カブール・ノート 山本芳幸
語釈
1
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カブール。この破壊しつくされた都市を歩く時、僕は必ず1描写しがたい奇妙な感覚をおぼえる。
それは何かある言葉を度忘れした時の、あの感覚に似ていると言えばいいだろうか。知っているはずだが思い出せない、あの気持ちの悪い感触。
壊れた建物が延々と続く、と書けばいいだけかもしれない。しかし、その言葉と目の前にあるものの間にすっきりとした関係を見いだせないでいる。「壊れた建物」という概念も「破壊」という概念もずっと前から知っているものである。2僕はそれを利用して今、目の前にあるものを了解しようとしている。しかし、3それがうまくいかない。
2
最近見た、実話に基づいた映画のビデオ”AAt First Sight“に僕のはまっている事態を象徴するかのような話があった。4こんな話だ。生後ほとんどすぐに視力を失い、何も「見た」こともなく育った青年が手術を受けて視力を取り戻す。しかし、5彼はパニックに陥った。目の前にあるものが、つまり今、視覚で6認知しているものが何であるか彼には分からないのだ。りんごを差し出される。彼はりんごを「知っている」はずだ。何度も食べたこともあるだろう。しかし、彼はそれがりんごであるとは、触ってみるまで分からなかった。これまで彼は触覚によってすべての物体を認知していたのだ。だから、今突然、映像として入ってくる情報――りんごの姿・形――は、彼にとって意味を持たないのだ。今、目で見えるものを、彼がこれまでに蓄えた知識と「関連づける(associate)」ことができれば、彼はそれを「知っている」ものと了解できる。しかし、触るまで彼にはそれができない。彼の知っているすべての物体に関してその作業が終わるまで、彼は7意味のない膨大な視覚情報に困惑しつづけざるをえない。(この青年はその後また視覚を失う。Bアルジャーノンの哀しみ。)
おそらく僕は、膨大な言語情報(正確には言語というより、音の羅列でしかない情報なのだが)を「知っている」と思っている。しかし、それらを触ったことも食べたこともない。より根本的には考えたこともない。僕はこれまでほとんどすべての情報をその実際と関連づけることができなかったのではないだろうか。
3
カブールの風景、それは端的に言えば、破壊の姿だ。その「破壊」という言葉と僕が見ているものの間には、8 途方もなく距離があり、そしてそれは直線ではなく、非常にねじれた距離でもあった。概念としての「破壊」と現実の「破壊」との圧倒的な差は、その二つを関連づけることをほとんど不可能にしている。だから、僕は9頭の芯が歪んでしまったような感触を持ったのだろう。りんごのようにはうまくいかないのだ。
僕が知っている言葉というのは10ほとんどがそのようなものではないか。
初めて外国の教育機関に所属し、外国人と生活を共にするようになった時、11僕はすぐに気がついた。自分は彼らに比べて圧倒的に広い範囲で大量の言葉を知っている、ということにだ。
12僕が日本で特別モノシリだったわけではない。すべて教科書に出てくるような言葉にすぎない。程度の差はあれ、日本人ならだれもが通過してくる言葉の群れである。しかし、どの言葉一つをとっても、僕が言えるのは「ああ、それ知っている。」以上のものではなかった。議論にもなんにもならない。知っている、というだけである。13それが果たして「知っている」ということに値することなのだろうか。言葉一つをきっかけに延々と議論を続ける彼らとの間に、僕は14途方もなく分厚い壁があるのを感じた。
4
アフガン人の十歳の少年が書いた、こんな文章がある。
僕は、戦車、Cカラシニコフ、地雷を知っています。でも、「平和」というのがどんなものか知りません。見たことがないからです。でも、ほかの人から聞いたことがあります。
僕はたくさんの武器を知っています。ほとんどの武器は、Dバザールや、街や、学校の壁や、家の前や、バスの中や、そのほかどこでも見られるからです。
「平和」というのは鳥のようなものだと教えてくれた人がいます。また、「平和」というのは運だと教えてくれた人もいました。でも、それがどうやってやって来るのかは知りません。でも、「平和」が来ると、地雷の代わりに花が植えられると思います。学校も休みにならず、家もつぶされなく、僕も死んだ人のことを泣くことがなくなると思います。
「平和」が来たら、家に帰るのも自分の家に住むのも簡単になると思います。銃を持った人が「ここで何をしている?」とか聞かなくなると思います。
「平和」が来たら、それがどんなものか見ることができると思います。
「平和」が来たら、きっと僕が今知ってる武器の名前を全部忘れてしまうと思います。
この少年は、自分が何を知らないかを認識している。僕は自分が何を知らないかを認識できているだろうか。
