津軽
語釈 太宰 治
一 このたび私が津軽へ来て、ぜひとも、逢ってみたい人がいた。私はその人を、自分の母だと思っているのだ。三十年近くも逢わないでいえいるのだが、私は、其の人の顔を忘れない。私の一生は、その人によって確定されたといっていいかもしれない。
二 私の母は病身だったので、私は母の乳は一滴も飲まず、生まれるとすぐ乳母に抱かれ、三つになってからふらふら立って歩けるようになった頃、乳母にわかれて、その乳母の代わりに子守としてやとわれたのが、たけである。私は夜は叔母に抱かれて寝たが、そのほかはいつも、たけと一緒に暮らしたのである。三つから八つまで、私はたけに教育された。そうして、或る朝、ふと眼をさまして、たけを呼んだが、たけは来ない。はっとおもった。何か、直感で察したのだ。私は大声あげて泣いた。たけいない、たけいない、と1断腸の思いで泣いて、それから、二、三日、私はしゃくり上げてばかりいたいまでも、その折の苦しさを、忘れてはいない。それから、一年ほど経って、ひょっくりたけと逢ったが、2たけはへんいよそよそしくしているので、私にはひどく怨めしかった。それっきり、たけと逢っていない。四、五年前、私は、「故郷に寄せる言葉」のラジオ放送を依頼されて、その時、あの@「思い出」の中のたけの個所を朗読した。3故郷と言えば、たけを思い出すのである。たけは、あの時の私の朗読放送を聞かなかったのであろう。なんのたよりもなかった。そのまま今日に至っているのであるが、こんどの津軽旅行に出発する当初から、私は、たけにひとめ逢いたいと切に念願をしていたのだ。4いいところは後回しという、自制をひそかにたのしむ趣味が私にある。私はたけのいるA小泊の港へ行くのを、私のこんどの旅行の最後にのこしておいたのである。
三 5「バスはかなりこんでいた。6私は小泊まで約二時間、立ったままであった。中里から以北は、全く私の生まれて初めて見る土地だ。津軽の遠祖といわれるB安東氏一族は、この辺に住んでいて、津軽平野の歴史の中心は、この中里から小泊までの間にあったものらしい。バスは山道を上って北に進む。道が悪いとみえて、かなり激しく揺れる。私は網棚の横の棒にしっかりつかまり、背中を丸めてバスの窓から外の風景をのぞき見る。やっぱり、北津軽だ。深浦などの風景に比べて、どこやら荒い。7人の肌のにおいがないのである。山の樹木も、いばらも、ささも、人間と全く無関係に生きている。東海岸の竜飛などに比べると、ずっと優しいけれど、でも、この辺の草木も、やはり8「風景」の一歩手前のもので、少しも旅人と会話をしない。やがて、十三湖が冷え冷えと白く目前に展開する。浅い真珠貝に水を盛ったような、気品はあるがはかない感じの湖である。波ひとつない。船も浮かんでいない。ひっそりしていて、そうして、なかなか広い。人に捨てられた9孤独の水たまりである。流れる雲も飛ぶ鳥の影も、この湖の面には映らぬというような感じだ。十三湖を過ぎると、まもなく日本海の海岸に出る。」
お昼少し前に、私は小泊港に着いた。ここは、本州の西海岸の最北端の港である。この北は、山を越えてすぐ東海岸の竜飛である。西海岸の部落は、ここでおしまいになっているのだ。つまり私は、五所川原あたりを中心にして、柱時計の振り子のように、旧津軽領の西海岸南端の深浦港からふらりと舞い戻って今度は一気に同じ海岸の北端の小泊港まで来てしまったというわけなのである。ここは人口二千五百くらいのささやかな漁村であるが、中古のころからすでに他国の船舶の出入りがあり、ことにC蝦夷通いの船が、強い東風を避けるときには必ずこの港に入って仮泊することになっていたという。江戸時代には、近くの十三港とともに米や木材の積み出しが盛んに行われた。今でも、この村の築港だけは、村に不似合いなくらい立派である。水田は、村のはずれに、ほんの少しあるだけだが、水産物は相当豊富なようで、Dソイ・Eアブラメ・イカ・イワシなどの魚類のほかに、コンブ・ワカメの類の海草もたくさんとれるらしい。
(注)@「思い出」 1933年、雑誌「海豹」に発表された作者の自伝的小説。A小泊 青mり県北津軽郡にある地名。B安東氏 中世の津軽地方の豪族。C蝦夷 北海道の古称。Dソイ フサカサゴ科の海水魚クロソイ・シマソイなどの総称。Eアブラメ アイナメ科の別称。
一 カタカナを漢字に直し、漢字の読みを記せ。
1 イッテキも飲まず 2 乳母 3 ヤトわれて 4 断腸 5 ラジオ放送をイライされて
6 個所をロウドクした 7 アミダナの横の棒 8 竜飛 9 十三湖
