句歌集 みそぢ

 

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はじめに

 韻文は短く感覚的で、授業における指導は大変だ。その俳句・短歌を作られる先生がそれぞれいた。作品を作る度見せていただいた。作れたらどんなに素晴らしいかと思っていた。

 転勤し、僅かだが作り始めた。十数年してこれではいつまでたってもまとまったものにならないと、一年に二十首以上の目標をたて実作した。ここに一区切りとして発表する。短歌賞にも二度ほど応募したが二首掲載されるにとどまった。

 

 

一九八0年

 

三月  黒磯への道

一 辛夷花今いちどきに開きをり

 

 

一九八一年 

 

七月三十一日  野蒜海岸

二 海も田も松の小島と蝉の声

 

八月一日

三 のびのびと猫もくつろぐ暑さかな

 

 

一九八二年

 

二月八日

四 春日と落葉に抱かれ坐禅草

 

 

一九八四年

 

十一月  広島修学旅行

五 暁に下野を出でて遅き日の沈みかねたる宮島にをり

 

 

一九八八年

 

八月五日  馬篭宿

六 山間の寄せ合う軒端に通り雨

七 谷底の緑陰縫って旧街道

 

八 萩の葉のほほえみかける石畳

 

九 青山と青田の中に宿場町

 

一0 せせらぎやもやに眠るは馬篭宿

 

八月六日  木曽川

一一 夏山を白き玉石の切り裂きて

 

一二 木曽川や石に圧されて夏の水

 

            妻籠宿

一三 蝉時雨板戸板壁重格子

 

            乗鞍岳

一四 夏山に車が這ひ上りゆく

 

一五 夏山に雪田のぽかんぽかん

 

一六 唐松に霧のたはむれる下り道

 

一七 夕立が木の下闇を突き刺して

 

八月七日  浅間温泉

一八 国中の暑さ集へるへその上

 

      三度の倒壊免れて立つ松本城

一九 人の居て城の残りし暑気の町

 

  八月一四日  甲府

二0 いただきや上りつめたる葡萄棚

 

             昇仙峡

二一 涼風が渓流下りを楽しんでいる

 

二二 蝉の声馬も休みつつ能泉へ

 

二三 青空が水ぶちまける仙が滝

 

 

一九八九年

 

一月一日   賀状

二四 初春やともに祝ひしこの十年

 

 

一九九〇年

一月一日   賀状

二五 手のひらをあはせてみれば懐かしきえ握らざりし愛しき紅葉

 

 

一九九一年

 

八月十日  佐渡

二六 暁のしじまおどろかす蝉の声

 

二七 漁火に烏賊も闇夜も収斂す

 

      八月一一日 佐渡汽船上

二八 甲板で空と向きあふ夏の海

 

      名立谷浜宿

二九 夏の宿道と鉄路を走る音

 

      八月一二日  上越道関越道

三0 車二つ無線の結ぶ夏海道

 

 

一九九二年

 

八月一二日  伊豆

三一 蝉の声車貫く伊豆の道

 

      九月一日

三二 朝顔に槿微笑む風の朝

 

      九月五日

三三 夕張や中天直下萩の舞

 

      一〇月二〇日  修学旅行中

三四 旅先の生徒は神戸か尾道か一人よどむは二組の空気

 

一九九三年

 

七月八日  球技大会

三五 白球に湧くグランドに夏日強し

 

      八月一七日

三六 モニカ来て便りを聞きて皆集ひ一路走りし東照宮へ

 

      一〇月二六日 与島にて詠める

三七 天を衝くスチールケーブル左右にし一息に過ぐ瀬戸の海凪ぐ

 

 

一九九四年

 

一月一日  塩原温泉にて

三八 風花や木立の騒ぐ露天風呂

 

三九 湯けむりや彼方を急ぐ雪の雲

 

      四月一日  埼玉古墳公園

四0 広々と春日に眠る九古墳

 

      四月二日  上野バーンズコレクション

四一 花見がてらバーンズを待つ尽きぬ列

 

      一一月  マラソン大会

四二 巻狩り鍋囲む背中に那須下ろし親子ふれあいマラソン大会

 

      一二月五日  贈り物

四三 シクラメン春迎へんと尋ねけり

 

      一二月七日  賀状

四四 気がつけば幾度目かなる干支を迎ふ

 

 

一九九五年

 

一月一日  

四五 合歓の木でふくらすずめのおめでたう

 

      三月一八日  杉花粉の飛散するを見て

四六 黄塵の全山覆ふ日目縻爛す

      三月二五日

四七 紅梅に雪の降り積む春の朝

 

      九月  矢板東に向かふ

四八 有明や刈田の原を行く車

 

      何気なく空を見上げて

四九 秋空に鳩大の字でまるを書く

 

      十月十七日〜二十一日  山陽自動車道上り

五0 秋空や安芸の国から山城は復活せいたかあわだちそう

 

五一 立ち枯れ松紅葉の前に山おほふ

 

五二 稲田から刈田にかはる揖保の暮れ

 

      倉敷古代ギリシャ文化館受付にて

五三 ネクタイの臙脂の色を仲立ちに弾む話のオリエント館

 

 

一九九六年

 

十月一日  

五四 これまでを振り返りなば後の時この従容が知命なりけり

 

      十月

五五 駿河より下野に来し段ボール明日は子の子の武蔵に行かん

 

五六 教へ子の結婚式で会ひし日よ建つる家訪ふ師の祝賀会

 

 

一九九七年

 

四月二十五日  

五七 菜の花や水田の向かふに山笑ふ

 

      四月二九日 石渡病院にて

五八 みどりの子桜若葉の産院の談笑のなかy子は笑ふ

 

      五月三日

五九 風光る山間の田にトラクター

 

