恋の歌を読む                           俵 万智 

語釈

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1 

  1逢ひ見てののちの心に2くらぶればむかしはものを思はざりけり    @藤原敦忠 

 

A百人一首でこの歌を知った私は、これは初恋の歌だとずっと思いこんでいた。その人に一目会ったその日から、思い悩む日々が始まった。恋なんて知らなかった昔は、なんにもものを思わなかったなあ――というような意味だと解釈していたのである。

 が、高校の古典の授業で「逢ひ見る」とは、単に顔を見るというようなことではなく、男女が3契りを交わすことなのだと知って、びっくり。とするとこの歌は、恋が4成就したあとの心を詠んだもの、ということになる。5それにしては、ちっともうれしそうじゃない。

「なーんだ、片思いの歌かと思って共感してたのに。6ぜいたくな悩みよねえ。両思いになってもまだ、ためいきが出るなんて。」

 当時、片思いしか知らなかった私は、そう思った。まあ、年齢と経験に応じた解釈だったと言えるかもしれない。

 が、いくつかの恋を経てからは、この歌の気持ちがとてもよくわかるようになってしまった。つまり、恋愛のまっただなかにいるときの、いろんな悩みに比べれば、片思い時代のもの思いなんていうのは、まことに生やさしい。片思いというのは、自分一人の世界である。その閉じた世界のなかで傷ついたり、涙を流したりしていればいい。どんなにつらくても、主人公は自分。そこには一種の甘さがある。

 7一方恋愛となると、それはもう自分一人の感情から成り立つものではない。悩みやもの思いは、自分のなかではなく、自分と相手とのあいだに生まれてくる。傷つくのではなく、傷つけられる。あるいは傷つけてしまうことだってある。

 また、片思い時代の悩みというのは、おおむね抽象的なものが多い。それが、現実の恋愛になると、すべてが具体的なかたちとなって現れてくる。たとえば片思いのときには、漠然と「会いたいなあ。」と思い、空を見上げていればよかった。が、恋人同士となると、いつ会えるのか、お互いが今どれだけ会いたいと思っているのか、忙しい相手ならどれほど努力して時間を作ってくれるのか……といったことが問題になってくる。8そこに付随してくる感情の起伏は、ただの「会いたいなあ。」とは比べものにならないほど、複雑なのである。

 近代短歌で恋の歌というと、やはりまず思いおこされるのはB与謝野晶子だろう。若き日のC鉄幹との激しい恋は、第一歌集『みだれ髪』に9あますところなく表現されている。

 が、ここでは、最初の歌集ではなく最後の歌集の歌をとりあげたい。D平野万里によって編集された晶子の10遺歌集『白桜集』である。鉄幹を亡くした後の心情を歌った作品が数多く収められており、私は『みだれ髪』の作品群よりも、こちらのほうに心が惹かれる。

 鉄幹は、二人が結ばれたころが最盛期で、後は世間的には11不遇の時代が続いた。客観的に見れば、妻の晶子のほうが、よっぽど活躍している。現代のキャリアウーマンだったら、離婚してしまうのではないだろうか、とさえ思われる状況だ。しかし二人は五男六女をもうけ、結婚後三十年以上(多少の波乱はあったものの)うまくやってきた。そして、鉄幹の死を詠んだ晶子の歌を読むと、ほとんどが12挽歌というよりは、恋の歌なのである。このことにまず、感動させられる。六十歳近くになってなお、晶子は鉄幹に13ほれているのだ。

 

  青空のもとに楓のひろがりて14亡き夏の初まれるかな

 

 君がいなくなっても、去年と同じように夏がやってくる。もちろん来年もまた同じように。季節は、君がいないことなど、まるで気がつかないように繰り返すつもりなのだろう。けれど私にとってそれは、ただの夏ではない。これからは永遠に「君亡き」という限定つきの夏なのだ……。

 この歌を読んでいると、夏は一つの具体例にすぎないのだ、と思われる。晶子にとっては、君亡き春、君亡き夏、君亡き秋、君亡き冬が15淡々とめぐり、君亡き一年が終わる。それは君亡き今日、君亡き今の積み重ねなのだ、とも言えるだろう。

 

  封筒を開けば16の歩み寄るけはひ覚ゆる17いにしへの文

 

 かつて鉄幹からもらった恋文だろう。懐かしいその封筒を開くとき、ふと彼が歩み寄る気配を思いだす……。

E和泉式部が黒髪を乱し、18うち臥したとき、ふとその髪をかきなでられた19感触を思いだした瞬間。それと20通じるものがあるように、私には思われる。

 このように、いつの時代にも、さまざまな言葉で、恋の歌は詠まれてきた。極端なことを言えば、恋の歌の場合、作者の伝えたい心というのは21私は○○さんが好き。」ということに尽きる。その心が、作者に歌を詠ませる。が、私たちは「そうか、○○さんが好きなのか。」ということを知りたくて読むわけではない。