10 五所川原 11 蝦夷
二 傍線部1〜9の問いに答えよ。
1 (1)辞書で意味を調べよ。(2)私のどのような思いを言っているか。
2 理由は何か。
3 「故郷」と「たけ」とはどのように結びついているか。
4 「いいところ」が具体的に述べているところを十二字以内で抜き出せ。
5 現在形止めの効果を述べよ。
6 理由を分かりやすく述べよ。
7 どのような風景を言うか。
8 どういう点で「風景」になりきれないか。
9 「十三湖」の風景が「私」の目にこのように見えたのはなぜか。
一〜三 解答
一 1 一滴 2 うば 3 雇 4 だんちょう 5 依頼 6 朗読 7 網棚
8 たっぴ 9 じゅうさんこ 10 ごしょがわら 11 えみし
二 1(1) はらわたがちぎれるほど非常に悲しいこと。
(2)たけとの別れは、とても悲しいものであった。
2 「私」への愛情を人前であることを考えて抑えていたから。
3 故郷ですごした期間、』影響を与えた人は、」「たけ」である。4 「たけのいる小泊の港へ行く」
5 現在バスに乗って周囲の風景を見ている気持ちになっている。
6 窓から眺める景色が懐かしくそれを観察するのに熱中していた。
7 荒涼とした自然。
8 「どこやら荒い」「人の肌の匂いがない」「人間と全く無関係に生きている」「少しも旅人と会話を
しない。」 9 「人の肌の匂いがない。」
四 「越野たけ、という人を知りませんか。」私はバスから降りて、その辺を歩いている人をつかまえ、すぐにきいた。
「1こしの、たけ、ですか。」 @国民服を着た、役場の人か何かではなかろうかと思われるような中年の男が2首をかしげ、「この村には、越野という名字の家がたくさんあるので。」
「前にA金木にいたことがあるんです。そうして、今は、五十くらいの人なんです。」3私は懸命である。
「ああ、わかりました。その人ならおります。」
「いますか。どこにいます。家はどの辺です。」
私は教えられたとおりに歩いて、たけの家を見つけた。間口B三間くらいのこじんまりした金物屋である。東京の私の草屋よりも十倍も立派だ。店先にカーテンが下ろされてある。4いけない、と思って入り口のガラス戸に走り寄ったら、はたして、その戸に小さいC南京錠が、ぴちりとかかっているのである。ほかのガラス戸にも手をかけてみたが、いずれも固く締まっている。5留守だ。私は途方に暮れて、汗をぬぐった。引っ越した、なんてことはなかろう。どこかへ、ちょっと外出したのか。いや、東京と違って、田舎ではちょっとの外出に、店にカーテンを下ろし、戸締まりをするなどということはない。二、三日あるいはもっと長い他出か。こいつぁ、だめだ。たけは、どこかほかの部落へ出かけたのだ。あり得ることだ。家さえわかったら、もう大丈夫と思っていた僕はばかであった。私は、ガラス戸をたたき、越野さん、越野さん、と呼んでみたが、6もとより返事のあるはずはなかった。ため息をついてその家から離れ、少し歩いて筋向かいのたばこ屋に入り、越野さんの家にはだれもいないようですが、行き先をご存じないかと尋ねた。そこのやせこけたおばあさんは、運動会へ行ったんだろう、と7事もなげに答えた。私は勢い込んで、
「それで、その運動会は、どこでやっているのです。この近くですか、それとも。」
すぐそこだと言う。この道を真っすぐに行くとたんぼに出て、それから学校があって、運動会はその学校の裏でやっているという。
「8今朝、重箱をさげて、子供といっしょに行きましたよ。」
「そうですか。ありがとう。」
教えられたとおりに行くと、なるほどたんぼがあって、そのあぜ道を伝っていくと砂丘があり、その砂丘の上にD国民学校が立っている。その学校の裏に回ってみて、9私は、呆然とした。こんな気持ちをこそ、10
夢見るような気持ちというのであろう。本州の北端の漁村で11昔と少しも変わらぬ12悲しいほど美しくにぎやかな祭礼が、今目の前で行われているのだ。まず、万国旗。着飾った娘たち。あちこちに白昼の酔っぱらい。そうして運動場の周囲には、百に近い掛け小屋がぎっしりと立ち並び、いや、運動場の周囲だけでは場所が足りなくなったとみえて、運動場を見下ろせる小高い丘の上にまでむしろで一つ一つきちんと囲んだ小屋を立て、そうして今はお昼の休憩時間らしく、その百軒の小さい家のお座敷に、それぞれの家族が重箱を広げ、大人は酒を飲み、子供と女は、ご飯食べながら、大陽気で語り笑っているのである。