国際化の流れの中で    山崎正和

語釈

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1 日本文化紹介の悩み

 今、文化輸出、あるいは文化摩擦といったことを考える場合に、1特に深刻なのは、日本人自身が自分をよく知らないということです。2これについては、一つの3歴史的な事情があります。4それは、明治以降の日本の近代化の中で、表面上ではあれ、日本の伝統が変容させられたということです。この現象の変化は、あまりにも徹底的であっただけに、5我々の自分についてのイメージを二つに分断しました。6ただでさえ、外国との接触が乏しくて曖昧な姿をしている日本人の、7いわく言い難いイメージが、更に近代化の過程で分断されたのです。例えば、我々は洋画、日本画という言葉を使い、つい最近まで、展覧会場に行っても、洋画と日本画は分けられていました。更に、音楽といえば洋楽と邦楽、着る物でいえば洋服と和服、部屋でいえば洋間と和室という形で、我々の生活文化を二つに分けて、一方を洋風すなわち近代風、他方を和風すなわち伝統風、と呼ばざるをえないような意識が浸透しています。現実にはその下に8共通の流れがあるのですが、我々自身が分断の意識を強く持っているために、9外国人に日本を紹介する時に、にわかに迷いを覚えるわけです

 

一 次のカタカナは漢字になおし、漢字の読みを記せ。

 

1 文化マサツ            2 トボしく   3 曖昧             

 

4 意識がシントウして

 

二 傍線部1〜9の問いに答えよ。

 

1特に深刻なのは どういう点で深刻なのか。

 

2これ 指示内容を記せ。

 

3歴史的な事情 どのような内容を言うのか。

 

4それ 指示内用を記せ。

 

5我々の自分についてのイメージを二つに分断しました その二つとはどういう内容か。

 

6ただでさえ どの語句にかかるか。

 

7いわく言い難い どのような意味か。

 

8共通の流れがある どのようなことを指しているか。

 

9外国人に日本を紹介する時に、にわかに迷いを覚える4どんな迷いか。

 

解答

一 1 摩擦  2 乏  3 あいまい  4浸透

二 1 日本人自身が自分の特質をよく知らないため適切に日本を紹介できない。

  2 日本人自身が自分をよく知らないこと。

  3 近代化の中で日本の伝統が変容させられたと言うこと。

  4 日本人自身が自分をよく知らないということ。

  5 欧米とは対照的な伝統を持つ異質な存在であるというイメージと普遍的な要素を持っている九九最適な存在であること。

  6 「している」

  7 複雑微妙に込み入っていて簡単には説明できない。

  8 表面的なものは変わっても本質は近代以降も続いている。

  9 近代的な日本を紹介するか、伝統的な日本を紹介するか。

 

 

2 日本文化と江戸時代

 1それに加えて、もう一つの大きな問題は、2日本人が伝統的日本、すなわち自分の過去として思い浮かべている時代が、江戸時代であるということです。実は、日本文化3といえども、たびたび変遷を重ねてきたのであって、江戸文化が伝統の核であったとは4軽々にはいえないはずです。それは日本文化の一面の姿にすぎないのですが、幸か不幸か、江戸文化が近代の直前にあったために、我々の目にはこれがいちばんよく見えることになります。そのために、5我々は、自分について語る時に、つい日本的なものの全貌について語らないで、江戸的なものについてのみ語る性癖を身につけてしまいました。そして、日本を諸外国に説明する時にも、多分にこの江戸的なものを説明して終わりとすることが多いのです。

 最近の日本人論、あるいは日本論の中には優れたものがありますが、そこで日本的な特質の例証として挙げられている現象にも、江戸時代のものが圧倒的に多いことに気づきます。例えば、日本人は6寡黙である、表情を顔に出さないということが7卑近な例として出されますが、果たして歴史を一貫してそうであるかは疑問です。こういう簡単な例でも、歴史を振り返ってみると、さまざまな変化があって、寡黙で表情を顔に出さなかったのは、日本史の中でも江戸時代という特殊な時代の特色であるといえるかもしれません。

