陰翳礼賛  

TOPへもどる

現代文へもどる

                          谷崎純一郎

語釈

〇わらんじや

 

 京都に「わらんじや」と云う有名な料理屋があって、こゝの家では近頃まで客間に電燈をともさず、古風な@燭台を使うのが名物になっていたが、ことしの春、久しぶりで行ってみると、いつの間にかA行燈式の電燈を使うようになっている。いつからこうしたのかと聞くと、去年からこれにいたしました。蝋燭(ろうそく)の灯ではあまり暗すぎると仰っしゃるお客様が多いものでござりますから、B拠んどころなくこう云う風に致しましたが、やはり昔のまゝの方がよいと仰っしゃるお方には、燭台を持って参りますと云う。で、折角それを楽しみにして来たのであるから、燭台に替えて貰ったが、その時私が感じたのは、日本の3漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮されると云うことであった。「わらんじや」の座敷と云うのは四畳半ぐらいの小じんまりした4茶席であって、床柱や天井なども黒光りに光っているから、行燈式の電燈でも勿論暗い感じがする。が、それを一層暗い燭台に改めて、その穂のゆらゆらとまたゝく蔭にある膳や椀を視詰めていると、それらの塗り物の5沼のような深さと厚みとを持ったつやが、全く6今までとは違った魅力を帯び出して来るのを発見する。そしてわれわれの祖先がうるしと云う塗料を見出し、それを塗った器物の色沢に愛着を覚えたことの偶然でないのを知るのである。

友人サバルワル君の話に、印度では現在でも食器に陶器を使うことを卑しみ、多くは塗り物を用いると云う。われわれはその反対に、茶事とか、儀式とかの場合でなければ、膳と吸い物椀の外は殆ど陶器ばかりを用い、漆器と云うと、野暮くさい、雅味のないものにされてしまっているが、それは一つには、採光や照明の設備がもたらした「明るさ」のせいではないであろうか。事実、「闇」を条件に入れなければ漆器の美しさは考えられないと云っていゝ。今日では白漆と云うようなものも出来たけれども、昔からある漆器の肌は、黒か、茶か、赤であって、それは7幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生れ出たもののように思える。派手な蒔絵(まきえ)などを施した8ピカピカ光る蝋塗りの手箱とか、D文台とか、棚とかを見ると、いかにも9ケバケバしくて落ち着きがなく、俗悪にさえ思えることがあるけれども、もしそれらの器物を取り囲む空白を真っ黒な闇で塗り潰し、太陽や電燈の光線に代えるに一点の燈明か蝋燭(ろうそく)のあかりにして見給え、忽ちそのケバケバしいものが底深く沈んで、渋い、重々しいものになるであろう。古えの工藝家がそれらの器に漆を塗り、C蒔絵を画く時は、必ずそう云う暗い部屋を頭に置き、乏しい光りの中における効果を狙ったのに違いなく、金色を贅沢に使ったりしたのも、それが闇に浮かび出る工合や、燈火を反射する加減を考慮したものと察せられる。つまり金蒔絵は明るい所で一度にぱっとその全体を見るものではなく、暗い所でいろいろの部分がときどき少しづつ底光りするのを見るようにできているのであって、豪華10絢爛な模様の大半を闇に隠してしまっちるのが11云い知れぬ餘情を催すのである。そして、12あのピカピカ光る肌のつやも、暗い所に置いてみると、それがともし火の穂のゆらめきを映し、静かな部屋にもおりおり風のおとずれのあることを教えて、13そゞろに人を14瞑想に誘い込む。もしあの陰鬱な室内に漆器と云うものが15夜の脈搏が、どんなに魅力を減殺されることであろう。まことにそれは、16畳の上に幾すじもの小川が流れ、池水が湛えられている如く、一つの灯影を此処彼処に捉えて、細く、17かそけく、ちらちらと伝えながら、18夜そのものに蒔絵をしたような綾を織り出す

