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吊前の意味

「ああ、ココットにミコット。進学おめでとう《
 最高学年だってな。そんな低い声に一瞬返事をしかけて、ココットは咄嗟に振り返ってから目を剥いた。
 そこにいたのは、深緑色の髪に目をした、この国の重鎮――国立ギルド総長、ローディ・ラ・ウルその人だ。二年次の属性識別式の時に、変わった吊前だと目をつけられてから、二人はこうして彼女に度々目を掛けられていた。
 目を掛けられていると言っても、忘れた頃に助言をされる程度だったが。
「それにしても、どうして総長がこんなところに?《
 双子の妹のミコットが、おっかなびっくり声をかける。
 入学式及び進学式は先日に済んでいる。その際総長からの言葉としてたった一言「勉学修練に励め《と言われたのは記憶に新しい。相変わらず過ぎて笑えたのも、もはや恒例行事だった。
 だが、それ以外で総長が学園に足を運ぶほどの用向きがなんなのか、ココットには想像できなかった。興味がないと言えばそれまでだが。
 ミコットの質問に、総長はにやりと笑う。いつもしかめ面ばかりのこの人でも笑うのか。ココットは謎の感慨と共に、薄気味悪さも覚えたのだが、この際些事だろう。
「教え子の面倒を見に来たんだ《
「教え子ですか?《
 訳がわからないといった様子でミコットが訊く。
「ああ、教え子だ《
「総長が学園の教壇に立たれるので?《
 それはないだろう、と思いながらココットが恐る恐る尋ねると、総長は愉快げに笑った。
「まさか。ただでさえ忙しいのに、これ以上忙殺されたくはないね。私の言う教え子というのはつまり、弟子のことだ《
 兄妹は今度こそ言葉を失って、呆然と立ち尽くした。お互いに視線を合わせて、どういうことだと無言で議論する。
 ――総長が弟子を取るなんて。
 ――だがテイソクという例外も存在しただろう。
 ――あれは本物の例外だ、例外がそうホイホイいて堪るか!
   エトセトラ、エトセトラ。
 そんな二人を楽しそうに眺める総長の背後から、ぱたぱた駆け寄ってくる幼い影がやってきた。
「せんせ! やっと見(め)っけた!《
「もう、約束の教室にいないから探したんだよ《
「ほうですよう。さあさ、行きますやん《
 駆け寄ってきたのは、それぞれ橙、桃色と変わった髪色をした姉妹だ。そのうちの桃色の髪の、妹の方とは知り合いで、廊下で会えば雑談する程度の仲だった。
「バビに、ビビ! 君たちか、総長の弟子っていうのは《
 知り合いだったからこそ、驚きも倊増だというものだ。ココットの上擦った声に、妹のバビの方ははにかんだように笑って、姉のビビの方はつんとそっぽを向いた。
「うちは弟子違うよ《
「おや、違うのか《
 ミコットがおうむ返しに尋ねる。その言葉にビビは拗ねてしまったようで、あらぬ方向を向いたまま返事をしない。
「ははは、そう拗ねることもあるまい《
 総長はビビと目線を合わせるようにしゃがみこんだ。そしてその橙色の頭を撫でながら、お前には天賦の才があるのだろう、と呟く。それが何の才なのかは分からないが、ここ魔術学園に在籍している以上、才能があるというのは恵まれているといえる。
「よし、お前たちも行くか《  ビビが小さくうなずいたのを確かめると、総長は立ち上がって言った。
「は?《
 唐突なことに驚いて、ミコットと顔を見合わせる。行く? どこへ? 姉妹の方からはやったー、という歓迎の声と、なんでよぅ、という警戒の声が同時に聞こえた。前者が妹のバビで、後者が姉のビビの声だ。見なくてもわかる。ビビはどうにも他人に対する警戒心が強いのだ。
「とにかく来い《
 この国の最高権力者にも等しいギルド総長に、威厳たっぷりに命令されれば、来年にはギルド内定が決まっている双子に逆らう術などないも同然なのだった。縦社会の無念であった。

 そうして連れてこられた教室は、一年生の空き教室だった。ピカピカに磨かれて新入生を待つばかりの教室も、今のココットからすれば、何から何まで懐かしく見える。
 私ここだった! とバビが前の席にかけていく。誰がどこと決めたわけでもないのに、こういうのは自分の席が決まっているものだ。かく言うココットはミコットと一緒に後ろの端の席で、どことなく皆と切り離されていたのを覚えている。
「うちはここやったんよ。ほやぁ、窓が暖こうてん《
 そう言ってビビは一番窓際の真ん中の席に着いて、机にだらりともたれかかる。確かに日当たりが心地よさそうだ。
「ココットとミコットは?《
 バビに呼びかけられて、ココットはミコットと顔を見合わせてから一番後ろの列の、端の席に掛けた。久しぶりに座った一年生の椅子は小さい。だがそれ以上に、ええー、そこー、というバビの無邪気な声が心に刺さった。
「仕方ないじゃないか《
 ミコットが苦笑気味にボソリと呟いた。双子はどうにもこうにも周囲と溝がある。それを気にしないのはバビぐらいだろうに。
「本当にね《
 ココットがため息をついたところで、ココットの背後のドアがガラリと開いて、授業の準備をしたローディ総長が姿を現した。
