語釈

 

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 羅生門                             芥川龍之介 

語釈

 ある日の暮れ方のことである。一人の1下人が、@羅生門の下で2雨やみを待っていた。

 広い門の下には、この男のほかにだれもいない。ただ、所々丹塗りのはげた、大きな円柱に、きりぎりすが一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二、三人はありそうなものである。それが、この男のほかにはだれもいない。

 3なぜかというと、この二、三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか4飢饉とかいう災いがつづいて起こった。そこで洛中のさびれ方は5一通りではない。A旧記によると、6仏像や仏具を打ち砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした木を、道ばたにつみ重ねて、薪の料に売っていたということである。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、7もとよりだれも捨てて顧みる者がなかった。するとその荒れ果てたのをよいことにして、狐狸が棲む。盗人が棲む。とうとうしまいには、引き取り手のない死人を、この門へ持ってきて、捨てていくという習慣さえできた。そこで、8日の目が見えなくなると、だれでも気味を悪がって、この門の近所へは足ぶみをしないことになってしまったのである。

 その代わりまた9からすがどこからか、たくさん集まってきた。昼間見ると、その鴉が、何羽となく輪を描いて、高いB鴟尾のまわりを鳴きながら、飛びまわっている。ことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻をまいたように、はっきり見えた。鴉は、もちろん、門の上にある死人の肉を、ついばみにくるのである。――もっとも今日は、10刻限が遅いせいか、一羽も見えない。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、鴉の糞が、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段ある石段のいちばん上の段に、洗いざらした紺の襖の尻を据えて、11右の頬にできた、大きなにきびを気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。

 

(注)@羅生門A旧記B鴟尾

 

一 次の漢字の読みを記し、カタカナを漢字に直せ。

 

  1 丹塗り 2 朱雀大路 3 市女笠 4 揉烏帽子 5 飢饉 6 そのシマツである

 

  7 コクゲンが遅い 8 尻をスえて 

 

二 次の語の意味を辞書で調べよ。

 

1  下人

 

2  雨やみ

 

  3  飢饉

 

  4  一通りではない

 

  5  もとより

 

  6  日の目

 

  7  刻限

 

 

 

二 傍線部1〜の問に答えよ。

 

 1 辞書で意味を調べよ。

 

 2 雨やみ この後との違いを説明せよ。

 

 3 (1)何の理由を説明しようとする書き出しか。

 

(2)どの箇所までかかっているか。

 

 4 辞書で意味を調べよ。

 

 5 辞書で意味を調べよ。

 

 6 人々のどのような様子を示しているか。

 

 7 辞書で意味を調べよ。

 

 8 辞書で意味を調べよ。

 

 9 からす どのような効果をあげているか。

 

 10 辞書で意味を調べよ。

 

 11 どんな感じを与えるか。  

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた。」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようという当てはない。ふだんなら、もちろん、主人の家へ帰るべきはずである。ところがその主人からは、四、五日前に2暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実は3この衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた。」と言うよりも、「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、4途方にくれていた。」と言うほうが、適当である。その上、今日の空模様も少なからず、この平安朝の下人の5 sentimentalisme に影響した。申の刻下がりからふり出した雨は、いまだに上がる気色がない。そこで、下人は、何をおいても差し当たり明日の暮らしをどうにかしようとして――いわばどうにもならないことを、どうにかしようとして、6とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、7聞くともなく聞いていたのである。

8 雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっという音をあつめてくる。夕やみはしだいに空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜めにつき出した甍の先に、重たくうす暗い雲を支えている。

 どうにもならないことを、どうにかするためには、9手段を選んでいるいとまはない。選んでいれば、築土の下か、道ばたの土の上で、飢え死にをするばかりである。そうして、この門の上へ持ってきて、犬のように捨てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も10同じ道を低徊したあげくに、やっと11この局所へ12逢着した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないということを肯定しながらも、この「すれば」の13かたをつけるために、当然、その後に来るべき「盗人になるよりほかにしかたがない。」ということを、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。

14下人は、大きなくさめをして、それから、大儀そうに立ち上がった。15夕冷えのする京都は、もう火桶が欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕やみとともに遠慮なく、吹きぬける。丹塗りの柱にとまっていたきりぎりすも、もうどこかへ行ってしまった。