19けだし食器としては20陶器も悪くないけれども、陶器には漆器のような陰翳がなく、深みがない。陶器は手に触れると重く冷たく、しかも熱を伝えることが早いので熱い物を盛るのに不便であり、その上カチカチと云う音がするが、漆器は手ざわりが軽く、柔かで、耳につく程の音を立てない。私は、吸い物椀を手に持った時の、掌が受ける汁の重みの感覚と、生あたゝかい温味(ぬくみ)とを何よりも好む。それは21生れたての赤ん坊のぷよぷよした肉体を支えたような感じでもある。吸い物椀に今も塗り物が用いられるのは全く理由のあることであって、陶器の容れ物ではあゝは行かない。第一、蓋を取った時に、陶器では中にある汁の身や色合いが皆見えてしまう。漆器の椀のいゝことは、まずその蓋を取って、口に持って行くまでの間、暗い奥深い底の方に、容器の色と殆ど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持である。人は、その椀の中の闇に何があるかを見分けることは出来ないが、汁がゆるやかに動揺するのを手の上に感じ、椀の縁(ふち)がほんのり22汗を掻いているので、そこから湯気が立ち昇りつゝあることを知り、その湯気が運ぶ匂に依って口に啣(ふく)む前にぼんやり味わいを豫覚する。その瞬間の心特、スープを浅い白ちゃけた皿に入れて出す西洋流に比べて何と云う相違か。それは一種の神秘であり、D禅味であるとも云えなくはない。

 (注)@燭台 蝋燭を立てて火をともす台。A行燈 木や竹の枠に紙を張り、中に油を入れて火をともす道具。B拠んどころなく やむゑず。C蒔絵 漆と金銀粉、金具、すり具などを用いて、器物の面に絵模様を表したもの。D文台 書籍・短冊などぉのせる高さ10センチメートルほどの小机。

 

一 次のカタカナは漢字になおし、漢字の読みを記せ。

 

1 陰翳礼讃 2 燭台 3 行燈 4 蝋燭 5 漆器 6 本当にハッキされる 7 茶席

 

8 膳 9 椀 10 グウゼンでない 11 タイセキした 12 蒔絵 13 加減をコウリョした

 

14 綾 15 スいもの 16 眺めたシュンカン 17 縁 18 ユルやか

 

二 傍線部1〜22の問いに答えよ。

 

1 辞書で意味を調べよ。

 

2 辞書で意味を調べよ。 

 

3 辞書で意味を調べよ。

 

4 辞書で意味を調べよ。 

 

5 この比喩を説明せよ。

 

6 どういう魅力か。

 

7 (1)堆積 辞書で意味を調べよ。

 

  (2)なぜこのような比喩になったか。 

 

8、112は「ピカピカ」がカタカナで書かれ、2・7「ぴかぴか光る黒塗りの飯」は平仮名で書かれている。

この二つの表記の仕方の違いはどのような表現効果があるか。 

 

9 辞書で意味を調べよ。

 

10 辞書で意味を調べよ。 

 

11 (1)余情 辞書で意味を調べよ。

 

   (2)どういうことか。

 

13 辞書で意味を調べよ。

 

14 辞書で意味を調べよ。

 

15 (1)脈拍 辞書で意味を調べよ。 

 

   (2)この比喩を説明せよ。

 

16 この比喩を説明せよ。

 

17 辞書で意味を調べよ。

 

18 (1)綾

 

   (2)どんな情景か。

 

19 辞書で意味を調べよ。

 

20 辞書で意味を調べよ。

 

21 何をこのような比喩で表現したか。

 

22 具体的に説明せよ。

 

 

 