      五月四日 美和村にて

六0 連休や一面の田に人動く

 

      六月七日

六一 なつかしき旧職員会空に見て自転車で切る夏の夜の風

 

六二 あの人もあの時のままそれでいて自己を確かに変えつつぞある

 

      六月九日 研修センターに向かふ

六三 五月雨や戸板の女形に見つめられ

 

      六月二十一日

六四 野分去り空稲白鷺発光す

 

      六月二十五日 研修の帰り

六五 木漏れ日に紫陽花の色明滅し風切り走る日光街道

 

      七月二十日 二人来る

六六 二人してどかどか踏みて入りしより笑ひさざめく初婿入りか

 

      八月十一日 笠間葬儀

六七 夏空に上弦の月静まりて蝉舞ひ鯉の跳ねる暗闇

 

      八月 由比子北海道サイクリング

六八 知床で星がきれいと言ひて来し子は我が子なりあのそのままの

 

六九 旅好きの親は家にて涼をとり電話で続く子のする旅を

 

      九月 舟橋高橋梨園より

七0 豊水や千葉には負けし味と嵩

 

      十月 修学旅行 

      十月十六日 京都

七一 現在地報せる声よ話したし携帯なれば用件のみで

 

      十月十七日 大阪

七二 なんとまあ雑多なひとの行き違ふそを見て半時ビッグステップ

 

七三 昼日中道頓堀で手を引きて語らひ歩み男は生きる

 

七四 たこやきを心斎橋で食みしをり友とはぐれしY子にぞ会ふ

 

      十月十八日 京都

七五 厳島異人館前難波古都何着も見し下野の服

 

      十一月五日 平葬儀

七六 黄葉は谷の空気を黄に染めて鮫川渓谷夕冷えの水

 

      十一月二十二日 日光東照宮にて国語研究会

七七 彫り物の変はる度毎頭増え秋令えの闇満座の本堂

 

 

一九九八年

 

一月七日  

七八 あれこれとありし二人も銀婚を迎ふるまでを生きにけるかな

 

七九 何となく銀婚の二字目にとまり数へてみればなるほどそうだ

 

八0 成人を祝はんとしてふと思ふ我ら銀婚彼ら金婚

 

      一月一二日  同和教育研究校発表

八一 雪の日は長靴で立つ演壇に研究校はかく発表す

 

      四月八日

八二 陽光に山笑はんと身ぶるひす

 

      四月一0日

八三 長峰の花見せぬうち散る年ぞ花に嵐のたとへありとも

 

      四月一0日

八四 長峰の花見せぬうち散る年ぞ花に嵐のたとへありとも

 

      五月一一日

八五 庭出でて田染め野覆ひうす緑高原山に登り始むる  

 

      七月二0日 塩山の子の友より桃届く

八六 桃太郎飛び出しそうな桃届きおすそ分けにと娘は走る

 

      七月 夏期補講にて源氏を扱ふ

八七 紅花があると言ふ店教へられ買ひもて急ぐ夕立の町

 

      七月二九日

八八 夕顔の花一輪を貰ひ受け机間めぐるは補講の源氏

      返歌

八九 夕顔と朝顔の花異なるを実物で見せる生きた教育

 

      舟橋の子の友より梨届く

九0 幸水に届けられたる便りには父の骨折吾子の奮闘

 

九一 舟橋で家業手伝ふA子より届きし梨を皆でほおばる

 

      八月二八日 那須水害

九二 牛六つ百キロ下り大洗水に奪わる幾多の仲間

 

九三 茫然と大洗に立つ牛の群れ豪雨の夜に川下りして

 

      丸山真男集を読む

九四 書く人の考へのあと辿りつつ考ふることまねぶが読書

 

      十月二九日〜十一月七日 向井千秋二度目の宇宙旅行

九五 宙返り何度もできる無重力  千秋どこでも面目躍如

                 天の一声地で億の声

                 世界に短歌を瞬時にひろむ 

 

      一一月一日 笠間

九六 隧道に出ると噂の佐白山弓張り月もそを待つらんか

 

九七 笠間より茂木あたりの上下道かくれんぼする十三夜月

 

      一一月二0日

九八 黒高を目指ししかなた那須の山目の前にする高原山を

 

      一二月三一日

九九 ひととせにはたちの歌を作らんと晦日にできしはたち目の歌

 

 

一九九九年

 

      一月三日 丹精

一00 病癒えシンビジュームに精を込む鉢鉢毎に花芽膨らむ

 

      一月四日 喜連川簡保センター

一0一 天の下湯けむりの先生垣の先の山々雲間の夕陽

 

 

         一月五日

一0二 日輝く初ごみ出しに身ぶるいす雪の高原有明の月

 

   一月十五日 喜連川簡保センター

一0三 黒雲と山並みの中茜空成人の日の湯けむりの先

 

      一月二十日 入院

一0四 ペットとの別れは辛し何よりもM子は癒す窓のかなたに 

 

       三月八日 金沢

10五 子の土産舌鼓うつ笹寿司にこの夜旅する金沢の夜

 

       三月三十一日 S夫妻退職

一0六 今日の日に共に勤めて共に辞め鴛鴦の時歩み続けん

 

       三月三十一日 T氏退職

一0七 持ち前の明るさとなほ若き肉そを持て生きん生涯現役

 

       四月二十八日 喜連川温泉

一0八 切り通し月と眼下の町の灯の中空に飛ぶ車の二人

 

一0九 湯面に白き夕日はきらめきて沈まんとする露天の先に

 

一一0 かくて身は湯にぞならんか悉くこの指の先先の先まで

 

       五月二三日 腕白相撲

一一一 アカシアの花の真中に浮く屋根に郭公も鳴く腕白相撲

 

