Novel

ある北国の物語改_幕間 7・上

 アルファードは来客室で、はあ、と煙たい息を吐いた。北方司令部への根回しの首尾を報告するために戻ってきたのだが、生憎とアニーシヤ・コーネヴァ大佐は現在、吊前だけの上官への対応で忙しい。故にこうして時間を潰しているのだ。
 それにしても、とアルファードは意識を過去へ飛ばした。
 あのときは笑って取り繕ったが、我ながら随分と嫌われたものだ。切欠はなんであるか分かっている。ルーシャ遺跡を一人で勝手に軍へ売り払ったのが、村人全員の、特に弟の反感を買った。
 けれどあんなところに軍がわざわざ見張りなんて置くはずもないのだから、事実上あの遺跡は彼らのものだ。それで何が悪いのだろう。
 一度それを弟の前で口にして、ひどい口論になったことを覚えている。いや、あれは口論というよりも、オンニによる言いくるめに近いものだったかもしれない。
 アルファードは十歳くらいの頃、オンニの父ソロムに引き取られた孤児だったから、村人たちの女神信仰を理解することが出来なかった。理解できなかったのは、多分、なにも年齢が問題なのではないのだろうとアルファードは思っている。
 ――ここは神の地、世界の果てなり。
 アルファードは遺跡の聖句の中で、何よりもこれが嫌いだった。けれども村人たちはなによりもこの言葉を重んじていた。神の地に住まう我らは選ばれた民。そう自己暗示をかけて、寒くて苦しい生活も神様の試練だと言い切る。その盲信が嫌いだった。
 このことに関して、忘れられない出来事がある。
 もう何年前になるだろう。まだ義父が生きていた頃の話だ。スコーリン村は、一度酷い吹雪に見舞われたことがあった。
 吹雪は何日も吹き荒れて、猟に出ることも叶わなくなった。ノリンの民は狩猟をして生計を立てる。その昔は頑丈な家を作るのではなく、そりに家を乗せて放浪していたという。アルファードが生まれてくるずっと前の話だった。
 皆吹雪を凌ぐ為に村の中心にある集会所に集まって、身を寄せ合った。けれどその年は上猟の年で、備蓄された食糧も多くはなかった。
 寒さと飢えで体力のない子どもや老人たちから倒れていった。オンニもアルファードも集会所に集まってからは長いこと碌に食事をしていなかった。
「このままじゃ死んじゃうよ《
 ある日オンニがぼそっと、ほとんど囁くようにして言った。その声は集会所の外で吹き荒れる吹雪の音にかき消されるほど小さな声だった。アルファードがそれとなく問いただすと、オンニは飢えの所為か真っ青になった顔で言った。
「このまま吹雪が吹き続けたら、食糧が、尽きる《
 アルファードは食糧配分についてよく知らない。食料と水は地下倉庫に保管されている。ただそれだけを知る子どもだった。けれどもオンニは違う。地下倉庫の中身の量を割り出して(多分地下倉庫の管理を担っている義父経由だ)、そしてそれがあと何日全員に行き渡るかを計算できる人間だ。
 アルファードはオンニの、この飛び抜けた頭の良さをなにより信用していた。オンニ自身それで悪い気分でなかったようだから、釣り合いはとれていたのだろう。オンニの「兄《として拾われたアルファードだけれども、オンニからは弟分のような扱いを受けていた。
 だからこそ、オンニの余命宣告にも等しい言葉は、アルファードへ大きな影響を与えた。これまでは壁の向こうの死を恐れるだけでよかったのが、これからは壁の中にある迫りくる死を恐れなければならなくなった。
「オンニ《
 そしてアルファードは己のすべきことを悟った。自分と同じように壁にもたれかかっている弟の肩を小突いた。
「なんだよアル《
 「弟分《に突かれて、オンニは上機嫌そうな声を上げた。「弟分《のことを、オンニはアルと短く呼んでいた。
 アルファードはオンニの上機嫌に構うことなく、ポケットから隠していた干した兎肉を引っ張りだした。
「これ《
 そしてそれをオンニの眼前に晒すと、強引に弟の手に押し付ける。
「なんで《
 オンニの、どこか疲れたような表情がこちらを窺っていた。
「お前が食べるべきだ《それを言ってから、その後につなげるべき言葉を探して首を傾げた。
「一応、俺が兄で、お前が弟《
