久我山昔話




     

御神木
久我山稲荷神社の松ノ木は、目通り約8m〔大人 5人で手をつない で抱える〕も有る、御神木だった。
地上 20m位のところから二股に分かれ、甲州街道から良く見え、 目印になって居った。台風で二股の一本が折れ、昭和14 年(1939) 頃、枯れてしもうた。
今年、正面階段上の御神燈西側の松ノ木を御神木に決める話が持 ち上がっている。(平成25 年8月 54)


久我山のお稲荷さん
久我山稲荷神社〔久我山3-37〕は、その昔、秦家が主に多かった。 宮下橋の南側に有った稲荷神社〔同 3-27〕は大熊家が多かった。 今は廃止になって住宅が建ち始めた。かさもり稲荷神社〔同5-9〕 は小作家が守護しているんだ。
あか稲荷神社〔同5-12〕は秦家で、はだか稲荷神社〔同 5-27〕は内藤家、開閉塔通りの稲荷〔同5-34〕は小作家の内稲荷だ。(平成 29 年10 月 104)


どんど焼き
明治の頃、神田川と稲荷神社の間の荒地で毎年2月14 日に、どん ど焼きをしてたんだ。風が吹き荒れ、火の粉が寺に飛び火し、次い で神社も類焼してしもうた。それから久我山では、どんど焼きを止めてたんだ。今は、平成15年から金網を張って、火の粉止めをし、 1月15 日13 時から久我山稲荷神社の境内で御神火を移し、丸餅を 振舞い、再開している。 (平成 28 年1月 83 と平成 27 年1月 71 を編集)







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