面とペルソナ                       和辻哲郎

語釈

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 問題にしない時にはわかり切ったことと思われているものが、さて問題にしてみると実にわからなくなる。そういうものが我々の身辺には無数に存している。「顔面」もその一つである。顔面が何であるかを知らない人は目明きには一人もないはずであるが、しかも顔面ほど不思議なものはないのである。
 我々は顔を知らずに他の人とつき合うことができる。手紙、伝言等の言語的表現がその1媒介をしてくれる。しかしその場合にはただ相手の顔を知らないだけであって、相手に顔がないと思っているのではない。多くの場合には言語に表現せられた相手の態度から、あるいは文字における表情から、無意識的に相手の顔が想像せられている。それは通例きわめて漠然としたものであるが、それでも直接逢った時に2予期との合不合をはっきり感じさせるほどの力強いものである。3いわんや顔を知り合っている相手の場合には、顔なしにその人を思い浮かべることは決してできるものでない。絵をながめながらふとその作者のことを思うと、その瞬間に浮かび出るのは顔である。友人のことが4意識に上る場合にも、その名とともに顔が出てくる。もちろん顔のほかにも肩つきであるとか後ろ姿であるとかあるいは歩きぶりとかというようなものが人の記憶と結びついてはいる。しかし我々は5これらの一切を排除してもなお人を思い浮かべ得るが、ただ顔だけは取りのけることができない。後ろ姿で人を思う時にも、顔は向こうを向いているのである。

 6このことを7端的に示しているのは8肖像彫刻、9肖像画の類である。10芸術家は「人」を表現するのに「顔」だけに切り詰めることができる。我々は四肢胴体が欠けているなどということを全然感じないで、そこにその人全体を見るのである。しかるに顔を切り離したトルソーになると、我々はそこに美しい12自然の表現を見いだすのであって、決して「人」の表現を見はしない。もっとも芸術家が初めからこのような1@トルソーとして肉体を取り扱うということは、13肉体において自然を見る近代の立場であって、もともと「人」の表現をねらっているのではない。それでは、「人」を表現して、しかも14破損によってトルソーとなったものはどうであろうか。そこには明白に首や手足が欠けているのである。すなわちそれは15「断片」となっているのである。そうしてみると、胴体から引き離した首はそれ自身「人」の表現として立ち得るにかかわらず、首から離した胴体は断片に化するということになる。顔が人の存在にとっていかに中心的地位を持つかは16ここに17露骨に示されている。

(注)@トルソー 首・四肢を欠いた胴体だけの彫像。

 

一 カタカナを漢字に直し、漢字の読みを記せ。

 

1 それはツウレイ 2 絵をナガめ 3 一切をハイジョ 4 タンテキに示して

 

5 ショウゾウチョウコク 6 シシドウタイ 7 ハソンによって 8 ダンペン

 

9 ロコツに示され 10 ドウタイから引き離し

 

二 傍線部1〜17の問いに答えよ。

 

1 辞書で意味を調べよ。

 

2 どう言うことか。

 

3 辞書で意味を調べよ。

 

4 辞書で意味を調べよ。

 

5 指示内容を記せ。

 

6 指示内容を記せ。

 

7 辞書で意味を調べよ。

 

8、9、11 これらを例にしてどのようなことを述べようとしているのか。

 

10 どういうことか、説明せよ。

 

12 これと対比される表現を抜き出せ。

 

13 どういう意味か。

 

14 トルソーとの違いを説明せよ。

 

15 どういう意味で使っているか。また、「  」をつけたのはなぜか。

 

16 指示内容を記せ。

 

17 辞書で意味を調べよ。

 

 