13日本は、ありがたい国だと、つくづく思った。たしかに、日いずる国だと思った。国運を灑してのC大戦争の最中でも、本州の北端の寒村で、このように明るい不思議な大宴会が催されている。古代の神々の豪放な笑いと14闊達な舞踏をこの本州のF僻陬において直接に見聞する思いであった。海を越え山を越え、母を捜してD三千里歩いて、行き着いた国の果ての砂丘の上に、華麗なHお神楽が催されていたというようなおとぎ話の主人公に私はなったような気がした。さて、私は、この陽気なお神楽の群集の中から、私の育ての親を捜し出さなければならぬ。別れてから、もはや三十年近くなるのである。目の大きいほっぺたの赤い人であった。右か、左のまぶたの上に、小さい赤いほくろがあった。私はそれだけしか覚えていないのである。会えば、わかる。その自信はあったが、この群集の中から捜し出すことは、難しいなあ、と私は運動場を見回して15べそをかいた。どうにも、16手の下しようがないのである。私はただ、運動場の周りを、うろうろ歩くばかりである。
「越野たけという人、どこにいるか、ご存じじゃありませんか。」私は勇気を出して、一人の青年に尋ねた。「五十くらいの人で、金物屋の越野ですが。」それが私のたけについての知識の全部なのだ。
「金物屋の越野。」青年は考えて、「あ、向こうのあの辺の小屋にいたような気がするな。」
「そうですか。あの辺ですか?」
「さあ、はっきりは、わからない。なんだか、見かけたような気がするんだが、まあ、捜してごらん。」
その捜すのが17大仕事なのだ。まさか、三十年ぶりで18云云と、青年に19きざったらしく打ち明け話をするわけにもいかぬ。私は青年にお礼を言い、その漠然と指さされた方角へ行ってまごまごしてみたが、そんなことでわかるはずはなかった。とうとう私は、昼食最中の団欒の掛け小屋の中に、ぬっと顔を突き入れ、
「おそれいります。あの、失礼ですが、越野たけ、あの、金物屋の越野さんは、こちらじゃございませんか。」
「違いますよ。」太ったおかみさんは不機嫌そうに20まゆをひそめて言う。
「そうですか。失礼しました。どこか、この辺で見かけなかったでしょうか。」
「さあ、わかりませんねえ。何せ、大勢の人ですから。」
私はさらにまた別の小屋をのぞいてきいた。わからない。さらにまた別の小屋。まるで何かに憑かれたみたいに、たけはいませんか、金物屋のたけはいませんか、と尋ね歩いて、運動場を二度も回ったが、わからなかった。二日酔いの気味なので、のどが渇いてたまらなくなり、学校の井戸へ行って水を飲み、それからまた運動場へ引き返して、砂の上に腰を下ろし、ジャンパーを脱いで汗をふき、21老若男女の幸福そうなにぎわいを、ぼんやり眺めた。この中に、いるのだ。たしかに、いるのだ。今ごろは、私のこんな苦労も何も知らず、重箱を広げて子供たちに食べさせているのであろう。いっそ、学校の先生に頼んで、メガホンで「越野たけさん、ご面会。」とでも叫んでもらおうかしら、とも思ったが、そんな暴力的な手段はなんとしてもイヤだった。そんな大げさな悪ふざけみたいなことまでして22無理に自分の喜びをでっち上げるのはイヤだった。縁がないのだ。神様が会うなとおっしゃっているのだ。帰ろう。私は、ジャンパーを着て立ち上がった。またあぜ道を伝って歩き、村へ出た。運動会のすむのは四時ごろか。もう四時間、その辺の宿屋で寝ころんで、たけの帰宅を待っていたっていいじゃないか。そうも思ったが、その四時間、宿屋の汚い一室でしょんぼり待っているうちに、もう、たけなんかどうでもいいような、腹立たしい気持ちになりゃしないだろうか。私は、23今のこの気持ちのままでたけに会いたいのだ。しかし、どうしても会うことができない。つまり、縁がないのだ。はるばるここまで訪ねてきて、すぐそこに、今いるということがちゃんとわかっていながら、会えずに帰るというのも、私のこれまでの24要領の悪かった生涯に25ふさわしい出来事なのかもしれない。私が26有頂天で立てた計画は、いつでもこのように、必ず、ちぐはぐな結果になるのだ。私には、そんな具合の悪い宿命があるのだ。帰ろう。考えてみると、いかに育ての親とはいっても、27露骨にいえば使用人だ。女中じゃないか。おまえは、女中の子か。男が、いい年をして、昔の女中を慕って、一目会いたいだのなんだの、それだからおまえはだめだというのだ。兄たちがおまえを、下品な女々しいやつと情けなく思うのも無理がないのだ。おまえは兄弟中でも、一人違って、どうしてこんなにだらしなく、汚らしく、いやしいのだろう。