       七月二0日 子富士登山

一一二 富士山に登ると子の言ふうしの日に見上げ気に病む雨雲の空

 

       七月三0日 磐梯山登山

一一三 八方台バス降り向かふ磐梯山あれあの声は杜鵑なり

 

一一四 頂を目指して歩む夏最中をちこちの木々鶯の声

 

一一五 赤とんぼ集ひおほへる頂に丈比べんと雲柱立つ

     

       八月九日

一一六 親子して所在不明の夏真中

 

 

       八月一二日 広島・長崎・鹿児島・沖縄 

一一七 休みたび子は国中をかけめぐり妹めきめきと地理の腕上ぐ

 

       八月二0日 湯津上村 湯けむりの丘

一一八 露天風呂湯治の肌に通り雨遠雷響き夏行かんとす

 

      一0月二二 川端康成全集着

一一九 目標は決まりて向かふにこの不安真白きままの世界終わるか

 

      一一月一日 『伊豆の踊子』始まる

一二0 一行を書き始めつと思ひしが定まりをるがごとくに埋まる

 

      一一月三日 ゆグリーングリーンにて

一二一 紅葉山秋空を背に迫り立ち岩ぶろの湯を雲間の日射る

 

      一一月一一日一一時 I誕生

一二二 一の時その一時に生まれ合ひ尾張の空にIは育てリ

 

      一二月

一二三 常陸より友は来りて剪定し我が家の庭を人の家のものにす

 

      一二月二四日 母死去

一二四 母死にて隣近所の人が皆その人柄を泣きつつ祈る

 

一二五 安らかな死に顔にてぞ天を向くこのこの人が我ら叱りし

 

一二六 父は今触るる物みな泣きをれりなにをするにも亡き妹の出で

 

 

二000年

 

       二月四日

一二七 歓声につられて集ふ窓の外春立つ朝に枯れ木にぞ降る

 

       二月五日

一二八 道端に背を向けしゃがむ山に雪嫗と翁何語るらん

 

       二月二0日

一二九 『雪国』に筆の止まりし我に今乱れ舞ひ散るとめどなく雪

 

       短歌とは 

一三0 対象をいかに受容し詠み出だす如何なる五七そこに歌あり

       三月九日 

一三一 朝早く下りて職を捜す子は朝日に上りし我に重なる

 

       四月二四日

一三二 何となきメモにて終わることも皆三十一文字に仕立つれば歌

 

一三三 鹿沼高歌を作れる人と居て魅せられ作る二十年を生く

 

一三四 少年は耐忍努力せしひとぞ五十で写る学位記授与式

 

       五月一日メーデー参加

一三五 メーデーを他の日に移すこの国はいかなる国ぞなぜに続くる

 

       五月三日 リーリ死去十六才 光真寺に葬る

一三六 卒業の年に墓穴に入る妹よ小中高大毎の思ひ出

 

       五月七日

一三七 小説の授業の仕方それをもて古都に向かふ我を笑ふ

 

       五月一五日 文豪ミニから一太郎V10に

一三八 ワープロのバージョンアップはやる指見えざる荷重はか共に積む

 

       五月一八日

一三九 生徒居て人の織り為す学び舎にドラマはるかに劇的空間 

 

       五月一九日 退院

一四0 久々にこの空間を満つるなり何はありても揃ひて妹背

 

       五月二0日

一四一 歌作り一字一句に集中し強くなりたり文法口訳

 

       五月二四

一四二 偏差値を上ぐる訓練受けし子等次に仕事と励み引き上ぐ

 

       五月二六日

一四三 五十分刹那惜しみて教へ切る調べつくして考へつくして

 

       七月一日 期末テスト

一四四 静寂にあはせ気を張る生徒等は団扇も止まり机に固まる

 

       七月九日 にわかあめ

一四五 雷鳴やあめはねかへす屋根屋根を見下ろす夕日燦然と照る

       七月九日 土用干し

一四六 ぷよぷよの我が梅の子のいとをしや一粒一粒土用も返る

 

        八月二四日

一四七 汗かきて子は母のため絵を書きて母は子の着るワンピース縫ふ

 

        九月一日 地球温暖化

一四八 日暮らしがひねもす一夏鳴く那須にミーンミーンンやツクツクオーシ

 

        十月二四日〜二七日 修学旅行 十月二五日 山陽線廿日市通過

一四九 これをこれ是としてのみぞ受け入るれば刻一刻は生くることが可

 

        十月二六日 青蓮院

一五0 秋の陽にあまたの樹冠そよがせり千恵子の楠は静かに立てり

 

        十月二八日

一五一 網膜に京の町並残りをりこの家並みとそごする朝よ 

 

        十一月二八日 佐野松陽高

一五二 風と言へど吹き荒れる日のはやしでは頬打つ松の針の数々

 

        十二月七日

一五三 青空に下弦の月を鳩廻る今は師走の巳の二刻ぞ

 

        十二月十日

一五四 対象をかへにかへては漸くに句点に至る源氏の一文

 

 

二00一年

 

       一月二日 快気祝い・卒業祝い

一五五 囲まれて花束二つ出来る間に呼ばれて香る一服のお茶

 

       一月八日

一五六 雪かきに疎い隣とねぜか湧くこの雪この年成人の日よ

 

       一月一二日

一五七 うっすらと朝日に白む雪の月昨夜花市の客を送りて

 

       一月一七日 クラス対抗かるた大会

一五八 若者がかるたを競ふあなたには雪の高原吹雪て立てり

 

       二月一日

一五九 息つぎにぼんやり見えるものは何ガラスを通して上弦の月

 

       三月六日 ハクビ着物教室

一六0 四月より呉服の仕事する子今学生証も着物教室

 

