の記憶から消えてしまわない限りは、出来そうな気がするのである。肉体や肉声としての母は去ってしまったが、精神は私の中に染み込み、生き続けている。

 以上、まもなく母の一周忌を迎えるにあたって、覚え書きとしてここに記しておく。



(2001年10月初旬・記)




             
前頁へ戻る