一 解答

一 1 いんえいらいさん 2 しょくだい 3 あんどん 4 ろうそく 5 しっき 6 発揮

  7 ちゃせき 8 ぜん 9 わん 10 偶然 11 堆積 12 まきえ 13 考慮

  14 あや 15 吸 16 とうき 17 えにし 18 緩

1 光を受けない部分。くま。かげ。 2 ありがたく思ってほめたたえること。 3 漆塗りの器物。

4 茶室。5 淀んだ沼が見る者を引きこんでしまうような底深さを感じさせる。

6 明るいところでは気づかなかった新しい魅力。

7 (1)うずたかくつもること。

  (2)漆は幾重にも塗り重ねるので。

8 ピカピカーいかにもけばけばしく落ち着きが無い印象。

  ぴかぴかー柔らかく温かみをもった光り方をイメージさせる。 

9 見た目がはなやかだ。ひどく人の目をひく。

10 美しくきらびやか。

11 (1)言外の趣。余情。

   (2)見える一部が素晴らしいものであるだけに隠れている部分に対する想像が無限に広がり深まってていくこと。

13 これという理由もなくて自然とそうなる様子。

14 目を閉じて静かに考えにふけること。

15 (1)脈。

   (2)蝋燭や燈明の光が揺らめいて、明るくなったり暗くなったりするのをまるで夜が脈を打っていると例えた。

16 畳の上の漆器が「一つの灯影をここかしこにとらえて細くかそけくちらちらと伝え」ている様子。

17 かすかだ。

18(1)模様を織りだした美しい絹。

  (2)畳の上に置かれた膳や椀などの漆器に乏しい光が当たっている様子が蒔絵を薄明かりの中に置いた時に描きだす模様と同じだとみなしている。

19 おもうに。

20 土、石の粉を練って形を作り、上薬をぬり、竈で焼いた器物。

21 吸い物椀を手のひらで受ける重みの感覚となま暖かいぬくみの感覚。

22 椀の縁に水滴を生じたもの。

 

〇吸い物椀

 私は、吸い物椀を前にして、1椀が微かに耳の奥へ沁むようにジイと鳴っている、あの遠い虫の音のようなおとを聴きつゝこれから食べる物の味わいに思いをひそめる時、いつも自分が@三昧境に惹き入れられるのを覚える。2茶人が湯のたぎるおとにA尾上の松風を連想しながら3無我の境に入ると云うのも、恐らくそれに似た心特なのであろう。4日本の料理は食うものでなくて見るものだと云われるが、こう云う場合、私は見るものである以上に瞑想するものであると云おう。そうしてそれは、闇にまたゝく蝋燭(ろうそく)の灯と漆の器とが合奏する5無言の音楽の作用なのである。

かつて漱石先生は「B草枕」の中で羊羹(ようかん)の色を讃美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。C玉(ぎょく)のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光りを吸い取って夢みる如きはの明るさを御んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。クリームなどはあれに比べると何と云う浅はかさ、単純さであろう。だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。

けだし料理の色あいは何処の国でも食器の色や壁の色と調和するように工夫されているのであろうが、日本料理は明るい所で白ッちゃけた器で食べては慥かに食慾が半減する。たとえばわれわれが毎朝たべる赤味噌の汁なども、あの色を考えると、昔の薄暗い家の中で発達したものであることが分る。私は或る茶会に呼ばれて味噌汁を出されたことがあったが、いつもは何でもなくたべていたあのどろどろの赤土色をした汁が、覚束ない蝋燭(ろうそく)のあかりの下で、黒うるしの椀に澱んでいるのを見ると、実に深みのある、うまそうな色をしているのであった。

その外醤油などにしても、上方では刺身や漬物やおひたしには濃い口の「Dたまり」を使うが、あのねっとりとしたつやのある汁がいかに陰翳に富み、闇と調和することか。また白味噌や、豆腐や、蒲鉾や、とろゝ汁や、白身の刺身や、あゝ云う白い肌のものも、周囲を明るくしたのでは色が引き立たない。第一飯にしてからが、7ぴかぴか光る黒塗りのE飯櫃(めしびつ)に入れられて、暗い所に置かれている方が、見ても美しく、食慾をも刺戟する。あの、炊きたての真っ白な飯が、ぱっと蓋を取った下から暖かそうな湯気を吐きながら黒い器に盛り上って、一と粒一と粒真珠のようにかゞやいているのを見る時、日本人なら誰しも米の飯の有難さを感じるであろう。かく考えて来ると、われわれの料理が常に陰翳を基調とし、闇と云うものと切っても切れない関係にあることを知るのである。

 

 (注)@三昧境 心が一事に集中して雑念のない状態。A尾上 山の高いところ。B草枕 小説。1906年発表。C玉 宝石の一種。Dたまり たまり醤油のこと。普通の醤油より濃い。E飯櫃 炊きあがった飯を入れる木製の器。

 

一 次のカタカナは漢字になおし、漢字の読みを記せ。

 

1 三昧境 2 ムガの境 3 瞑想 4 ウルシの器 5 漱石 6 草枕 7 羊羹 8 賛美

 