       三月九日 

一六一 亡き祖母の着物の着付け祖母教ふ身につけつけんと新入社員

 

       三月一四日 門出

一六二 四人の子五年前にふと集ひともに踏み出づ社会人道 

 

一六三 七年を病と闘い子を憂へ妹万感に巣立ちを祝ふ

 

       三月一六日

一六四 子の友はそれぞれに皆母友にスライドするはいかなるゆゑや

 

       三月三一日 東京二五年ぶりの雪

一六五 花冷えや弥生晦日のテレビには見紛ふまじき満開の雪

 

       四月一四日 桧枝岐村

一六六 車まれ人もまれなる雪の山しじまの中に裁ち蕎麦の音

 

       五月二四日 中間テスト監督中窓の外

一六七 えごの木は白き花そが身に溢れ一面の草そをまた覆ふ

 

       五月二五日 「短歌研究」応募

一六八 〆切に歌まとめんと高揚す今年も五月応募の時節

 

       七月一八日 合唱コンクール

一六九 朝夕に声揃えんと歌ふ夏一つになりては舞台を代わる

 

       八月二0日 IT講習会申し込み

一七0 九月に妹と通へり十月背はまた通ふIT講習

 

       八月

一七一 蝉が鳴き風吹きあぐるその下は猛暑の町並しずまれり

 

       八月六日 磐越道

一七二 鳥一羽白き腹面曝しつつ磐越道をゆらり越えゆく

 

 

       八月六日 能登門前

一七三 じんのびの湯に寛ぎて下る人鹿磯漁港に働く人か

 

       八月七日 千里浜

一七四 傾きて立つ松の木はことごとく枝も海辺はなくてありけり

 

       八月七日 珠洲

一七五 海沿ひの道の小路のはやしの音キリコ次々繰り出す夏日

 

       八月七日 能登

一七六 あの岬その先いかになりをらんいくたびかくして能登一回り

 

       八月七日 千枚田

一七七 田が海に足を浸すか千枚田営々築く山肌の里

 

       八月八日 金沢

一七八 子ら出あひ六年後に親が会ふ幾多のえにしありて金沢

 

       九月二二日 善光寺

一七九 仲見世の青空に浮く三日月や山並みまたぐ秋仁王門

 

       九月二七日

一八0 長野へのドライブの先善光寺子等に尋ねば軽井沢より

 

       一一月一二日

一八一 子の声に年末調整てふ響き勤め終はせし入社の年を

 

       一二月一日

一ハ二 窓辺にて話す我有り教室の父と見らるる年を勤めし

 

       一二月一六日

一八三 三回忌終はりて後集ふ母見つらん父の傘寿を祝ふ子らを

 

       一二月

一八四 参道に風ふさぐ闇やぶつばき出づれば小路酉の市立つ

 

       一二月三一日 

一八五 なぜ今日は同じ峰より真赤なる大きなる日と大きなる月

 

 

 

 

二00二年

 

       一月一九日 センター試験引率

一八六 頂を家々の屋照らし下り車体左にかっと輝く

 

一八七 車内でも三々五々に談笑すいつものやうにセンター試験

 

       二月二0日 厳しい受験

一八八 落ちて次受くる相談する声よそれまでさして鳴らぬ携帯

 

       二月二二日

一八九 屋敷森揺るがし風の吹く朝戸開くる我は風花に立つ

 

       三月一日 卒業式

一九0 自らが開きし道踏み出だす02弥生の一日の今

 

一九一 卒業を祝ひて贈る子らの顔万年筆はいまストラップ

 

       三月一0日 烏山竜門の滝

一九二 その上を列車と車行き違ふ梅の香かほる竜門の滝

 

       三月一0日 中山の桜

一九三 梅の花丘一面を覆ひけり丘丘続く塩那の大地

 

       三月二一日

一九四 何となく不安にからるる春の日は父の電話に落ち着きにけり

 

       三月二四日 小川町三輪カタクリ山

一九五 群生地越ゆれば変はる水芭蕉猩猩袴片栗の花

 

       四月二八日 笠間つつじ公園

一九六 一山につつじの燃ゆる雨の日に四十ぶりにぞ妹旧友に会ふ

 

一九七 雨になほ一山燃ゆるつつじ花

 

一九八 おおひけり名に違はずにつつじ山

 

一九九 待ち居りし関東大会開場す一区切り毎係員入る

 

二00 受付の携帯を出す少年は友の試合をホームページで

 

二0一 防具提げ溌溂少年少女らは慌ただしくぞ夏の日に出づ

       六月一三日 教生研究授業

二0二 主語隠れそれで分からぬ古文なりそに触れぬまま教へ終はりつ

 

       六月一八日 サッカーワールドカップ

二0三 一億の気収斂するスタジアム青きイレブン鬼神となれり

 

       六月二0日 高山

二0四 小京都京の町並目にするが素朴な人に田舎と思ふ

 

       七月五日 梅の実とり

二0五 校庭の隅の木に乗りもぎおれば部活少女の梅摘みいかが

 

       七月一八日

二0六 子は友の結婚式に呼ばるる日売り買ひて着て行く訪問着

 

       七月二八日 烏山山上げ祭り

二0七 この空にこの通りにぞ山上ぐる人はつづけて四百五十年

 

       八月三日 笠間祭り

二0八 一匹のきちきちバッタ横切れり神輿の列に湧く人の上

 

       八月八日 白河郷

二0九 こわごわと上りて下る天生峠一車線道ヘヤピンカーブ

 

       八月八日 白川郷

二一0 山の中かのごとくなる茅葺く絵たかれるは人合掌造り

 

       十月一二日 田島

二一一 山道に買ひ来しきのこ椀に吸い味のかをりのかそけさに酔ひ

 