しっかりせんかい。私はバスの発着所へ行き、バスの出発する時間をきいた。一時三十分に中里行きが出る。もう、それっきりで、あとはないということであった。一時三十分のバスで帰ることに決めた。もう三十分くらい間がある。少しおなかもすいてきている。私は発着所の近くの薄暗い宿屋へ入って、「大急ぎで昼飯を食べたいのですが。」と言い、また内心は、やっぱり未練のようなものがあって、もしこの宿が感じがよかったら、ここで四時ごろまで休ませてもらって、などと考えてもいたのであるが、断られた。今日はうちの者がみな運動会へ行っているので、何もできませんと病人らしいおかみさんが、奥のほうからちらと顔をのぞかせて冷たい返事をしたのである。いよいよ帰ることに決めて、バスの発着所のベンチに腰を下ろし、十分くらい休んでまた立ち上がり、ぶらぶらその辺を歩いて、それじゃあ、もう一度、たけの留守宅の前まで行って28、人知れず今生のいとまごいでもしてこようと苦笑しながら、金物屋の前まで行き、ふと見ると、入り口の南京錠がはずれている。そうして戸が二、三寸開いている。天のたすけ! と勇気百倍、ガラリという品の悪い形容でも使わなければ間に合わないほど勢い込んでガラス戸を押し開け、
「ごめんください、ごめんください。」
「はい。」と奥から返事があって、十四、五の水兵服を着た女の子が顔を出した。私は、29その子の顔によって、たけの顔をはっきり思い出した。もはや遠慮をせず、土間の奥のその子のそばまで寄っていって、
「金木の津島です。」と名乗った。
30少女は、あ、と言って笑った。津島の子供を育てたということを、たけは、自分の子供たちにもかねがね言って聞かせていたのかもしれない。もう31それだけで、私とその少女の間に、一切の32他人行儀がなくなった。ありがたいものだと思った。私は、たけの子だ。女中の子だってなんだってかまわない。私は大声で言える。33私は、たけの子だ。兄たちに軽蔑されたっていい。私は、この少女ときょうだいだ。
「34ああ、よかった。」私は思わずそう口走って、「たけは? まだ、運動会?」
「そう。」少女も私に対しては毫末の警戒も35含羞もなく、落ち着いてうなずき、「私は腹が痛くて、今、薬を取りに帰ったの。」気の毒だが、その腹いたが、よかったのだ。腹いたに感謝だ。この子をつかまえたからには、もう安心。大丈夫たけに会える。もう何がなんでもこの子にすがって、離れなけりゃいいのだ。
「ずいぶん運動場を捜し回ったんだが、見つからなかった。」
「そう。」と言ってかすかにうなずき、おなかを押さえた。
「36まだ痛いか。」
「少し。」と言った。
「薬を飲んだか。」
黙ってうなずく。
「ひどく痛いか。」
笑って、37かぶりを振った。
「それじゃあ、頼む。僕を、これから、たけのところへ連れて行ってくれよ。38おまえもおなかが痛いだろうが、僕だって、遠くから来たんだ。歩けるか。」
「うん。」と大きくうなずいた。
「偉い、偉い。じゃあひとつ頼むよ。」
うん、うんと二度続けてうなずき、すぐ土間へ降りて下駄をつっかけ、おなかを押さえて、体をくの字に曲げながら家を出た。
「運動会で走ったか。」
「走った。」
「賞品をもらったか。」
「もらわない。」
おなかを押さえながら、とっとと私の先に立って歩く。またあぜ道を通り、砂丘に出て、学校の裏へ回り、運動会の真ん中を横切って、それから少女は小走りになり、一つの掛け小屋へ入り、すぐそれと入れ違いに、たけが出てきた。たけは、うつろな目をして私を見た。
(注)@国民服 一九四〇年(昭和一五)に国民が着用すべきものとして制定された男子用制服。A金木 青森県北津軽郡金木町(現五所川原市)。作者の生家がある。B三間 一間は約一・八メートル。C国民学校 一九四一年(昭和一六)から一九四七年(昭和二二)まで使われた、小学校の呼び名。C大戦争 第二次世界大戦。D三千里 一里は約三・九キロメートル。
一 カタカナを漢字に直し、漢字の読みを記せ。
1 この村のチッコウだけは、村にフニアいな 2 南京錠 3 呆然 4 キュウケイジカン
5 賭して 6 モヨオされて 7 ゴウホウな笑い 8 闊達 9 僻陬 10 神楽
11 云々 12 憑かれた 13 エンがない 14 キタナい 15 ヨウリョウの悪い
16 ウチョウテン 17 ロコツに言えば 18 女中をシタって 19 ミレンのような
20 コンジョウのいとまごい 21 もはやエンリョもせず 22 タニンギョウギ
