久我山昔話





   
久我山のパチンコ
久我山駅前の「大美や」[ 駄菓子・玩具屋、今のドトール]では、 子供用のパチンコが3台あったんだ。玉打ちのノブが固くて、玉が 一周して戻ってしまうんだ。玉を3個・4個と入れて重みを付け、 打っていた。玉は、錆びていてシャー・シャーと音をたてて、回っ ていた。(平成 27 年7月 77)


久我山の駐輪場
昭和 54年(1979)久我山ハイムの東側に200 台位収容の駐輪場が出 来たのは、松村春吉さん所有の畑を杉並区へ貸したからだった。
駅前の道は 4/5 を放置自転車で埋め尽され、通行人は困って居っ た。放置に悩んだ若者が松村さんに頼み込んで、話がまとまり駐輪 場が出来たぁんだ。暮れに杉並区長よりお歳暮が届き、松村さんは、 ビックリ・大喜びだった。37 年も前の話なぁんだ。(平成 28 年 5 月 87)


久我山に住んで
昭和末期の頃に5丁目へ引っ越してきて、しばらく経った、ある時 に田中春男さんは、「宝くじに、当たらないが、久我山に住んだの は、一生の大当たりだ。」とうれし気に話していた。
ご近所の方の優しさに心がなじんだのでしょう。今は、故人になっ てしまったが、この言葉に励まされ、久我山東自治会は、良い街に していきます。(平成31年1月 119)





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