 また、日本人は本性的に論理的でない、したがって、イデオロギーは好きでないといわれています。8なるほど、日本人がイデオロギーというものにたいへん柔軟な態度をとってきたのは、比較的長い歴史にわたってあてはまる事実です。しかし、論理的でなかったかどうかになると、9これは疑わしい。もし、論理よりも情緒を重んじるのが日本人の特質であるとすれば、10それもたぶん江戸時代に芽生えた歴史的な特質にすぎないのです。

 

一 次のカタカナは漢字になおし、漢字の読みを記せ。

 

1 ヘンセンを重ね          2 軽々には  3 全貌     4 寡黙

 

5 ヒキンな例    6 ジュウナンな態度   7 ジョウショを重んじる  

 

二 傍線部1〜10の問いに答えよ。

 

1それ 指示内要を記せ。

 

2日本人が伝統的日本、すなわち自分の過去として思い浮かべている時代が、江戸時代である それはなぜか。

 

3といえども この言い方はどんな気持ちを含んでいるか。

 

4軽々 意味を調べよ。

5我々は、自分について語る時に、つい日本的なものの全貌について語らないで、江戸的なものについてのみ語る性癖を身につけて しまいました2  

 

(1)全貌 意味を調べよ。

 

(2)「江戸的なもの」の特徴を二つ抜き出せ。

 

6寡黙 意味を調べよ。

 

7卑近 意味を調べよ。

 

8なるほど 文脈上の働きを説明せよ。

 

9これ 指示内用を記せ。

 

10それ 指示内用を記せ。

 

解答

一1 変遷  2 けいけい  3 ぜんぼう  4 かもく  5 卑近  6 柔軟  7情

1 日本人自身が分断の意義を強く持っているという問題。

2 江戸時代が近代の直前にあったために一番よく分かるから。

3 長い歴史と変化を経て今日にいたっている日本の文化を「日本文化」と一つの語にくくることは無理があるから。

4 十分に注意を払わないで物事を軽々しくする様子。

5 (1)物事の全体の有様。

(2)寡黙である。本質的に論理的でない。

6 口数が少なく、黙り込みがちであること。

7 身近でわかりやすいこと。

8 言いたいことは後の「しかし」以下にある。

9 日本人は本質的に論理的でない。

10 論理よりも情緒を重んじる。

 

 

3 室町・桃山時代の見直し

 今、こと新しく1こういうことを言うのは、文化問題の担当者、特に国際交流の担当者にとっては、2これが現実的な問題であるからです。例えば、外務省で文化広報に当たっている人たちは、日夜、こうした問題で決断がつかずに悩んでいるのが実情であるからです。つまり、日本を紹介する時に、特異性、すなわち日本らしさを打ち出すべきか、あるいは逆に、日本人は普遍的な人間であって、国際的な存在であるという側面を強く打ち出すべきか、3歌舞伎を持っていくか、黒沢明の映画を持っていくかで悩むのです。

 これは単に、彼らだけが悩んでいるのではなくて、我々が西洋人の友人を迎えて日本を見せる時に常に直面することですし、日本人はこういう人間であるといって、茶飲み話に自己紹介する時にも迷うことです。私は今、日本の姿を外国人に紹介していく時には、少し観察の目を広げて、歴史を長く見て考え直す時期にきていると思うのです。

 そういう点で、私は4かねがねいろいろな機会に、日本人の特性は十六、七世紀の室町時代、桃山時代に違った面を見せていたことを強調しています。室町時代、桃山時代は、日本の歴史の中で珍しく国際化が行われていた時代でした。中国との接触も飛躍的に増え、5何よりも西洋人と日本人が最初の接触をしました。たくさんのキリスト教宣教師が、日本に入ってきて、日本人といろいろな交流をしたのみならず、その交流の記録を残しています。したがって、6外から見た日本がよく分かるという意味でも、この時代は貴重なおもしろい時代です。

 

一 次のカタカナは漢字になおし、漢字の読みを記せ。

 

1 日本をショウカイする   2 歌舞伎    3 キリスト教のセンキョウシ

 

