背景 1 フィリピン諸島における日本の攻防戦の状況(特にレイテ沖海戦前後)
制海権・制空権が敵の手中に落ち、前世の将兵は確かな情報も得られず、物資の補給も絶たれて孤
立させられていた。
2 「旧日本軍と言う集団
「俘虜」となることを恥とする。 戦争末期、中年の男子が補充兵として多く召集された。
野火 大岡昇平
語釈
たとひわれ死のかげの谷を歩むとも
ダビデ
一 出発
私は頬を打たれた。分隊長は早口に、ほぼ次のように言った。
「馬鹿やろ。帰れつていはれて、黙つて帰つて来る奴があるか。帰るところがありませんつて、がんばるんだよ。さうすりゃ病院でもなんとかしてくれるんだ。中隊にやお前みてえな肺病やみを、飼つとく余裕はねえ。見ろ、兵隊はあらかた、食糧収集に出動してゐる。見方は苦戦だ。役に立たねえ兵隊を、飼つとく余裕はねえ。病院へ帰れ。入れてくんなかつたら、幾日でも座りこむんだよ。まさkほつときもしねえだらう。どうでも入れてくんなかつたらー死ぬんだよ。手榴弾は無駄に受領してるじゃねえぞ。それが今じゃお前のたった一つのご奉公だ。」
私は喋るにつれ濡れて来る相手の唇を見続けた。1致命的な宣告を受けるのは私であるのに、何故彼がこれほど2激昂しなければならないかは不明であるが、多分声を高めると共に、感情をつのらせる軍人の習性によるものであらう。状況が悪化して以来、3彼らが軍人のマスクの下に隠さねばならなかった不安は、われわれ兵士に向かって爆発するのが常であつた。この時わが分隊長が専ら食糧を語つたのは、むろんこれが彼の最大の不安だったからであろう。
いくら、「坐り込ん」でも病院が食糧を持たない患者を入れてくれるはずはなかった。食糧は不足し、軍医と衛生兵は、患者のために受領した糧秣で食いつないでいたからである。病院の前には、幾人かの、無駄に「坐り込ん」でゐる人たちがゐた。彼らもまたその本隊で「死ぬ」といはれてうぃた。
十一月下旬レイテ島の西岸に上陸すると間もなく、私は軽い4喀血をした。水際の対空戦闘と奥地への困難な行軍で、ルソン島に駐屯当時から不安を感じてゐた、5以前の病気が昂じたのである。 私は五日分の食料を与えられ、山中に開かれてゐた患者収容所へ送られた。血だらけの傷兵が碌碌手当も受けずに、民家の床にごろごろしてゐる前で、軍医はまづ肺病なんかで、病院へ来る気になった私を怒鳴りつけたが、食糧を持ってゐるのを見ると、入院を許可してくれた。
三日後私は治癒を宣されて退院した。然し中隊では治癒と認めない、五日分の食料を持っていった以上、五日置いて貰へ、といつた。私は病院へ引き返した。あの食料は五日分とはいえない、もう切れたと断られた。そして今朝私は投げ返されたボールのやうに、再び中隊へもどってきたのであるが、それはただ私の中隊でもまた「死ね」といふかどうかを、確かめたかったからにすぎない。
「わかりました。田村一等兵はこれより直ちに病院に赴き、入院を許可されない場合は、自決いたします。」
兵隊は一般に「わかる」と個人的判断を誇示することを、禁じられていたが、この時は見逃してくれた。
「よし、元気で行け。何事も御国のためだ。最期まで帝国軍人らしく行動しろ。」
「はいつ。」
室内には窓際に汚い木箱を机にして、給与掛の曹長が何か書類を作ってゐた。我々の会話が聞こえないように、黙って背中を向けてゐたが、私が傍らへ行って申告すると、立ち上がり、細い眼をさらに細くしていつた。
「よし、追い出すやうで気の毒だが、分隊長の立場も考えてやらんといかん。犬死にするなよ。糧秣をやるあぞ。」
彼は室の隅の小さな芋の山から、いい加減に両手にしゃくつて差し出した。カモテと呼ばれ、甘藷に似た比島の芋であった。礼を言って受け取り、雑嚢へしまふ私の手は震えた。私の生命の維持が、私の属し、そのため私が生命を提供している国家から保障される限度は、この六本の芋に尽きてゐた。この六という数字には、恐るべき数学的な正確さがあった。敬礼して回れ右をすると、分隊長の声が追って来た。
「隊長殿には申告せんでいいぞ。」
一瞬中隊長にいえば助かるかもしれないと思ったが、これは未練であった。前線では将校は下士官の集団的意思に屈してうぃた。隊長室はこの室からひと跨ぎの、渡り廊下で繋いだ別棟にあったが、入口を覆ったアンペラは静まりかえってゐた。
「申告しないでもいい」とは、私の場合が前日病院へ送り返された時、決着してうぃたことを示してゐた。今日私が帰ってきたのは、まったく余計なことであった。だからこれは純然たる分隊長の問題だったわけである。
半ば朽ちた木の階段を下りると、木の間を透して落ちる陽が、地上に散り敷いてゐた。横手に彼岸花に似たたい紅色の花を交えた叢が連なり、その向うの林の中で、十数人の兵士が防空壕を掘ってゐた。
