AV女優という職業


AV女優という職業



きまぐれ睡龍・筆


 ほとんどの男性は、特に思春期や若い頃、アダルトビデオ、ヌード雑誌、そしてピンクサロン等にしばしば心と体を奪われることだろう。恋人との付き合いや妻との性生活だけでは、性欲を押し留めていられない男性も少なくはない。男性のそうした節操のない生理は、女性たちにはなかなか理解しがたく、許し難いことでもあるのだろう。AVもピンクサロンもOKという寛容(?)な女性はなかなかいないだろうし、男性の性癖が男女間のトラブルの大きな原因のひとつにもなっているのだが、どこの国にもセックス産業は古くから存在し、道徳・倫理との衝突や、病気の伝染とその防衛など、さまざまな問題をはらみながら需要と供給の関係が絶えることなく続いているのが実情である。人類史上初の専門職は売春だったなどという奇説も、うなづけそうな気がしないでもない。

 ここでセックス産業の存在の是非について書くわけではない。是非を問うたところで、そうした産業は消えるものではなく、消えるべきものなのかどうかも私には分からない。表現の自由とのからみもあるだろう。ただ、最近、知人から聞いたあるエピソードについて一筆しておこうと思ったのである。それは、知人と面識のある地方在住のある男性の娘(成人だという)が、東京でアダルトビデオに出演していることが発覚し、その男性は激怒して即刻それをやめさせ、娘を実家へ強制送還させた、という話だ。知人は男性本人から聞いたのではないらしく、又聞きなので私には実話なのかどうか分からないし、詮索もしないが、メイクをしているとはいえほとんどのAV女優たちは顔を晒して出演しているのだから、知人や家族にバレて騒ぎになることはあり得る話だ。テレビのドキュメンタリーなどで類似のエピソードに接することもたまにはある。

 おそらくその男性の反応や行動は、誰から見てもごく当たり前のものだったと言えるのだろう。世間には約1万人のAV女優がいるというし、そこには、その数に相当する親たちの激高や苦悩、そして場合によっては親子の断絶という悲劇も隠れているのかも知れない。それ以外にも、ヌード雑誌、ピンクサロン等で働く女性たちも含めれば、家族や親類たちの葛藤の数もそれ相応のものであることは想像にかたくない。しかしそこには、娘のそうした“職業”に激怒する父親の姿と、若かりし時期、あるいは現在進行形でAVなどに“お世話になっている”その人の姿との矛盾も容易に想像できてしまうのだ。

 倫理や道徳、街の風紀、病気の伝染、暴力団との関連性、あるいは表現の自由や、性犯罪の助長や抑止論なども含めて、さまざまな問題と背中合わせながらも、セックス産業が“職業”として存立している事実は消せないし、その産業規模も大きい。そうした環境内で、おそらくほとんどの男性たちは、多かれ少なかれその産業から恩恵を受けている。そこで、自分の娘がAV女優をしていることに、どういった正当性をもって腹を立て、強制的にその職業を辞めさせることができるのだろうか。他人の娘の出演作なら喜んで観るけれど、自分の娘のは人に一切観られたくないし、もちろん自分も観ないし、世間体も悪い…、それはごく自然な反応のようではあるが、身勝手といえばかなり身勝手でもある。自分が今までAV界から多くの恩恵を受けたのだから、わが娘も世の多くの男性たちに恩恵をほどこせばいい、という気持ちにはなれないのが普通なのだろうが、矛盾は避けられない。