一 1 2  解答

一 1 通例 2 眺 3 排除 4 端的 5 肖像彫刻 6 四肢胴体 7 破損

  8 断片 9 露骨 10 胴体

二 1 二つの物の間にあって両者の関係の仲立ちをすること。そういうもの。

  2 想像していた顔とあっているかいないかということ。 3 いうにおよばず。

  4 今まで気に留めていなかったことが知覚されてくる。5 肩つき、後姿、歩きぶりなど。

  6 我々は人を思うとき、他の一切を排除できても顔だけは取りのけることが出来ないということ。

  7 手っ取り早く核心にふれるさま。

  8 「顔が人の存在にとっていかい中心的地位を持つか」ということ。

  10 芸術家が頭部だけの彫刻を作ったり絵を描くことによって其の人全体を表現できること。

  12 「人」の表現。 

13 肉体を自然の造形物としてとらえ、その美しさを自然美の一つとして見ること。

14 破損によってトルソーになったもの=彫刻の一つの断片。トルソー=一つの完成された作品。

15 意味=一つの完結性を持たない、単なるかけらにすぎないということ。「 」=強調するため。

16 「胴体から引き離した首はそれ自身「人」の表現として立ち得るにかかわらず、首から離した胴体

は断片に化するということ」

  17 気持ち、意図などを相手の思惑を気にせずそのまま外にはっきり表すこと。

 

 

この点をさらに一層突き詰めたのが「面」である。それは首から頭や耳を取り去ってただ顔面だけを残している。どうしてそういうものが作り出されたか。舞台の上で一定の人物を表現するためにである。最初は宗教的な儀式としての2所作事にとって必要であった。その所作事が劇に転化するに従って登場する人物は複雑となり3面もまた分化する。かかる面を最初に芸術的に仕上げたのはギリシア人であるが、しかしその面の伝統を持続し、それに優れた発展を与えたものは、4ほかならぬ日本人なのである

昨秋A表慶館におけるB伎楽面、C舞楽面、能面等の5展観を見られた方は、日本の面にいかに多くの傑作があるかを知っていられるであろう。自分の乏しい6所見によれば、7ギリシアの仮面はこれほど優れたものではない。それは単に王とか王妃とかの「役」を示すのみであって、8伎楽面に見られるような一定の表情の思い切った類型化などは企てられていない。かと言って、能面のある者のように積極的な表情を注意深く拭い去ったものでもない。面における9このような芸術的苦心はおそらく他に10比類のないものであろう。このことは日本の彫刻家の眼が肉体の美しさよりもむしろ肉体における「人」に、従って11「顔面の不思議」に集中していたことを示すのではなかろうか。
 が、これらの12の真の優秀さは、それを棚に並べて、12彫刻を見ると同じようにただながめたのではわからない。面が面として胴体から、さらに首から、引き離されたのは、ちょうどそれが彫刻と同じに取り扱

      ・・・・

われるの13ではないがためである。すなわち生きて動く人がそれを顔につけて一定の動作をするがためなの

                           ・・・・・・・・・・

である。しからば彫刻が本来静止するものであるに対して、面は本来動くものである。面がその優秀さを真に発揮するのは動く地位に置かれた時でなくてはならない。

 伎楽面が喜び怒り等の表情をいかに鋭く類型化しているか、あるいは一定の性格、人物の型などをいかにきわどく形づけているか、それは人がこの面をつけて一定の14所作をする時にほんとうに15露出して来るのである。その時にこそ、この顔面において、不必要なものがすべて抜き去られていること、ただ強調せらるべきもののみが生かし残されていることが、はっきり見えて来る。またそのゆえにこの顔面は実際に生きている人の顔面よりも幾倍か強く生きてくるのである。舞台で動く伎楽面の側に自然のままの人の顔を見いだすならば、その自然の顔がいかに貧弱な、みすぼらしい、16生気のないものであるかを痛切に感ぜざるを得ないであろう。17芸術の力は面において顔面の不思議さを高め、強め、純粋化しているのである。

(注)@昨秋 1934年秋。この文章は1935年に発表された。A表慶館 東京国立博物館講内の展示館の一つ。B伎楽面 飛鳥時代、百済から伝わったとされる仮面劇の面。C舞楽面 奈良時代、大陸から伝わったとされる舞を伴う雅楽に用いられる面。

 

一 カタカナを漢字に直し、漢字の読みを記せ。

 