円匙が足りないので、民家で見つけた破れ鍋や棒を動員して掘っていく。敗残兵同様となってこの山間の部落に隠れてゐる我々を、米軍はもう爆撃しそうにもなかったが、壕はとにかく我々の安全のために必要であった。あおれに我々にはほかにすることがなかった。林の陰で兵士達の顔はのっぺりと暗かった。中に顔を挙げて私のほうを見るも者も、すぐ目をそらし、、下を向いて作業を続ける。
彼らは大部分内地から私と一緒に来た補充兵である。輸送船の退屈の中で、我々は奴隷の感傷で一致したが、古兵を交えた三ケ月の駐屯生活の、こまごました日常の必要は、我々を再び一般社会におけると同じエゴイストに帰した。そしてそれはこの島に上陸して、状況が悪化するとともに、さらに真剣にならざるを得なかった。
私が発病し、世話になるばかりで何も返すことができないのが明らかになると、はっきりと冷たいものが我々の間に流れた。危険が到来せず瀬尾の予感だけしかない場合、内攻する自己保全の本能は、人間を必要以上にエゴイストにする。私は彼らの既に知ってゐる私の運命を、告げに行く気がしなかった。彼らの追い詰められた人間性を刺激するのは、むしろ気の毒である。
前方の路傍の木の根元に五六名の衛兵が屯してゐた。そして6これが現在、中隊の位置に残ってゐる兵力の全部であつた。
タクロバン地区における敗勢を挽回するため、西海岸に7揚陸された、諸兵団の一部であったわが混成旅団は、水際で空襲され、兵力の半数以上をうしなってゐた。重火器は揚陸する暇なく、舟もろとも沈んだ。しかし我々は最初の作戦通りブラウエン飛行場目指して、中央山脈を越える小路を行軍したが、山際で先行した別の兵団の敗兵に押し戻された。先頭は迫撃砲を持つ敵遊撃隊の活動によって混乱に陥り、全身不能だといふ。我々はやむを得ず南方に道なき山越えの進路をとtったが、途中三方から迫撃砲劇を受けて再び山麓まで下り、この辺一帯の谷間に分散8露営して、なすところなくその日を送ってゐた。オルモック基地に派遣された連絡将校は進撃の命令を伝えたが、部隊長はそれを握りつぶしてうぃると噂された。
オルモックを出発する時携行した十二日分の食料は既になかった。付近部落に住民が9遺棄した玉蜀黍その他雑穀も、すぐ食べつくした。実数一ケ小隊となった中隊兵力の三分の一は、はるがはる附近山野に出動して、土民の畑から芋やバナナを集めてきた。といふよりは食ひ継ぎに出て行った。四五日さうして食べて来ると、交替に次の三分の一が出動する間、留守隊を賄ふだけの食料を持つて帰ってくるのである。附近の部落に散在する部隊も、同様の手段で食糧を漁ってゐて、我々は屡屡10出先で畑の先取り権を争ひ、出動の距離と日数は長くなった。
喀血して荷が担げない私は、こお食料収集に加わることが出来ない。私が死ねといはれたのは、11このためである。
私は木の間を歩き衛兵達に近づいた。彼らは土に腰を下ろし、迎えるように私を見守ってゐた。衛兵司令に隊から棄てられたことを、繰り返すのもいやであったが、彼等の12無関心な同情に、惨めな姿を晒すのが一層苦痛であった。待ち設けるやうな視線の中を歩いて、、彼等の位置に達するまでの時間は長かった。
衛兵司令の兵長はしかし私の13形式的な申告を聞くと顔色を変へた。満州の設営隊から転属になったこの色白の土木技師は、14彼自身の不安を想起させられたのである。
「出て行く御前がいいか、残った俺たちがいいかわかったもんぢゃねえ。どうせ斬り込みだからな」と呟いた。「病院ぢゃ入れてくれないんだらう。」と兵士の一人がいった。
私は笑って、
「入れてくれなかったら、入れてくれるまで頑張るのさ。」と分隊長に言われたままを繰り返した。私は早くこの場面を切り上げることしか、考へてゐなかった。
別れを告げる時、偶然顔を見合わせた15一人の兵士の顔はゆがんでゐた。私自身の歪んだ顔が、欠伸のやうに伝染したのかも知れない。私は出発した。
(注)
一 カタカナを漢字に直し、漢字の読みを記せ。
1 飼つとくヨユウ 2 喀血 3 芋 4 これはミレンであった 5 補充兵 6 駐屯生活
7 挽回 8 揚陸 9ハケンされた 10 賄う 11 惨めな 12 ガンバる 13 欠伸
二 傍線部1〜15の問いに答えよ。
1 辞書で意味を調べよ。
2 辞書で意味を調べよ。
3 指示内容を記せ。
4 どういう人か。
5 病名を記せ。
6 指示内容を記せ。
7 辞書で意味を調べよ。
8 辞書で意味を調べよ。
9 辞書で意味を調べよ。
10 どういうことか。
11 指示内容を記せ。
12 説明せよ。
13 どういうことをさすか。
14 どういう不安か。
15 なぜか。
一 解答
