ここ2、3年、N.H.K.でも民放でも、やたら「城」番組が大流行だったように思います。
 私も「城大好き人間」ですから、DVDに録画して、城歩きの参考にしています。
 最近では、松本城、名古屋城、岡崎城、犬山城、松山城、彦根城、長浜城、小田原城など、
など、結構たくさんの城歩きをしたことを思い出しました。
 然しながら、テレビ番組に触発されて、平成20年に130年振りに復元された、熊本城の本
丸御殿を、是非一目見たくなり、今回2度目の熊本行きを果たすことにしました。



 熊本駅から市電を利用、道一本入ると迎えてくれるのが、この加藤清正像と熊本城の石碑です。熊本県人の多くが、いまだに「清正公」を「せいしょこさん」の愛称で呼んでいます。
 
 熊本城の一番の特徴は、石垣と石積みの見事さ、と言われますが、この塀は、長さ252bある、国指定重要文化財の「長塀」です。
 
 入り口を抜けて少し進んだ、竹の丸から目に飛び込む、威風堂々、七重、八重の石垣越しに望む「五重天守」。この威容、惚れ惚れします。
 
 左は、加藤清正が長期籠城を考慮して、城内に120個掘ったとされる井戸の跡のひとつ。右は、敵の行く手を欺く、みごとな石垣と段差をつけた階段
 
 昭和2年に解体修理されたものの、1,607年に築城された当時の佇まいを残す、「宇土櫓」です。関ヶ原の戦いで滅んだ、小西行長の居城「宇土城」の天守閣を移築したと伝えられる。
 
 左は 頂上の小天守、大天守に通じる通路の石垣、右は、加藤清正が自らお手植えしたと伝えられる大いちょうの木。この故に、熊本城は別名「銀杏城」と呼ばれることもあるとか。
 
 熊本城のシンボル、五重天守と小天守。明治10年、西南戦争直前に原因不明の火災で焼失したが、昭和35年に復元された。
 
 やっと本丸御殿に到着しました。人がいなくなるのを辛抱強く待って撮った、御殿の全景です。
 
 
 加藤清正が、いざという時に、豊臣秀頼を匿う意図を以ってデザインしたと伝えられている「昭君之間」です。この辺のいきさつは省略しますが、こんな所に閉じ込められたら、とても落ち着かないだろうと思いました。確かに、荘厳にして絢爛豪華ではあるのですが・・・
 テレビでは、紹介されましたが、フラッシュなしとは言え、撮影出来るとは思いませんでした。
 
 この2枚の写真は、加藤清正の重臣、飯田覚兵衛が管理していたと言われる、飯田丸五階櫓。5階建ての櫓ですが、3階までしか行けませんでした。係員の説明では、最近の事故の為とか。 
 
 念願叶って熊本城を、昼食も忘れて、じっくり見て歩きました。これは、多分ここには二度と来られないであろう、私にとって、最後になるに違いない「見返りの城」です。 



 熊本旅行を、阿蘇と熊本城の2回に分けて掲載しました。万歩計での徒歩数は、阿蘇13千歩、熊本城は11千歩程度でした。朝夕温泉につかり、少しは運動になったかと思ったのですが、期待に反して、体重は全然減りませんでした。
 近いうちに、「姫路城」と「大阪城」に行きたいと思っています。



トップページへ  木村 堯のページへ