9 アマいカタマリ 10 食欲がハンゲンする 11 赤味噌 12 醤油 13 豆腐

 

14 飯櫃 15 陰影をキチョウとし

 

二 傍線部1〜7の問いに答えよ。

 

1 どういうことを言っているか説明せよ。

 

2 辞書で意味を調べよ。

 

3 どう言う状態か。

 

4 (1)瞑想 辞書で意味を調べよ。

 

  (2)1「食うもの」2「見るもの」3「瞑想するもの」の、三者の違いを踏まえながら日本の料理の独

自性を説明せよ。

5 どういうことか。

 

6 この事を日本料理の特質として別の言葉で言い換えた部分を四十字以内で抜き出せ。

 

二 1 解答

一 1 さんまいきょう 2 無我 3 めいそう 4 漆 5 そうせき 6 くさまくら 

  7 ようかん 8 さんび 9 甘 塊 10 半減 11 あかみそ 12 しょうゆ 

  13 とうふ 14 めしびつ 15 基調 

二 1 椀の中のものが冷えると中の気圧が低くなり椀とふたの間の隙間から外の空気が中へ流れ込んでジイ

    という音をたてる。

  2 茶の湯を好む人。 3 自分の存在さえも忘れて恍惚としている状態。

  4 (1)目を閉じて静かに考えにふけること。

    (2)1 食事本来の目的に近いもの。 2 視覚的な美に重点を置いて工夫が凝らされている。

       3 闇の中でまたたく灯に浮かぶ漆器と調和して幻想的な光景を江描きだし見る者を三昧境

         に誘い込む。

  5 闇の中の灯と灯を映す漆器の輝きが蝋燭がゆらめくたびに様々な階調を作り出すこと。

 6「 われわれの料理が常に陰翳を基調とし、闇と云うものと切っても切れない関係にある」

 

 

 

〇建築のこと

 私は建築のことについては全く1門外漢であるが、西洋の寺院のゴシック建築と云うものは屋根が高く高く尖って、その先が天に2冲せんとしているところに美観が存するのだと云う。これに反して、われわれの国の3伽藍では建物の上にまず大きな甍を伏せて、その庇(ひさし)が作り出す深い廣い蔭の中へ全体の構造を取り込んでしまう。寺院のみならず、宮殿でも、庶民の住宅でも、外から見て最も眼立つものは、或る場合には瓦葺き、或る場合には茅葺きの大きな屋根と、その庇の下にたゞよう濃い闇である。時とすると、白昼といえども軒から下には洞穴のような闇が繞っていて戸口も扉も壁も柱も殆ど見えないことすらある。これは知恩院や本願寺のような4宏壮な建築でも、草深い田舎の百姓家でも同様であって、昔の大概な建物が軒から下と軒から上の屋根の部分とを比べると、少くとも眼で見たところでは、屋根の方が重く、堆く、面積が大きく感ぜられる。左様にわれわれが住居を営むには、何よりも屋根と云う傘を拡げて大地に一廓の日かげを落し、その薄暗い陰翳の中に家造りをする。もちろん西洋の家屋にも屋根がない訳ではないが、それは日光を5遮蔽するよりも雨露をしのぐための方が主であって、蔭はなるべく作らないようにし、少しでも多く内部を明りに曝すようにしていることは、外形を見ても領かれる。日本の屋根を傘とすれば、西洋のそれは帽子でしかない。しかも6鳥打帽子のように出来るだけ鍔(つば)を小さくし、日光の直射を近々と軒端に受ける。7けだし日本家の屋根の庇が長いのは、気候風土や、建築材料や、その他いろいろの関係があるのであろう。たとえば煉瓦やガラスやセメントのようなものを使わないところから、横なぐりの風雨を防ぐためには庇を深くする必要があったであろうし、日本人とて暗い部屋よりは明るい部屋を便利としたに違いないが、8是非なくあゝなったのでもあろう。

が、美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを9餘儀なくされたわれわれの先祖は、10いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。事実、日本座敷の美は11全く陰翳の濃淡に依って生れているので、それ以外に何もない。西洋人が日本座敷を見てその簡素なのに驚き、たゞ灰色の壁があるばかりで何の装飾もないと云う風に感じるのは、彼等としては12いかさま尤もであるけれども、それは13陰翳の謎を解しないからである。