二 傍線部1〜6の問いに答えよ。

 

1こういうこと15 指示内用を記せ。

 

2これ 指示内用を記せ。

 

3歌舞伎を持っていくか黒澤明の映画をもっていくか 別の内容でたとえよ。

 

4かねがね どの語句にかかるか。

 

5何よりも どういう意味を含んでいるか。

 

6外から見た日本がよく分かる どうして「貴重」なのか。

 

 

解答

一 1 紹介  2 かぶき   3 宣教師

二 1 江戸的なものだけが日本文化ではない。

  2 江戸的なものだけが日本文化ではない。

  3 京都を見せるか、東京を見せるか。博多人形か電子機器か。

  4 「強調しています」

  5 それ以上に重要なこととして。

  6 外国人が日本をどう見ていたかと言うことを知る機会や資料が少ない。

 

4 宣教師たちの日本人観

 まず宣教師たちはアラブから順番にインドを回り、マラッカ海峡を通って、東南アジア、中国などと触れ合いながら、日本まで来たのですから、おのずからそこに比較文化論が行われました。宣教師たちはそこで、日本人は彼らが観た異教徒の中で最も優秀な民族であると言っているのです。「優秀な民族」をもちろん、1鵜呑みにして喜ぶ必要はないので、それは西洋人的な2物差しで計ると、いちばん優秀であるということです。つまり、3日本人はアラブから東の民族の中で、最も西洋人に似ているということを意味します。

 このことは、多くの宣教師が指摘していて、なかには日本人は神を信じないという一点だけを除けば、あとは彼ら西洋人よりも優秀であると言う者もあります。4これは当時の日本人が、彼らと共通に話のできる基盤がいろいろあったことを意味しています。例えば、当時、東洋諸国の中で、生活が毎日よくなることを信じ、5それがよいことであり、楽しいことであることを信じていたのは、日本人だけでした。中国人やインド人にとっては――6これは価値の上下の問題ではなく、7世界観の違いですが――生活は変わらず、文化は安定していることがいいことでした。軽薄に生き方を変えるのはよくない、と多くの東洋人が思っている中で、日本人は新しいものを受け入れて、生活を変えることに熱心でした。そしてまた、個人の持っている技術や技能、すなわち個性と才能に対する近代的な理解も特別に高かったようです。

 

一 次のカタカナは漢字になおし、漢字の読みを記せ。

 

1 鵜呑み     2 シテキしていて  3 ケイハクに生き方を       

 

二 傍線部1〜7の問いに答えよ。

 

1鵜呑み 意味を調べよ。

 

2物差し ここでの意味を別の語で置き換えよ。

 

3日本人はアラブから東の民族の中で、最も西洋人に似ている 具体的にどんな点が似ているか二つ抜き出せ。

 

4これ 指示内用を記せ。

 

5それ 指示内用を記せ。

 

6これ 指示内用を記せ。

 

7世界観の違い どのような違いか。

 

 

解答

一 1 うの  2 指摘  3 軽薄

二 1 物事の内容をよく理解しないでそのまま受け入れること。

  2 基準。価値観。

  3 生活を向上させるという世界観を持っている。個性と才能に対する理解度が特別にtかかった。

  4 日本人は最も優秀だと宣教師が評価していること。

  5 生活がにごとによくなっていくこと。

  6 生活の変化というものに対する考え方の相違。

  7 日本人=生活が日々向上することはよいこと。

    中国人・インド人=生活は変わらず文化は安定していることがよい。

 

 

