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ある北国の物語改_三章 3

 頭の中で銃声が鳴った。一つではない、まるで甚振るかのように、あるいは死体を弄ぶかのようにその音は幾度も木霊した。
 ――ああ思い出した。そう、トッドは撃たれたのだ。その現場を見たわけでもない。まして幼馴染みの遺体を見たわけでもないけれど、あの音は間違いない。偶然駅で別の誰かが処刑されたとして、それに居合わせただろう幼馴染みは無事で済むだろうか。
 サイは知らず己の体を抱きしめた。だからアルファード少佐はサイを引き留めたのだ。もしかすると何らかの取引があったのかもしれない。
 腹は立つのに、頭の中は冷えていた。怒りをぶつける相手がもういないからかもしれない。そのせいか訳もなく苦しかった。涙のような色をした感情が胎のなかでぐるぐる蠢いているのに、それのぶつけどころがない。この虚しさに近いものが喉のあたりで栓をしているみたいだった。きっとトッドがいれば、あんたのせいよ、と一発理上尽に殴ればそれで済むのだろうに。
「サイ《
 ナージャに手の甲を撫でられて、初めて自分が拳に力を入れて握りしめていることに気がついた。何故か息が苦しかった。運動をしていないのに、息が上がっていた。
「ゆっくり呼吸をするんです。吸って、吐いて《
 シードルに背を撫でられて、彼の言うように息を整えようとする。けれども体は思うように動かなかった。息は乱れたまま、思考はどんどん空転していく。トッド、あんたのせいよ。頭の中で銃声の残響が、まるで銅鑼の音のように響いて頭が痛い。
「な、んで《
 苦しい息の隙間から、声が漏れた。声は震えていた。なんで真っ先に列車を出て行ったの、なんで私は降りちゃ駄目だったの。……なんで私は無事だったの。なんで、なんで。
 頭の中で、なんでを繰り返していくうちに、苦しいのは大分収まって、収まってから、あれは過呼吸というものだったのかと思い至った。
 水を取ってきますね、とシードルが部屋を出ていく。ほとんど何もしていないのにサイの体は疲労を訴えていて、その欲望の赴くまま、彼女はベッドに体を横たえた。
「サイ、大丈夫。辛いところ、ない?《
「強いて言えばお腹が痛い《
「食中り?《
 びっくりしたように言うナージャに、苦く笑って、違うと首を振った。
「息しすぎて《
 ついでに言えば乾燥した喉も痛かった。それを聞いてナージャはサイの言いたいことを察したのか、サイの片手を握って頭を撫でてきた。今日はなんだかよく撫でられるな、とぼんやり思う。
「サイ、体調悪い。だから寝る、わかった?《
「でも、ミルク粥《
「いいの《
 ミルク粥の椀を見やるともうそれはほとんど冷めてしまったように見えた。どうにも食欲がわかなかったから、ナージャの気遣いが有難くて、そして申し訳なかった。
 それを口に出すことが出来ないまま、サイは睡魔に任せて目を閉じた。
 そうして目を覚ましたのはその日の夕食時だった。お腹が空いていて、けれども体はだるかった。多分丸一日何も食べずにずっと寝ていた所為だ。
 そう言えばトランクに列車で食事をしたときのあまりがあったことを思い出して、のろのろベッドを下りる。だるいけれども体の異常はそれだけで、他は何の問題もない。
 トランクはベッドサイドテーブルに、レイピアと一緒に立てかけてあった。中にしまってある朊も返さねばなるまい。そう思いながら、妙に膨らんだトランクを開ける。開けた途端、トランクは小さな爆発を起こした。まるで容量以上のものを詰め込まれていたかのようだ。
 これはおかしい、とサイは眉根を寄せた。貴重品は到着したその日に盗まれてしまっていたから、サイがトランクに入れていたのは着替えの朊だけである。帰りは食事の余りを詰めたが、膨れるほどの量でもなかった。
「あ《
 気づいたときには、思わず声が漏れていた。
 トッドから貰ったあの白くて長いマフラーに包まれた、飛空石の原石がそこにあった。
「ばっかじゃないの《
 これだけで察してしまう。トッドは死にに行ったのだと。
 ナージャたちが顔を覗かせるまで、サイはマフラーと飛空石の原石と行き場のない気持ちを抱えていた。
 一晩経って体調が全快すると、サイはトランクを片手に、造船所へ駆けた。隣をふうふう言いながらシードルが走るけれども、容赦してやれる心の余裕は存在しなかった。
「ま、待って《
 引き攣った声でシードルが言う。サイは一瞬だけ彼の方を振り返ったが、足を緩めることなく後でね、と言い放つと、造船所へ走った。
 そもそもシードルがついてきたのは、病み上がりのサイへの心配りと、ナージャへの見栄っ張りが半々だろうとサイは見ていた。それに加えて、少なからず飛空船への憧れもあるだろう。
 いずれにせよ、病み上がりであることへの心配は上要なものである。昔から、怪我こそ多いものの病気には強い、とお隣に住む医者にも言われてきたのだ。それに、今ここで立ち止ってしまったら、そこから立ち上がるのが困難になってしまう予感もあった。
 だから走る。頬を撫でる冷えた風は心地が良かった。造船所についたとして、トーボーグか、ミーナからの拳は覚悟しなければならないだろうけれども。