 下人は、首をちぢめながら、山吹の汗衫に重ねた、紺の@襖の肩を高くして、門のまわりを見まわした。雨風の16うれえのない、17人目にかかるおそれのない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、これも丹を塗ったはしごが目についた。上なら、人がいたにしても、18どうせ死人ばかりである。下人はそこで、腰にさげたA聖柄の太刀が鞘走らないように気をつけながら、わら草履をはいた足を、そのはしごのいちばん下の段へふみかけた。

 

(注)@襖 「狩衣」と同じ。A聖柄の太刀 皮などをつけない、木地のままの柄の刀。

 

一 次の漢字の読みを記し、カタカナを漢字に直せ。

 

  1 衰微 2 ヨハにほかならない 3 申 4 築地 5 逢着 6ユウビえ 7火桶 8 山吹

 

  9 憂え 10 鞘 11 ゾウリをハいた

 

二 傍線部1〜18の問いに答えよ。

 

1 作者が姿を表している効果について答えよ。

 

2 辞書で意味を調べよ。

 

3 どういうことか。

 

4 辞書で意味を調べよ。

 

5 「作者」はなぜこのような表現を選んだのか。

6 辞書で意味を調べよ。

 

7 辞書で意味を調べよ。

 

8  どのような効果をもたらしているか。

   

9 どのようなことか。

 

10 具体的内容を抜き出せ。

 

11 具体的にどのようなことか。

 

12 辞書で意味を調べよ。

 

13 辞書で意味を調べよ。

 

14 (1)ここで「くさめ」を用いることによってどのような効果が出ているか。

 

(2)この「くさめ」は下人の行動にどのような役割を果たしているか。 

 

  15 辞書で意味を調べよ。

  

16 辞書で意味を調べよ。

 

  17 辞書で意味を調べよ。

 

  18 下人の心理はどういうものか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広いはしごの中段に、一人の男が、猫のように身をちぢめて、1息を殺しながら、上の様子をうかがっていた。楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬を2らしている。短いひげの中に、赤くうみを持ったにきびのある頬である。3下人は、始めから、この上にいる者は、死人ばかりだと高をくくっていた。それが、はしごを二、三段上ってみると、上ではだれか火をとぼして、しかもその火をそこここと、動かしているらしい。これは、その濁った、黄いろい光が、隅々に蜘蛛の巣をかけた天井裏に、揺れながら映ったので、すぐに4それと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。

 下人は、やもりのように5足音をぬすんで、やっと急なはしごを、いちばん上の段まではうようにして上りつめた。そうして体をできるだけ、平らにしながら、首をできるだけ、前へ出して、恐る恐る、楼の内をのぞいてみた。

 見ると、楼の内には、うわさに聞いたとおり、幾つかの屍骸が、6無造作に捨ててあるが、火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の屍骸と、着物を着た屍骸とがあるということである。もちろん、中には女も男もまじっているらしい。そうして、その屍骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だという事実さえ疑われるほど、土をこねて造った人形のように、口を開いたり手を伸ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている部分の影をいっそう暗くしながら、永久におしのごとく黙っていた。

 下人は、それらの屍骸の7腐乱した臭気に思わず、鼻をおおった。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻をおおうことを忘れていた。8ある強い感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからである。

 9下人の目は、その時、はじめて、その屍骸の中にうずくまっている人間を見た。@檜皮色の着物を着た、背の低い、やせた、白髪頭の、猿のような老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木片を持って、その屍骸の一つの顔をのぞきこむように眺めていた。髪の毛の長いところを見ると、たぶん女の屍骸であろう。

 下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、10暫時は呼吸をするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、A「頭身の毛も太る」ように感じたのである。すると、老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた屍骸の首に両手をかけると、ちょうど、猿の親が猿の子のしらみをとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。11髪は手に従って抜けるらしい

 12その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えていった。そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい13憎悪が、少しずつ動いてきた。――いや、この老婆に対すると言っては、14語弊があるかもしれない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分ごとに強さを増してきたのである。この時、だれかがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、飢え死にをするか盗人になるかという問題を、改めて持ち出したら、おそらく15下人は、なんの未練もなく、飢え死にを選んだことであろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片のように、勢いよく燃え上がり出していたのである。

