久我山橋は穴開き?
昭和の初期まで駅南の橋は「都橋」だけだったのじゃ。
昭和 5年(1930)に、新道[人見街道]が開通した時に「久我山橋」 が出来たのじゃ。
都橋と久我山橋の間は一辺が7mの三角形の穴開きで、階段を降り 住民が野菜や障子(しょうじ)を川の水で洗う場所だったのじゃ。 |
昭和 46 年(1971)に、二つの橋を合わせて広い久我山橋を作り、穴 は無くなってしもぅた。
その時、都橋の名も消えてしもぅたのじゃ。 (平成 27 年12 月 82 と平成 22 年8月 20 を編集)
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