1 ギシキとして 2 所作事 3 人物はフクザツとなり 4 表慶館 5 伎楽面 6 舞楽面、

 

6 能面 7 多くのケッサク 8 ショケンによれば 9 ルイケイカ 10 ヒルイのない

 

11 棚 12 チョウコクが本来 13 真にハッキする 14 ロシュツしてくる 

 

15 イクバイか強く 16 いかにヒンジャクな 17 セイキのない 18 ジュンスイカ

 

二 傍線部1〜17の問いに答えよ。

 

1 指示内容を記せ。

 

2 辞書で意味を調べよ。

 

3 どういうことか説明せよ。

 

4 辞書で意味を調べよ。

 

5 辞書で意味を調べよ。

 

6 辞書で意味を調べよ。

 

7 どういう点で「優れたものではない」のか、文中の語句を用いて説明せよ。

 

8 後で何と言っているか。

 

9 どういうことを言っているか。

 

10 辞書で意味を調べよ。

 

11 どんなことを言っているか。

 

12 面、彫刻の違いを最も端的に示す語句をそれぞれ十字以内で抜き出せ。

 

13 以下の傍点にはどういうこうかがあるか。

 

14 辞書で意味を調べよ。

 

15 何がか。

 

16 辞書で意味を調べよ。

 

17 具体的に分かりやすく言い換えよ。

二 1〜3 解答

1 儀式 2 しょさごと 3 複雑 4 ひょうけいかん 5 ぎがくめん 6 ぶがくめん

7 傑作 8 所見 9 類型化 10 比類 11 たな 12彫刻 13 発揮 14 露出

15 幾倍 16 貧弱 17 生気 18 純粋

1 「顔が人の存在にとっていかに中心的地位を持つか」ということ。2  しわざ。

3 仮面も色々な人物を表すものが細かに分かれて作られるようになること。

4 ほかのものではない・・・である。 5 一般に広く見せること。展覧。

6 見た所。 

7 単に「役を示す」だけで「一定の表情の思い切った類型化」も「積極的な表情を注意深くぬぐい去

ったものでもない」点。

8 「伎楽面が喜び怒りなどの表情をいかに鋭く類型化しているか」

 

9 顔の表情を類型化したり消したりしていること。

10 比べるもののない。この上ない。

11 「顔面」が「人」そのものを具現するという不思議。

12 面―「本来動くもの」 「彫刻」―「本来静止するもの」

13 強調。面は本来動くものだと強調する。

14 ふるまい。

15 伎楽面面が持っている類型的な表情や一定の性格、人物像など。

16 生き生きした活気。

17 伎楽面は強調されるものだけが生かし残され、他は抜き去られているので人の顔面よりも生気がある。

4               

伎楽面が顔面における「人」を積極的に強調し純粋化しているとすれば、能面はそれを消極的に徹底せしめたと言えるであろう。伎楽面がいかに神話的空想的な顔面を作っても、そこに現わされているものはいつも「人」である。たとい口が喙になっていても、我々はそこに人らしい表情を強く感ずる。しかるに能面の鬼は顔面か

                         ・・・・・

ら一切の人らしさを消し去ったものである。2これもまた凄さを具象化したものとは言えるであろうが、しかし人の凄さの表情を類型化したものとは言えない。総じてそれは3人の顔の類型ではない。能面のこの特徴は男女を現わす通例の面においても見られる。それは男であるか女であるか、あるいは老年であるか若年であるか、とにかく人の顔面を現わしてはいる。しかし喜びとか怒りとかというごとき表情はそこには全然現わされていない。人の顔面において通例に見られる筋肉の生動がここでは注意深く洗い去られているのである。だからその肉づけの感じは急死した人の顔面にきわめてよく似ている。特に@尉や姥の面は強く4死相を思わせるものである。このように5徹底的に人らしい表情を抜き去った面は、おそらく能面以外にどこにも存しないであろう。能面の与える不思議な感じはこの6否定性にもとづいているのである。

 

 

