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ある北国の物語改_二章 18

「こんなところに何があるっていうの?《
 サイは内心を隠すことなく言った。まるで姥捨てにでも連れてこられたような気分だった。対するタピオは、にいっと口角を釣り上げて、荷台に括りつけられたスコップを取り出すと、二本あるうちの片方をフィリクスに投げ渡した。
「何を掘るの《
「見ていればわかりますよ《
 フィリクスは言って、スコップを地面につきたて、雪を掘り出した。二人からなんとなく立ち入りがたいものを感じて、暇つぶしに荷台で縮こまるトッドに声をかける。
「ねえ、話してもらえないかしら《
 雪がどかされるのを眺めながら、サイは口を開いた。開く度、口の中が乾いていくのがうっとうしい。
「ほら、少佐、家で何か言いかかってたじゃない。あんたなんで遮ったの《
 サイの問いにトッドはフードの下で苦い顔をした。どうも言いたくないらしい。それもアルファード少佐の態度を見る限り、トッドが一方的にそう思っていることだ。
 ややあって、トッドは口を開いた。
「ここが女神降臨の地だからだ《
「さっきアルファード少佐が話してた、いろんなところにあるって言う。……だからなんなの《
 だがトッドの答えはまるで答えになってない。それがサイを苛立たせる。トッドはそれ以上答えるつもりはないようで、口を閉ざして俯いた。サイが気色ばむ度なだめにかかる幼馴染みも、今回ばかりは何もする気がないらしい。
 仕方なしにフィリクスたちのほうを見る。どうも二人の間で穴掘り競争が始まっているようだった。手際よく掘り進んでいくタピオと、一度に大量の雪を掻きだすフィリクス。なんとなく意外に思う。性格からすると逆になりそうなものなのに。
 と、フィリクスが雪に足をとられて、こけた。サイは思わず荷台から腰を浮かせた。どすっと落ちた音はしたが、見える辺りにフィリクスの姿は見当たらない。慌てて駆け寄ってみると、フィリクスとタピオが雪をかき出して作った穴からうめき声が聞こえる。どうやらこけて穴に落ちたようだった。
 フィリクス(幸運)という吊前の割に、ずいぶんと運の巡りの悪い男である。
 タピオが大丈夫かよ、と穴の中のフィリクスに声をかけている。それに中のフィリクスが、頭をさすりながら応えていた。
「……あなたたちもどうぞ《
 フィリクスの目は、ぼんやりサイとトッドに向けられていた。サイはちらりとトッドを伺った。寒さに身をすくませていて、一歩も進みそうにない。
「行くわよトッド!《
「え、おい《
 サイはトッドの背中を突き飛ばすと、続いて自身も飛び降りた。二人が着地して、穴から離れたところで縄梯子が垂らされて、タピオが下りてくる。トッドの恨むような視線が刺さってきたが、気にしない。どうせ縄梯子があろうが結果は同じだったのだから。
 そうして改めて遺跡を一望する。そこは遺跡というよりも、横長に広がる採石場か、洞穴のようなところだった。
 フィリクスの先導で、一列になって奥へと進む。ここは地下で、明かりがささないはずなのに、誰もランプを持っていなかった。それもそのはずだ。洞穴の壁が淡く発光しているので、暗いはずのそこは昼間のように明るい。そして壁を埋め尽くすように、大量の文字が刻まれていた。
「すごいな、壁一面飛空石だ《
 トッドが感嘆の声をあげた。それを聞いて、サイは、これが全部? と間の抜けた声をあげた。
「そう、壁に埋まって光ってんのが全部飛空石さ。集会所で言ってたろ。『光石』って《
「そっか、光るから『光石』なんだ《
「そういうこった《
「でもなんでそんなこと知ってるの《
「それは僕も興味がありますね。ノリンの言葉なんて、そうそう外に漏れるもんじゃありませんから……《
 母国語で話していた二人の会話に、フィリクスが首をはさんだ。
 前後からの期待に、それでも足を止めず、トッドが、あるだろ、漏れるところ、と切り返す。その様は弟妹をなだめすかす兄のようだ。
「俺は造船士だからな、飛空石のことも知ってなきゃなんねえ。で、大体のことは自分で調べたんだが、『光石』って別称のことだけはアルファードから聞いたよ《
「兄さんが《
 それを聞いて、フィリクスは黙り込んだ。その間も一行は進み続ける。そうしてどれぐらい進んだだろうか。フィリクスが唐突に口を開いた。
「兄さんがそんなに親切だなんて、なんだか、天変地異の前触れに思えますね……《
「お前はアルファードを何だと思ってるんだよ《
 そのあとは会話も途絶え、ただひたすら前進するだけだった。四人の歩く音が飛空石できた洞穴に木霊する。そうして、どれぐらい進んだだろうか。少なくともサイが壁面を彩る文字を五千は読み上げたところで、フィリクスが急に立ち止った。
「ここです《
 そこは今までの一本道と違い、少し開けていて、行き止まりになっている。壁面には何か文字が彫られていた。それはかすれかけていて、線が複雑に行き交うぐにゃぐにゃとした何とも奇妙な字だった。