(注)@カブール アフガニスタンの首都。1979年旧ソビエト連邦による軍事介入でアフガニスタンは荒廃し、多くの難民を生んだ。1989年ソ連軍は撤退。1998年から筆者はアフガニスタン難民の機関支援を行う国連のプロジェクトに携わっていた。2001年以降も、テロ組織掃討を掲げるアメリカ軍による空爆で、さらに荒廃が進行した。AAt First Sight アメリカ映画、1999年公開。Bアルジャーノン ダイエル・キイス作「アルジャーノンに花束をに登場する白ネズミ。Cカラシニコフ 旧ソビエト連邦の自動小銃。開発者の名を取って命名された。安価で高性能なため、現在では、世界の紛争地域に大量に流通している。Dバザール 市場。
一 次の漢字の読みを記し、カタカナは漢字に直せ。
1 ハカイしつくされた 2 気持ちの悪いカンンショク
3 コワれた 4 エンエンと続く
5 事態をショウチョウする 6 視覚でニンチしている
7 彼はショッカクによって 8 タクワえた
9 リョウカイできる 10 サワる
11 コンワクし続ける 12 哀しみ
13 芯がユガんでしまって 14 タンテキにいえば
15 音の羅列 16 ツウカしてくる
17 ブアツい壁 18 地雷
19 カンタン 20 ジュウを持った人
二 次の傍線部1〜15の問いに答えよ。
1 どのような感覚か、二つの部分を抜き出せ。
2 「それ」は何をさすか。
3 「それ」は何を指すか。
4 内容はどこからどこまでか。
5 なぜか。
6 辞書で意味を調べよ。
7 なぜか。
8 辞書で意味を調べよ。
9 ほぼ同じ意味でつかわれている部分を抜き出せ。
10 どのようなものだというのか。
11 その部分を抜き出せ。
12 なぜカタカナで書かれているか。
13 指示内容を記せ。
14 なぜか。
カブール・ノート 1〜4 解答
一 1 破壊 2 感触 3 壊 4 延々 5 象徴 6 延々 7 触覚 8 蓄 9 了解
10 触 11 困惑 12 かな 13 歪 14端的 15 られつ 16 通過 17 分厚
18 じらい 19 簡単 20 銃
二 1 「何かある言葉を度忘れした時の、あの感覚」「知っているはずだがある言葉を度忘れした時の、
あの感覚」 2 壊れた建物 破壊という前から知っている概念」
3 概念で目の前にある物を了解しようとする行為。 4 「生後ほとんど〜つづけざるをえない。」
5 視覚で認識しているものが何であるか分からないと。
6 事象について知ること、ないし知識を持つこと。 7 条理にはずれているから。
8 とんでもない。 9 「描写しがたい奇妙な感覚」
10 概念と現実を結びつけられないまま理解している。
11 「自分は彼らに比べて圧倒的に広い範囲で大量の言葉を知っている」こと。
12 「物知りを褒め言葉として用いる価値観を疑って」13自分が「しっている」と思っていること。
14 自分は知っているだけなのに、彼らは言葉一つをきっかけに延々と議論を続けるから。
構成
1 2 3 4 |
節 |
○カブール 奇妙な感覚 気持ちの悪い感触 壊れた建物 破壊 ○映画の青年 視力を取り戻す パニック 見ている物が何かわからない 実際 ○カブールの風景=破壊 外国の教育機関 ○外国人=議論を続ける ○十歳のアフガン少年の文章 知識=戦車 カラシニコフ 地雷 武器 何を知らないか知っている |
例 |
概念「壊れた建物」「破壊」 言語情報を関連づけられない 概念=破壊 大量の言葉 平和を知らない 平和=鳥のようなもの 運 |
僕 |
主題 我々は多くの言葉を知っているが、その意味するものを本当に知っているか?
筆者 山本芳幸
1958年〜
1998年から、イスラマバードの国連人道調整官事務所に所属し、アフガニスタンへの帰還難
民が再定住するための帰還合同プログラムのマネージメントをしていた。
この文章は、2001年刊行の『カブール・ノート』に収められており、本文は其の文庫版に
よった。
*破壊は認知できるが、大規模な破壊は認知できない。それを前に何も言えない。絶句するだけだ。アメリカの大空爆はアフガニスタンという国を破壊した。その破壊は認知できないものだと言う。目にうつるが余りの規模に描写できないのだ。アメリカはこのあと、大量破壊兵器保有を理由にイラクを空爆する。アフガニスタンに対してと同様の破壊だ。其の破壊も人が目でとらえられるというものではない。無限の爆弾が両国の国土に投下された。タリバンの兵士はその大爆撃に原爆を落とされたのかと思ったと言う。
認知不能は、また巨大災害についてもいえる。インド洋大津波・東日本大震災だ。津波は、概念としてとらえられる。が、巨大な津波はとらえることが出来ない。形容できないのだ。まともにそれを見ることが出来ない。見ているものはいったい何なのかと思う。
データも今までのものは概念として認知できた。本が山と積んであればそれを見てその量を知ることができきた。見て驚いた。が、電子情報は無限だ。発信する量も受容する量も限りない。電子情報にどう向かい合ってよいのか、とまどう。
人類の活動は洞窟の中に始まり、次々に広野を開拓してきた。そして、今無限ともいえる広野を前に知覚
はある。