       一一月一九日 長距離走大会

二一二 グランドの準備体操する子消ゆ一面の青前後屈に

 

       一一月二一日 ニュース10

二一三 一人弾くニュースライブのバイオリンオーケストラやストラディバリウス

    

       一二月一一日 大雪

二一四 輝ける雪の高原男体も昨夜目をさまし衾を重ぬ

 

二一五 雪の朝交通指導に立つ角に見知らぬ人も声かけて行く

 

 

       一二月一五日 NHKスペシャル「大河出現」

二一六 コンロン出砂をはひはひ五百キロ四十日してタリムに流る

        

二一七 ホータン川タクラマカンに出現し命育み三月後に消ゆ

 

二一八 解くる水砂漠に川を作るてふいかばかりならん源の雪

 

二一九 音声と映像で伝ふテレビではそを言語もて置換せんとす

 

 

二00三年

 

       一月三日 草加へ送りし帰り 

二二0 雨降るにきざはし凍る走り聞く通行止めの理由は雨氷

 

       一月五日 

二二一 賀状にて老若男女の近況が大家族なす一日なれども

 

       一月七日 

二二二 雪降りて突如姿を現わせリ山は高さとその連なりに

 

       一月二0日 草加の帰り

二二三 百キロに等速走行してぞ知る道は車にレールのごとく

 

       二月二三日 映画「戦場のピアニスト」 

二二四 ふと見ると如月の空向かひ合ふ憩ふ烏に下弦の月が

 

二二五 友頼り家族に離れ潜み住み生きん一念苦難に駆らる

 

       三月二0日 イラク戦争

二二六 文明の発祥の地に砲弾飛ぶ戦況の報ユーフラテス川

 

       五月四日 義父一七回忌 

二二七 父しのび集へるひとを思ひつつ刺し子縫ひつつ一七回忌

 

       八月五日 山形 

二二八 花笠の流れ流れてひらひらと涼やかに浮く半輪の夏

 

二二九 山裾をビニールハウス埋め尽くすここは南陽葡萄栽培

 

      九月七日 畑の鼠

二三0 団欒を我一鍬に脅かす母は飛び出しもぞもぞ二匹

       一0月一八日 五色沼

二三一 湖を行くハイカーの声まじり何ぞと聞けば葉の落つる音

 

二三二 秋の日に山の紅葉の照り映えて今は巳の刻下の弓張

 

       一0月一九日 戦場ヶ原

二三三 紅葉の山と落葉松環視する戦場ヶ原葦のざわめき

 

二三四 昨日昼五色沼にて見し月は中禅寺湖の秋ぞらに今

 

二三五 上りけり刻み刻みていろは坂人影まばらハイキング道

 

       10月二0日 

二三六 解く人と作りし人のせめぎ合ふこの半刻を解答用紙

 

       一0月二三日 16時50分

二三七 鮮やかに体育館を囲ひけり東の空に主虹副虹

 

二三八 虹に向け携帯突き出すベランダできれいきれいと画像に叫ぶ

 

       一一月一八日 永年勤続表彰

二三九 昔会ひともに語りし人達は表彰式で壇上に居る

 

       一一月二四日 南極上空一万メートル皆既日食 

二四0 吐く息の白くもならぬ上空で人類初の皆既日食

 

二四一 中継のアナウンサーも絶句する白い大地の黒い太陽 

 

       一二月七日 

二四二 地区で地上デジタル祝ふ月我が家で喜ぶBSアナログ

 

       一二月二九日 矢板東校同窓会

二四三 仕事して己を生かすそれが人同窓会で二十の子らに 

 

 

二00四年

    

       一月三0日

二四四 昨日まで幾度か雪に覆はれし高原山はかすみて立てり

 

       二月五日

二四五 起きたかと電話の父の一声に達者と思ひ内に気満つ

       三月二一日

二四六 花冷えのつとめての日に照らされて一面の田に湯気立ち上る

 

       四月三日

二四七 東京をめぐる電車の窓の外行けども行けども満開の花

 

       七月二四日 高砂にて

二四八 鍵穴に知らずに触れて小指切る六十に三年の誕生日なり

 

       七月二九日 教育キャンプ磐梯山登山

二四九 灌木を濡れつつ上る赤ジャージ動詞活用唱ふる声声

 

       七月二九日 磐梯山お花畑

二五0 備へしていざ上りしに花畑なんたることか腿に痙攣

 

       八月四日 遠野

二五一 遠野なりそちこちに出づ顔姿ホップ畑に河童が淵に

 

       八月四日 花巻

二五二 イーハトーブ廻る日分かるかの人は夢かのごとく現に生きし

 

       八月五日 陸中海岸

二五三 海面に水蒸気立ちたちまちに港を覆ふ山をも包む

 

       八月五日

二五四 眼鏡橋銀河に向かひ汽車が行くこの空間は絶対番地  

 

       八月二七日

二五五 庭の萩偕楽園のそを見んと来しがつぼみが野分けに濡るる

 

二五六 朝日照る堰の水面に翡翠の弧一羽翡翠塒に帰る

 

       一一月二七日 

二五七 さはさはと時頼の母障子張る木枯らしの中アイロンかける

 

       一一月二八日

二五八 みかも山影を過ぐれば出でし月一夜廻りて高原の朝

 

       一二月二五日

二五九 妹は身をはなやかにして語りかけ娘と歩くクリスマス銀座

 

 

       一二月二六日 スリランカ沖地震・津波

二六0 大津波高く早くにインド洋リゾート地なり世界揺るがす

 

       一二月二九日

二六一 降り積もる雪の重みに竹は耐え振り払はんとしきりによじる

 

       一二月三0日 インド洋大津波

二六二 大波を珍しがりて近づきて呑まれ流され懼れおののき

 