一 1 余裕 2 かっけつ 3 いも 4 未練 5 ほじゅうへい 6 ちゅうとんせいかつ
7 ばんかい 8 ようりく 9 派遣 10 まかな 11 みじ 12頑張 13 あくび
二 1
1 死・失脚・滅亡失敗の原因となるほど重大であるさま。2 怒る。3 分隊長。 4 入院できない人。5 肺病。6 十数人の兵士と五六名の衛兵。7 船の積み荷を陸に揚げること。
8 野外に宿所を設けて宿泊すること。9 捨て去ること。
10 畑から早く食糧を持って来る。11 食糧収集に加わることができないため。
12 直接自分にかかわりが起こらない程度で同情を示すこと。
13 病院に行くことを申告すること。
14 自分の前にも死が待ち構えているであろうと言う不安。
15 死ぬことが確定している仲間の出発に、明日は我が身と言った思いがよぎったから。
構成
1 「私」の属する中隊はどんな状況に置かれているか。
レイテ島に上陸後、敵襲にあい、戦闘能力をほとんど失っている。
山中に包囲されてなすところなく露営し、食糧が欠乏している。
2 中隊の中で「私」はづいう立ち場にあるか。
食糧収集に加わることのできない病兵であるため、全く余計者となり、追放されようとしている。
3 「私」はどのような気持ちで出発しようとしているか。
「死ね」とう絶望的な命令を冷静に受け止め、自分の置かれた状況を客観的に見据えることによって
惨めさから逃れようとし、運命をさりげなく受け入れようとしている。
4 中隊の人々の気持ちはどうか。
「私」に同情するが、自分たちが生きるためには無視せざるを得ない。「私」の姿に自分たちの明日
の運命をみて不安に駆られる。
二 道
部落の中はアカシヤの大木が聳え、道をふさいで張り出した根を、自分の蔭で蔽っていた。住民の立ち退いた家々は戸を閉ざし、道に人はなかった。敷き詰めた火山の1砂礫が、褐色に光り、村をはづれて、陽光の溢れる緑の原野にまぎれ込んでうぃた。
2臓腑を抜かれたやうな絶望と共に、3一種陰性の幸福感が身内に溢れるのを私は感じた。行く先がないといふはかない自由ではあるが、私はとにかく生涯の最後の幾日かを、軍人の思ふままではなく、私自身の思ふままに使ふことが出来るのである。
行く先は、心ではきまってゐた。衛兵に告げたとおり、病院へ行くのである。無駄な嘆願を繰り返すためではない。あそこに「坐り込ん」でゐる人達に会ふためである。会ってどうするあてもなかったが、ただ私と同じく4行き先のない彼等を、私はもう一度見たかった。
野が展けた。正面は一キロで林に限られたが、右は木のない湿原が尻ひろがりに遠く退いた先に、この島の5脊梁をなす火山性の中央山脈の山々が重なり、前山の一支脈は延びて、正面の林の後ろへ張り出してきてゐた。その伏した女の背中のやうな6起伏が、次第に左へ低まり、一つの鼻でつきたところに、幅十間ばかりの急流が現はれ、丘はまたその対岸に高まって、流れに沿って下り、この風景の左側を囲っていた。その先に海があるはずでだった。
病院は正面の岡を超えて、約六キロの行程である。
午後の日は眩しかった。嵐を孕むと見えるほど晴れて輝く空は、絶えずその一角を飛ぶ、敵機の爆音に充たされてゐた。その蜜蜂の羽音のやうな単調な唸りの間に、時々何処か付近の山々で散発する迫撃砲の音が混じった。開けた野に姿を晒すのは、敵機に狙われる危険があったが、この時の私には7怖れる理由がなかった。
私は手拭を帽の下に敷いて汗の流れるのを防ぎ、銃を吊革で肩にかけて、元気に歩いて行った。熱はやはりあるらいかったが、私は昔からこの熱に馴れてゐた。それはかつて青春の欲望を遂行するには、巧みに折り合わねばならぬ障害で会ったと同じく、今は私の生涯あの最後の時を勝手に生きるため、当然無視すべき一状態にすぎなかった。病気は8治癒を望む理由のない場合何物でもない。
私は喉からこみあげてくる痰を、道ばたの草に吐きかけ吐きかえ歩いて行った。私はその痰に含まれた日本の結核菌が、熱帯の陽にあぶられて死に絶えて行く様を、小気味よく思い比浮かべた。
林の入り口で道は二つに分かれてゐた。正面は丘を越えて真直ぐに病院へ行く道、左は林の中に丘の鼻を回って、同じ谷間へ入る道である。丘越えの道が無論近いが、私は既に昨日から二度往復してその道に飽きてゐた。目的のない者の気紛れから、私は9未知の林中の道を取る気になった。
林の中は暗く道は細かった。樫や橡に似た大木のそびえる間を、名も知れぬ低い雑木が隙間なく埋め、葛や蔓を張り巡らしてゐた。四季の別なく落ち続ける、熱帯の落葉が道に朽ち、やわらかい感触を靴裏に伝えた。静寂の中に、新しい落ち葉が、武蔵野の道のやうにかさこそと足許で鳴つた。私はうなだれて歩いて行った。
