があり、裏面には
「うれひなく さちかきりなき あめのくにに さ き そひいませ とはやすらかに」 と金田一京助書の碑文が有る。 (根府川石に明石亀太郎芸大講師が彫刻、石工庄司正利さんが施工
した)(平成 22 年4 月 16 と平成 27 年2 月 72、令和元年6 月 124 を編集)
久我山の四つの堰(せき)
井の頭公園から流れている神田川は、昔、神田上水と呼んでおった のじゃ。それはなぁ、江戸城内の用水じゃつたからじゃ。
昭和 30 年(1955)頃まで神田川に沿って田んぼが有り、稲作をし ておったのじゃ。
田に水を引き入れる為に堰(せき)が造られ、四つの堰(せき)の名 前が上流からお琴・大熊・赤土・紺屋(清水)と呼ばれておったのじ ゃ。いまは、もおぅ
みんな無くなってしもおうた。 (平成22 年7 月 19)
19
|