23 軽蔑 24 含羞
二 傍線部1〜38問いに答えよ。
1 短く区切り、平仮名で書いてあることで、「中年の男」のどのような様子がわかるか。
2 辞書で意味を調べよ。
3 「私」の気持ちを説明せよ。
4 以後、これまでの叙述と異なり私の気持ちが直接的に表現されている。それはどこまで続くか。また、こ
この表現様式をなんというか、漢字四字で記せ。
5 私の気持ちを記せ。
6 辞書で意味を調べよ。
7 辞書で意味を調べよ。
8 どういうことを予感させるか。
9 なぜか。
10 私がこうなった理由を説明せよ。
11 いつごろのことか。
12 ここに描かれている運動会の描写はどのような意味を持っているか。
13 どのようなことを意味しているか。
14 辞書で意味を調べよ。
15 辞書で意味を調べよ。
16 辞書で意味を調べよ。
17 具体的にどういうことか。
18 辞書で意味を調べよ。
19 自分が「たけ」を探している事情を打ち明けることを「きざったらしく」思うのはなぜか。
20 辞書で意味を調べよ。
21 辞書で意味を調べよ。
22 理由を述べよ。
23 どのような気持か。
24 どのような気持か。
25 具体的に答えよ。
26 辞書で意味を調べよ。
27 この表現には、「私」のどのような意図が感じられるか。
28 (1)今生のいとまごい 辞書で意味を調べよ。
(2)今生のいとまごいをするにあたってなぜ苦笑したか。
29 なぜか。
30 なぜか。
31 指示内容を記せ。
32 辞書で意味を調べよ。
33 「私」の気持はどのようなものか。
34 「私」の気持ちを説明せよ。
35 辞書で意味を調べよ。
36 以下に現れた「私」の「少女」に対する態度から」どのようなことがうかがえるか。
37 辞書で意味を調べよ。
38 どういう気持ちがあらわされているか。
四 解答
一 1 築港 不似合い 2 なんきんじょう 3 ぼうぜん 4 休憩時間 5 と
6 催 7 豪放 8 かったつ 9 へきすう 10 かぐら 11 うんぬん 12 つ
13 縁 14 汚 15 要領 16 有頂天 17 露骨 18 慕 19 未練
20 今生 21 遠慮 22 他人行儀 23 けいべつ 14 がんしゅう
二 1 一体どこの人かと考えながら言っている様子。 2 不審、疑問に思う。
3 少しでも早く懐かしいたけに逢いたいと言う気持ち。
4 どこまで=ばかであった。四字=自問自答。 5 悲しい。 6 言うまでもなく。
7 何事もないかのように平然としている様子。 8 昼食時間に会場につく。
9 戦時下の時局と逆行した、昔と変わらない祭礼がおこなわれているのを見て。
10 戦争の最中にこんな宴会が開かれていたから。11 戦争が始まる前。
12 昭和19年の日本軍の勢力下り坂。対照的 にぎやかで豪快な宴会。
13 戦時下、日本は神の国で危機には神の加護があると教えられていた。
14 気持が大きくて小さなものごとにこだわらないさま。15 子供などが泣き顔になる。
16 自ら事を行う。17 青年は捜せばいいと簡単に言うが、「私」にとって捜すことは大変なこと。
18 引用した言葉の後を略すとき使う語。
19 見ず知らずの人に、個人的な話をするのは照れ臭いから。
20 心配事のため、また他人の忌まわしい行為を見たために顔をしかめる。
21 年寄りと若者と男女。22 大げさな行為は照れ臭くてとてもできなかったから。
23 たけと再会した時に純粋に感動したいと言う気持ち。
24 物事の処理の仕方が下手であること。25 今すぐに帰ると言うこと。
26 うまくいった喜びで夢中になっていること。
27 たけを卑下することで逢えなかった無念さを慰めようとする。
28 (1)この世の別れのあいさつをすること。
(2)会いたい気持ちを一度は立ち切ったはずなのに、捨てきれず再びたけのいるところまで、
いくはめになったから。
29 その子の顔が三十年前のたけににていたから。 30 「津島」という名を知っていたから。
31 「私」が名乗り少女が笑ったこと。
32 他人に接するときのようによそよそしく振舞うさま。
33 1 たけの子と 同胞意識を持ったこと。2 他の兄弟と一人違うのはたけに育てられたから。
34 たけに会えることと少女との間に親近感が生まれたことで安心した。
35 はじらうこと。 36 たけに会いたいと言う一途な気持ち。
37 かぶり=頭。 頭を左右に振って不承知の意を表す。
