阿鼻機流大鳥秘術(国友一貫斎)


阿鼻機流大鳥秘術の追加史料



きまぐれ睡龍・筆


 2020年3月27日、滋賀県長浜市が、国友一貫斎に関する新発見の古文書の情報を公表した。これは、長浜市が2019年から国友一貫斎文書(市指定文化財)の再調査を行ない、一貫斎の生家に197点の未研究史料が眠っているのを新たに確認したものだが、この中に、「阿鼻機流大鳥秘術」という名で従来知られている飛行機の図版の、さらに詳しい内容が記された追加史料が含まれていることが分かった。


(従来知られていた図版1点)

 江戸時代に日本人が描いた飛行機の設計図は、知られている限り、これが唯一にして国内最古である。同じ江戸期の、一貫斎よりさかのぼる時期に、岡山県の浮田幸吉が竹や紙で翼を作って滑空したという伝承があるが、真偽は不明で、図版なども存在しない。「阿鼻機流」の読み方は、一説には、小鳥を意味するラテン語“avicula”が語源であろうとされている。「あびきりゅう」ではなく、「アヴィキル大鳥秘術」と読めばいいのだろうか。

 今回発見された史料は1冊に綴じられており、和紙で縦24.3センチ、横16.8センチ、5丁10頁の小冊子である。従来の図は全体像のみが1点だけ描かれた史料であったため、機体の詳細などはほとんど分かっていなかったのだが、今回の冊子には多くの情報が着色図版入りで書き込まれており、それによれば、機体の本体は全長およそ5〜6メートル、鳥型で、胴体の側面に翼を取り付け、その翼長はおよそ12〜13メートル、ヒノキ材を薄く削って仕立てたフレームになめし皮を張って胴体と翼とし、後部には平板な尾翼を付ける、といったものである。操縦席に人が乗って翼を羽ばたかせる人力飛行機の具体的な構想を、一貫斎が熱心に練っていたことが、この史料の発見によって明確になったと言っていいだろう。



 
(新発見の史料。機体の本体と翼などの構造説明図)

 この図に示されている機体の構造には、翼の断面図に揚力を生み出すための技法がみられるものの、現代の航空力学理論とはかけ離れている部分が多いため、このまま造っても実際に空を飛ぶことはできないが、図面があるということは、実験を目指していた(あるいは実験を行なった?)ということであり、その失敗から飛ばない理由を追究して、さらに実験と研究を進めて実現へつなげていこうとする、そのスタートを切るための設計図であったとみていい。現代人からすれば稚拙な構造に見えるこれらの図だが、飛行機の概念や製法が知られていなかった時代においては、決して滑稽な発想や試みではなく、発明家としての大真面目な心意気と思考が表現されているのだ。こうした取り組みが発端になって広がりをもてば、その国独自の飛行技術が開発されていく可能性がふくらむということである。

 製造目的は何であったか。当時の日本近海で発生していた外国船の侵入事件を背景とした軍事的な理由だったのか、天体観測に強い情熱を持っていた彼が太陽や月に近づきたいという意欲に駆られていたのか、欧米ではすでに気球で人が空を飛んでいるという情報を知り、それに触発されて自分も試みたいと考えたのか…。意図は分からないが、いずれにせよ、実現に至らなかったとはいえ、日本の航空史上においてこの冊子は貴重な史料であり、世界の航空技術史に照らしてもひとつの特異な痕跡といっていいだろう。当時の職人たちとは異なり、図版や文面を残すという一貫斎の“記録魔”的な特性が、あらためて感じられた発見でもある。なお、弟の国友源重郎(源右衛門)家の所蔵史料には、未解読の古文書が多量にあるという。今後、解読が進めば、新たな事実が判明していくかも知れない。



 (※写真は、毎日新聞や滋賀夕刊などの電子版から引用)



            
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