二六三 ひた走り命を奪ひ次々に七百キロの大海原を

 

 

二00五年

 

       一月一日

二六四 白き花木々に咲かせし昨夜の冷えばりばりと踏む歩き始めの日

 

       一月一日 五周一七時間

二六五 この星に生まれし波は周回す一七時間で五度廻る

 

       一月二日

二六六 雪落ちて屋根とどろかす春の日に語らふ小鳩も水さされけり

 

       一月四日

二六七 昔より壁にて命守りしに水の壁にぞ海人襲はる

 

       一月五日

二六八 推敲の後清書せし原稿をみなおしみなおし清書する昼

 

       一月六日

二六九 一五万五百万てふ数示す殺人波の規模恐るべし

 

二七0 津波てふ日本語世界に轟きぬなぜ予め危険伝へず 

 

       一月三0日

二七一 姪と知るスカウトをするピアノ弾く彼これ全て雰囲気でする 

 

       二月六日 唐招提寺展    

二七二 金堂の平成修理出でませり廬遮那仏像合掌涙

 

二七三 妹急変すぐ帰らんと言ひつつもなほ鑑真にむかふは背と子 

 

二七四 盲目の慈悲のお姿そをもちて永遠に衆生を慈しみゐる

 

       二月一六日 みかん届く

二七五 如月の半ばに雪の降る昼に君の送れる柑子食む幸

 

       二月二七日 NHK「小さな旅」

二七六 ゆりかもめ羽づくろひし勢ぞろひ機を伺ひて一斉に立つ

 

二七七 鴨川に沿ひて上りて鳥柱比叡の山越え塒に帰る

 

       二月二七日 榛名湖

二七八 雪分けて氷に穴を開けし後炭火囲みて釣り糸を垂る

 

       三月六日 高砂でテレビ視聴

二七九 太陽はサンピラーをぞ育める寒気の鎮む名寄盆地に

 

       三月一三日

二八0 異動とて取り立てて言ふうこともなしされど安らぐ朝の声

 

       八月二日〜四日 秋田旅行 四日

二八一 夏の男鹿潮風海道空走る目の前を鳶群青の底

 

       九月二四日 銀座から阿倍野へ

二八二 五年をのどかに迎ふと思ひしにつと驚かす難波への報

 

       一0月一日 レオパレス高砂

二八三 銀座より阿倍野へ移るその部屋に我らは通ひ子は出勤す

 

       一0月五日

二八四 転勤の送別会の果てし夜心構へもお返しを問ふ

 

       一0月二三日 菊花賞 ディープインパクト三冠

二八五 直線にためてどれをも抜き去れり馬場疾走す神馬なりけり

 

二八六 ジョッキーの空飛ぶてふ弾む顔その走りにぞ万人は酔ふ

 

       一0月二二日 高砂駅

二八七 見送りに降り返らぬ子が降り返るさいふ別れの秋の夕暮れ

 

       一一月一二 会津西街道を喜多方へラーメン紀行

二八八 西街道落葉吹雪を走り抜けその谷間に月輝く火星

 

       一二月七日 高原山・日光連山の雪

二八九 雪降りて尾根際立てる山々は厳かに立つと言ふなりけり

 

 

二00六年

 

       一月六日

二九0 豪雪は温暖化をも否定せで異常気象を際立たすばかり

 

二九一 厳寒に身ぶるひをする今年知るあったか肌着一重の温み

 

       二月五日 東国遍路

二九二 左手に夕日眩しく右手には筑波の山に出でし寒月

 

       二月二四日 聞き直しとがめられて

二九三 漸くに耳傾くる年になり耳順てふ言人に説きけむ

 

       二月二六 新浦安を訪ふ

二九四 べか舟や海を埋め立て遊園地高層住宅流行の暮らし

 

       四月五日 環状八号線

二九五 父の家向かひて走りしこの道に甥の住まいを捜しつ走る

 

       四月一二日 矢板高前庭二本のさんしゅゆ

二九六 梅に勝ち桜と競ひしさんしゅゆは椿を待ちて若葉装ふ

 

       五月三日 三国が丘アパート

二九七 広きゆゑ形を把握できもせず陵あるらん若葉の下に

 

二九八 幼子の大阪弁に降りむけば若葉の仁徳天皇陵

 

二九九 かの人もこの人も皆懇ろに教ふる大阪看板いらず

 

       五月四日 神戸

三00 山桜椿辛夷をこきまぜて若葉は映ゆる六甲山道

 

       五月四日 六甲山牧場

三0一 家畜より観光客の山駈くる六甲山牧場風強し

 

       五月四日 神戸夜景

三0二 坂道を下ればそこにふと夜景橋の上にて仰ぎても見ゆ

 

       五月十三日 塩原妙雲寺

三0三 あの大葉何なのと問ふ妹の目に水芭蕉の花いかに答へん

 

       五月二八日

三〇四 その秘訣常に水平重心がロナウジーニョとディークインパクト

 

       一0月四日〜七日 沖縄修学旅行 

一0月四日 美ら海水族館

三0五 立ちて見し坐りて見つるスクリーンじんべい鮫は傍若無人

 

三0六 うわすげえじんべい鮫はでっけいのアクリルパネルに上がる声声

 

       一0月五日 平和記念資料館 平和の礎

三0七 海風に黒石の銘鎮まれり二十四万の命がここに

 

       一0月五日 ひめゆり資料館

三0八 部屋に入り立ちすくす闇戦慄に二百余名の遺影のみつめる

 

       一0月五日 ガマ 

三0九 殺戮を怯え籠りし三百人マヤガマに今若者黙す

 

三一0 四百年収奪受けし琉球はあらゆるものにそを思はしむる

 

       一0月六日 青き海

三一一 青き海飛ぶ白雲を過ぐる影那覇から羽田1904

 