 下人には、もちろん、なぜ老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。したがって、16合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くということが、17それだけですでに許すべからざる悪であった。もちろん、下人は、さっきまで、自分が、盗人になる気でいたことなぞは、とうに忘れているのである。

 

(注)@檜皮色 檜の樹皮のような赤黒い色。A「頭身の毛も太る」 異常な恐ろしさの形容。『今昔物語集』に「頭身の毛太るやうに思えければ」とある。」

 

一 次の漢字の読みを記し、カタカナを漢字に直せ。

 

 1 濁った 2 死骸 3 ムゾウサ 4 腐乱した 5 鼻をオオった 6 嗅覚 7 檜皮色

 

 8 暫時 9 間にサして

 

二 傍線部1〜17の問いに答えよ。

 

  1 辞書で意味を調べよ。

 

2「ぬらしている」と「照らしている」の違いを説明せよ。

 

3 同じ内容の文をこれ以前から抜き出せ。

 

4 指示内容を記せ。

 

5 辞書で意味を調べよ。

 

6 辞書で意味を調べよ。

 

7 辞書で意味を調べよ。

 

8 どのような感情か。

 

9 下人」ではなく「下人の目」と表現しているのはなぜか。

 

10 辞書で意味を調べよ。

 

11 どうしてか説明せよ。

 

  12 なぜか。

 

  13 どういう性格のものか。

 

  14 辞書で意味を調べよ。

 

  15 下人に「飢え死に」を選ばせる感情とはどのような感情か。十字程度で抜き出せ。

 

  16 なぜか。

 

17 なぜこうなるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこで、下人は、両足に力を入れて、いきなり、はしごから上へ飛び上がった。そうして聖柄の太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩みよった。老婆が驚いたのは言うまでもない。

 老婆は、一目下人を見ると、まるで@弩にでもはじかれたように、飛び上がった。

「おのれ、どこへ行く。」

 下人は、老婆が屍骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行く手をふさいで、こうののしった。老婆は、それでも下人をつきのけて行こうとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押しもどす。二人は屍骸の中で、しばらく、無言のまま、つかみ合った。しかし1勝敗は、はじめから、わかっている。下人はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへねじ倒した。ちょうど、鶏の脚のような、骨と皮ばかりの腕である。

「何をしていた。言え。言わぬと、2これだぞよ。」

 下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘を払って、白い鋼の色を、その目の前へつきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわなふるわせて3肩で息を切りながら、目を、眼球がまぶたの外へ出そうになるほど、見開いて、おしのようにA執拗く黙っている。これを見ると、下人は初めて明白に、この老婆の生死が、4全然、自分の意志に支配されているということを意識した。そうしてこの意識は、5今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に6成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。

 

(注)@弩 石をはじき飛ばす仕掛けの飛び道具。A執拗く しぶとく。

 

一 次の漢字の読みを記し、カタカナを漢字に直せ。

 

 1 激しいゾウオ 2 語弊 3 なんのミレンもなく 4 大股 5 慌てふためいて

 

二 傍線部1〜6の問いに答えよ。

 

1 どのようなことがわかっているというのか。

 

2 具体的にはどのような意味か。

 

  3 辞書で意味を調べよ。

  

  4 辞書で意味を調べよ。

 

  5 下人はなぜ憎悪の心をさましてしまったのか。

 

  6 辞書で意味を調べよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで、下人は、老婆を見下ろしながら、少し声をやわらげてこう言った。

「1おれは検非違使の庁の役人などではない。今し方この門の下を通りかかった旅の者だ。だからおまえに縄をかけて、どうしようというようなことはない。ただ、今時分、この門の上で、何をしていたのだか、それをおれに話しさえすればいいのだ。」

 すると、老婆は、見開いていた目を、いっそう大きくして、じっとその下人の顔を見守った。まぶたの赤くなった、肉食鳥のような、鋭い目で見たのである。それから、しわで、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でもかんでいるように、動かした。細い喉で、とがった2喉仏の動いているのが見える。その時、その喉から、鴉の鳴くような声が、あえぎあえぎ、下人の耳へ伝わってきた。

