好奇心　　知的情熱としての　　　　　　　　　　　　　　　　　　　中村雄二郎　

語釈

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１

　私たちは旅、未知と偶然の要素を多く含んだ旅に出るとき、どこかへ行きたいとか、なにかを調べたいとかなどといった、なんらかの意味で目的を持った自分の意思とは別に、１一種のあやしい胸のときめきを感じる。２それは３一抹の不安をまじえた４心の華やぎであり、５それによって旅への出立というものに、６独特の感情の色づけがなされる。「いい日旅立ち」などという鉄道の広告もあったが――多分これは「思い立ったが吉日」という昔からある�ﾚにヒントをえたものであろう――旅への出立がすぐれて演劇性あるいは祝祭性を持ちうるのは、そのような感情の色づけのためであろう。旅立ちの場所である駅やプラットフォームや空港が現代生活のなかでは珍しく濃密な意味場を形づくり、そこに毎日多くの小さな――ときには大きな――ドラマや祝祭が見られるのは、だれでもよく知っているところだ。

　旅立ちに際したときのこのような７心の不思議なありようを巧みにとらえて、私たちの先人の一人は次のように書いた。「春立てる霞の空に、白河の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取るもの手につかず、云々。」（松尾芭蕉『奥の細道』）あまりにも有名な文章であるが、この「そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて」（そぞろ神が物＝霊にとりついたためもの狂わしくなり、道祖神にさそわれて）ということばには、旅が８日常性をこえた異次元への飛翔ともいうべき側面を持っていることがよく示されている。

　日常の惰性的な生活のなかで閉ざされた私たちの心を、旅は開かれた、予感にみちたものにする。と同時にそれだけ、旅において私たちは９行くさきざきの不安にも敏感になる。その点についても芭蕉は見落としていない。「前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の涙をそそぐ。行く春や鳥啼き魚の目は涙、云々。」ここで「幻のちまた」とは「俗ニ夢ノ世ト言フガ如ク、人生ノハカナキヲ喩フ。」と注釈本（�@『奥の細道菅菰抄』）にある。１０ふだんの安穏無事な生活のなかでよりも、ひとは旅に際してわが身を見つめるようになるのである。いまでは旅に際しての別離も昔ほど深刻なものではなくなったけれど、それでもそこにはひそかに私たちを脅かすものがある。

　１１旅は私たちの心を開かれた、予感にみちたものにする、と言った。しかし１２それは、旅に出かけるとき、旅立ちに際してだけのことではなくて、およそ旅をしているかぎり、いつでも言えることである。これはだれでも経験していることだけれど、旅先で見たものや聞いたものは、しばしば私たちに新鮮なおどろきを与え、旅先で出会った出来事はしばしば私たちにつよい感動を与える。１３旅に出るとひとはだれでも〈芸術家〉になり〈詩人〉になると言われるのも、１４そのことを指している。

　この場合〈芸術家〉になり〈詩人〉になるというのは、なにか特別な力を新しく手に入れることではないだろう。それはむしろ、人間がもともと持っているいきいきとした１５「感受性をとりもどすことである。ふだんの生活、日常生活の惰性から自己を解き放つことなのである。「日々新たなり」という人間的生のありようは、日常生活のなかでもむろん言えることであり、本来私たちはそういうものとして毎日を迎えなければならないのだが、実際には１６それはたいへん難しい。

　ところが旅では――未知と偶然の要素を多く含んだ旅では――日々は私たちにとって新たならざるをえない。そして日々新たであるなかで、よりつよく私たちの好奇心は突き動かされ、働くようになる。ふつう１７〈好奇心〉などというと、あまりいい意味にとられない場合が多い。なにかおもしろいことはないかと知らなくてもいいことまでむやみに１８穿鑿する心、あるいはもの好きといったような意味に解されている。けれども好奇心とは、私たち人間の知的活動の根源をなす情熱、つまり知的情熱にほかならない。