奇怪な観念がすぎた。この道は私が生まれて初めて通る道であるにもかかわらず、私は二度とこの道をとおらないであろう、といふ観念である。私は立ち止まり、見廻した。
何の10変哲もなかった。11そこには私がその名称を知らないといふだけで、いろいりな点で故国の木に似た闊葉樹が(直立した幹と、開いた枝と、垂れた葉と)静まりかえってゐるだけであった。それは私がここを通るずっと前から、私が来る来ないにかかわらず、かうして立っていたであらうし、いつまでもこのままでゐるであらう。
12これほど当然なことはなかった。そして近く死ぬ私が、この比島の人知れぬ林中を再び通らないのも当然であった。奇怪なのは、その確実な予定と、ここをはじめt通ると言ふ事実が、一種の矛盾する連関として、私に意識されたことである。
もっとも私は内地を出て以来、おういふ13不条理な観念や感覚に馴れてゐた。例えば輸送船が六月の南海を進んだ時、ぼんやり海を眺めてゐた私は、突然自分が夢の中のように、整然たる風景の中にいるのに気がついた。
紺一色の海が広がり、水平線がその水のボリュームをおしあげるやうに、正しい円を画いて取りまゐてゐる。海面からあまり離れていない、一定の高さに、底部が確然たる一線をなしたお供餅のやうな雲が、恐らくは相互に一定に距離を保って浮かんでいる。 そして14それが船が一律の速度で進むにつれ、任意の視点を中心に、扇を廻すやうに移って行く。舷側を過ぎて行く規則正しい波の音と、単調なヂーゼルエンジンの音に伴奏されて、この規則正しい風景は、その時私に甚だ奇怪に思はれた。
偶然安定した気圧のもとに、太陽が平均した熱を海面に注ぎ、絶えず一定量の水蒸気を蒸発させる以上、一定の位置に、同形の雲を生じるのに何の不思議はなかった。そして機械によって一定した速度で進む船から眺める以上、風景が一様の転移を見せるのも当然であった。私は即座にかう反省したにもかかわらず、私の昂奮はなかなか去らなかった。そこには一種快い苦痛のニュアンスがあったのである。もしこの時 私が一遊覧客であったならば、帰国後自国の陸に繋がれた哀れな友人に、大洋の15奇観を語る場面を空想したらう。私の昂奮と苦痛は多分、敗戦と死の予感に犯されてゐた私が、その奇怪な経験を人に伝えることを、予想できないことに基づいていたらう。
比島の林中の小道を再び通らないのが奇怪に感じられたのも、やはりこの時私が死を予感してゐたためであらう。我々はどんな辺鄙な日本の地方を行くときも、決して16かういう観念には襲われない。好む時にも又来る可能性が、意識下に仮定されているためであろうか。してみれば我々の所謂攻め行かんとは、いま行うところを無限に繰り返しえる予感にあるのではなからうか。
比島の熱帯の風物は私の感覚を快くゆすった。マニラ郊外の柔らかい柴の感覚、スコールに洗われた火炎樹の、眼が覚めるような朱の梢、原色の朝焼と夕焼、紫に翳る火山、白波をめぐらした珊瑚礁、水際に蔭をう含む叢等々、すべて私の心を17恍惚に近い歓喜の状態に置いた。かうして自然の中で絶えず増大して行く快感は、私の死が近づいた確実なしるしであると思はれた。
私は死の前にかうして18生の氾濫を見せてくれた偶然に感謝した。これまでの私の半生に少しも満足してはゐなかったが、実は私は運命に恵まれていたのではなかったか、といふ考へが閃いた。その時私を訪れた「運命」といふ言葉は、もし私が拒まないならば、容易に「神」とおき替え得るものであった。
明らかにかうした観念と感覚の混乱は、wた詩が戦ふために海を越えて運ばれながら、私に少しも戦う意思がないため、19意識と外界の均衡が破れた結果であった。歩兵は自然を必要の一点から見なければならない職業である。土地の些細な凸凹も、彼にとって弾丸から身を守る避難所を意味し、美しい緑の原野も、彼にはただ素早く越えねばならぬ危険な距離と映る。作戦の必要により、あなたこなた引きまわされる、彼の目に現れる自然の雑多な様相は、彼にとって、元来無意味なものである。20この無意味さが彼の存在の支えであり、勇気の源泉である。
もし臆病あるいは反省によって、この21無意味な統一が破れる時、その隙間から22露呈するのは、生きる人間にとってさらに無意味なもの、つまり、死の予感であらう。
(注)
一 カタカナを漢字に直し、漢字の読みを記せ。
1 砂礫 2 せなかのようなキフク 3 嵐を孕む 4 欲望をスイコウする 5 治癒
6 キカイなのは 7 音にバンソウされて 8 恍惚 9 氾濫 10 キンコウが破れた
二 傍線部1〜22の問いに答えよ。
1 辞書で意味を調べよ。
2(1)臓腑 辞書で意味を調べよ。
(2)どういう絶望か説明せよ。
3 何故こう言ったか。