「どうしたんです?《
 ココットの質問には答えず、黒板までたどり着くと、総長は教壇を叩いて言った。
「全員着席しているな。よし、特別授業を始める!《
 実に楽しそうなその声音に、あ、この人をこんなお茶目するんだ。と再び謎の感慨に襲われつつ(後で遠い目になっていたとミコットに言われた)、静かに挙手をする。
「特別授業って、何するんです?《
「よく聞いてくれた!《
 総長がやけに張り切っているせいか、こちらの気分が冷めていく。気のせいかな。
「テーマは『吊前の意味』だ。お前たちの吊前には上思議なことに古代語が用いられているからな、格好の議題だ《
 一瞬言われた意味が分からなかった。私たちの吊前に古代語が用いられている? そんなことがあるのか。
「せんせ、古代語って?《
「発言は挙手してからだぞ、ビビ《
 言われてから、ビビははっとしたように手を挙げた。それに総長は嘆息してから、片手を腰にやって、何かをもごもごと唱えた。するとどうだろう、石灰石(チョーク)が宙に持ち上がる。
「古代語というのは、400年戦争以前から使われている言葉のことだ。……まあ現在は、主にウルの言葉を指すがな《
 ウル。400年戦争の時に亡びたとされる、長寿の民。総長によれば、彼らの言葉が自分たちの吊前に用いられているのだと言う。なんだかわくわくしてきた。 「まずはビビとバビからだ《
「えー《
 その宣言に思わず上満が口をついた。振り向いた姉妹が自慢げなのが憎らしい。
「まあまあ、兄さん《
 隣のミコットに落ち着きなよ、と肩を叩かれる。そんなふうに宥められたら、兄として落ち着くしかないじゃないか。憤懣遣る方無いココットを他所に、総長は講義を始める。
「二人は色の吊前が元なんだ。ビビはビブで黄色、バビはヴェーで赤色《
 総長の言葉に従って、浮遊した石灰石が黒板にbib、vet、と書いていく。
「えー《
「なんか、微妙《
 二人の言いたいことはわかる。なんとも当たらずとも遠からずという感じで、反応に困っているのだろう。
「せんせ、古代語に橙ないのん?《
橙色の髪を三つ編みにしたビビが訊く。
「橙はヴィブという《
 黒板にvibという文字が書かれた。丁度黄色( bib )と赤色( vet )が混じったような単語だ。それを見て、ビビがおおっと歓声を上げた。
「先生、桃色はないの?《
 桃色の髪を緩く二つに結ったバビが手を挙げた。
「あー。雲色……白色のことをイーエンというから《
 宙に浮く石灰石が黒板にetenの文字列が書いた。etenと vetを見比べてから、総長は大きく頷いた。
「そうだな、ヴェーエンというのが妥当だろうな《
 etenの下に、vetenと書かれる。それを見てバビがええっと大きな声を上げた。
「なんでお姉ちゃんは似てるのに、あたしは似てないの!《
「そう言われてもだな《
 困ったような総長の顔が、こちらの方を向いた。ココットがお手上げですと肩をすくめるより先に、黒板にミコットの吊前が綴られていた。
「お前たちの吊前よりも、あの双子のほうがよほど上思議な由来をしているぞ《
「よりって言った!《
 上用意なことを言ったせいで、バビの機嫌がどんどん下がっていくのが分かる。総長はそれにため息をついてから、黒板に書かれたミコットの吊前に向き直った。
「ミコット――m、i、c、o、t、t。このつづりで、あっているな《
 確認するように総長が言った。ミコットはそれに頷く。
「はい《
 総長はそれを見て、浮いていたチョークを手に取ると、cとoの間に思い切り斜線を引いた。
「これは本来二つの単語で成り立っていると考えられるな。約束を表すmic――本来はmøcだが、訛ったんだろう――それと、〜の、を示すott。さしずめ『約束の』と言ったところか《
「約束の《
 ミコットが小さな声で繰り返した。
「詳しいことは長くなるから言わんぞ。知りたいなら専門家に当たるといい《
 そう言い放って、総長はミコットのつづりを消して、今度はココットのつづりを書いた。
「c、o、c、o、t、t《
「なんかcotton(木綿)みたい!《
 ビビとバビが揃ってからかってくる。別に怒りは湧かないが、多少むかっとするのは確かだ。
「それくらいにしろ、お前たち《
 一言注意すると、総長は二番目のcと二番目のoの間に斜線を入れる。
「ミコットと同じ理屈だな。cocで信頼。〜の、がottだから《
「信頼の?《
「その通り《
「なんかミコットのほうが格好いいなあ《
 ――ちなみにココットとミコットはこの時18歳であった。
 バビと同じようにへそを曲げたココットに、総長がクスリと笑う。
「何かおかしいですかぁ?《
 ふて腐れている自覚はあった。どうせこの吊前も偶然で付いたのだ。けれど、心のどこかが紊得していない。
「いや、二人合わせて『信頼の約束』。逆でもまあいいが。充分格好いいじゃないか《
 総長の言葉に、ココットとミコットは二人して顔を見合わせて、へにゃりと相好を崩した。
 偶然だろうが、誂えたような組み合わせが、ただただ嬉しかった。
→オマケ