38 少女をいたわりつつそれでもたけに会いたいという思いを伝えたい気持ち。
五「修治だ。」私は笑って帽子をとった。
「あらあ。」それだけだった。1笑いもしない。まじめな表情である。でも、すぐにその硬直の姿勢を崩して、2さりげないような、変に、あきらめたような弱い口調で、「さ、入って運動会を。」と言って、たけの小屋に連れていき、「ここさお座りになりせえ。」とたけのそばに座らせ、3たけはそれきり何も言わず、きちんと正座してその@モンペの丸いひざにちゃんと両手を置き、子供たちの走るのを熱心に見ている。4けれども、私にはなんの不満もない。まるで、もう、安心してしまっている。足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、胸中に一つも思うことがなかった。もう、何がどうなってもいいんだ、というような全く5無憂無風の情態である。平和とは、こんな気持ちのことをいうのであろうか。もし、そうなら、私はこのとき、生まれて初めて6心の平和を体験したといってもよい。先年亡くなった私の生みの母は、気品高く穏やかな立派な母であったが、このような不思議な7安嚼感を私に与えてはくれなかった。世の中の母というものは、みな、その子にこのような甘い8放心の憩いを与えてやっているものなのだろうか。そうだったら、これは、何をおいても親孝行をしたくなるにきまっている。そんなありがたい母というものがありながら、病気になったり、怠けたりしているやつの9気が知れない。10親孝行は自然の情だ。倫理ではなかった。
たけのほおは、やっぱり赤くて、そうして、右のまぶたの上には、11小さいけし粒ほどの赤いほくろが、ちゃんとある。髪には白髪も混じっているが、でも、今私のわきにきちんと座っているたけは、私の幼いころの思い出のたけと、少しも変わっていない。あとで聞いたが、たけが私の家へ奉公に来て、私をおぶったのは、私が三つで、たけが十四のときだったという。それから六年間ばかり私は、たけに育てられ教えられたのであるが、けれども、私の思い出の中のたけは、決してそんな、若い娘ではなく、今目の前に見るこのたけと12寸分も違わない13老成した人であった。これもあとで、たけから聞いたことだが、その日、たけの締めていたアヤメの模様の紺色の帯は、私の家に奉公していたころにも締めていたもので、また、薄い紫色のA半襟も、やはり同じころ、私の家からもらったものだということである。そのせいもあったのかもしれないが、たけは、私の思い出とそっくり同じ14においで座っている。たぶんひいき目であろうが、たけはこの漁村のほかのBアバたちとは、まるで違った15気位を持っているように感ぜられた。着物は、縞の新しい手織り木綿であるが、それと同じ布地のモンペをはき、その縞柄は、まさか、いきではないが、でも、選択がしっかりしている。愚かしくない。全体に、何か、16強い雰囲気を持っている。私も、いつまでも黙っていたら、しばらくたってたけは、真っすぐ運動会を見ながら、17肩に波を打たせて深い長いため息をもらした。たけも平気ではないのだな、と私にはそのとき初めてわかった。でも、やはり黙っていた。
たけは、ふと気がついたようにして、
「何か、食べないか。」と私に言った。
「いらない。」と答えた。本当に、18何も食べたくなかった。
「癜があるよ。」たけは、小屋の隅に片づけられてある重箱に手をかけた。
「いいんだ。食いたくないんだ。」
たけは軽くうなずいてそれ以上勧めようともせず、
「癜のほうでないんだものな。」と小声で言ってほほえんだ。三十年近く互いに消息がなくても、私の酒飲みをちゃんと察しているようである。不思議なものだ。私が19にやにやしていたら、たけはまゆをひそめ、
「たばこものむのう。さっきから、立て続けにふかしている。たけは、おまえに本を読むことだば教えたけれども、たばこだの酒だのは、教えねきゃのう。」と言った。20油断大敵の例である。私は笑いを収めた。
私がまじめな顔になってしまったら、今度は、たけのほうで笑い、立ち上がって、
「C竜神様の桜でも見に行くか。どう?」と私を誘った。
「ああ、行こう。」
私は、たけのあとについて掛け小屋の後ろの砂山に登った。砂山には、スミレが咲いていた。背の低い藤のつるも、はい広がっている。たけは黙って登っていく。私も何も言わず、ぶらぶら歩いてついていった。砂山を登り切って、だらだら降りると竜神様の森があって、その森の小道の所々に八重桜が咲いている。21たけは、突然、ぐいと片手を伸ばして八重桜の小枝を折り取って、歩きながらその枝の花をむしって地べたに投げ捨て、それから立ち止まって、勢いよく私のほうに向き直り、にわかに、堰を切ったみたいに能弁になった。