4 「会いたかった」と比べてどうか。
5 辞書で意味を調べよ。
6 辞書で意味を調べよ。
7 なぜか。
8 辞書で意味を調べよ。
9 (1)「未知の林中の道」を二度と通らないと思ったことが、なぜ奇怪な観念と思えるか。
(2)また、これと逆の観念はどういうものか。
10 辞書で意味を調べよ。
11 指示内容を記せ。
12 指示内容を記せ。
13(1)この「観念」を述べているか個所を抜き出せ。
(2)なぜ生じたか。
14 指示内容を記せ。
15 辞書で意味を調べよ。
16 指示内容を記せ。
17 辞書で意味を調べよ。
18 具体的内容を抜き出せ。
19 分かりやすく説明せよ。
20 分かりやすく説明せよ。
21 どのような時か。
22 辞書で意味を調べよ。
二 解答
一 1 されき 2 起伏 3 はら 4 遂行 5 ちゆ 6 奇怪 7 伴奏 8 こうこつ
9 はんらん 10 均衡
二 1 砂と小石。2 (1)内蔵。はらわた。(2)絶対的な絶望感。
3 軍隊の拘束を脱して個人に戻ることは、幸福であるがこの場合それが死への通路を意味しているので。
4 「見たかった」突き放した眼で周囲を見回す心境。「会いたかった」感情的。
5 背骨のように長く連なる高地。6 土地が平らでなく高くなったり低くなったりしていること。
7 病院に入れてもらえず中隊にも戻れない。食糧もすぐ尽きる。結局死ぬしかないから。
8 病気怪我などが治ること。
9(1)死を予感していたから、二度と通らないともった。
(2)また通るとしたら、生きているからだと言うことを意味する。
10 変哲もない=ありふれている。 11 私が立ち止まった所。
12 「私がここを通るるずっと前から、私が来る来ないにかかわらず、かうして立っていたであらうし、
いつまでもこのままでゐるであらう。」
13(1)「この道は私が生まれて初めて通る道であるにもかかわらず、私は二度とこの道をとおらないで
あろう、といふ観念」
(2)私が死を予感していたため。
14 「お供餅のやうな雲」 15 珍しい眺め。
16 林中の道を再び通らないのが奇怪と感じること。17 うっとり。
18 「マニラ郊外の柔らかい柴の感覚、スコールに洗われた火炎樹の、眼が覚めるような朱の梢、原色
の朝焼と夕焼、紫に翳る火山、白波をめぐらした珊瑚礁、水際に蔭をう含む叢等々」
19 戦う兵士としての意識をすてた時、自然が美しい生の氾濫として見えて来た。
20 美しさを内包する自然を無意味なものとしか見ないような非人間的状態に追い込まれてこそ戦争と
言う無意味な殺人行為に参加することもできる。
21 兵士としての物の見方を止める時。(自然を美しいと思う時)
22 現わすこと。
構成
1 「私」は道をたどりながらどのような心境になっているか。
ア 出発 生涯の最後に与えられた自由のために絶望と身内に溢れる陰性の幸福を感じている。
イ 二本の道の通っていない一本 死の予感に裏づけられている奇怪な観念。
ウ 熱帯の景 熱帯の風物に快感が増大し、恍惚に近い歓喜を感じるがそれも一つの死の予感だと
思う。
2 熱帯の風景の先に何を見ているか。
「武蔵野の道」
三 野火
私はいつか歩き出していた。歩きながら、私は今襲われた奇怪な観念を1反芻うしてゐた。その2無稽さを私は確信してうぃたが、一首の秘密な喜びで、それの執着するものが、私に中にあったのである。
道は林に中でうねった丘裾の、千の自然をなぞってゐた。緑の丘肌が木々のあはひに輝いた。林が戸gレると、丘の3夢幻的な緑を形づくる雑草が、道端まで降りて来た。平らな4稜線に、人に似た5矮小な木が、ぽつんと立っているのを、私は、認めた。
林が尽き、乾いた砂利と砂に、疎らに草の生えた野へ出た。河原であった、処処島のやうに点在した高みに、芒の群が遅い午後の光に銀色の穂を輝かせていた。川はその向こうに、一条の鋼鉄の線なして横たはり、風景を切って遽しく滑ってゐた。対岸は多摩の横山ほどの高さの丘陵が、やはり淡い草の緑を連ね、流れをさかのぼって右へ右へと退いて行った。そして遂に崖となって河原へ落ち込んだ下に、6一条の黒い煙が立ち上ってゐた。
煙は比島のこお季節では、収穫を終わった玉蜀黍の殻を焼く煙であるはずであった。7それは上陸以来、我々を取り巻く眼に見えない比島人の存在を示して、常に我々の地平を飾ってゐた。
歩哨はすべて地平に上がる煙の動向に注意すべきであった。ゲリラの原始的な合図かも知れないからである。事実不要物を焚く必要から上がる煙であるか、それとも遠方の共謀者と信号する煙であるかを、煙の形から見分けるという困難な任務が、歩哨に課せられてゐた。