       一0月二五日 免許センター二輪車安全運転講習会 

三一二 秋風にバイク講習一吹かし周回の度ライダーめきて

 

       一一月四日 気仙沼 北かつまぐろ屋

三一三 小半日かけてありつくまぐろ丼酔ゐ心地にて帰路四百キロ

 

       一一月一二日 塩原紅葉狩り

三一四 霙降る紅葉の谷をほうき川目上ぐれば雪真木に降りつく

 

       一二月七日 喪中はがき

三一五 年の暮れ届く便りに故人の名かくて消えゆく年賀状リスト

 

       一二月二九日 温水プール

三一六 わが肌は全表面で水捕らふ二十日ぶりなる温水プール

 

 

2007年

 

       二月二四日

三一七 輪郭はありしごときに空間を切りて鎮むる法隆寺伽藍

 

       二月二四日 近鉄橿原店店長

三一八 店長になりて4日の電話には三日坊主でなきを安堵す

 

       三月九日

三一九 朝弥生雪の山なる弓張は沈みかけて消えかかりたり

 

       三月二一日t

三二0 鶯の初音に姿とらへんと彼岸に妹と右往左往す

 

       三月二八日〜四月一日 三国ケ丘〜大和西大寺

       三月三0日

三二一 帰り待ち今宵早しと思ふ子は紙綴りにぞ顔埋めをり

 

       三月三一日

三二二 君通ふ一月半をこの路線三国ケ丘から大和西大寺

 

       四月一日

三二三 越す先に向かふ車窓を見上ぐれば額田辺りの山桜花

 

三二四 来て五日荷造りの日々親は汗いつも通りに勤めに子出づ

 

三二五 引っ越しははやなからんと思ひしに心ははやる子の転勤に

 

三二六 弁当は構内車内完売す日曜の夜ここ京都駅

 

       四月五日

三二七 開く花摘む白雪と競ひ合ふ卯月初めの東雲の山

 

      四月一四日 三春滝桜

三二八 人の列辿りつきたる人の山真中にぞ立つ一木の桜

 

      五月二日 東大寺・興福寺

三二九 小人の御姿なり阿修羅像御かんばせは時空を見据う

 

       五月三日 西大寺・薬師寺・唐招提寺・法隆寺

三三0 五月晴れリュック背負ひし幼子が語らひ歩む法隆寺道

 

       五月三日 中華料理の店「四川」

三三一 これまでは祝はれしものを祝ふなり共に年長け還暦の宴

 

       五月四日 長谷寺・室生寺・石舞台古墳

三三二 回廊の入り口にはや香りをり牡丹に映ゆるファインダーの君

 

       五月四日

三三三 石段を上りて伽藍また伽藍涼風河鹿石楠花の花

 

       五月五日 パールタウン

三三四 子は仕事親は観光留守三日この日もキャンプと家路に別る

       九月二二日

三三五 アベックと言へば昔は若い人今中高年の二人連れ

 

       一0月二六日 川端康成全小説終了

三三六 言葉なり時空を駆くるこの自由幾度つかへてその度進む

 

三三七 言葉なり私の頭の中にあり自由自在に動きまわれる

 

       一0月二八日 スーツ新調

三三八 試着室着しこともなきシャツありてやをら手通し上着をはおる

 

       一一月七日

三三九 合格の報告に来し乙女子は大学生になれると泣く

 

       一一月一三日 かぐや月より映像送る

三四0 月でなく月でなき星の出と入りを月の上にぞかぐやは映す

 

 

二00八年

 

       二月二四日 父入院

三四一 いくたびか父かと聞きしくぐもり声臨床の人の同じ方言

 

三四二 病室の五人は誰と分からざる顔声所作といずれも同じ

 

三四三 あたりをも構わず発する絶叫は今は真摯な自己主張なり

 

三四四 お互いに声を出し合ひ反応す脈絡もなく行きかう言葉

 

       三月一二日

三四五 勤め来て暦を還る春弥生再任用に初心に返る

       三月一九日〜二二日 鎌倉

       三月二0日 瑞泉寺

三四六 岩盤を抉りて作りし岩の庭夢想国師はここに始める

 

       三月二0日 鶴岡八幡宮

三四七 寒き風雨それでも歩き続くる人弥生二十日の鶴丘八幡

 

       三月二十日 浄妙寺喜泉院

三四八 吹き曝す座敷に抹茶を喫すれば枯れ山水の彼方に吹かる

 

       野菜作り

三四九 手にするは有機農法無農薬お口にすればまろやか甘味

 

       九月一三日一四日一五日 調布パルコ店転勤

三五0 奈良弁が東京弁に変はる時戸惑ふ親に転勤の報

 

       一0月一一日

三五一 耳順とはあるがままにあるあるものをあるそのままを受け入れて行く

 

       一二月二四日

三五二 退職しこれで区切りと思ひしに再任用に奥の深さ知る

 

       一二月二五日 圏央道開通

三五三 新道はタイヤ路面にはりついて滑るように楽々運転

 

       一二月二七日 

三五四 寒風に土掘り起こす来年の野菜の出来はここに極まる

 

       一二月三一日

三五五 一年に二十の歌を課題にし今年達成できずに終わる

 

 

二00九年

 

       一月二日 箱根駅伝 東洋大往路優勝 五区一年柏原竜二

三五六 初夢の山の走りを翌日はオーバーペースで走り抜きけり

 

       四月一日

三五七 再任用年ごとに行く学び舎で卒業生をアルバムに探す

 

       四月六日

三五八 里山を廻れば現る里山が那須はまさしく開拓の原

       五月一日 那須高歩行会 余笹川

三五九 あちこちの防災水位の標示にて村を覆ひし水嵩を知る

 

