Novel

ある北国の物語改_8

 サイはあの後夕食も食べずにベッドに倒れこんで、そのまま朝早くに空腹で目を覚ました。ここのところそんな上規則な生活が続くようになっていた。暴走した列車のようだ、と言ったのはナージャだったかシードルだったか。体力の限界まで動き回って、それが切れるとぱったりと意識を落とすのだ。
 サイとしては、ただ単純に休みどころがわからないだけなのだけれど、周りから見ると相当に危なっかしく映るらしかった。
 そんなことだから、燃料倉庫で泥棒騒ぎが起こった時も真っ先に、サイはないだろうと言われたのだ。
 燃料倉庫とは、文字通り飛空船の燃料を収めておくための倉庫である。最近はなにやら軍が裏で工作をしているとか、戦争が起こりそうだとかで軍による管理が厳しくなっていた。職人たちもそれにある程度の信を置いていたが、それを掻い潜って(あるいは軍人がちょろまかして)燃料が盗まれたのである。
「どっちにしても、倉庫にしまってあるのは水素だ。魔力が使いこなせなきゃあ盗むもんも盗めないわな《
 そうあっけらかんと言ったのは、青皮造船所の所長キールピである。言い置いて、キールピは職人と、手伝いのサイとシードル全員を見渡してから、マクシームのほうへ視線を遣った。それにマクシームが肩を揺らす。
「そこはどうなんだマクシーム《
「やってないですよ、誓って!《
 サイはどういうことかと最年少のソーニャに訊いた。
「マクシームはうちの造船所で唯一の魔士(まし)なんだ《
「魔士……。ええと、あれよね、魔力を持ってる人のことよね《
「そして魔力を使いこなせる人のことですね《横からシードルが言った。 「見たところ、サイは占人(せんじん)ですよね。本当に魔力が『あるだけ』の人《 「シードル《
 自分の声が低く唸るようになったのに気づいて、サイは己が思っている以上に怒っていることを自覚する。ああそうだ、占人だとも。自分には魔力が「あるだけ《なのだ。その事実がサイの中の劣等感を刺激する。
「それ、言わない、本当、怒る《
 造船所の中に吹き荒れる風が、サイの感情を物語る。普段快活なサイが言葉少ななのもそれを助長してか、シードルが泡を食ったように謝罪した。
「ごめん、ごめんよ《
 サイだってシードルをいじめたいわけでもないのだから、それ以上追及することなく構わない、とだけ言って、言い合う職人達の方へ向き直った。
「確かに僕は魔士ですよ! でも僕がなんだって倉庫から燃料を抜き取らなきゃならないんです《
 激情に駆られて叫び立てるマクシームを宥めるように、ミーナが彼の両肩に手を置いた。そんな二人と年嵩の職人達を見比べて、トーボーグが口を開いた。
「キールピ、マクシームは違うだろう《
「なぜそう思う《
「見ての通り、と言ってやりたいが、まあ単純にマクシームが燃料倉庫に近寄るとは思えないからだ《ビビりだしな、と付け加えて、トーボーグは肩をすくめた。
「この理論が軍に通用するとはもちろん俺も思わないが、同士討ちは止さないか《
 トーボーグの言葉に、キールピは幾分表情を和らげた。そして自分の次に年長であるソーニャの祖父ヴァーニャの方へ向いて言った。
「ヴァーニャはどう思うね《
「どう思うも何も、俺は、そんなみみっちいことをする奴はこの造船所にはいないと思っているよ《
 気怠げなヴァーニャの返事に、キールピは呵々大笑をして、ソーニャは流石は祖父ちゃん、と目を輝かせた。つい先程まで恐慌状態にあったマクシームは眼を瞬かせて、ミーナとトーボーグはそれを見て苦笑を浮かべていた。
 置いてけぼりにされたサイは、シードルと顔を見合わせた。上意にバルナのことを思い出して、あ、と間抜けな声を上げた。それが思いの外工房によく響いて、職人達の視線を集めてしまう。
「なんだ、どうかしたか《
 こんなときでも物怖じせずに話しかけてくるのは、やはり最年少のソーニャだ。
「いえ、造船所って、ここだけじゃなかったわよねっていうことを思い出して《
 サイが言い切るか言い切らないかのうちに、工房の表の扉が激しく叩かれる音が響き渡った。その音に職人達とシードルはさっと顔を見合わせて、表情を改めた。
「キールピ、これは《
「白鳥造船所だろう。うちを疑いに来たのさ《
「迷惑な《
 トーボーグが吐き捨てるように言った。キールピがそれを宥めるようにまあまあと言って、鳴り響くドアの方へ足を向けた。やがてキールピがドアの外に顔を出したのか、響き渡っていたノックの音は静まった。しかししばらくすると怒鳴り声が聞こえ、ドアの閉まる乾いた音が工房中に響いた。大丈夫? とミーナが表口の方へかけていく。
「やれやれだ《
「どうしたの《
 何があったのか、キールピはミーナに支えられながら戻ってきた。
「明後日、教堂で白鳥造船所と話し合いをすることになった《
「マクシームがやったと、向こうは信じ込んでいるわけだ《
「その通り。ああ、ミーナ、もう平気だ《ミーナに離してもらって、キールピは工房の床に座り込む。「面倒なことになったな《
「キールピさんは軍人の誰かがちょろまかしたと思っているんですか?《
「だってそうだろう。燃料倉庫には軍の見張りがついている。我々が立ち入るには許可証がいるんだ、それは白鳥造船所だって同じこと。なのに盗みが起きた。これは軍人がちょろまかしたと見て間違いなかろうよ《
「だったら私、取引の現場を見たかもしれないわ《
 ――まあ、怖じ気づくのは分かります。大丈夫ですよ、ちゃんとばれないようにしますから。
 脳裏に思い浮かぶのはあのときのノリネン軍曹の言葉だ。「ちゃんとばれないようにしますから《。あれは一体何を示していたのか。
「それは、本当か《
 低く言ったのはトーボーグだ。トーボーグの灰色がかった緑の眼が、疑うようにこちらを射貫いていた。
「ええ《
 だからサイもそれに応えるように、まっすぐにトーボーグを見つめ返した。
「何日か前に、トッドのことで口論になったことがあったでしょう《そう前口上を置いて、サイはあの時のことを語りだした。
「そこでノリネン軍曹――アルファード少佐の弟ね――が、誰かと話していたの。その『誰か』が誰なのかははっきりわからないのだけれど《
「どんな男だった?《
 トーボーグの詰問に、サイはただ肩をすくめた。
「さあ、なにせ遠目だったから。少なくとも背は高かったわ《当時のことを思い出すうち、サイはあることを思い出してはっとなった。
「『シグ』。ノリネン軍曹は相手のことをシグと呼んでいた《