東京の都心には、多くの河川が流れています。それが人工的なものであれ、原始の頃から人類の住まいは、水を必要としましたから、これは当然のことです。
 昭和39年の東京オリンピックの頃まで、これらの河川が、汚れに汚れて、多くは悪臭を放っていたことは、皆さん良くご存知の通りです。この東京オリンピックを機に、これらの河川を利用して、首都高速などの道路が完成した訳です。やむを得ない諸々の事情があったことは理解しますが、私としては、せめて、日本5街道出発地点の「日本橋」は、もう少し景観上の配慮があってしかるべきではなかったかと、未だに思っています。
 
それは兎も角、最近になって、これらの河川はやっと浄化されたようで、各旅行社がクルーズを催行しており、東京の田舎っぺを自認する私も、興味を以って参加してみました。
 集合場所は、この日本橋の真下、「日本橋船着場」でした。
 

このクルーズの、日本橋川、神田川の源泉は、井の頭公園です。ここをスタートしていくつかの橋をご紹介しますが、神田川だけでも、140もの橋がありますから、これはほんの一部です。
「新常盤橋」です。「新」と言うからは「旧」があった訳ですが、それは兎も角、この付近には、江戸城の面影を残す石垣が残されており、如何に江戸城の城壁が大規模であったか、が分かります。
   
この橋は「JR外濠橋」で、中央線、山の手線、京浜東北線などが通っています。
橋の中央に見える「ロゴ」は、旧国鉄のもので、現在でもバッチなどに残されているものです。
「一ツ橋」は、日本橋川と小石川の合流地点で、合流点を表す「ひとつ」から名付けられた橋。
御三家のひとつ「一橋」と、この地名とは区別しているそうです。
   
「後楽橋」は、神田川と日本橋川の分岐点のすぐ下流、神田川側に架かる橋で、旧水戸藩邸内の庭園「後楽園」に因んで名付けられたもの。
「御茶ノ水橋」です。この橋の下は、都心では珍しい渓谷の面影を残していますが、江戸時代に将軍家の茶の湯に用いる清水が、この渓谷近くから湧き出ていたことに因んで命名された由。
 
   
JR御茶ノ水駅を挟んで、御茶ノ水橋の反対側に架かった「聖橋」。両岸に位置する、湯島聖堂とニコライ堂を結んでいることから「ひじりばし」と名付けられました。 
浅草橋あたりです。前を走るのは水上警察の巡視艇。係留されているのは夕方出航する「屋形船」です。ここで、ガイドはマイクから肉声に変わりました。付近から「やかましい」との苦情だそうです。
   
「昌平橋」は、1691年に徳川綱吉が、孔子廟である湯島聖堂を建設した際、孔子の生誕地である魯国の昌平郷に因んで命名されたんだそうです。
 
我々の乗った船は、昔の呼称大川、すなわち「隅田川」に出ました。千葉県に繋がる高速道路です。
隅田川には屋根付きの中型、大型の観光船が波を立てて航行していました。
 
   
 「大橋」と呼ばれた両国橋に続く橋として、「新大橋」と名付けられた橋。この橋は、破損、流出、焼落など20回を超えたそうですが、地元の要望で、現在の橋は1977年に架け替えられました。
 この橋の名「清洲橋」は公募されたとかで、建設当時の両岸の、深川区住町と日本橋区中町から命名、現在の橋は1928年に竣工、隅田川の清洲、永代、勝鬨の3橋は、国の重要建造物だそうです。
   
「永代橋」です。この橋が最初に架けられたのは、1698年、徳川綱吉の50歳を祝したもので、徳川幕府が末永く代々続くようにとの慶賀名だとする説、など、など諸説ありとのことでした。
クルーズは1時間30分程で、出航地点へ戻りました。今回のクルーズを催行した旅行社を含め、数種のコースが用意されています。結構楽しかったので、また興味のありそうなコースを探そうと思っています。
 


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