「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、かつらにしょうと思うたのじゃ。」

 3下人は、老婆の答えが存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷ややかな4侮蔑といっしょに、心の中へはいってきた。すると、5その気色が、先方へも通じたのであろう。6老婆は、片手に、まだ屍骸の頭から奪った長い抜け毛を持ったなり、蟇のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんなことを言った。

「なるほどな、死人の髪の毛を抜くということは、なんぼう悪いことかもしれぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいなことを、されてもいい人間ばかりだぞよ。現に、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干し魚だと言うて、@太刀帯の陣へ売りに往んだわ。疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいたことであろ。それもよ、この女の売る干し魚は、味がよいと言うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料に買っていたそうな。わしは、この女のしたことが悪いとは思うていぬ。せねば、飢え死にをするのじゃて、しかたがなくしたことであろ。されば、今また、わしのしていたことも悪いこととは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、飢え死にをするじゃて、しかたがなくすることじゃわいの。じゃて、そのしかたがないことを、よく知っていたこの女は、おおかたわしのすることも7大目に見てくれるであろ。」

 老婆は、大体こんな意味のことを言った。

 

(注)@太刀帯の陣 平安時代、東宮坊で警護にあたった役人を「太帯刀」といい、その」詰め所を「太刀帯の陣」と言った。

 

一 次の漢字の読みを記し、カタカナを漢字に直せ。

 

 1 鋼 2 円満にジョウジュした 3 和らげて 4 検非違使 5 存外 6 冷やかなブベツ

 

二 傍線部1〜6の問いに答えよ。

 

 

  1 嘘をついたのはなぜか。

 

      2 辞書で意味を調べよ。

 

  3 なぜ失望したか。

 

  4 辞書で意味を調べよ。

 

  5 どんな「気色」か。

 

  6 老婆のどのような気持ちが出ているか。

  

  7 辞書で意味を調べよ。

 

 下人は、太刀を鞘におさめて、その太刀の柄を左の手でおさえながら、1冷然として、この話を聞いていた。もちろん、右の手では、赤く頬にうみを持った大きなにきびを気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞いているうちに、下人の心には、2ある勇気が生まれてきた。それは3さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、4またさっきこの門の上へ上がって、この老婆を捕らえた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。下人は、飢え死にをするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。5その時の、この男の心もちから言えば、飢え死になどということは、ほとんど、考えることさえできないほど、意識の外に追い出されていた。

「きっと、そうか。」

 老婆の話が終わると、6下人はあざけるような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手をにきびから離して、老婆の襟上をつかみながら、7かみつくようにこう言った。

「では、おれが引剥をしようと恨むまいな。おれもそうしなければ、飢え死にをする体なのだ。」

 下人は、すばやく、老婆の着物をはぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く屍骸の上へ蹴倒した。はしごの口までは、わずかに五歩を数えるばかりである。下人は、はぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急なはしごを8夜の底へかけ下りた。

 

(注)

一 次の漢字の読みを記し、カタカナを漢字に直せ。

 

 1 太刀帯 2 往んだわ 3 疫病 4 柄 5 レイゼンとして 6 ネンを推した

 

 7 ウラむ 8 蹴倒した 

 

二 次の語の意味を辞書で調べよ。

 

  31 大目にみる

 

  32 冷然

 

  33 念を押す

 

二 傍線部1〜9の問いに答えよ。

 

  1 辞書で意味を調べよ。

 

  2 どのような勇気か。

 

  3 どういう勇気か。

  

  4 どういう勇気か。

 

  5 具体的にはどんなときか。

 

  6 なぜか。

  

  7 下人の心理はどのようなものか。

 

  8 どういうことをいっているか。また、何を象徴しているか。

 

 しばらく、死んだように倒れていた老婆が、屍骸の中から、その裸の体を起こしたのは、それから間もなくのことである。老婆は、つぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、はしごの口まで、はっていった。そうして、そこから、短い白髪をさかさまにして、門の下をのぞきこんだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。

 下人の行方は、だれも知らない。

 

一 次の漢字の読みを記し、カタカナを漢字に直せ。

 

 1 死骸 2 黒洞々

 

推敲 下人の行方は、だれも知らない。

 

1 下人は、雨を冒して、京の町へ強盗を働きに急ぎつつあった。  たくましく生きる下人。

2 下人は、雨を冒して、京の町へ強盗を働きに急いでいた。    たくましく生きる下人

3 下人の行方は、だれも知らない。               其の後が曖昧。余韻を残す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四 構成