 どんなふうに、好きなのか。それはどんな恋なのか。どんな言葉で作者はその思いを22づっているのか。23読みたいのは、まず言葉の部分である。そしてその言葉が私たちの心を揺らしたときはじめて、作者の24心の揺れが伝わってくる。

F『万葉集』G東歌の一首、

 

  27H多摩川にさらすI手作りさらさらにJなにそこの児のここだ25かなしき

 

にしても、作者の言いたいことはつまり「ここだかなしき(こんなにも愛しい)」に尽きる。が、その言葉だけでは、私たちには何の感動も伝わってこない。そこに至る「多摩川にさらす手作りさらさらになにそこの児の」という言葉の響きやイメージの連なりを味わうことによってはじめて「ここだかなしき」の心に触れることができるのである。

 千年以上前から詠まれてきた恋の歌。現在もなおそれらは読みつがれているし、今日にも恋の歌は詠みつづけられている。

 ところで、五七五七七、という限られた字数でありながら、まったく同じ言葉の組み合わせで詠まれた歌というのはない26せんじ詰めれば「○○さんが好き。」ということを、だれもが自分なりの言葉で、表現せずにはいられないのである。古典を読むおもしろさの一つは、いかに昔の人たちが、自分なりの表現をしてきたか、を味わうことにあるだろう。

 しかも短歌の場合、どの時代にあっても、土俵は同じ五七五七七。今を生きる自分も、同じ土俵で相撲がとれるのである。千年前の人も、五百年前の人も、十年前の人も、さらには百年後の人も、27みーんな同志であり、みーんなライバルなのである。

 

(注)@藤原敦忠  906〜943年。平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。『敦忠集』がある。 引用お歌は『拾遺集』所収。A百人一首 藤原定家撰と伝えられる。「小倉百人一首」のこと。天智天皇から順徳天皇に至る各時代の有名な歌人の歌を一人一首ずつ集めたもの。成立年代不詳。B与謝野晶子1878〜1942年。女性の心を情熱的に歌い上げた。歌集に『みだれ髪』(1901年刊行)『小扇』『舞姫』。C鉄幹 与謝野鉄幹。1873〜1935年。本名寛。詩人・歌人。「新詩社」を設立。雑誌『明星』を創刊した。詩歌集『東西南北』などがある。D平野万里 1885〜1947年。歌人。「新詩社」同人。歌集に『若き日』などがある。E和泉式部 979〜1036年。平安中期の女流歌人。恋を歌ったものが多い。『和泉式部集』『和泉式部日記』がある。ここでは、「黒髪の乱れも知らずうち伏せばまづかきやりし人ぞ恋しき」(『和泉式部集』)という歌が念頭に置かれている。F『万葉集』 我が国に現存する最古の歌集。編者・成立年未詳。二十巻、約4500首を納めている。『万葉集』巻十四に納められている。G東歌 東国地方で作られた短歌。H多摩川にさらす 秩父山地に発して、東京都南部を流れ、東京湾に注ぐ川。I手作り 手織りの布。Jなにそ 何ぞ。どうして。

 

 

 

 

 

一 次のカタカナは漢字になおし、漢字の読みを記せ。

 

1 藤原敦忠     2 カイシャクした   3 恋がジョウジュした

 

4 チギり        5 チュウショウテキ   6 そこにフズイしている  

 

7 勘定のキフクは     8 与謝野晶子   9与謝野鉄幹  10 遺歌集

 

11 心が惹かれる    12 サイセイキ   13 挽歌   14 楓  15 フウトウを開けば

 

16 冬がタンタンとめぐり     17 和泉式部   18 うちフした 

 

19 カンショクを思い出した   20 キョクタンなことを言えば    21 万葉集  

 

22 東歌  23 多摩川  24 ドヒョウ   25 みんなドウシ

 

二 傍線部1〜27の問いに答えよ。

 

1 古語辞典で意味を調べよ。

 

歌1 口語訳                                   

 

2 古語辞典で意味を調べよ。

 

3 古語辞典で意味を調べよ。

 

歌2 口語訳                                   

 

4 国語辞典で意味を調べよ。

 

5 どういうことか。

 

6 どういう点がか。

 

7 前後で対比されているものは何か。

 

8 (1)起伏 国語辞典で意味を調べよ。

 

(2)どのようなものがあるか。

 

9 国語辞典で意味を調べよ。

 

10 国語辞典で意味を調べよ。

 

11 国語辞典で意味を調べよ。

 

12 古語辞典で意味を調べよ。

 

13 国語辞典で意味を調べよ。

14 誰か。

 