（注）�@『奥の細道菅菰抄』　高橋梨一撰。１７７８年刊。

一　次の漢字の読みを記し、カタカナは漢字に直せ。

１　ミチとグウゼン　　　　２　イチマツの不安　　　　３　ドウソジン

４　飛翔　　　　５　惰性　　　　６　アンノン無事な生活　　７　オビヤかす

８　いきいきとしたカンジュセイ　　　９　穿鑿　　

二　傍線部１〜１８の問いに答えよ。

１　どのようなものか。

２　指示内容を記せ。

３　辞書で意味を調べよ。

４　どのようなことか。

５　指示内容を記せ。

６　それによって、旅の出立はどのような性質を帯びるのか、十字以内で抜き出せ。

７　どのようなものか。

８　同義の言葉をすべて抜き出せ。

９　同義の語句と反対の語句を抜き出せ。

１０　（１）安穏　辞書で意味を調べよ。

（２）同じような意味の語句を九字で浮き出せ。

１１　どういうことか抜き出せ。

１２　指示内容を記せ。

１３　その理由を記せ。

１４　指示内容を記せ。

１５　辞書で意味を調べよ。

１６　指示内容を記せ。

１７　辞書で意味を調べよ。

１８　辞書で意味を調べよ。

１　解答

一　１　未知　偶然　２　一抹　３　道祖神　４　飛翔　５　惰性　６　安穏

　　７　脅　　８　感受性　９　せんさく

二　１　未知のものに対する不安　新しいものに対する期待感　２　一種の怪しい胸のときめき。

　　３　ほんの少し。

　　４　未知のもおい出会えるかもしれないという期待感。

　　５　「一抹の不安をまじえた心の華やぎ」６　「演劇性あるいは祝祭性」

　　７　旅で起こる不安と新鮮な驚き。　

８　日常の惰性的な生活。ふだんの安穏。無事な生活。ふだんの生活。日常生活の惰性。

９　同義＝「脅かすもの」　反対＝「ふだんの安穏無事な生活」　

　　１０　（１）何事もなく穏やかなこと。（２）「日常の惰性的な生活」

　　１１　「旅先で見たものや聞いたものは、しばしば私たちに新鮮なおどろきを与え、旅先で出会った出来

事はしばしば私たちに強い感動を与える。｣

　　１２　旅は心を開かれた予感に満ちたものにする。

　　１３　日常生活の惰性から自己を解き放つ旅に出でることで生き生きとした感受性を取り戻せるから。

　　１４　旅先で見聞したものは驚きを与え、出来事は感動を与える。

　　１５　外界の刺激・印象を受け入れる能力。

　　１６　日常の中でいきいきとした感受性を持ち続けること。

　　１７　珍しいこと未知のことに強く気持ちがひかれること。

　　１８　手をつくして尋ね求めること。

２

　１好奇心というとあまりいい意味にとられない、と言った。しかし実はそれ以前の、情熱（情念、�@パトス）そのものが、これまで一般に永い間、２はしたないものとされてきたという事情がある。情熱は人間の心の平静を乱し、人間を真理から遠ざけるものだとされてきた。しかし３そのような見方はきわめて一面的なものでしかない。�A『百科全書』の編者として知られる�Bディドロ（『哲学的思索』）が、その点でたいへん適切なことを言っていたのを思い出す。

　すなわち、ひと４は情念（情熱）の悪い面ばかりを見て、むやみに情念を排斥する。しかし情念は、一方であらゆる苦悩の源であるだけでなく、同時に他方では、あらゆるよろこびの源泉でもある。偉大な情念によってはじめて、人間の魂は５偉大なものごとに到達しうるのだ。これに反して６控え目な感情は凡庸な人間をつくり、弱々しい感情はもっともすぐれた人間をも台なしにしてしまう。

　控え目な感情は凡庸な人間をつくり、ひとは７小心翼々としていると８創造的でありえなくなる。これは行きすぎた抑制や禁欲的態度がおちいりやすい９陥穽を示している重要な指摘である。いうまでもなく１０それは、詩、絵画、音楽といった狭い意味での芸術にかかわるだけではなく、もっと広い人間の知的活動や精神的活動にもかかわっている。だから、たとえどんな小さなことにせよ、日に日に発見や創造のよろこびを持って生きていくためには、通常考えられているより以上に、知的情熱としての好奇心をいきいきと保っておかなければならないのである。

