――みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ――
高村光太郎
現代文へもどる 大正12年3月作
語釈
2あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
こうやって3言葉すくなに坐っていると、
うっとりねむるような頭の中に、
ただ4遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この5大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでいるよろこびを、
6下を見ているあの白い雲にかくすのは止しましょう。
7あなたは8不思議な仙丹を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何という幽妙な愛の海ぞこに人を誘うことか、
9ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に10女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む11私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負う私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののように捉えがたい
12妙に変幻するものですね。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡った北国の木の香に満ちた空気を吸おう。
あなたそのもののような13このひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗おう。
私は又あした遠く去る、
あの14無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
15この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いています、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教えて下さい。
あれが阿多多羅山、6
あの光るのが阿武隈川。
(『智恵子抄』)
一 次の語の読みを記せ。
1 安達が原 2 阿多多羅山 3 阿武隈川 4 仙丹 5 壺 6 幽妙
7 烟る 8 苦渋 9 爽かな 10 無頼 11 混沌
二 次の語の意味を調べよ。
1 幽妙
2 苦渋
3 無頼
4 混沌
5 愛憎
三 詩の形式を記せ。また、傍線部1〜15の問に答えよ。
1 どこにいるか。また、季節はいつか。
2 (1)発音しているのは誰か。 (2)二人はどういう状態いるか。
(3)音感的特長を記せ。
3 なぜか。
4 どのような意味を持っているか。
5 ・13 それぞれどこにかかるか。
6 (1)「下を見てゐるあの白い雲」は何をたとえているか。
(2)なぜか。
7 「あなた」が「私」に与えてくれたものは何か、抜きだせ。
8 どういうことを表現しているか。
9 何か。 10 どういうことか。
11 「私」はどういう状態にあるか、二カ所抜き出せ。
12 何か。またどうしてそう感じられるか。
14 どこのことか。また、それは「私」にとってどんな所か。
15 何のことか。
構成
一 二 三 四 五 六 |
連 |
あなたの故郷 自然=松風・冬・野山・白い雲 あなた=神秘的 1無限の愛 2清め爽やかに あなたの故郷 自然=酒蔵・木・空気=あなたそのもの あなたの故郷 |
あなた |
二人で愛を確認 私=都 無頼・愛憎・人間喜劇へ帰る |
私 |
主題 自然そのもののような「あなた」の神秘的な美しさへの賛歌
特色 1 修辞法 (1) リフレイン(一連 四連 六連)
(2) 擬人法 「下を見てゐる」
2 語りかけの効果 (信頼の強さ 愛への感謝 いたわり)
樹下の二人 解答
一 1 あだちがはら 2 あだたらやま 3 あぶくまがわ 4 せんたん 5 つぼ 6 ゆうみょう
7 けむ 8 くじゅう 9 さわやか 10 ぶらい 11 こんとん
二 1 奥深くかすかですばらしいこと。 2 事がはかどらず苦しみ悩むこと。
3 無法な行為をすること。 4 物事が入り交じって見分けのつかない様。
5 愛することと悩むこと。
三 1 どこ=あなたの生まれたふるさと。季節=「冬のはじめ」(第二連)
2 (1)「あなた」(2)二人の愛を確認し合っている。 (3)「ア」音の繰り返し。
3 黙って手をつないでいるだけで喜びも愛情も確かめ合えるから。
4 現実の苦悩から解放させる愛の力。5 「野山」13「雰囲気」
6 (1)天上の神(天人 天使) (2)二人の純愛は無いも恥じることがないから。
7 「若さの泉」(第三連)8 愛が私の苦悩をけしてくれる。9 二人の十年間の結婚生活。
10 女の愛の無限。 11 「情意に悩む」「苦渋を身に負ふ」
12 何=「あなた」の魅力。どうして=十年たっても新しい魅力で「私」を離さないから。
14 どこ=東京。どんなところ=争いや憎しみにあふれた世界で近づかざるをえないところ。
15 智恵子(第三連)