5 国際貿易と技術革新

 こうした資質が、昔から日本人が持っていた外国文化に対する好奇心、寛容と結びついた時、1たちどころに西洋人と同じような行動様式が生まれたのは、当然でした。その代表的な形は、技術革新と国際貿易ということでした。2これは、後のイギリス人の日本学者、ジョージ・サンソムが書いていることですが、当時の東洋諸国の中で、国際貿易という観念を理解したのは日本だけであって、その他の国々、インドや中国は、物を売って金を受け取ることはするものの、外国から物を買うということはなかったようです。もっとも、上層階級が好奇心で珍しい宝物を買うことは3ほかにもあったかもしれませんが、しかし、国民全体が天ぷらを喜んだり、金米糖を喜んだり、雨ガッパを喜んだり、ビロードがきれいだなどと思う、そういう民族は西洋人を除くと、日本人しかいませんでした。したがって、当時のポルトガルの商人は、東洋へ来て商売をする時に、三角貿易をやったといわれます。つまり、日本へ商品を持って来て金を受け取り、この金で中国に港の料金を払い、かつ中国の商品を買ってヨーロッパへ持って帰るというわけです。

 4もう一つの、日本人の技術革新好きは、ほとんど国民的な体質のようなもので、めざましい実例が幾つも見られます。鉄砲が二丁、種子島に伝来した時には、これは摩訶不思議な魔法の道具でしたが、日本人はたちまちそれを日本で製造しようということになり、すぐにその模倣を始めます。それから数十年がたちますと、二丁しかなかった鉄砲は、数千丁の単位に膨れ上がって、日本じゅうに広がり、戦闘のための実際の武器になります。船についても同様で、日本の船はかつては中国の船に比べても、あるいは東南アジアの船に比べても、遅れていました。だいたい、竜骨を作る技術がなかったといわれるほどですが、5そういう国が、西洋の黒船を見ると、たちまち作り方を覚えて、それを模倣し、できあがった船は太平洋を渡っています。すなわち、支倉常長が太平洋を渡って、メキシコへ上陸して、そこから大西洋を渡って西洋へ行ったわけですが、その時の船は、日本製の黒船でした。今我々は、明治以降百年で西洋に追いつき追い越したといって、6自他ともに驚いていますが、室町時代には、その半分ないし三分の一の時間で、西洋に追いついていたのです。

 

一 次のカタカナは漢字になおし、漢字の読みを記せ。

1 コウキシン   2 金平糖   3 テッポウが二丁   3 種子島    4 フクレあがって

 

5 竜骨    6 支倉常長

 

二 傍線部1〜6の問いに答えよ。

 

1たちどころに 別の語で言い換えよ。

 

2これ 指示内用を記せ。

 

3ほか どこを指すか。

 

4もう一つの 何に対してもう一つか。

 

5そういう国 この言い方にはどんな気持ちが込められているか。

 

6自他ともに 何と何を指すか。

 

解答

一 1 好奇心  2 こんぺいとう   3 鉄砲   3 たねがしま   4 膨   

5 りゅうこつ   6 はせくらつねなが

二 1 すぐに。 即座に。

  2 国際貿易を理解したのは日本人だけ。

  3 日本以外の東洋諸国。

  4 日本人の資質が活発な国際貿易として表に出たこと。

  5 日本の技術水準は劣っていたにもかかわらず。

  6 現代の日本人と現代の諸外国の人

6 日本人の社交性

 当時の日本国民の社交的な性質を考えても、これはかなり、1我々が持っている祖先のイメージとは異なっています。

 室町時代においては、社交ということは文化の中心にあって、そこから生まれたお茶でも、お花でも、あるいは連歌でも、人が集まらなければ成立しない芸術でした。言い換えれば、それらは社交がそのまま芸術になったようなものであり、社交は社会的にりっぱな行為だと考えられていました。公家は生活的には2逼塞していたのに、弁当持ち寄りで宴会を催しましたし、武士も3それを見習って、連歌の会やお茶の会を開き、それができないようではりっぱな支配者ではない、ただ戦争に強いだけではだめだということを知っておりました。町人も農民も社交が好きで、お茶も広く庶民の間に広がりましたし、花の下の連歌会といって、桜の花の下で連歌を作っておりました。