（注）�@パトス　一時的な強い感情のことで、快・不快の情けにもとづく。�A『百科全書』　�Bディドロ

一　次の漢字の読みを記し、カタカナは漢字に直せ。

１　心のヘイセイ　２　テキセツなこと　３　ヒカえ目　４　凡庸　５　小心翼々　６　行きすぎたヨクセイ

７　陥穽　８　セマい意味　９　発見やソウゾウ　１０　ツウジョウ考えられる　

二　傍線部１〜１１の問いに答えよ。

１　どのような意味にとられているか、抜き出せ。

２　辞書で意味を調べよ。

３　情熱（情念）をどのようなものと思っているか。

４　どのようなことか。また、反対の意味の語句を抜き出せ。

５　どのような領域と関わっているか。

６　何を戒める指摘になっているか。

７　辞書で意味を調べよ。

８　「創造的」であるためには、何をいきいきと保つことが必要か。

９　辞書で意味を調べよ。

１０　指示内容を記せ。

２　解答

一　１　平静　２　適切　３　控　４ぼんよう　５　しょうしんよくよく　６　抑制　７　かんせい

　　８　狭　９　創造　１０　通常

二　１　「なにかおもしろいことはないかと知らなくてもいいことまでむやみに穿鑿する心、あるいはもの好

きといったような意味に解されている。」　２　たしなみがなく不作法だ。

　　３　喜びの源泉であり、むやみに排斥すべきではない。

　　４　どういうことか＝「人間の心の平静を乱し、人間を真理から遠ざける」反対＝「喜びの源泉」

　　５　人間の知的活動や精神的活動。　６　「行きすぎた抑制や禁欲的態」

　　７　気が小さくびくびくしているさま。　８　「知的情熱としての好奇心」

　　９　落とし穴。

１０　控えめな感情は凡庸な人を作り、小心翼々としていると創造的でなくなる。

　　

３

　ところで、知的情熱としての好奇心とは、とくに、私たちが世界や自然やものごとに向けるつよい関心のことである。そして、知識よりもなによりも関心（インタレスト）こそがあらゆる文化や学問の原動力である、と言えそうだ。１関心こそが知を開くのである。たとえば、次のような事実がある。すなわち、私たち人間の文化の根幹を形づくっているのは言語や概念の体系であろうが、２それらの体系の精密度は文化によってちがう。といってもそのちがいは、その文化や社会に属する人々の知的能力の差によるのではなくて、３細部のものごとにまでどれだけ関心を示すかという、関心のつよさの差によるのである。この重要な事実を説得的なかたちで示してくれたのは�@、レヴィ=ストロース（『野生の思考』）であった。

　すなわち、４それは女性の人類学者�Aスミス・バウエンの体験談として示されている。彼女はアフリカのある部族の調査に行ったとき、まず最初に彼らのことばを覚えようとした。その際、インフォーマント（現地人の情報提供者）たちは、初歩の段階で植物の見本をたくさん集めてきて、それらを示しながら一々の名前を言うというかたちで、彼女にことばを教えてくれた。５それは彼らにとっては、ごくあたりまえのやり方だった。ところが６彼女には、それらの植物が識別できなかった。なぜか。それらの植物が見慣れないものだったからではなくて、彼女がそれまで、植物界の豊かさや多様性そのものにほとんど関心がなかったからである。７それに反して現地人たちのほうは、そのような興味はだれでも当然持っているものだと信じていたのである。

　スミス・バウエン自身のことばでいえば――「彼らにとって植物は、人間と同じように重要で、また同じように親しいものでした。ところが私のほうは、農家の生活をした経験がなく、�Bベゴニアと�Cダリアと�Dペチュニアとを見分けることにも自信がなかったのです。」「私が入りこんだ社会は、野生植物であろうと栽培植物であろうと、植物にはすべてはっきりきまった名前と用途があって、男も女も子供も、だれでも何百種という植物を知っているような世界でした。８彼らほどに植物を知ろうとしたところでとうてい私には不可能でしょう。その上、たとえ私が９それを言っても彼らはそれが本当だと１０だれ一人信じてはくれないでしょう。」

　こうしてそこから、次のことが明らかになる。ものの分類、識別、命名を私たちに可能にするのは、なによりも１１それに対する関心であり、興味である。したがって関心や興味がまるでない場合には、いくら自分では意識的に知りたいと思っても、それを知るようにはならない。こういう次第で１２、もし私たちが知的活動を活発に行おうとすれば、まず第一に、関心や興味をつよく持ちつづけることが必要だ。さらにいえば、関心や興味を育てることが必要である。つまり、１３自分がおもしろいと思うことを探し出し、遠慮せずにそれに目を向けるようにすることである。自分でおもしろくなくなったこと、おもしろいと思えなくなったことを１４いくら後生大事にかかえていても、そこからはなにも生まれてこないのである。

（注）�@レブィ＝ストロース　１９０８〜２００９年。フランスの文化人類学者。構造主義人類学を生み出した。�Aスミス・バウエン　アメリカの人類学者。�Bベゴニア　シュウカイドウ科の多年草、小低木。�Cダリア

