久我山東原公園は、元々農地だった場所を一時期区民農園として 利用してきましたが、 都区内でも公園の少ない杉並区は、 区役所 や地域住民(自治会、小学校PTA等)と数年にわたって協議を行って 開設された地域住民と杉並区が協議して開設してきた公園でした。 その後、公園は地域の憩いの場として、老若男女がくつろいだり、 こども達がボール遊びができる公園として20年以上に渡って親し まれてきました。下記の記録はその一部(約800㎡)が潰されて 民間の保育園が建設された経緯を記録として残しています。
消えゆく久我山東原公園
久我山東原公園紛争
この公園を残したい
初の住民説明会
署名、陳情書・要望書の提出
2回目の住民説明会
物別れ
説明会の打ち切り
更地化工事開始
代替の暫定遊び場
僅か3時間の樹木伐採
そして北側広場は閉鎖へ
公園の広場が消滅
いい東原公園だったのに!
暫定遊び場はあくまで『暫定』
近くには都立公園の予定地があった!!
残された部分を改善