       一0月二一日

三六0 日の入りて俄かに浮かぶ三日月は厳かにして真空にぞ居る

 

       一0月二三日

三六一 性急に見る乗る食べるこれのみで一日過ごすディズニーランド

 

       一0月三一日 富士山

三六二 何やらん靄にぞ浮かぶ白きもの雲かと身紛ふ雪化粧の富士

 

       一一月八日 観光プラン駅からハイキング 遊行柳

三六三 西行を偲ぶ芭蕉を人偲び駅からハイキング刈田行く

 

       一一月 『万葉集』五七調 

三六四 思ひをば一音一字で表せば漢詩の形に五七のリズム 

       

                枕詞

三六五 表現の初期における役割はかかり行く語のイメージ喚起

 

三六六 そができて不要になりてその詞留まりえずに歌から消ゆる

 

 

二0一0年

 

       『万葉集』

三六七 その思ひ遂げんとすれば漢籍に無き字・熟語も作り出す

 

三六八 類歌性作者不明のあまた歌この渾沌が生みの渾沌

 

三六九 文字入りて使ひ初めしばかりにて民は同時にジャンルを開く

 

三七0 読みがたく理解し難き初期の歌読み返すうち姿定まる

 

       一月二三日

三七一 介護施設わりゃいいこぞうと頭撫づ手は骨と皮前歯は二本

 

       一月三一日

三七二 焼く煙一気に囲まれ山も見えず雪に紛ふは灰の降るなり

 

三七三 古今集万葉集に比ぶればその読みやすさ驚かれぬる

三七四 一切を捨象してある歌一首読み人知らずと言ひて消えをり

 

三七五 あまたなる歌読みし後湧くごとく歌の出で来る不思議を思ふ

 

三七六 山家集素直に読みし一歌人現地に行きて見て自然詠

 

       二月一三日

三七七 真木は葉を枯れ木は枝を悉く青木が原を樹氷が覆ふ

 

三七八 万葉集一つの言葉に一つの意味枕詞と序詞で成る

 

三七九 古今集意味を二重に持たせけり掛詞縁語重ね合はせて

 

三八0 新古今言葉の先を指し示す本歌取りの二重奏自宅詠

 

       三月一三日 偕楽園

三八一 紅白の靄棚びける春の園香る風にぞ驚かれぬる

 

三八二 一万の歌読み果ててエキス満ち漲り満ちて次々に出づ

 

三八三 語彙溢る新たなる描写生まれ出づ少なき語彙に単純な景

 

    

平安遷都千三百年祭り 四月三日〜六日 奈良

       四月三日

三八四 中央道西へ西へと走りては桜前線逆行するなり

 

三八五 夕焼けに花散りかかる鳳凰堂今羽ばたかんと身ぶるひをする

 

       四月四日

三八六 秘宝秘仏衆目を避け瞑想すその日目前にその姿を曝す

 

       四月五日

三八七 満を持し秘宝秘仏は出でませり遷都千三百年祭り

 

       四月六日

三八八 桃の木は桃色の花咲き広げ石和あたりの桃畑これ

 

三八九 山々の桜の花を次々に飛ばしつつ見る高速道路

 

       長谷観音 

三九0 見ることもままならぬ仏手にて触れる大きな御足

三九一 青丹よし奈良の都はいずこもぞ桜の花が満開にあり

 

       一0月6日 黒羽高 足尾銅山植樹

三九二 谷一つ破壊し尽くす足尾銅復活させんと木植うるも人

 

三九三 石除き砂利を掬いて土を埋むかくしてようやく植樹がかなう

 

       チリ地震

三九四 化け物は太平洋をなめ尽くすチリから一万七千キロ

 

       『新古今集』

三九五 新古今比喩を用いて詠みにけりそがまた次に主体となるか

 

       九月一九日 『源氏物語』

三九六 若き時とどこほりける難読文今読み進む小説の如く

 

三九七 平坦に如何なる文も読み進むいま年を取り時も忘れて

 

       九月二0日

三九八 敬語越え公式飛ばし目は走る筋をのみ追ふ源氏物語

 

 

二0一一年 無し

 

 

二0一二年

 

       一月一五日 日中国交正常化四十周年 

北京故宮博物院二百選 神品清明上河図

三九九 広場にて階段に移りホール入り今漸くに本命に会う

 

四00 一枚の絵を見んとして立ち尽くし博物館の列は動かず

 

四0一 一歩一歩前にぞ進みけりこの繰り返しで一日終はる

 

四0二 一枚の絵に呼び出さる特別展正月ある日の清明上河図

 

四0三 四時間を牛歩で過ごし辿りつき清明上河図知らぬ間に過ぐ

 

四0四 日本人中国人とともに見る日中国交四十周年

 

四0五 流域の米粒ほどの生き物たち日を一日と生くる人々

四0六 四時間を寒空に立つ長い列一人も欠けず展示に向かふ

 

       四月一九日 フィギュアスケート団体

四0七 一流の選手をも皆観客に仕立ててしまふ高橋大輔

 

       五月六日 益子茂木竜巻

四0八 竜巻はすっぽり巻き上ぐ家一軒外の景色に茫然自失

 

       五月二一日七時三十分 皆既日食

四0九 皆こぞり太陽を見る見もしない平安以来の皆既日食

 

四一0 金環食この日に合はせ金婚式華燭の典もさてさてまたか

 

       三月 矢板高八時間 黒磯南高六時間

四一一 年賀状えにしなりけり声かかり十四時間の非常勤講師

 

       八月五日 なすのウクレレフェスタ

四一二 子の立ちて二十年余り時立てばウクレレ持ちて母立つ舞台

 

       女性

四一三 経験をしていなくても分かる人子を生む人と自覚してから