「久しぶりだなあ。初めは、わからなかった。金木の津島と、うちの子供は言ったが、まさかと思った。まさか、来てくれるとは思わなかった。小屋から出ておまえの顔を見ても、わからなかった。修治だ、と言われて、あれ、と思ったら、それから、22口がきけなくなった。運動会も何も見えなくなった。三十年近く、たけはおまえに会いたくて、会えるかな、会えないかな、とそればかり考えて暮らしていたのを、こんなにちゃんと大人になって、たけを見たくて、はるばると小泊まで訪ねてきてくれたかと思うと、ありがたいのだか、うれしいのだか、悲しいのだか、そんなことは、どうでもいいじゃ、まあ、よく来たなあ、おまえの家に奉公に行ったときには、おまえは、ぱたぱた歩いては転び、ぱたぱた歩いては転び、まだよく歩けなくて、ご飯のときには茶碗を持ってあちこち歩き回って、倉の石段の下でご飯を食べるのがいちばん好きで、たけにD昔噺語らせて、たけの顔をとっくと見ながら一さじずつ養わせて、23手数もかかったが、E愛ごくてのう、それがこんなに大人になって、みな夢のようだ。金木へも、たまに行ったが、金木の街を歩きながら、もしやおまえがその辺に遊んでいないかと、おまえと同じ年ごろの男の子供を一人一人見て歩いたものだ。よく来たなあ。」と一語、一語、言うたびごとに、24手にしている桜の小枝の花を夢中で、むしり取っては捨て、むしり取っては捨てている。
「子供は?」とうとうその小枝もへし折って捨て、両ひじを張ってモンペを揺すり上げ、「子供は、いく人。」
私は小道のそばの杉の木に軽く寄りかかって、一人だ、と答えた。
「男? 女?」
「女だ。」
「いくつ?」
25 次から次と矢継ぎ早に質問を発する。私はたけの、そのように26強くて不遠慮な愛情の表し方に接して、ああ、私は、たけに似ているのだと思った。
(注)@モンペ 腰回りが緩く、裾を足首の所で絞った、袴に似た女性用の衣服。主に、農山漁村で作業服して用いられ、戦時中は女性の情洋服とされた。A半襟 婦人の襦袢の襟の上に飾りとしてつける布。Bア
バ「小母さん」という意味の方言。C竜神様 雨や水をつかさどる神。D昔噺 「昔話」という意味の方言。
E愛ごくて かわいくて。
一 カタカナを漢字に直し、漢字の読みを記せ。
1 コウチョクの姿勢をクズして 2 キョウチュウに一つも思うことがない
3 安堵 4 家へホウコウに来て 5 半襟 6 縞 7 木綿 8 強いフニキ
9 小屋のスミに 10 ユダンタイテキ 11 堰 12 ヤツぎ早に
二 傍線部1〜26の問いに答えよ。
1 なぜか。
2 理由を述べよ。
3 こういう態度を取ったのはなぜか。
4 「私」のたけに対する思いを説明せよ。
5 どのようなことか。
6 どのようなものであったか。
7 辞書で意味を調べよ。
8 辞書で意味を調べよ。
9 辞書で意味を調べよ。
10 意味を説明せよ。
11 どういう気持ちを言っているか。
12 辞書で意味を調べよ。
13 辞書で意味を調べよ。
14 ここではどのような意味で用いられているか。
15 辞書で意味を調べよ。
16 たけのどのような態度に表れているか。
17 どういう気持ちが表されているか。
18 なぜか。
19 なぜか。
20 辞書で意味を調べよ。
21 (1)堰を切る 辞書で意味を調べよ。
(2)能弁 辞書で意味を調べよ。
(3)このたけの行動からどのような心情がうかがえるか。
22 理由を述べよ。
23 辞書で意味を調べよ。
24、25 たけがこのような行動をとった理由を述べよ。
26 意味を分かりやすく説明せよ。
5 解答
一 1 硬直 崩 2 胸中 3 あんど 4 奉公 5 はんえり 6 しま 7 もめん
8 雰囲気 9 隅 10 油断大敵 11 せき 12 矢継
二 1 目の前の男が「修治」であるとはどうしても信じられなかったので。
2 驚きのあまり一種の放心状態になり、言葉が出なくなったので。
3 取り乱すまいとする自制心がはたらいたから。 4 不思議な安ど感。
5 憂いとか斑あとかすべてなくなって安心しきっている状態。
6 一切の抑圧から開放された甘美な幸福。7 物事がうまくいって安心すること。
8 魂が抜けたようにぼんやりしていること。9何かをするその人の気持ちが理解できない。