 こうした矛盾は女性には関係がないかというと、そうはいかない。女性に息子がいる場合、たいがいの子は思春期から以降、母親の知らない所でそうしたものに触れ始め、それを食い止める方法はほとんど無い。息子の部屋でAVやエロ本を見つけて叱り飛ばしたところで、息子は羞恥心と劣等感に浸りながら母親と距離を置き、地下にもぐってしまう。自室には置かず、友だちの家に行って観るようになるのだ。イケメンでモテる息子なら、複数の女の子たちとの交際によってエロ本やAVに依存せずに済む可能性もあるのかも知れないが、モテない息子はどうするのか。彼女もできず、エロ本などのグッズに依存しなければならない息子を救ってやる手段など、母親にはほぼないのだ。哲学も宗教も、文学もスポーツも、容易に解熱剤にはなってくれない。必然的に、母親もセックス産業の存在感と無関係ではいられなくなる。そもそも、母親の父は若い頃にどうだったのか、祖父はどうだったのか、そして夫はどうだったのか、そのような矛盾の連環がなければ自分も息子もこの世に生を享けなかったのだとしたら…。事の是非をどう見るかはともかく、そうした省察は避けられまい。

 近頃では、女性向けを意識したAVも製作・発売され、購入する女性も増えつつあるという。男性向けのものほどハードな内容ではないと聞くが、女性たちにも性欲はあり、男性主導の社会から解放されれば女性からの需要も増えてくることは不思議ではない。濃厚な濡れ場の多いテレビドラマが主婦層から高い支持を受けるような現状もあるし、いわゆる「大人のおもちゃ」を買ってひそかに、あるいは夫や彼氏と一緒に使って楽しむ女性も少なくはあるまい。そうであれば、わが娘がそうした産業の制作側に従事する道を選ぶことを、女性たちも簡単に否定、または阻止できるものではないように思われる。矛盾の傍観者でいられる女性も、実のところなかなかいない。

 私には娘がいないが、自分の娘、あるいは親類の娘が、AV女優、ヌード雑誌のモデル、ピンクサロンのホステス、あるいはそうした制作サイドの一員や経営者としての職業を選んだ場合、それを否定する資格が自分にあるのか、嫌悪感をいだく事さえも矛盾を招いてしまうのではないか、と疑問に思っている。それらが職業として成立している以上、職業選択の自由は阻害できない。たとえ娘でも一個の人間、そもそも親の所有物ではないのだ。世間体の問題もあるのだろうが、世間がそうした職業の存在を事実上容認しているのだから、世間体の方が意味不明だとも言える。それに、AV界に身を置く娘たちがなぜその職業に携わることになったのか、その個々の理由も無視はできない。セックスを芸術として捉える人にとっては理想を追いかけるひとつの手段にもなり得るのだろうし、貧困から抜け出すためにその道に入る人たちも少なくないのではないか。理由は様々だ。歴史上には文学や芸術に優れ、偉人として名を残した遊女たちもいる。医師や弁護士のように優等生的イメージのある職業でも、それに携わる人間の質によっては低俗な仕事にもなるのだから、職種に安直な優劣はつけられないのだ。AV界に働く女性たちへの頭ごなしの批判や蔑視は、偏狭で身勝手な行為になりかねない。

 セックス産業を野放図に増長させれば、世間の倫理観や精神環境を低劣化させてしまう側面もあるのだろう。それを抑止するため、セックス産業に批判的なスタンスも求められるし、さまざまな法律も整備されているのだが、野放図な増長が危険なのは公務員や銀行員の仕事でも同じことだ。政治家という職業はその最たるもので、野放図をゆるせば多大な危険を世間にバラまくことになる。こうした職種の人びとを監視・抑制する法律や規則が網の目のように細かく張りめぐらされているのを見れば、いかに低劣に堕ちやすい側面を持っているかが一目瞭然であろう。道徳や倫理を語るうえでAV女優のような仕事が批判のやり玉に挙がりやすいとすれば、その理由は、背後に特定の職業を低く見る差別的な意識が横たわっているからなのではないか。しかし人間社会は理屈ばかりで成り立ってはおらず、やはり多くの父親は、娘を実家に強制送還させることになるのだろう。身勝手ではあるが、利己主義の集大成が社会構造そのものだと考えれば、身勝手もまた理屈のひとつであるのかも知れない。