 ところで7この能面が舞台に現われて動く肢体を得たとなると、そこに驚くべきことが起こってくる。というのは、表情を抜き去ってあるはずの能面が実に豊富8きわまりのない表情を示し始めるのである。面をつけた役者が手足の動作によって何事かを表現すれば、そこに表現せられたことはすでに面の表情となっている。たとえば手が涙を拭うように動けば、面はすでに泣いているのである。さらにその上に「謡」の旋律による表現が加わり、それがことごとく面の表情になる。これほど自由自在に、また微妙に、心の陰影を現わし得る顔面は、9自然の顔面には存しない。そうしてこの表情の自由さは、能面が何らの人らしい表情をも固定的に現わしていないということに基づくのである。笑っている伎楽面は泣くことはできない。しかし死相を示す尉や姥は泣くことも笑うこともできる。
 10このような面の働きにおいて特に我々の注意を引くのは、11面がそれを被って動く役者の肢体や動作を己れの内に吸収してしまうという点である。実際には役者が面をつけて動いているのではあるが、しかしその効果から言えば12面が肢体を獲得したのである。もしある能役者が、女の面をつけて舞台に立っているにかかわらず、その姿を女として感じさせないとすれば、それはもう役者の13名には価しないのである。否、どんな14拙い役者でも、あるいは素人でも、女の面をつければ女になると言ってよい。それほど面の力は強いのである。15従って16また逆に面はその獲得した肢体に支配される。というのは、その肢体はの肢体となっているのであるから、肢体の動きはすべてその面の動きとして理解され、肢体による表現が面の表情となるからである。17この関係を示すものとして、たとえばA神代神楽を能と比較しつつ考察してみるがよい。同じ様式の女の面が能の動作と神楽の動作との相違によっていかにはなはだしく異なったものになるか。能の動作の中に18全然見られないような、柔らかな、女らしい体のうねりが現われてくれば、同じ女の面でも能の舞台で決して見ることのできない19艶めかしいものになってしまう。その変化は実際人を驚かせるに20足るほどである。同じ面がもしB長唄で踊る肢体を獲得したならば、さらにまた全然別の面になってしまうであろう。
 以上の考察から我々は21次のように言うことができる。面は元来人体から肢体や頭を抜き去ってただ顔面だけを残したものである。しかるにその面は再び肢体を獲得する。人を表現するためにはただ顔面だけに切り詰めることができるが、その切り詰められた顔面は自由に肢体を回復する力を持っている。そうしてみると、22顔面は人の存在にとって核心的な意義を持つものである。23それは単に肉体の一部分であるのではなく、肉体を己れに従える主体的なるものの座、すなわち人格の座にほかならない。

(注)@尉や姥 いずれも老いを表す面で、「尉」は翁、「姥」な老女のこと。A神代神楽 神事を題材とした仮面舞踊劇。B長唄 江戸時代、歌舞伎舞踊の伴奏として発達した音曲。

 

 

一 カタカナを漢字に直し、漢字の読みを記せ。

 

1 伎楽面 2 能面 3 嘴 4 すごさをグショウカしたもの 5 キンニクのセイドウ

 

1 伎楽面 2 能面 3 嘴 4 すごさをグショウカしたもの 5 キンニクのセイドウ

 

6 尉や姥 7 シソウを思わせる 8 このヒテイセイ 9 動くシタイ 10 「謡」のセンリツ

 

11 ビミョウに 12 神代神楽 13 長唄 14ガンライ人体から 15 カイフクする力

 

二 傍線部1〜23の問いに答えよ。

 

1 なぜこう言っているのか説明せよ。

2 指示内容を記せ。

3 どういう意味か。

4 辞書で意味を調べよ。

5 能面が「徹底的に人らしい表情を抜き去」って作られているのはなにのためか。」

6 具体的にどういうことを挿しているか。

7 分かりやすく説明した一文を抜き出せ。

8 辞書で意味を調べよ。

9 どういうことか。

10 指示内容を記せ。

11 (1)どういう例をあげているか。

   (2)後で何と言っているか。

   (3)どういうことか説明せよ。

12 どういう意味か。

13 なぜか。

14 辞書で意味を調べよ。

15 「ところが」でなく「したがって」である理由を説明せよ。

16 どういうことを言っているか。

17 指示内用を記せ。

18 辞書で意味を調べよ。

19 辞書で意味を調べよ。

20 辞書で意味を調べよ。

21 指す内容はなにか。

22 なぜか。

23 指示内容を記せ。

 