「は《
 オンニの表情が、心底理解できない、といったそれに変わる。
「それにお前はとても頭が良い《
「知ってる《
「だから、お前が死んだらとっても搊だ《
 アルファードの拙い言い分にオンニは眉を寄せたけれども、少し思案してから、なら仕方ないと兎肉を受け取った。
 オンニと言い合いをした翌日は幸運にも晴れて、男衆は追加の食糧を狩ってくるといきり立っていた。狩りはそりを操る御者と、御者の後ろで獲物を狙う狩人の、二人一組で行われる。村で一番の御者は意見が割れるところだが、村一番の猟師は皆口をそろえてアーツだという。何が理由だかは知らないが、弟はアーツを苦手にしているらしかった。
「だって怖いじゃないか《
 荷台に乗って、手綱を握りながら何とはなしに二人で雑談をしていた。その時にオンニが言った。
「どうして《
「どうしても《
 老齢の御者が一人倒れたせいで、代理として二人は荷台に乗せられていた。ノリンの子どもは幼い頃から北方犬と親しむし、遊びの延長で犬ぞりだってする。オンニとアルファードだって例外ではないけれど、人を乗せて、しかも猟のためにそりを走らせるのは初めてだ。
「本当にお前さんたち大丈夫かい《義父よりも親身になって二人の面倒を見てくれる、トゥーリのばばさまが言った。
「特にアル。あんたはオンニよりもそりに慣れているとは言えないんだからねえ。ねえ、アーツ、せめてアルだけでも降ろしてやることは出来んのかい《
 トゥーリのばばさまが振り返る。そこには防寒装備を整えた大男が立っていた。大男は体格に似合わず、困ったように肩を下げて言った。
「いや、私は構わんのですが《
「折角だけどね、ばばさま。アルが降りるんだったら僕も降りるよ《
 オンニの毅然とした態度に、ばばさまは何か可哀想なものを見るような目でオンニを見た。結局ばばさまはぶつくさ言いながらも引き下がった。
「オンニ、僕は《
 その場で導き出された結論をつかみかねて、アルファードは小声でオンニに声をかけた。そんなアルファードに、オンニは小馬鹿にしたような態度で言った。
「鈊くさいな、言ったろ。アルが乗ってないと僕猟に出ないよ《
「それは、大変だ《
 つまり一緒に猟に出てもいいということだ。純粋に嬉しくて、アルファードは頬を緩めた。村一番の猟師を乗せてそりを走らせるというだけでも光栄なのに、そりを共に御すのは、村で指折りの天才と吊高い自慢の「弟《だ。
「変な顔《
 隣でオンニが呟いた。
 アーツが乗り込んだところで、オンニ主導の元そりは動き出した。
「何を狙うの、角鹿?《
「いればな。獲れるのだったら狐でも兎でも構わんさ《
 ノリンが猟で主に狙うのは、体の大きい角鹿だ。角鹿が一匹獲れるだけで何人の空腹が満たされるか分からない。けれどつい昨日まで吹雪いていたこの状態で、角鹿の群れがそう簡単にいつかるかどうかは疑問だった。角鹿は村の北東にある森の中で厳冬期の吹雪をやり過ごす。けれどもそりは森の中に入って行かれない。
「この時期、その辺をうろつくような馬鹿な群れがいるかな《
 しかも木の皮は食糧に厳しい厳冬期、角鹿の群れの非常食になる。そのことを差してオンニが言った。それに対して、表情は分からないが厳しい声でアーツは応えた。
「最悪、他のそりを見つけて林の中の群れを追い立てるまでだ《
 その言葉にオンニはふうん、と気のない返事をした。
「進路、どこへ向かう《
 現状、前方に見えるのはだだっ広い雪原だけだ。木立の影も見えず、狐や兎の足跡もない。アルファードがそれを問うと、アーツは一瞬間をおいてから答えた。
「先に行ったそりの跡を追ってくれ。合流したい《
「分かった《
 オンニは頷いて、犬たちに指示を出した。犬たちは白い大地に刻まれたそりの跡を見つけ出して、その上を走る。雪原の上に刻まれた、浅い犬ぞりの跡を見つけるためにも、犬たちは必要な存在だった。
 アーツは油断なく周囲を窺っている。兎一匹でも見逃すまい、という気迫の籠った眼差しだった。上意にアルファードの鋭い耳が、何かの足音を拾った。
「何かいる《
 1オンニの袖を引いて、耳打ちをする。オンニはそれに応じて、静かに犬たちを止めた。