アルファード少佐が帰ってきたのは翌日のことだった。ソファで眠り込んでいたところをサイに発見されたのだ。そしてフィリクス主導のもと朝食が作られた。早朝にはもうある程度の下準備ができていたらしい。そうしてできた朝食は、角鹿の肉のスープに、余った食材をパンに詰めて焼いたものだ。昨日の反省もあってか、サイの分の食事は量が控え
めになっている。
「すごい、これがピラジョーク? 初めて見た《
「いや、単純に余った材料をパンに挟んだだけだから違うんだが《
トッドが訂正している間に、フィリクスが無言でピラジョークを手に取った。
「本物は具材を小麦粉の生地に入れて焼くんだ《
流石に黒猫亭に通っていただけあって、トッドはこちらの食文化にも明るい。
「へえ《
サイはちらりとアルファードのほうを見た。アルファードがここにいるということは、今日がソレーンに戻る日なのだ。
「そういえば《
上意にアルファードが口を開いた。
「光石の件はどうなりましたか《
その言葉を聞いて、フィリクスが居心地悪そうに身じろぎした。逆に、サイとトッドは得意げに表情をほころばせた。
「まあ、たとえ無理だとしても、今日が期限ですから《
「問題ないわ《
アルファードの声を遮るように、サイは言った。そしてトッドのほうを振り返り、ねえ、と同意を促す。それにトッドも頷いたのを見て、アルファードは目を瞬かせた。
「そうですか、それは良かった《
フィリクスが何かを言いかけて、口を閉じた。その間にアルファードが口元だけに笑みを浮かべて言い放つ。
「よかったです。あの堅物共が外の人間にそうほいほいと光石をあげるとは、思っていなかったのですが《
「兄さん《
低い声でフィリクスが、アルファードの乱暴な口調を窘(たしな)めた。
「『光石をやる』っていうのは、向こうから言ってきたことだぞ《
トッドの言葉に、アルファードが興味深そうな、フィリクスが気分の悪そうな顔色になった。
「あの堅物共が?《
「ああ、『試練をこなせれば光石をくれる』ってな《
「『試練』?《
反芻するようにひとつの単語を訊き返したアルファードのアイボリーの瞳が、上気味に輝いた。
「遺跡の奥の文字を読め、だとさ《
がたん、と椅子が音を立てた。トッドは胡乱げな視線をサイに向けたが、当のサイは首を左右に振った。音の発生源はフィリクスだった。
「ごめん、食器を片付けてくるね《
フィリクスは具合の悪そうな顔で笑うと、空になったスープ皿をキッチンへと運ぶ。手伝ってくる、サイはそう言ってパンの乗っていた大皿を手に立ち上がった。
「どうかしたの?《
重ねた食器を前に、フィリクスは青い顔で立ち尽くしていた。鍋は火にかけられていて、その中には氷が投入されている。スコーリンに水道はない。代わりに氷を溶かして水を得るのだ。
「ねえってば《
「……あ《
そこでようやくサイの存在に気づいたかのように、フィリクスは乾いた黒炭のような瞳を伏せた。
「すみません、少し考え込んでいて《
「そう、何か具合が悪いとかではないの?《
サイの問いかけに、フィリクスはうっすらとした笑みを浮かべて大丈夫です、と応えた。その顔がとても真っ白だと思った。髪が真っ黒だからその対比でそうみえるのかもしれないが、目元に薄っすら隈もできているように見える。
「ねえ大丈夫? 顔色が悪い《
そっくりだ、と言われて以来、なんだか上気味に思えて、サイはフィリクスの顔をちゃんと見たことがなかった。しかし想定外の顔色の悪さに、何と声をかければいいのかわからなくなる。
「平気です《
「でも《
「大丈夫ですから!《
大声が出たのはフィリクスにとっても予想外らしかった。口元を抑えて、茫然と顔を真っ青にする。なにかあったか、という今からのトッドの間延びした問いに、声だけで何でもないと答えて、サイはフィリクスの方へ向きなおった。
「本当に大丈夫ね《
「ええ、だから詮索しないでください《
頼みますから、そう懇願する声は震えていた。
サイはそれに頷いて、少し手伝ってからトッドとアルファードの待つテーブルへと引き返した。
テーブルにはなぜか殺伐とした空気が漂っていた。どうにもスコーリンに来てから、こんな場面に遭遇することが多い気がする。サイが戻ってきたことに気づいたトッドが、どうだった、と訊いた。
「体調が悪いとかではないみたい《
無論嘘である。
「そうか、そりゃあよかった《
フィリクスの調子がひと段落して、各々の荷物をまとめ終えると、一行は駅へと出発した。相変わらずの寒さにトッドが文句を言いだしたが、それもすぐになくなった。寒くて舌が回らなくなったのだ。