国友一貫斎に関する文芸書


国友一貫斎に関する文芸書






―― 玉兎の望 〈ぎょくとののぞみ〉 ――

 仁志耕一郎(にし・こういちろう)さんの作。国友一貫斎を主人公とする長編小説で、2012年11月8日に講談社より刊行された。講談社が主催している「小説現代長編新人賞」で第7回大賞を獲得した出世作である。
 戦国期に国内の主要な鉄砲生産地となった近江の国友村は、その後、戦のない天下泰平の江戸の世において、需要の低下と、村を支配する年寄四家の怠惰と搾取により、長年にわたる深刻な貧困に苛まれ、そして幕府から通達されるかも知れない鉄砲の発注停止に怯えつづけていた。その国友村に生を享け、優れた技術をもつ鉄砲鍛冶となった国友藤兵衛(一貫斎)が、一本気な志を貫いて怠惰と疲弊からの脱却に挑んでいく。貧しさから祇園に身売りされてしまった初恋の人“サヨ”への想いを胸に、村の存続と己が命を賭した勝負に出るため江戸へ向かい、さらに畳みかけてくる苦難をきっかけに、藤兵衛の瞳は琵琶湖湖北の僻村から時代の先へと向けられていった。満月の光がつなぐ藤兵衛とサヨの心。そして多くの人たちとの出会いと支えによって、職人の魂に新たな火がついた藤兵衛の進む先には、どのような展開が待ち受けているのか。
 蘭学の花開く江戸時代後期の科学界に特異な光彩を放った実在の職人・国友藤兵衛一貫斎の息づかいが、仁志さんの巧みな構成と文章力により、清新な物語となって平成の世によみがえった。小説家を目指しつづけた仁志さんが、13年にわたる日蔭の苦節を積み重ねた末に、渾身の力をもって、藤兵衛の熱き戦いとひたむきな恋を描き上げた労作である。念入りな調査と時代考証にもとづき、藤兵衛の足跡の多くを知ることができる一書にもなっている。

●仁志耕一郎さん―― 
 1955年1月、富山県生まれ。愛妻家にして愛犬家。東京造形大学卒業後、広告制作会社や広告代理店に勤務し、大きな賞の受賞歴も。会社を立ち上げて独立し、アートディレクター・CMプランナーとして活動したが、その後解散。小説家への夢を追って執筆に専念する日々へ。
 ミステリー・恋愛・ファンタジーなどを書いて数々の文学賞に応募したものの、落選の連続。時代小説に切り替えてから3年ほどの2012年、講談社の「第7回 小説現代長編新人賞」の選考において、『玉兎の望』が応募総数914編の中から大賞を受賞し、同年7月発売の「小説現代 8」で受賞が発表されてメジャーデビューが決定。その後すぐに、同氏の著作『無名の虎』が「第4回 朝日時代小説大賞」をも獲得。たて続けのダブル受賞を果たして、この年一気に文壇へ駆け上がった。受賞後は山梨県に居を構えて執筆に専念。
 翌2013年5月、『無名の虎』と『玉兎の望』で「第2回 歴史時代作家クラブ賞新人賞」を受賞。その後も、精力的に執筆活動を続けている。

〔おもな著作〕
   『無名の虎』(朝日新聞出版・2012年11月)
   『玉兎の望』(講談社・2012年11月)
   『玉繭の道』(朝日新聞出版・2013年10月)
   『とんぼさま』(幻冬舎・2014年5月)
   『松姫はゆく』(角川春樹事務所・2014年7月)
   『家康の遺言』(講談社・2015年3月)
   『按 針』(早川書房・2020年4月)





―― 夢をまことに ――

 山本兼一(やまもと・けんいち)さんの作。2015年2月15日に文藝春秋より刊行。国友一貫斎を主人公とし、2012年7月から翌年6月まで、341話にわたって新潟日報・山形新聞・京都新聞・長崎新聞などの地方紙に連載されていた。
 生前、自作の絵の中の鷹が本物の鷹になって飛び立っていく夢を見た一貫斎は、そのさまを絵師に描かせた。それが彼の唯一の肖像画として残されている「夢鷹(ゆめたか)図」であり、この小説のモチーフだ。すべての事物には必ず理があり、それを窮めればいつか人は空だって飛べるようになる。夢は必ずまことになるのだと確信し、何十回もの失敗をくり返しながら夢を一つひとつ実現していく不撓不屈の鉄砲鍛冶。そんな彼は訴訟に巻き込まれ、はからずも江戸に出たが、彼にとってそれは嬉しいチャンス。近江国友では会うことのできない多くの優れた職人を江戸各地に訪ね、重厚な技と人柄に触れて自分の腕と心を磨いていく。その知識欲と実験欲は片時も止まることがなく、思い立ったら行動は迅速。仕事とは生きる楽しみであり、世に役立つものを作ること。そうした彼の姿には、ヨーロッパの発明品の単なる模倣に留まらない日本のモノづくりの精神が溢れている。造り方のまったく分からない反射望遠鏡づくりに、日本で初めて挑んだ一貫斎。「――夢には、人を興奮させる力がある」。日本のダ・ヴィンチ、または近代天文学の先覚者とも称される一貫斎の職人魂が、直木賞作家・山本兼一さんによって鮮やかに描き出された。
 山本さんは何回も国友町を訪れて古文書を渉猟し、入念な時代考証に取り組んだ。火縄銃の研究・修復家で望遠鏡のレプリカ製作も手がけた同町の廣瀬一實さんからは、望遠鏡の製作手順や火縄銃の扱い方の指導などを細かく受けたという。2014年のご逝去により、この作品が山本さんの最後の長編小説となった。