 江戸時代に入っても、4社交は確かに生き残ってはおり、ある意味では、町人の経済力によって、社交の現象は昔より豊かになったとさえいえます。しかし、社会の表向きの道徳、公の建て前からいって、社交はあまり褒められないものになってしまいます。江戸の中期に尾形光琳という大画家が現れましたが、この画家のパトロンであった京都の大商人は、財産没収で5放逐されています。その理由は、派手な宴会を好み、おつきあいにふけったからで、この一事が象徴するように、社交は社会の表街道から追われることになりました。社交文化はぜいたくと同一視され、その6弊害は演劇や音楽に対する抑圧にまで及んでいます。7これは、我々がいまだに宴会が上手ではなく、パーティーなどに出ていくと8気後れを覚え、更には、日本の劇場や音楽会が盛んではない、という体質につながっていると思います。

 しかし、9この点についても、問題は、こういう特質が日本人の本性だと思い込むところにあって、これは10たかだか二百年の日本人の特質にすぎず、本来はそうではなかったのだと考えると、11少し目の前が明るくなってきます。別の言い方をすれば、今後の国際的な交流の場面では、我々の内部にある、いわば12江戸的でない性格を発見して、それを育てていくことが重要であるといえるかもしれません。

 

一 次のカタカナは漢字になおし、漢字の読みを記せ。

 

1 公家       2 逼塞    3 尾形光琳  4 放逐 

 

5 弊害    6 気後れ

 

二 傍線部1〜12の問いに答えよ。

 

1我々が持っている祖先のイメージ ここではどんな内容か。

 

2逼塞 意味を調べよ。

 

3それ 指示内容を記せ。

 

4社交は確かに生き残ってはおり 室町時代と江戸時代とでは、どの点がもっとも大きな違いか。

 

5放逐 意味を調べよ。

 

6弊害 意味を調べよ。

 

7これ 指示内用を記せ。

8気後れ  意味を調べよ。

 

9この点 指示内要を記せ。

 

10たかだか 意味を調べよ。

 

110し目の前が明るくなって

 

12江戸的でない性格 どんな内容か。

 

解答

一 1 くげ   2 ひっそく   3 おがたこうりん  4 ほうちく

  5 へいがい   6 きおく

二 1現代人同様に口べたで宴会の振る舞いもうまくなかった。

  2 おちぶれて世を裂けること。

  3 弁当持ち寄りで公家が催した宴会。

  4室町 社交=文化の中心。江戸 社交=贅沢。

  5 追放。

  6 害となる悪いこと。

  7 江戸時代社交が贅沢と思われ抑圧された。

  8 心の勢いが弱くなること。

  9宴会が下手でパーティに気後れsること。

  10 せいぜい。

  11 社交下手が本性的でなければ社交性を身につけられるから。

  12 論理的で物怖じしない。自己主張をし、社会性に富んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

構成

 

主題 貿易や技術革新を通じて外国文化を受け入れ、論理的で社交的であった室町桃

山時代を日本人の特性の表れた時代として認識すべきだ。

 

 

 

 

 

 

1 日本文化紹介の悩み

  伝統が分断された

 (例)洋画 洋楽 洋服 洋間 近代的

 

2 日本文化と江戸時代

  

 

 

3 室町・桃山時代の見直し

 

 

 

4 宣教師たちの日本人観

 

 

 

 

 

 

 

5 国際貿易と技術革新

 

 

  

 

6 日本人の社交性

 

 

 

 

 

明治時代以降

 

 

 

日本画 邦楽 和服 和室 伝統的

 

日本の伝統

 江戸時代=過去 江戸的なもの

 日本人 =寡黙 論理的でない 

 

日本人=室町・桃山時代

 国際化 中国との接触

 西洋人と最初の接触

 

宣教師

 アラブ→インド→ 日本

 日本人=優秀 西洋人に似ている

    =生活が毎日よくなる

    =新しい物を受け入れ生活を

変える

 

 西洋人と同じ行動様式

技術革新・国際貿易の観念を理解した

国際貿易 ポルトガル人=三角貿易

技術革新 鉄砲製造 日本製黒船製造

 

室町時代 社交=文化の中心

     (例)お茶 お花 連歌

        公家武家町人農民

江戸時代 道徳 社交×

日本人=宴会下手 パーティ気後れ

   

江戸時代以前

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『自己発展としての人生』(TBSブリタニカ 1984年刊)

「日本文化と民族の自己表現」