 

 

 

 

二 4、5 解答

一 1 ぎがくめん 2 のうめん 3 くちばし 4 具象化 5 筋肉 生動 6 じょうやうば

  7 死相 8 否定性 9 肢体 10 旋律 11 微妙 12 神代神楽 13 ながうた

  14 元来 15 回復

二 1 伎楽面が常に人らしい表情が感じられるのに対して、能面の顔面からは人らしい表情が拭い去られて

いるから。 2 能面の鬼。3 人の顔の恐ろしさを突き詰めてできたもおではない。4 死に顔。

  5 舞台で豊かな表情を表現できるようにするため。

6 能面がその造形にあたって「徹底的に人らしい表情を抜き去」られていること。 

  7 「面をつけた役者が手足の動作によって何事かを表現すれば、そこに表現せられたことはすでに面の

表情となっている。」

 8 限りがない。この上ない。

 9 生きた人の素顔には現れないということ。

 10 「表情を抜き去ってあるはずの能面が実に豊富きわまりない表情を示」こと。

 11 (1)手が涙をぬぐうように動くと面も鳴いている表情に変わる。

    (2)「面が肢体を獲得した。」

    (3)役者が面をつけて演ずるというより、面が役者の死体や動く動作を支配し自由にする。

 12 役者の肢体の動きが面の一部としての肢体となり、動きとなるという意味。

 13 女お面をつけているのに女そのものの姿を感じさせないから。 14 へただ。

 15 面が肢体に支配されるのは、面が役者の肢体や動作を己の内に吸収した結果だから。

 16 面は獲得した肢体の出来不出来により面自体の価値を左右されるから。 

 17 「面はその獲得した肢体に支配され」「肢体による表現が面の表情となる」という関係。

 18 (下に打ち消し)まったく。まるっきり。19 あでやかで美しい。

 20 するだけの値打がある。 

21 顔面は肉体を己に従える主体的なもおの座。 

22 顔面は人を表現する切り詰められた素材でありながら一方では抜き去った肢体を自由に回復すること

ができるから。 23 顔面。

 

 ここまで考えて来ると我々はおのずから@ persona を連想せざるを得ない。この語はもと劇に用いられる面を意味した。それが転じて劇におけるそれぞれの役割を意味し、従って劇中の人物をさす言葉になる。dramatis personae がそれである。しかるにこの用法は劇を離れて現実の生活にも通用する。人間生活におけるそれぞれの役割がペルソナである。1我れ、汝、彼というのも第一、第二、第三のペルソナであり、地位、身分、資格等もそれぞれ社会におけるペルソナである。そこでこの用法が神にまで押しひろめられて、A父と子と聖霊が神の三つのペルソナだと言われる。しかるに人は社会においておのおの彼自身の役目を持っている。己れ自身のペルソナにおいて行動するのは彼が己れのなすべきことをなすのである。従って他の人のなすべきことを代理する場合には、他の人のペルソナをつとめるということになる。そうなるとペルソナは行為の主体、権利の主体として、「人格」の意味にならざるを得ない。かくして2「面」が「人格」となったのである。

 ところで3このような意味の転換が行なわれるための最も重大な急所は、最初に「面」が「役割」の意味になったということである。面をただ顔面彫刻としてながめるだけならばこのような意味は生じない。面が生きた人を己れの肢体として獲得する力を持てばこそ、それは役割でありまた人物であることができる。従ってこの力が活き活きと感ぜられている仲間において、「お前はこの前には王の面をつとめたが、今度は王妃の面をつとめろ」というふうなことを言い得るのである。そうなると、4ペルソナが人格の意味を獲得したという歴史の背後にも、前に言った顔面の不思議が働いていた、と認めてよいはずである。
 面という言葉はペルソナと異なって人格とか法人とかの意味を獲得してはおらない。しかしそういう意味を獲得するような傾向が全然なかったというのではない。「人々」という意味で「面々」という言葉が用いられることもあれば、各自を意味して「めいめい」(面々の(なまり)であろう)ということもある。これらは5面目を立てる、顔をつぶす、顔を出す、などの用法とともに、6顔面を人格の意味に用いることの7萌芽であった。