「確かに、こりゃあ《
「ね、読めないでしょう《
「俺は読めないが、見たことはあるな。なあ、サイ、お前なら読めるんじゃないか《
 トッドはそう言って、サイを壁の字が見える位置に通した。壁に描かれた文章を見て、サイはトッドの問いに答える。確かにトッドの言うように、サイにはこの文字に心当たりがあった。
「ああ、うん。読めるよ《
 そんなサイの応(いら)えはよく通った。サイは目の前のフィリクスを押しのけて最前に出ると、壁に刻まれた文字を、己の母語で声に出して読み上げだ。
 ――白き角鹿に乗りて、紅き鳥従へる。命(みこと)、青き衣纏ひて、黒き大犬討ちたり。其の背(そびら)、銀の羽生(はふ)りき。
 朗々と文字を読み上げる声は彼女の母語だったが、それは何物にも邪魔されず遺跡によく響いた。フィリクスは疑いと驚愕の入り混じった表情を浮かべてサイを見た。
 サイはそれににやりと笑い返すと、標準クローヴルで読み上げたものを訳した。
 それにフィリクスとタピオ、ついでにトッドが目を見開くのに気をよくして、遺跡の入り口辺りで読んだ文章をそらんじる。
「他も読めるわよ? ……女神知波比売命(しるなみひめのみこと)知ろし召す。知波比売宣(の)らししく、此(こ)は終(つひ)の地ぞ。故(かれ)、大ひなる雪風吹きし地(ところ)なり。謂はくフフキと号(なづ)けたまひき《
 そらんじた後で、すぐに標準クローヴル語で訳す。気分の悪さが吹き飛ぶくらいには爽快な気分だった。フィリクスとタピオはともかく、トッドの度胆まで抜いてやったのだ。これを爽快と言わずして何と言おう。
 標準クローヴル語で訳し終わると、サイは隠すこともなく拳を握りしめて、よし、と喜色を乗せた声を上げた。
「本当に、読めるんですね《
 茫然としたような声でフィリクスは言った。その後ろにはサイと同じように、顔にうっすらと喜びをにじませているトッドと、信じられないと言いたげな表情で目を見開いているタピオが見えた。
「光は全てのものに等しく降り注がない。風は全てのものに等しく吹き抜けない。闇は全てのものに等しく訪れる《
 ふと、何かを思いついたかのように、おもむろにフィリクスが口を開いた。それはサイが読み上げた壁の文章の続きだった。
「それがなに?《
「コシンの教えです《
「コシン?《
 サイはその言葉を聞いて、頭の中で適当に字を当てた。虎の心で「虎心《というのが真っ先に思いついた。だがこの話に虎が一体どうかかわるというのか。
「先ほどの、その壁に書かれた言葉の続きです。これには、『信じていれば、きっと空を飛べるでしょう』という言葉が続きます。この世界は斯くも理上尽であるけれど、己を信じなさい、という教えです《
「ああ、なるほど。己信、ね《
 勘違いに気づいて、思わず呟いたサイに対して、フィリクスは上思議そうな表情を向けた。サイはそんなこと塵とも気づかず、「己を信じる《ならば「信己《が正しいのではないか、と龍大陸出身者として心の中で突っ込みを入れていた。
 いや、あながちこれは間違いではない。サイはふと思考を止めて、壁一面に刻まれた文字を見た。一見すればただの龍(ロン)字だが、この書き方は、むしろ――。
「サイ、戻るぞ《
 トッドの声に、思考が浮上する。サイを除いた一行はもう出口へ足を向けていた。
「ああ、待ってよ《
 そうして、四人は、今度はタピオを先頭、サイを殿(しんがり)に、元来た道を戻っていった。
「しかし幸運なことですね、あの字が読める子を連れてきているなんて《
 歩きながら、ぼそりとフィリクスが皮肉めかして言った。トッドは気のない風に、そりゃどーも、と返す。それに食って掛かったのは、フィリクスでもタピオでもなくサイだった。
「本当に運がよかったわよね。あんた、私があれ読めなかったらどうするつもりだったの《
「また別の方法で交渉したさ《
「私がついてきてよかったでしょ《
「どうだか《
 幼馴染み二人の口論に挟まれる形となったフィリクスは、疲れたように肩を落とし ていた。そして、少し離れたところから眺めるタピオが苦笑を浮かべていたことなど、タピオ以外の誰も気づいていないのだった。
「人の頭上で会話しないでくれますかね?《
「これは失敬《
「ごめんなさい《
 フィリクスの疲れたような声に、トッドとサイはおどけたように応えた。
 全くまどろっこしいわね、そう言ったサイの言葉は、彼ら二人の母国語であった。それを聞いてトッドは驚いたように、一瞬身をこわばらせた気配がした。もちろんすぐに歩きだしたが。
「なあ、サイ――。いや、なんでもない《
 彼が一体何を言おうとしたのかは、彼自身にしかわからない。サイの聞き取り能力が故か、それとも。
「……悪かったよ。厄介ごとにいちいち他人を巻き込みたくなかったもんでな《
 何かに降参したような口調で、トッドは言った。サイはそれを聞くと、憮然とした態度で鼻を鳴らし、いい度胸ね、と呟いた。