今見る川向うの煙は、明らかにその下で燃やされる物の大きな量を思はせる、幅広の盛んな煙であった。黒いその下部に、私は時々橙色の焔の先が侵入するのを認めた。
しかし歩哨の習慣を身につけてゐたっ私に、煙は開いた河原に姿を現すのを、躊躇はすのに十分であった。それが単なる野火であるにせよ、あいにせよ、その下に燃焼物と共に比島人がゐるのは明瞭であった。そして我々にとって比島人はすべて実際は敵であつた。
私は初めて見知らぬ道を選んだことを後悔した。しかし既に死に向かって出発してしまった今、引き返すのはいやであった。私は右手に丘を縁取る道なき林の中を8迂回して、河原の道が前方で、また別の林に入ってゐるところまで、辿りつくことにした。
垂れ下った下枝や、足にからむ蔓を、帯刀で切り払うひながら、私は進んだ。湿った下草を踏む軍靴は、滑りやすかった。方向を失わないため、河原からの明るい反射が、羊歯類をエメラルドに光らす距離を、林縁と保った。そこにも道があった。辿って林の奥に進むと、一軒の小屋があり、人がゐた。一人の比島人が眼を見開いて立ってゐた。
私は立ち止まり、銃を構へ、素早くあtりへ眼を配った。
「今日は、旦那」
と彼は9媚を含んだ声で言った。年の頃三十くらゐの顔色の悪い比島人である。色褪せた空色の半ズボンの下から、痩せて汚れた足が出てゐる。住民が尽く逃亡したはずのこのあたりで、彼の存在が既に怪しかった。
「今日は」
と彼はおぼつかないビサヤ語で機械的に答へ、なほも周囲を検討した。静かであった。小屋は一尺しか床上げがしてなく、前後は開け放されて、裏まで見通せた。刺激性の異臭があたりに漂ってゐた。
「You are welkomue」
To
と島人は私の手にある銃を見ながら、卑屈に笑った。その時私の口を突いて出たのは、私がそれまで思ってもみなかった、次の言葉であった。
「玉蜀黍はあるか」
男の顔は曇ったが、あいかわらず「ユー、アーウエルカム」を繰り返しながら、いざなふやうに先に立ち、小屋の裏へ廻った。そこに土を掘って火を仕掛け、大きな鉄鍋がかけてあった。中には黄色いどろどろの液体が泡を吹いてゐた。傍らの土に黄色い山の芋がころがってゐるところを見ると、それを煮つめてゐるらしい。異臭はその液体から昇って来るのである。
別の小鍋に玉蜀黍の粒をほぐしたのが煮てあった。彼は10それをすくって汚い琺瑯引きの皿に盛り、黒い大粒の塩を添へて薦めた。私はその時全然食欲がないのに気がついた。
「ここはお前の家化か」
「いや、家は川の向こうだ」
と 彼は答へ、木の間越しに川を指さした。臭い山の芋を煮て何にするかは不明であるが、どうやら彼は専らこの作業のため、ここへ来てゐるらしい。芋はこのあたりで採れるのであらう。「なににするのか」と訊いたが、彼の答へたビサヤ語は、私には理解できなかった。
私は皿を前にして、ぼんやり床に腰かけてゐた。男は絶えず張りつけた矢うな笑ひを浮かべ、
私の顔を見つめてゐた。
「食べないのか」
私は首をふり、腰の雑嚢にその玉蜀黍を開けながら、食欲がないのに、食物を要求した自分を嫌悪してゐた。
私は既にその男に対する警戒を解いていた。我々は一般に比島人の性格を見分けるほど、観察の経験も根気も持って意中ttが、絶えず私の視線迎えて微笑もうとしている彼の顔は、単に圧制者に気に入られようとする、人民の素朴な衝動のほか、何者も現わしていないように思われた。それに、これは私が少雨がいの終りに見る、数少ない人間の一人であるべきであった。
彼は突然思ひたといふ風に
「芋をやろうか」と言った。
「この芋は食えまい」
11「いや、ほかのものがある。待っててくれ」
彼は立ちあがり、林の奥へ歩いて行った。私はぼんやりそのあとを見送ってゐた。かれは振り向きもせず、ずんずん歩いて、やがて横手の窪地に降りて、見えなくなった。
私は改めて荒れ果てた小屋の内部を見廻した。汚れた床板は処処はがれ、竹の柱は傾き、あらわな板壁にやもりがはってゐた。さういふがらんとした小屋の内部は、必要以上に生活を飾ろうとしない、比島の農民の投げやりな営みが現れてゐた。
(この男達の間にまじって、まだ生きられるかもしれない)と私は思った。
男は中々帰らなかった。私は不安になった。立ちあがったときの彼の素早い動作が思ひ出された。私は林の奥で、彼の消えた辺りまで行ってみた。木々がしんと静まり返っているばかりであった。(逃げたな)と思ふと怒りがこみ上げて来た。急いで林の縁まで出て見ると、果たして遠く川のほうへ転がるやうに走って行く牛r姿が見えた。
振り返って私の姿を認めると、拳を12威嚇するやうに頭の上で振り、それからまた駈けて行った。その距離は到底弾の届きそうにない、届いても当たりそうもない距離である。彼の姿はやがて輝く芒に隠れた。