キク科の多年草。�Dペチュニアナス科の一年草。

一　次の漢字の読みを記し、カタカナは漢字に直せ。

１　文化のコンカン　２　言語やガイネン　３　サイブのものごと　４　シキベツできなかった

５　サイバイショクブツ　６　ブンルイ　７　シキベツ　８　メイメイ　９エンリョせずに

１０　ゴショウダイジ　

二　傍線部１〜１４の問いに答えよ。

１（１）ここでいう「知」とは何の事か。（２）「知」に差異が生じるのは何によるものか。

２　指示内容を記せ。

３　辞書で意味を調べよ。

４　指示内容を記せ。

５　指示内容を記せ。

６　何に関心がなかったか。

７　指示内容を記せ。

８　理由を記せ。

９　指示内容を記せ。

１０　なぜか。

１１　指示内容を記せ。

１２　なぜか、二カ所抜き出せ。

１３　そうすることで何が可能になるか。

１４　後生大事　辞書で意味を調べよ。また、どういうことか。

３　解答

一　１　根幹　２　概念　３　細部　４　識別　５　栽培植物　６　分類　７　識別

　　８　命名　９　遠慮　１０　後生大事

二　１　（１）言語や語の概念。（２）細部のものごとにまでどれだけ関心を示すかという関心の強さの差。

　　２　言語や概念。３　細かい部分。４　言語や概念の精密度はものごとへの関心の強さの差による。

５　植物の見本を集めてきて、其れを示しながら名前を教えた。

　　６　植物界の豊かさや多様性そのもの。７　植物界の豊かさ多様性に関心がなかったこと。

　　８　「私」には植物に対して関心や興味がほとどないから。

９　植物をしろうとしても不可能だということ。

　　１０　植物は誰でも何百種類と知っているから。　１１　「世界や自然やものごと」

　　１２　「関心（インタレスト）こそがあらゆる文化や学問の原動力である」「　関心こそが知を開く」

　　１３　知的活動を活発におこなうこと。

　　１４　ものをたいそうだいじにすること。　無理に漢詩をもとうとしても。

４

　また、知的情熱としての好奇心に対応する日本語の古語には〈すき〉（好き、数奇）があるけれど、これもなかなか含蓄あることばである。たまたま司馬遼太郎・林屋辰三郎という二人の対談集（『歴史の夜咄』）を読んでいたら、１その点について２示唆的な話に出会った。すなわち、日本語の〈すき〉は第一には、気に入ったものに向かって、ひたすら心が走る、いちずになる、熱中するという意味があるが、実はその裏にいわば紙一重のものとして、「歯どめがきかなくなって不幸な運命を招く」（数奇な運命）という意味があり、さらに「自由にしたい３放題のことをする」（好きにします）という意味もある。ここに日本語の〈すき〉が「非常にきわどいことば」、４きわどい心のあり方であることがわかるだろう、と。この５〈すき〉のきわどさも、私たちは十分心得ておくべきだろう。

　好奇心とは、新鮮な気持ちでものごとに出会っておどろきを感じる心であり、知ることへの情熱である。�@愛―知（フィロ‐ソフィア）というのも、もともとは６そういうものであったはずなのである。

（注）�@愛―知　「哲学」を意味するギリシャ語フィロソフィアの原義は、愛する＋知である。

一　次の漢字の読みを記し、カタカナは漢字に直せ。

１　数寄　２　ガンチクある　３　シサテキな　４　したいホウダイ　５　シンセンな気持ち

二　傍線部１〜６の問いに答えよ。

１　指示内容を記せ。

２　辞書で意味を調べよ。

３　辞書で意味を調べよ。

４　どのような点で「きわどい」のか。

５　どういうことか。

６　指示愛用を記せ。

４　解答

一　１　すうき　２　含蓄　３　示唆的　４　放題　５　新鮮

二　１　すき、好き、数寄は含蓄のある言葉。　２　それとなく教えること。３　存分に行い制限しない様。

　　４　熱中したりすぎると歯止めがきかなくなる点。５　好奇心が強いと歯止めがきかなくなる点。

　　６　「新鮮な気持ちで物事に出会って驚きを感じる心」

筆者　中村雄二郎（１９２５年〜）哲学者　

　　　多彩な思索活動を続けている。

　　　『現代情念論』　『読書のドラマツルギー』

　　　この文章　１９８１年刊行『知の旅への誘い』所収　

構成

主題　好奇心とは知る事への情熱だ。	１ ２　 ３　 ４	節
	惰性 〈好奇心〉＝詮索する５（　　　） 情念　悪い面　７（　　　） 控えめな８（　　　　　） ＝凡庸な人間	日常
	１（　　　）のときめき　一抹の不安 異次元の地　　不安　２（　　）になる 未知と４（　　　　） 日々新たな６（　　　　　　） 好奇心＝知的情熱 情念＝苦悩の源　喜びの源 　　　　　　　　→詩・会画・音楽 知的情熱としての９（　　　　　　） 知的情熱としての１０（　　　　　　） １１（　　　　）＝文化・学問の原動力 例　スミスの体験談　 アフリカのある部族 　　１２（　　　　　）への強い関心 例　日本語の古語 　　すき＝一途になる　数奇な運命	好奇心