15 国語辞典で意味を調べよ。

 

歌3 口語訳                                   

 

16 誰か。

 

17 古語辞典で意味を調べよ。

 

歌4 口語訳

 

18 古語辞典で意味を調べよ。

 

19 国語辞典で意味を調べよ。

 

20 どのようなものか。

 

21 「多摩川に」の歌では、どこの部分にあたるか

 

22 国語辞典で意味を調べよ。

 

23 言葉の部分」とは具体的にどのようなことを指しているか。

 

24 何を通して伝わるものか。

 

歌5 口語訳

 

25 古語辞典で意味を調べよ。

 

26 国語辞典で意味を調べよ。

 

27(1)どのような点で「同志」といえるか。

 

(2)どのような点で「ライバル」といえるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

構成

 

 歌1 逢ひ見てののちの心にくらぶればむかしはものを思はざりけり   

 

    (百人一首)初恋の歌   片思い

    (昔 )  恋を知らない昔

    

    (高校)恋した後の歌   両思い

 

 (恋を経験)

 

     両思いの悩み  相手との間 傷つける 傷つけられる

            具体的 いつあえるか? どれだけ逢いたいか?

        <

     片思いの悩み  二人の世界 一人傷つく 抽象的 あいたいなあ     

 

 (近代)

     

     与謝野晶子   激しい恋  恋の歌

 

  歌2 青空のもとに楓のひろがりて君亡き夏の初まれるかな

 

    君=死    後も

    君亡き夏   君を思う

 

  歌3 封筒を開けば君の歩み寄るけはひ覚ゆるいにしへの文  懐かしい封筒

 

歌4 黒髪の乱れも知らずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき

 

 (いつの時代にも)   恋の歌

 

  歌5 多摩川にさらす手作りさらさらになにそこの児のここだかなしき

 

    こんなに恋しい恋

 

 五 七 五 七 七

 

    古典の面白さ  昔の人たち=自分の表現

 

    同志 ライバル 歌を介して

 

主題 恋の歌の複雑さ=恋の歌の多様性

 

 

 

 

 

 

 

恋の歌を読む   解答

 

一 1 ふじわらあつただ 2 解釈 3 成就 4 契 5 抽象的 6 付随 7 起伏

  8 よさのあきこ 9 よさのてっかん 10 いかしゅう 11 ひ 12 最盛期 13 ばんか

  14 かえで 15 封筒 16 淡々 17 いずみしきぶ 18 臥 19 感触 20 極端

  21 まんようしゅう 22 あずまうた 23 たまがわ 24 土俵 25 同志

二 1 特に男女が会い関係を結ぶ。

  歌1 思いがかなって契りを結んだ後のこの恋しく切ない心に比べると、契りを結ぶ前のもの思いなど

     何でもない。

  2 比較する。 3 男女の交わりをする。 4 願いがかなうこと。 

5 恋が成就したにもかかわらず。 6 恋が成就しているのに嘆くから。

7 片思いと現実の恋。 

8(1)高くなったり低くなったりしていること。  

 (2)二人の生活が続くとさまざまな違いが生じ嫉妬不安が生じる。

9 残らず。すっかり。 10 死後に残された歌集。 

11 (良い運にめぐりあえず)才能・人物にふさわしい地位・境遇を得ていないこと。

12 死を悲しむ歌。葬送の時、柩を挽く人が歌う歌。 13 人物などに感心してひかれる。

14 与謝野鉄幹。 15 さっぱりして物事にこだわらないさま。

16 与謝野鉄幹。 17 昔。

18 うち臥す=横になる。かきやり=手で払いのける。

19 皮膚が外界の刺激にふれてかんずること。 

20 晶子 封筒→鉄幹の気配  和泉式部 みだれ髪→初めての男

21 「ここだかなしき」 22 言葉を連ねて文章・詩歌をつくる。

23 「いかに昔の人たちが自分なりのひょうげんをしてきたか」 24 歌のことば。

25 心にしみてかわいい。 

26 成分が出つくすところまで煎じる。究極のところまで考えをすすめる。

27 (1)五七五七七 (2)相手が好き、

 

 

筆者 

 

俵 万智  1962年 大阪生まれ 歌人

      1981年 早稲田大学入学 歌人佐々木雪綱と出あい作歌を始める。

      1985年 大学卒業 神奈川県立橋本高校で国語教師を務める。

      1987年 歌集『サラダ記念日』刊行 柔軟で清新な歌いぶりが注目を集める。

      1989年 橋本高校退職 

      歌集『風のてのひら』『チョコレート革命』 エッセイ『短歌の旅』『恋する伊勢物語』

 

 

本文 『短歌をよむ』(1993年刊行)所収

 

 

*教材としては、現代文と古文を同時に扱える点が評価できる。歌の選択も適っている。