私は苦笑した。マニラで比島人の無力な憎悪の眼を見て以来、彼らに友情を求めるのがいかに無益であるか、私はよく知っていたはずである。私は小屋に帰り、山の芋を似た鍋を蹴返して、その場を去った。13彼が逃げた以上、ここに止まるのは危険である。
私は大胆に開けた河原に、自分の姿を現した。彼が川向こうまで逃げて行ったところを見れば、この地点は今は安全なのである。14それはこの付近にかれが救いを求むべき人のゐないことを意味した。少なくとも彼が川向こうの仲間を連れて、引き返してくるまでに、ここを去ればよい。
私は足早に砂利を踏んで河原を横切り、前方の林の入り口でもとの道に入った。この林の木は小さく幹は細かった。蟻塚が道端にうづ高くつもり、蟻が吹き出すやうに溢れてゐた。私は慎重に前方を警戒しながら進んだ。いかに推理によって安全を確信してゐたとはいへ、15私の恐怖にとっては、逃げた男はこの道に比島人のゐる可能性だったのである。16警戒は私から瞑想を奪った。
林が切れた。17川向こうには依然として野火が見えた。いつかそれは二つになってゐた。遠く人が向こうむき に蹲った形に孤立した丘の直情からも、一条の煙が上がってゐた。
麓の野火は太く真直ぐに上がったが、丘の上の野火は少し昇ると、空の高いところだけに吹く風を示して倒れ、先は箒のやうにかすれてゐた。麓の煙が空気の重さと争うやうに、早く勢込めて上る込めて上るのに対し、丘の煙は細く高く、誇らかに騰がって、空の風とたわむれるやうに、揺れてなびいて流れてゐた。この気象学的常識に反した、異なる形の煙の一つの風景の中の共存は、奇妙な感覚を与へた。
丘の煙は恐らく牧草を焼く火であらうが、我々の所謂「狼煙」にかなり似ていた。しかしなんの合図であろう。
私はいらだった。右手の丘はあますます迂回されつつあった。女の背のやうな優美な側面は、いつか意外に厳しく狭い正面に変わり、三角の頂上から、両足を踏ん張ったやうに二つの小尾根を左右に投げ落としてゐた。そしてそのあはひの小さな窪みに、肘掛椅子の形の玄武岩を支えていた。先の方の尾根を廻れば、病院のある谷間へ出るかもしれない。私は足を早めた。
また林に入った。中で道は二つに分かれてゐた。左は川沿ひに遡る満ち、右が丘に添ふ道らしい。右へ取って少し行くと林が尽き、広い草原が広がった。そしてそこに18私はまた野火を見た。
川の側は林が続き、川と一緒に左へ左へとそれて行っていた。前は一キロばかり草原が砂丘のやうに、ゆるやかに起伏した涯に、岩を露出した別の丘が、屏風のやうに立ちふさがってゐた。そして私とその丘との中央に、草が半町ほどの幅で燃えてゐた。人はゐなかった。
私はその煙を眺めて立ち尽くした。
私の行く先々に、私が行くために、野火が起こると言うことはあり得なかった。19一兵士たる私の位置と、野火を起こすという作業の社会性とを比べて見れば、それは明らかであった。私は孤独な歩行者として選んだコースの偶然によって、順順に見たにすぎない。
私の不安はやはり内地を出て以来の奇妙な感覚の混乱に属してゐた。不安の唯一の現実的根拠は、野火のあるところに人がいるといふことだけであったが、しかしこの一般的な因果関係は、私のこの時の不安の原因として十分ではなかった。現に草原の野火の下には人はゐない。原因は私個人に起こった事件の系列にあった。
そして私がかうして私の個人的な感覚に悩まされるのは、恐らく私があまり自分に気を取られすぎるからであらう。
私は20魔法の解除を求めて、病院のある部落を地平に探した。前に広がる草原の広さから見て、大体これを目的の谷間の一部と考へることが出来たからである。そして私は遥かな右手、岩山の麓に、寄りあうやうに固つている、見慣れた数軒の家を見つけることが出来た。
あそこにはとにかく同胞がいる。この時私にはこの観念のほかはなかった。
道は燃え続ける野火の中を通っていたが、私は21それを越えて行くことが出来なかった。道をはづれ、肩ほどある萱を分けて、真直に部落を目指して進んだ。
しかし私の眼は煙からはなれなかった。日は傾き、いつか風が出ていた。煙は葡って草を蔽ひ、時々綿のやうにちぎれて揚つて、川を縁取る林の方へ飛んで行った。
見渡す草原に人影はなかった。誰がこの火をつけたのだらう。22これは依然として私が目前の事実からは解決できない疑問であった。
(注)
一 カタカナを漢字に直し、漢字の読みを記せ。
1 反芻 2 それにシュウチャクする 3 稜線 4 矮小 5 歩哨 6 迂回 7 羊歯
8 辿って 9 痩せて 10 ヒクツに笑った 11 玉蜀黍 12 泡 13 専ら
14 嫌悪 15 窪地 16 拳 17 イカクする 18 憎悪 19 蟻塚