●山本兼一さん―― 
 1956年7月23日、京都市生まれ。芭蕉研究の国文学者・山本唯一氏の長男。同志社大学文学部文化学科美学および芸術学専攻。卒業後、出版社勤務などを経て30歳でフリーランスのライターとなる。最初は現代物の作品を書いていた。新人賞に応募し続けるも30代のあいだは成果が出ず、1999年、『弾正の鷹』で「小説NON創刊150号記念短編時代小説賞」の佳作を受賞。2002年の『戦国秘録 白鷹伝』で作家デビューした。
 2004年の『火天の城』で第11回松本清張賞を受賞。同作は第132回直木賞の候補となり、田中光敏監督・西田敏行主演で映画化された。2008年には『千両花嫁 とびきり屋見立て帖』が第139回直木賞候補に。同年の『利休にたずねよ』は2006年から『歴史街道』(月刊誌・PHP研究所)に連載された作品で、第140回直木賞を受賞。同作は後に田中光敏監督・市川海老蔵主演で映画化された。そのほか、数々の作品が著名な賞の候補になるなど高く評価され、時代小説家として確固たる位置を得ていった。時代考証が緻密で、職人を描いた作品の優秀さに定評がある。
 2012年10月に肺腺癌で入院。闘病しながら執筆を続けていたが、翌年12月に容態が悪化、2014年2月13日、原発性左上葉肺腺癌により京都市内の病院で死去。享年57歳。2014年中に刊行予定であった『夢をまことに』は翌年の発刊となった。同作に続く「中央公論」の連載小説『平安楽土』は未完に終わり、最後の原稿を編集者に送付したのは死去の前日、亡くなるわずか5時間半前であったという。

〔おもな著作〕
   『戦国秘録 白鷹伝』(祥伝社・2002年4月)
   『火天の城』(文藝春秋・2004年6月)
   『雷神の筒』(集英社・2006年11月)
   『いっしん虎徹』(文藝春秋・2007年4月)
   『弾正の鷹』(祥伝社・2007年7月)
   『千両花嫁 とびきり屋見立て帖』(文藝春秋・2008年5月)
   『狂い咲き正宗 刀剣商ちょうじ屋光三郎』(講談社・2008年8月)
   『利休にたずねよ』(PHP研究所・2008年11月)
   『ジパング島発見記』(集英社・2009年7月)
   『ええもんひとつ とびきり屋見立て帖』(文藝春秋・2010年6月)
   『命もいらず名もいらず』(上・下篇 NHK出版・2010年3月)
   『銀の島』(朝日新聞出版・2011年6月)
   『神変 役小角絵巻』(中央公論新社・2011年7月)
   『黄金の太刀 刀剣商ちょうじ屋光三郎』(2011年9月)
   『赤絵そうめん とびきり屋見立て帖』(文藝春秋・2011年11月)
   『おれは清麿』(祥伝社・2012年3月)
   『信長死すべし』(角川書店・2012年6月)
   『まりしてん〓千代姫』(PHP研究所・2012年11月)
   『利休の風景』(淡交社・2012年12月)
   『花鳥の夢』(文藝春秋・2013年4月)
   『利休の茶杓 とびきり屋見立て帖』(文藝春秋・2014年5月)
   『修羅走る関ヶ原』(集英社・2014年7月)
   『心中しぐれ吉原』(角川春樹事務所・2014年10月)
   『夢をまことに』(文藝春秋・2015年2月)





―― 小説 国友藤兵衛 ――

 国友美丸(くにとも・よしまる)さんの作。1986年3月1日に国友書店から「ふるさと文化叢書 1」として刊行された。国友一貫斎を主人公とする長編小説で、1983年1月から10月まで滋賀タイムス(新聞)に連載された。砲術史家・有馬成甫の『一貫斎国友藤兵衛伝』をおもなベースとして書き上げたという。
 平和が続く江戸時代、幕府からの鉄砲の注文が減少して国友村の鉄砲職人たちは長年の貧困にあえいでいた。生活苦から村を離れていく人々もいる。それとは対照的に、職人たちからの搾取で贅沢な暮らしに浸っている支配者の年寄四家。その怠惰と驕りを打ち砕くため、一貫斎と彦根藩が協力して秘密裏に策略を進めはじめる。日本各地で多発する外国船の侵入事件を背景に、一貫斎は村の慣例を破り、年寄四家を介さずに個人で彦根藩から大筒製造の注文を受けることとなった。既得権を失って狼狽する年寄たち。外国船の大砲に対抗できる大筒の製造に挑みつつ、年寄四家の支配から脱して村の再建を目指す一貫斎と支援者たち。一貫斎に差し向けられる刺客の影、そして江戸への旅立ち。策略が功を奏して国友村に新たな道が開かれる日は来るのか…。
 発行からすでに長年月を経ているこの小説は、今や入手しにくい稀少本になっている。多くの場面がフィクションで構成されているが、国友鉄砲研究会の一員でもある著者の豊富な知識がちりばめられ、一貫斎たちを取り巻く江戸当時の情景と鍛冶職人の心意気が描かれた労作である。

●国友美丸さん――
 1941年、滋賀県長浜市国友町生まれ。国学院大学文学部文学科を卒業。家業である鉄砲・火薬の販売業を営むかたわら、地元の神照スポーツ少年団野球部監督、ながはま21市民会議事務局、長浜花火協賛会などで役職を務め、長浜市議会議員となって市政に従事。のちに長浜東ロータリークラブの会長に就任するなど、長年にわたって長浜市の発展に尽力し、とりわけ市内のスポーツ少年団の育成には多くの努力を費やしたという。






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