 昔、私が大学生の時分だったか、母が一度、「職業は何を選んでもいいけれど、性産業には手を染めるな」というような趣旨のことを私に言った。兄にも言ったらしい。私はうなずいたものの、性欲と理性のもどかしい葛藤に囚われていた私はひそかに心が痛んだ。母との間に、永久に埋められない心の隔たり、性別の隔壁のようなものを感じたのだ。母は当時、そしてその後も、日活ロマンポルノやAV出身の芸能人を否定的に見たりはしていなかったし、思春期にもなれば、男の子はそうしたものに接して大人になっていくものだと率直に捉えていた人だった。世間体をあまり気にしないタイプの理論派でもあったのだが、それでも、自分の子供たちにはそうした道に入って欲しくない、というのが本音だったのだろう。母が自身の矛盾をどこまで見すえた上でそうした発言をしたのかは分からない。個人的な美意識、理屈抜きの思いだったのかも知れない。

 公序良俗に反する職業というようなイメージは、いつの時代にもセックス産業につきまとうのだろう。しかし、いくら道徳や倫理を振りかざしても、世間はそれらの職業の存在を排除できなかったし、たぶん今後もできまい。AV出演の娘に激怒して実家に連れ戻した男性は、それ以後、わだかまり無しにAVを観たり、ヌードグラビアを見たりできるのか。若かりし時期にそうしたものに数々触れていたとすれば、自分の過去とどう向き合うのか。レンタルビデオ店でAVを借りていく人たちの姿を、そしてそこに友人や職場の同僚たちの姿を重ねて見たときに、どういう目でその人たちを見ることになっていくのか…。自分の娘だけではない、セックス産業に従事する他の女性たちだって、みんな「人の子」であり、それぞれの家族、それぞれの人生があるのだ。それはおそらく、AVを観て楽しんでいるすべての人たちには初めから分かっているはずなのだが、たいがいの人は四六時中、人の立場や痛みなど感じ続けてはいられない。男は(女性もかも知れないが)そういうことに対してかなりの不感症なのだ。AV女優たちも人生いろいろなはずだが、観る側からすればしょせんは「他人の子」、なかなかわが身に置き換えて考えたり、痛みを感じられるものではないというのが現実なのだ。

 人はそれぞれ事情があるだろうから、実家に娘を強制送還した男性の行動が正しかったとも間違いだったとも断定的には言えないが、矛盾のある行動だとの印象は消えない。私が父親ならどう対応するだろうか。本人からいろいろと説明は受けるにせよ、違法性の有無はもちろん、何らかの悪事にからんでいたり、誰かから無理やりさせられているなどの問題がなく、自らの意志でやっているのであれば、たぶん強制送還には至らないだろうと思う。AV女優は世に認められている“職業”であり、侮蔑や否定の対象だとは思えないからだ。親戚たちが苦情を言ってきても、それを押さえ込む側にまわるのかも知れない。


 ――ついでのことだが、この小論を書いている最中に、某テレビ局のアナウンサー試験をクリアして就職の内定を受けていた女性が、過去に銀座のクラブでホステスのアルバイト経験があったことが局側に分かって内定を取り消され、それを不当として女性が裁判を起こしたというニュースをネットで知った。女子アナの経歴としては「清廉性に欠ける」というのが取り消しの理由だと伝えられているようだが、そうだとすれば、あまりにも差別的で時代錯誤な話であり、たしかに不当だと思う。清廉性とはいったい何ぞや? 銀座で働く女性たちは皆けがれているとでも言うのか? 美人ばかりしかアナウンサーに採用してこなかった局の動機は清廉だったと言えるのか? …今後、同局の関係者はどういう顔で銀座のクラブへ遊びに行くのだろうかと首をかしげるが、では、バイトでAV女優をやっていたというケースがもし発生したらどうか。それでも内定取り消しは不当だと思う。アナウンサーとしての優れた素質があり、本人に志があるのならば、さまざまな批判から守り、それを糧にさせながら技術と教養の高い立派なプロに育ててやればいい。それでも世間からの批判や揶揄が消えないとすれば、それは、世間の方が清廉性に欠けるということだろう。


(2014年11月・記)




             
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