 

 

 

 

 

 

 

 

4 

 

 

 

 

 

5 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨 夕方

寒さ

門の下

 

何分かの後

幾つかの死骸

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暫くして

場面

時     平安時代の一時期 秋 夕暮れ

場所    羅生門の下

状況    地震・辻風・などでさびれている。 雨が降っている。

登場人物  下人 老婆

   

 

 

現状 失職中

心理 盗人になろうにも勇気がない

行動 梯子の下へ行く

 

行動 楼に上る

心理 恐怖・好奇心          →

 

 

心理 恐怖消える

心理 憎悪              →

    悪への反感 餓死を選ぶ

行動 ねじ倒す            →

 

 

行動 脅す

心理 憎悪消える

心理 得意・満足           →

 

 

心理 憎悪・侮蔑           →

 

 

 

心理 盗人になろうとする勇気

行動 老婆の着物をはぎ取り門を去る。

 

行動 行方不明

下人の行動・心理(変化)

 

 

 

 

 

行動 女の死骸の守を抜く

 

 

 

 

 

行動 飛び上がる 逃げようとする

 

行動 黙っている

 

 

←行動 見守る「髪を鬘にしようと思う。」

 

 

←行動 弁明

    「若い女=詐欺

     自分 =髪を抜く

     生きるため悪を行う。

 

取り残される

老婆の行動・心理(一定)

主題 エゴイズムの醜さ 

生きるためやむなく行われる悪は許されるという考えに逆襲される人々

 

      若い女    老婆    下人

      −       −     −

  蛇   髪      着物    行方不明 

小説 老婆への仕打ちにするため老婆の着物だけを取る。

原作 死人の衣・老婆の衣・抜いた髪全てを取る。現実に生きる下人を描く。

筆者 芥川龍之介 1892〜1927年。

   新思潮派 同人誌 「新思潮」

        同人   久米正雄 菊池寛

        主張   現実を冷静に観察し、対処しようとする。

   芥川龍之介 『今昔物語集』『宇治拾遺物語』などの説話から題材をとり、『芋粥』『地獄変』

         などを書いた。『鼻』で夏目漱石に賞賛される。

 

