国友一貫斎翁碑前祭 【2011年冬】



国友一貫斎翁碑前祭

(2011年 例祭)




――文・Photo. きまぐれ睡龍――


 国友町では、一貫斎の命日である12月3日に合わせて、毎年直近の休日に「国友一貫斎翁碑前祭」という、一貫斎の業績を讃え、その人物を偲ぶ例祭が行なわれている。昭和17年に顕彰碑が建てられて以降、始まった行事だと聞く。地元では碑前祭(ひぜんさい)と略称されているらしい。
 私はこの冬、国友一貫斎文書の調査のために長浜を訪れることとなり、例祭を見学させて欲しい旨を国友鉄砲の里資料館の館長さんにお伝えし、館長さんのお取り計らいにより、12月4日に行なわれたこの例祭に特別に参加させていただいた。

  
(国友町会館と敷地内の石碑)

 国友町会館は、国友鉄砲の里資料館や一貫斎旧宅からほど近いところにある。庭の奥まった位置に一貫斎顕彰碑が高くそびえ、池には司馬遼太郎著『街道をゆく』の一節を彫った石碑が置かれている。

  
(会館の入り口と一貫斎顕彰碑)

 例会には、国友家のご子孫を含め、代議士、警察官、婦人会代表、長浜城歴史博物館職員、鉄砲の里資料館館長、地元の子供たちなどが参加し、一貫斎顕彰碑の前で午前11時から始まった。
 途中、いささか通り雨に見舞われたが、僧侶による読経と参列者による焼香がとどこおりなく進められた。私も誘われるままに焼香に参加させていただいた。

  
(参列する人たち。右は会館内での廣瀬一實さんによる講演会)

 仏事が終了すると、会館内で、国友鉄砲研究会および「国友一貫斎」科学技術研究会のそれぞれの会長を勤めておられる廣瀬一實さんが、「試し撃ちの証」と題する講演会を行なった。

  
(講演会で配布された資料。右は試し撃ちの的が描かれた銃床の写真)

 同氏のお話によれば、平成22年に入手した1挺の鉄砲の銃床内側に「的(まと)」が描かれているのを見つけたという。かなり稀なものらしい。鉄砲の作者自身が出来上がった時に試し撃ちをし、その結果を書き込んだのではないかというご見解だった。

 私が参加させていただいたのは講演会までだった。講演会のあとは、別室で昼食を兼ねた懇親会が行なわれ、例祭は終了となったようである。地元の人たちにとって一貫斎が特別な存在になっていることを、あらためて感じさせられるひと時だった。良い経験をさせていただいた。


 


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