われわれは、それでなくても太陽の光線の這入りにくい座敷の外側へ、@土庇を出したり縁側を附けたりして一層日光を遠のける。そして室内へは、庭からの反射が障子を透してほの明るく忍び込むようにする。われわれの座敷の美の要素は、この間接の鈍い光線に外ならない。われわれは、この力のない、わびしい、果敢ない光線が、しんみり落ち着いて座敷の壁へ沁み込むように、わざと調子の弱い色の砂壁を塗る。土蔵とか、14とか、廊下のようなところへ塗るには照りをつけるが、座敷の壁は殆ど砂壁で、めったに光らせない。もし光らせたら、その乏しい光線の、柔かい弱い味が消える。われ等は何処までも、見るからにおぼつかなげな外光が、黄昏色の壁の面に取り着いて辛くも15餘命を保っている、あの繊細な明るさを楽しむ。我等に取っては16この壁の上の明るさ或はほのぐらさが何物の装飾にも優るのであり、しみじみと見飽きがしないのである。

さればそれらの砂壁がその明るさを乱さないようにとたゞ一と色の無地に塗ってあるのも当然であって、座敷毎に少しずつ地色は違うけれども、何とその違いの微かであることよ。それは色の違いと云うよりもほんの僅かな濃淡の差異、見る人の気分の相違と云う程のものでしかない。しかもその壁の色のほのかな違いに依って、また幾らかずつ各々の部屋の陰翳が異なった色調を帯びるのである。尤も我等の座敷にも床の間と云うものがあって、掛け軸を飾り花を活けるが、しかしそれらの軸や花もそれ自体が装飾の役をしているよりも、陰翳に深みを添える方が主になっている。われらは一つの軸を掛けるにも、その17軸物とその床の間の壁との調和、即ち「床うつり」を第一に貴ぶ。われらが掛け軸の内容を成す書や絵の巧拙と同様の重要さを18表具(ひょうぐ)に置くのも、実にそのためであって、床うつりが悪かったら如何なる名書画も掛け軸としての価値がなくなる。それと反対に一つの独立した作品としては大した傑作でもないような書画が、A茶の間の床に掛けてみると、非常にその部屋との調和がよく、軸も座敷も俄かに引き立つ場合がある。そしてそう云う書画、それ自身としては格別のものでもない軸物の何処が調和するのかと云えば、それは常にその19地紙や、墨色や、表具(ひょうぐ)の裂(きれ)が持っている20古色にあるのだ。その古色がその床の間や座敷の暗さと21適宜な釣り合いを保つのだ。われわれはよく京都や奈良の22名刹を訪ねて、その寺の宝物と云われる軸物が、奥深い大書院の床の間にかゝっているのを見せられるが、そう云う床の間は大概昼も薄暗いので、図柄などは見分けられない、たゞ案内人の説明を聞きながら消えかゝった墨色のあとを辿って多分立派な絵なのであろうと想像するばかりであるが、しかしそのぼやけた古画と暗い床の間との取り合わせが如何にもしっくりしていて、図柄の不鮮明などは聊かも問題でないばかりか却ってこのくらいな不鮮明さがちょうど適しているようにさえ感じる。つまりこの場合、その絵は覚束ない弱い光りを受け留めるための一つの23奥床しい「面」に過ぎないのであって、24全く砂壁と同じ作用をしかしていないのである。われらが掛け軸を択ぶのに時代や25「さび」を珍重する理由はここにあるので、新画は水墨や26淡彩のものでも、よほど注意しないと27床の間の陰翳を打ち壊すのである。

 

(注)@土庇 土間をおおう捨てひさし。A茶の間 ここでは、茶室のこと。

 

一 次のカタカナは漢字になおし、漢字の読みを記せ。

 

1 甍 2 伽藍 3 瓦 4 茅 5 遮蔽 6 余儀なく 7 謎 8 軒端 9 余命

 

10 あのセンサイな 11 ソウショクにもまさる 12 わずかなノウタン 13 軸物

 