付記。能面についての具体的なことは近刊野上豊一郎氏編の『能面』を見られたい。氏は能面の理解と研究において現代の第一人者である。


(注)@ persona ラテン語。A父と子と聖霊 キリスト教の教義で、実体としては一つである神の、三つのペルソナとする。「父」は天地創造の神、「子」はキリスト、「聖霊」は神の霊的な力。

 

一 カタカナを漢字に直し、漢字の読みを記せ。

 

1 汝 2 コウイの主体 3 重大なキュウショ 4 ナガめる 5 カクトクする力 6 王妃

 

7 フシギ 8 歴史のハイゴ 9 カクジを意味する 10 萌芽

 

二 傍線部1〜7の問いに答えよ。

 

1 どういうことを言っているか。

2 「面」のどのような力によるのか、抜き出せ。

3 何がどのように転換したというのか。

4 どのように「顔面の不思議が働いていた」のか。

5 こういう言葉を何というか。

6 具体的にどういうことか。

7 辞書で意味を調べよ。

 

 

 

三 1、2 解答 

一 1 なんじ2 行為 3 急所 4 眺 5 獲得 6 おおひ 7 不思議

8 背後 9 各自 10 ほうが

二 1 文法でいう「人称」をさす。

  2 「面が生きた人を己れの肢体として獲得する力」

  3 劇に用いられる面という意味が行為や権利の主体として「人格」という意味に。

  4 顔面からなっている面は人間存在の核心的意義を示す「人格」の意味をも獲得しえたのである。

  5 身体言葉。

  6 顔面を用いた言葉には、人格の意味を持たせているものであるということ。

  7 ものごとの始まり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とめ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4 

 

 

 

5 

 

 

 

 

 

 

 

面 人格 舞台 演劇

顔面の不思議

(例1)          未知の人・既知の人 

付き合いに顔面は不可欠

 

(例2)肖像   顔だけで人を表現

    トルソー 美しい自然の表現

 

○顔は人の存在にとって中心的地位を持つ

 

 

 

伎楽面 一定の表情の思い切った類型化

    面を顔につけて動作をする

 

伎楽面 一定の所作をすることで性格が

出る

    人を積極的に表現

 

能面  人を消極的に表現

    人らしい表情を抜き去る

    死相 否定性

 

能面  舞台で演じられ、豊富な表情

    表情の自由さ

    笑う伎楽面 泣く事ができない

    能面は泣く事も笑う事もできる

    役者の肢体や動作を吸収する

    面が肢体を獲得する

 

○顔面は人の存在にとって核心的な意義

 をもつ

 

面(日本)

 

ペルソナ 人格 生活 言葉の用法 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギリシャの面 「訳を示すのみ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 劇に用いられる面 2 劇における役割

3 劇中の人物    4 人称

5 地位・身分・資格 6 父・子・聖霊

7 人格 

 

ペルソナ 人格 法人

ペルソナ(西洋)

 

構成

 

主題 面=人格 ペルソナ=人格


筆者

  和辻哲郎 1889〜1960年

       哲学者 雑誌第二次「新思潮」の同人に参加

       戯曲・評論を発表した

       東洋文化への関心を深め、文化哲学的な倫理学を確立した。

       『古寺巡礼』『風土』 

 

 

 

 

 

 

 

底本:「和辻哲郎随筆集」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年918日第1刷発行
   2006(平成18)年1122日第6刷発行
初出:「思想」
   1935(昭和10)年6月号
※ファイル末の「付記」の『能面』には、底本では、〔全10回、一九三六年八月〜一九三七年七月、岩波書店刊〕との補足がありました。