羅生門  解答

一 1 にぬ 2 すざくおおじ 3 いちめがさ 4 もみえぼし 5 ききん 6 始末

  7 刻限 8 据えて

二 1 身分がひくい者。 雨が一時やむこと。 雨がやむのを待つこと。雨宿り。

  3 (1)「この男のほかにはだれもいない」事の理由。(2)「なってしまったのである。」

4 農作物が実らずに食物が欠乏して飢え苦しむこと。

  5 普通ではない。6 生活の困窮ぶりと心の荒廃ぶり。7 いうまでもなく。8 火の光。

9 不気味な様子。10 時刻。

  11 下人が青年であることを示し、現実感を強める。 

一 1 すいび 2 余波 3 さる 4 ついじ 5 ほうちゃく 6 夕冷え 7 ひおけ 

8 やまぶき 9 うれ 10 こずえ 11 草履 履く

二 1 物語的性格があきらかになり、読者は作者の視点から下人を見る。

  2 やめさせられた。 3 時代の変化によって失業したこと。

  4 どうしていいかわからなくて困る。 5 自分を取り巻く世界に影響されやすいこと。

  6 まとまりがない。 7 特に注意を持って聞いたのではないが自然に耳に入って来る。

  8 空模様と同様下人の心情も暗く重苦しい者であることを暗示する

  9 盗む以外の生きる手立てを見付出すこと。 

  10 「どうにもならない・・・ばかりである。」

  11 飢え死にしないためには盗人になるほかないという考え。12 出くわすこと。

  13 決着を付ける。 

14(1)下人の姿に現実性を与える効果。(2)下人の行動が静から動に移る契機。 

  15 夕方になって一層気温が下がること。 16 心配。17 人の見られる。

  18 捨て鉢な気持。

一 1 にご 2 死骸 3 無造作 4 ふらん 5 覆 6 嗅覚 7 ひわだいろ 8 ざんじ

  9 挿

二 1 息を抑えて静かにする。 

2 ぬらしている 異様で不気味 照らしている。 明るく健康的。

3 「上なら人がいたとしてもどうせ死人ばかりである。」

4 「上ではだれか・・・動かしているらしい。」5 足音をたてないようにそっと。

6 たやすく行っている。 7  腐りただれること。

8 「六分の恐怖と四分の好奇心」 9 クローズアップされた下人の「目」を想像する。

  10 暫くの間。 11 腐りかけているから抵抗なく抜ける。

 12 老婆が何をしているか分かってきたから。 

13  23 「あらゆる悪・・・反感」

14 言い方が適切でないために起こる弊害。

15 「あらゆる悪に対する反感」「悪を憎む気持ち」

16 老婆が死人の髪の毛を抜く理由がわからないため、その行為の善悪の判断をくだせなかった。

17 雨の世の羅生門で死人の髪の毛を抜くと言うこと。 26 下人が老婆に勝つということ。

 

 1 憎悪 2 ごへい 3 未練 4 おおまた 5 あわ

二 1 下人が老婆に勝つということ。2 この太刀で殺すということ。

  3 苦しそうな息遣いをしているさま。4 すっかり。

5 悪人と思っていた老婆が無力な人とわかったから。 6 なしとげること。

 

一 1 はがね 2 充実 3 やわ 4 けびいし 5 ぞんがい 6侮蔑「 

二 1 老婆を安心させ何をしていたか話させようと思って。2 のどの中間にある甲状軟骨の突起

  3 異常なものを予想していたから。4 ひとをあなどり無視した扱いをすること。

  5 下人の失望、侮辱といった気持。6 髪の毛に対する執着心。

  7 厳しくとがめず寛大にすること。

 

一 1 たてわき 2 い 3 えやみ 4 つか 5 冷然 6 念 7 恨 8 けたお

二 1 ひやややかでおみやりのないさま。 2 盗人になろうとする勇気。

  3 盗人になろうとする勇気。 4 悪を憎む気持ち。

  5 下人の心に「ある勇気が生まれてきた」こと。

  6 下人に盗人になる決断をさせ、その最初の被害者が老婆であることに気付いたから。

  7 決断を強めようとした。

 8 どういうこと はしごの下の真っ暗なさま。何 人生に対する絶望。

 

一 1 しがい 2 こくとうとう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『今昔物語集』巻第二十九第一八話

 

今は昔、摂津の国の辺りより盗みせむがために、京に上りける男(おのこ)の、日のいまだ暮れざりければ、羅城門の下に立ち隠れて立てりけるに、朱雀(すざく)の方に人しげく行きければ、人の静まるまでと思ひて、門の下に待ち立てりけるに、山城の方より人どものあまた来たる音のしければ、それに見えじと思ひて、門の上層(うわこし)に、やはらかきつき登りたりけるに、見れば火ほのかにともしたり。
 盗人(ぬすびと)、怪しと思ひて、連子(れんじ)よりのぞきければ、若き女の死にて臥したるあり。その枕上(まくらがみ)に火をともして、年いみじく老いたる嫗(おうな)の白髪白きが、その死人の枕上に居て、死人の髪をかなぐり抜き取るなりけり。
 盗人これを見るに、心も得ねば、これはもし鬼にやあらむと思ひて恐ろしけれども、もし死人にてもぞある、おどして試みむと思ひて、やはら戸を開けて刀を抜きて、「おのれは、おのれは」と言ひて、走り寄りければ、嫗、手まどひをして、手をすりてまどへば、盗人、「こは何ぞの嫗の、かくはし居たるぞ」と問ひければ、嫗、「おのれが主(あるじ)にておはしましつる人の失せ給へるを、あつかふ人のなければ、かくて置き奉りたるなり。その御髪の丈に余りて長ければ、それを抜き取りて鬘(かづら)にせむとて抜くなり。助け給へ」と言ひければ、盗人、死人の着たる衣(きぬ)と嫗の着たる衣と、抜き取りてある髪とを奪ひ取りて、下り走りて逃げて去(い)にけり。
 さて、その上の層には、死人の骸(かばね)ぞ多かりける。死にたる人の葬(ほうむり)などえせざるをば、この門の上にぞ置きける。
 このことは、その盗人の人に語りけるを聞き継ぎて、かく語り伝へたるとや。