14 ヒョウグにおく 15 テキギなつりあい 16 名刹 17 図柄のフセンメイ 

 

18 チンチョウする  19 水墨やタンサイのもの 20 打ちコワす

 

二 傍線部1〜27の問いに答えよ。

 

1 辞書で意味を調べよ。

 

2 辞書で意味を調べよ。

 

3 辞書で意味を調べよ。

 

4 辞書で意味を調べよ。

 

5 辞書で意味を調べよ。

 

6 辞書で意味を調べよ。

 

7 辞書で意味を調べよ。

 

8(1)是非なく 辞書で意味を調べよ。

 

 (2)理由は何か。 

 

9 辞書で意味を調べよ。

 

10 辞書で意味を調べよ。

 

11 24との違い。

 

12 辞書で意味を調べよ。

 

13 もっともよく説明している個所をこの後の部分から抜き出せ。

 

14 辞書で意味を調べよ。

 

15 辞書で意味を調べよ。

 

16 筆者が言いたいことは何か。

 

17 辞書で意味を調べよ。

 

18 辞書で意味を調べよ。

 

19 辞書で意味を調べよ。

 

20 辞書で意味を調べよ。

 

21 辞書で意味を調べよ。

 

22 辞書で意味を調べよ。

 

23 なぜ「奥ゆかしい」という言葉を使ったか。 

 

25 辞書で意味を調べよ。

 

26 辞書で意味を調べよ。

 

27 新画はなぜ「床の間の陰翳を打ち壊す」といっているのか、

三 解答

一 1 いらか 2 がらん 3 かわら 4 かや 5 しゃへい 6 よぎ 7 なぞ 8 のきば

  9 よめい 10 繊細 11 装飾 12 濃淡 13 軸物 14 表具 15 しゃへい

  16 めいさつ 17 不鮮明 18 珍重 19 淡彩 20 壊

二 1 専門家でない人。 2 のぼる。 3 寺院。僧坊の総称。 4 広大で立派なこと。

  5 おおってさえぎること。 6 ひらたくてまるい紐のついた帽子。 7 思うに。

  8 (1)やむをえない。仕方がない。(2)祖先の様々な生活体験の積み重ねから考案されたから。

  9 やむをえない。しかたない。10 いつのまにか。

  11 否定がない 完全に。24 下に否定がくる すっかり・・・ない。 12 なるほど。

  13 「見るからにおぼつかなげな外光が、黄昏色の壁の面に取り着いて辛くも餘命を保っている、

あの繊細な明るさ」 14 台所。15 残りの命を保つ。

  16 陰影によってかもし出された明るさを表現した。 

  17 床の間などにかけるように作った書画。かけ物。

 18 紙や布などを張って巻き物軸物屏風襖などの作ること。 19 下地の紙。

 20 古びた色や様子。21 ほどよい。 22 名高い寺。 

23 古画がその存在を自己主張しようとせず壁と同じ作用しかない状態を表現した。

  25 古びた趣のあること。26 あっさりしたいろどり。 

27 陰影に深みを添えるよりもそれ自体が装飾の役をしてしまい「床うつり」がわるくなるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

〇日本座敷

 もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。1私は、2数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が3陰翳の秘密を理解し、光りと蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。なぜなら、4そこにはこれと云う特別なしつらえがあるのではない。要するにたゞ5清楚な木材と清楚な壁とを以て一つの凹んだ空間を仕切り、そこへ引き入れられた光線が凹みの此処彼処へ朦朧(もうろう)たる6(くま)を生むようにする。にも拘らず、7われらは@落懸(おとしがけ)のうしろや、花活の周囲や、A違い棚の下などを填(う)めている闇を眺めて、それが何でもない蔭であることを知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈み切っているような、8永劫不変の9閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。思うに西洋人の云う「東洋の神秘」とは、かくの如き暗がりが持つ無気味な静かさを指すのであろう。われらといえども少年の頃は、日の目の届かぬ茶の間や書院の床の間の奥を視つめると、云い知れぬ怖れと寒けを覚えたものである。しかもその神秘の鍵は何処にあるのか。種明かしをすれば、10畢竟それは陰翳の魔法であって、もし隅々に作られている蔭を追い除けてしまったら、11忽焉としてその床の間はたゞの空白に帰するのである。われらの祖先の天才は、12虚無の空間を任意に遮蔽して自(おのずか)ら生ずる陰翳の世界に、いかなる壁画や装飾にも優る13幽玄味を持たせたのである。