10 親孝行するのは自然な行為だ。 11 思い出の中のたけと少しも変わっていないことへの安心。
12 少し。ちょっと。13 おとなびること。14 雰囲気。
15 自分の品位を 保とうとする気の持ち方。
16 笑いもしないで真面目な表情で正座して子供たちの走るのを見ている。
17 持部の感情をどう始末したらいいか分からない。
18 胸がいっぱいで食欲を感じないから。
19 自分の現在の弱点を言い当てられ照れ臭かったから。
20 油断は物事の失敗のもとで恐ろしい敵であること。
21(1)物事が急に激しい状態になる。(2)話がうまくてよくしゃべること。
(3)高まる感情をどう表現していいか分からずに焦っている気持ち。
22 修治に会えたことで強い感情が押し寄せてきたから。
23 手間のかかること。
24、25 修治に会えて強い喜びと感動が心に広がり、それを抑えきれなかったので。
26 相手の気持ちや考え方に関わりなく、自分の方の気持ちや感情だけで一方的にたずねること。
概要
時 1944年 春
場所 青森県 小泊
登場人物 私 たけ 少女
事件 たけに30年ぶりに会う。
構成
一 二 三 四 |
段 |
旅の目的 たけの紹介 「思い出」(昭和8年) 深浦〜小泊 十三湖―冷たい はかない気品 小泊―ささやかな漁村 港は立派 貿易港 積み出し港 お昼少し前 小泊 運動会 たけの家金物屋 留守 煙草屋 砂丘の上 国民学校 運動会 村を出てバスの発着所へ行く 宿屋 金物屋 入口が空いている |
場面 |
津軽に会いたい人がいる 一生を決定した人だ 母=病身 3才〜8才 バスで2時間 バスから降りて聞くー早く会いたい 自分の家より立派 留守と知るー途方に暮れる 煙草屋で聞くー期待 着く 戦中の大宴会―桃源郷 おとぎ話の主人公 周りをうろつく この中から探す?―心細さ あせり 人に聞く 小屋を覗くー不安感 腰をおろし運動会を眺めるーやけ気味 立ちあがるー縁がない 神の責任 具合の悪い宿命 たけを慕う自分を卑下する たけを無視しよう バスの出る時間を聞く 帰ることに決める 昼飯を断られるー未練に悩む 声をかける 「金木の津島です。」 他人行儀がない たけの子でこの子と兄弟 連れていくよう頼む 案内してもらう |
私 |
←子守。小泊出身 女の子 たけに似ている 笑う |
たけ |
五 |
段 |
小泊 運動会 |
場面 |
たけに会い側に座るー母の持つ安堵感 たけを眺めるーほかのアバたちと違った気位 たけの感動を知る たけとの会話―自分をよく知っている 油断大敵 見に行く 回想を聞く 話を聞くー私はたけに似ている |
私 |
←小屋に入れる 頬は赤い 赤いほくろ 白髪 14才の時来る(私3才 ) 肩に波 深いため息 ←「竜神様の桜を見に行こう。」 能弁 矢継ぎ早の質問―強く無遠慮な愛情の表し方 |
たけ |
主題 たけに三十年ぶりに再開し、安らぎを得る。
作品に『富嶽百景』『斜陽』『人間失格』などがある。
太宰治 一九〇九年(明治四二)―一九四八年(昭和二三)。小説家。青森県生まれ。本名は津島修治。
日本浪漫派 新戯作派
一九三六年(昭和一一)に刊行された第一創作集『晩年』によりその独自な才能を認められた。独特な反俗精神と、虚構と告白を交えた手法に特色がある。また、昔話が好きでたけからよく聞き、作品は語り調に特色がある。生の不安と苦悩により自殺未遂・心中未遂を4回繰り返す。
『津軽』は1944年、「新風土記叢書」に発表。本文は『太宰治全集 第七巻』によった。
*故郷津軽に行き、その自然に触れ、親戚、友人、知人に会う。そうして自分が紛れのないこの津軽の人と実感し、自己同一性を確立する。こののち、『ブィヨンの妻』『斜陽』『人間失格』を書く。
*この旅において、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の句を解明する。
「ひるすぎ、私は傘をさして、雨の庭をひとりで眺めて歩いた。(略)池のほとりにたっていたら、チャボリと小さい音がした。見ると、蛙が飛び込んだのである。つまらない、あさはかな音である。とたんに私は、あの芭蕉翁の古池の句を理解できた。(略)余韻も何もない。ただの、チャボリだ。いわば世の中のほんの片隅の、実にまずしい音なのだ。貧弱な音なのだ。芭蕉はそれを聞き、わが身につまされるものがあったのだ。古池や蛙飛び込む水の音。そう思ってこの句を見直すと、わるくない。いい句だ。」(四 津軽平野)