20 瞑想 21 箒 22 狼煙 23 肘掛椅子 24 遡る 25 砂丘 26 屏風
27 ユイイツの現在的根拠 28 ドウホウがいる 29 蔽い 30 イゼンとして
二 傍線部1〜22の問いに答えよ。
1 辞書で意味を調べよ。
2 辞書で意味を調べよ。繰り返しよく味わうこと。
3 どういう緑か。
4 辞書で意味を調べよ。
5 辞書で意味を調べよ。
6 この時の私の気持ちはどういうものか。
7 指示内容を記せ。
8 玉蜀黍の殻を焼く煙
9 (1)なぜか。
(2)この後どういう態度をとるか抜き出せ。
10 指示内容を記せ。
11 なぜこう言ったか。
12 辞書で意味を調べよ。
13 なぜか。
14 指示内容を記せ。
15 説明せよ。
16 (1)瞑想 辞書で意味を調べよ。
(2)説明せよ。
17 この時の私の気持ちはどういうものか。
18 この時の私の気持ちはどういうものか。
19 「私の位置」と「社会性」とはそれぞれどのようなことを言っているか。
20 この場合どういうことを言っているか。
21 どういうことか。
22 指示内容を記せ。
三 解答
一 1 はんすう 2 執着 3 りょうせん 4 わいしょう 5 ほしょう 6 うかい 7 しだ
8 たど 9 や 10 卑屈 11 とうもろこし 12 あわ 13 もっぱ
14 けんお 15 くぼち 16 こぶし 17 威嚇 18 ぞうお 19 ありづか
20 めいそう 21 ほうき 22 のろし 23 ひじかけいす 24 さかのぼ 25 さきゅう
26 びょうぶ 27 唯一 28 同胞 29 おお 30 依然
二 1 繰り返しよく味わうこと。 2 でたらめ。 3 人を夢見心地に誘い込むような緑。
4 尾根。 5 たけが低くて小さなこと。6 比島人に対する警戒。
7「玉蜀黍の殻を焼く煙」 8 廻り道。
9(1)私が銃を持っているから。(2)「卑屈に笑った」 10 山の芋。
11 逃げる為の口実。 12 おどしつけること。13 仲間を連れてきて脅すから。
14 「彼が川向こうまで逃げて行った」こと。
15 私が道の前方に恐怖を感じたのは、逃げた男の存在が道の前方に別の比島人の可能性を物語って
いるからだ。
16(1)眼を閉じて静かに考えにふけること。
(2)私は瞑想することを止めて周囲を警戒せずにはいられなかった。
17 何のためにたいているのかわからないことから生じるいらだち。
18 不安から逃れるために同胞のいる所へ行こうと思う気持ち。
19 「私の位置」=何の力もない病兵。
「社会性」=野火をたくためには一定の人数の挙動作業が必要だということ。
20 比島人が大勢で私を追い詰めているのだという思い込みを捨て去ること。
21 野火を避けることができなかった。
22 「誰がこの火をつけた」のかと言うこと。
構成
1 野火の出現によって「私」の心理がどのように変化しているか。
ア 河原の野火の煙を見てその下にいるはずの火島人(敵)に対する警戒心。
イ 丘の上の「狼煙」に似た野火 不安にいらだつ。谷間に向かう(仲間の必要)
ウ 広い草原の中に三度野火 いっそう不安。病院のある部落へ(「確実な死」よりも「不安定で絶望
的な生」)
2 比島人との出会いによって「私」はどんなことを考えさせられたか。
ア 比島人の態度に素直なものを感じ、「まだ生きられるかもしれない」と思う。
イ 比島人の逃げて行く先に確実な敵の存在を認め、「死」の瞑想からさめて強い警戒心を抱く。
3 擬人法による風景描写を抜き出せ。(擬人法を用いて、「私」の心理を描写している。人の居ない比島の自然
に人を見ている)
ア 平らな稜線に、人に似た5矮小な木が、ぽつんと立っているのを、私は、認めた。
イ 川はその向こうに、一条の鋼鉄の線なして横たはり、風景を切って遽しく滑ってゐた。
ウ 右手の丘はあますます迂回されつつあった。女の背のやうな優美な側面は、いつか意外に厳しく狭い正
面に変わり、三角の頂上から、両足を踏ん張ったやうに二つの小尾根を左右に投げ落としてゐた。そし
てそのあはひの小さな窪みに、肘掛椅子の形の玄武岩を支えていた
エ 前は一キロばかり草原が砂丘のやうに、ゆるやかに起伏した涯に、岩を露出した別の丘が、屏風のやう
に立ちふさがってゐた。
主題 極限状況に置かれた兵士の生と死の間の心理
筆者 大岡昇平 小説家 1909~1988年
生死の境にいる人間の極限状況を描く
昭和19年6月 臨時召集 フィリピンに出征
ミンドロ島サンホセの警備
昭和19年12月 米軍上陸で山中に退避
昭和20年1月 米軍捕虜
昭和20年8月 レイテ島収容所で終戦
昭和23年2月 『俘虜記』
昭和26年1月 『野火』