これは簡単な技巧のようであって、実は中々容易でない。たとえばB床脇の窓の刳(く)り方、落懸の深さ、C床框の高さなど、一つ一つに眼に見えぬ苦心が払われていることば推察するに難くないが、14分けても私は、書院の障子のしろじろとしたほの明るさには、ついその前に立ち止まって時の移るのを忘れるのである。元来書院と云うものは、昔はその名の示す如く15彼処で書見をするためにあゝ云う窓を設けたのが、いつしか床の間の明り取りとなったのであろうが、多くの場合、それは明り取りと云うよりも、むしろ側面から射して来る外光を一旦障子の紙で16濾過して、適当に弱める働きをしている。まことにあの障子の裏に照り映えている逆光線の明りは、何と云う寒々(さむざむ)とした、わびしい色をしていることか。庇をくゞり、廊下を通って、ようようそこまで辿り着いた庭の陽光は、もはや物を照らし出す力もなくなり、17血の気も失せてしまったかのように、たゞ障子の紙の色を白々と際立たせているに過ぎない。私はしばしばあの障子の前に佇(たたず)んで、明るいけれども少しも眩ゆさの感じられない紙の面を視つめるのであるが、大きな伽藍建築の座敷などでは、庭との距離が遠いためにいよいよ光線が薄められて、春夏秋冬、晴れた日も、曇った日も、朝も、昼も、夕も、殆どそのほのじろさに変化がない。そしてD縦繁(たてしげ)の障子の桟の一とコマ毎に出来ている隈(くま)が、あたかも塵が溜まったように、永久に紙に沁み着いて動かないのかと訝(あや)しまれる。そう云う時、私はその夢のような明るさを18いぶかりながら眼を19しばだゝく。何か眼の前にもやもやとかげろうものがあって、視力を鈍らせているように感ずる。それはそのほのじろい紙の反射が、床の間の濃い闇を追い払うには力が足らず、却って闇に弾ね返されながら、20明暗の区別のつかぬ昏迷の世界を現じつゝあるからである。諸君はそう云う座敷へ這入った時に、その部屋にたゞようている光線が普通の光線とは違うような、それが特に有難味のある重々しいもののような気持がしたことはないであろうか。或はまた、その部屋にいると時間の経過が分らなくなってしまい、知らぬ間に年月が流れて、出て来た時は白髪の老人になりはせぬかと云うような、「悠久」に対する一種の怖れを抱いたことはないであろうか。

 

(注)@落懸 床の間の上方、床柱に渡した横木。A違い棚 二枚の板を右と左から上下食い違いにつった棚。B床脇 床の間の横。C床框 床の前端の化粧横木。D縦繁 縦の桟が普通のものより密になっていること。

 

一 次のカタカナは漢字になおし、漢字の読みを記せ。

 

1 ショウジは墨色の 2 スキをコらし 3 使い分けにコウミョウ 4 清楚 5 隈

 

6 落懸 7 永劫 8 不変のカンジャク 9 忽鳶 10 キョムの空間 11 シャヘイして

 

12 幽玄味 13 刳り方 14 濾過 15 キワダたせる 16 縦繁 17 塵

 

18 視力をニブらせる 19 昏迷 20 時間のケイカ

 

二 傍線部1〜420問いに答えよ。

 

1、7 使い分けている気持ちを説明せよ。

 

2 辞書で意味を調べよ。

 

3 具体的に説明せよ。

 

4 指示内容を記せ。

 

5 辞書で意味を調べよ。

 

6 辞書で意味を調べよ。

 

8 辞書で意味を調べよ。

 

9 辞書で意味を調べよ。

 

10 辞書で意味を調べよ。

 

11 辞書で意味を調べよ。

 

12 具体的にどうすることを指すか。

 

13 辞書で意味を調べよ。

 

14 辞書で意味を調べよ。

 

15 辞書で意味を調べよ。

 

16 辞書で意味を調べよ。

 

17 辞書で意味を調べよ。

 

18 辞書で意味を調べよ。

 

19 辞書で意味を調べよ。

 

20(1)昏迷 辞書で意味を調べよ。

 

  (2)こう言うと気、人はどのような気持ちを抱くと言っているか。

 

 

 

 

 

 

 

 

四 解答

1 障子 2 数寄 凝 3 功名 4 せいそ 5 くま 6 おとしがけ 7 えいごう 8 閑寂   

9 こつえん 10 虚無 11 遮蔽 12 ゆうげんみ 13 く 14 ろか 15 際立

16 たてしげ 17 ちり 18 鈍 19 こんめい 20 経過 

二 

1 個人的感懐。 7 一般的に日本人なら。 2 風流の道を好む。

3 まず障子で日光を遮り、その淡い光が床の間にさすようにする。 さらに落懸、花いけ、違い棚など配置

して、より濃い陰翳を生むようにする。すると永劫不変の閑寂幽玄味が生じてくる。

4 床の間。5 清らかですっきりしていること。 6 物影の暗い所。8 永遠。永久。 

9 ひっそり静かなこと。 10 つまり。結局。 11 にわかに。 

12 数寄を凝らして床の間をしつらえる。13 趣が深く味わいがつきないこと。 

14 「わかて」=とりわけを強めた言い方。15 あそこ。 16 液体や固体などをこしてごみなどを

とること。

17 怒りやおそれなどのために顔色が青白くなる。

18 不審がる。 19 瞬きをする。

20 (1)道理に暗く心が迷うこと。

   (2)「その部屋にたゞようている光線が普通の光線とは違うような、それが特に有難味のある重々しい

もののような気持がし」てくる。

「その部屋にいると時間の経過が分らなくなってしまい、知らぬ間に年月が流れて、出て来た時

は白髪の老人になりはせぬかと云うような、「悠久」に対する一種の怖れを抱」く。

 

 

構成

 

漆器

 

 

 

 

 

 

料理

 

 

 

 

 

 

 

 

 

建築

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本座敷

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

漆器 薄明かりの中で美しい

座敷 沼のような深さと厚み

 

蒔絵 闇に中で言い知れぬ余情

室内 夜に蒔絵をしたよう

 

陶器 重く冷たい 熱い物に不便

漆器 軽く柔らか 神秘 禅味

 

吸い物椀 灯と漆器の合奏

日本料理 瞑想するもの

 

(例)『草枕』の中の羊羹賛美 

   瞑想的 味に異様な深み

 

料理 暗い家の中の味噌汁

(例)醤油 汁が闇と調和

(例)豆腐など白い物 闇と調和

 

料理 陰翳を基調 闇と関係 

 

(例)伽藍 大きな甍・廂下の闇

(例)知恩院 本願寺 百姓家

   屋根を広げ、日影を落とし、

   陰翳の中に家づくりをする 

傘 

風雨を防ぐため廂を深くする

 

日本座敷 陰翳の濃淡による

 

座敷の美の要素 関節の鈍い光線

(例)砂壁 

 

日本座敷 陰翳の秘密

床の間  最も濃い部分

     落懸 違い棚 花いけ     

 

障子 外交を濾過する

昏迷の世界

「悠久」に対する恐れ

日本の生活様式

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(例)クリーム 浅はか 単純

 

 

 

 

 

 

 

 

(例)ゴシック建築 屋根が高くとがる

(例)屋根 雨露をしのぐ 内を明るくする

   

 

帽子 鳥打帽

煉瓦 ガラス セメント

 

簡素に驚く 装飾がない

 

 

 

 

「東洋の神秘」

西洋の生活様式

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主題 我が国の祖先は陰翳の中に美を見出し、美のために陰翳を利用した。

 

筆者  耽美派 同人 永井荷風 反自然主義的な耽美派の先行者。

    谷崎 女性の悪魔性と官能美を崇拝する得意な文学世界を描く。

 

谷崎純一郎(1886〜1965年) 小説家 東京都生まれ。

    1910年 第二次「新思潮」の創刊に加わり、『刺青』『麒麟』など発表。

    1923年関西に移住。『卍』『蓼食ふ虫』『春琴抄』 『源氏物語』の口語訳

 

   「陰翳礼讃」1933年発表