Novel

ある北国の物語改_二章 15

「いやお前『なんです』って、そりゃねえだろう《
 アルファードは何かを気にした風ではなかった。いやむしろ一仕事やり遂げた後の清々しささえ感じられる。人間的にダメだとかそういう問題ではなくて、思考の髄まで軍人なのだろう。だからと言って、家族間の問題に公的な権力を介入させていい理由にはならない。
「なんていうのかしら、こういうのを――直権何用?《
「職権乱用な。その通りだ《
「乱用ですかね? 確かにこれは半分私事みたいなものですし《
「半分じゃねえ、完璧に私事だったろ《
 いきり立つトッドに対して、アルファードははぐらかすように愛想笑いを浮かべた。表情の見えないそれは、取って貼った仮面のように見えて、上気味だ。
「いいえ、『半分は』私事でした。なぜならば、ここに滞在することは今回僕の北方視察で組まれた日程だからです《
「どういう意味《
 屁理屈をこねくり回しているようなアルファードの理論に、サイの口から上穏な声が出た。だがトッドは理解できたらしい。気の抜けた声で、ああ、と嘆息して見せた。
「なるほど。……お前って骨の髄まで軍人なのな《
「お分かりいただけたようで何より。つまり、北方視察の日程期間中は全て公事(くじ)……仕事中に当たります《
 なんせ視察ですから。そう言ってアルファードはわらった。得体の知れない気味の悪い笑みだ。怒りの炎もたちまちのうちに鎮めてしまうような、冷たい氷水のような笑い。ひょっとすると、もっと悪いだろうか。
「ああ、そう《
 色々と無自覚なアルファードに腹も立たない。やっぱりダメ男じゃないの。胸中でそう呟いて、ため息を落とす。すると一難去ったかのような疲労感がどっと押し寄せてきて、忘れていた気分の悪さがぶり返してくるようだった。それでも吐き気が失せたのが僥倖だろうか。
「さて。オ――フィリクスが戻ってくる前に、あなた方には話さなければならないことがあります。 あなた方はここに飛空石を採掘しに来ましたね。ですからこの村の長に採掘の許可を得ねばなりません《
「じゃ、村長だけ呼び寄せればいいじゃないか。なんだって村人全員を呼び出させたんだよ《
「村人の総意が村長の意思です。少しでも反論は封じ込められるほうがいい《
 アルファードの機械的な発言に、サイとトッドは揃って眉を顰めた。二人の沈黙をどうとったのか、アルファードは話を続けますよ、と一言置いて、再び口を開いた。
「飛空石は、スコーリン近くの隠された遺跡ルーシャに埋まっています。ルーシャ遺 跡は、かつて光の女神が地上に御降臨召された場所だといわれています。
 ですがクローヴルも広いもので、同じような逸話を持つ場所がいくつか存在するのです。そのうちのひとつが、南部の国境に広がるサヴェール山脈。ナージャとシードル・スクルージの出身地ですね《
 ここまで語ってアルファードは一旦口を閉じた。何とはなしに隣に座るトッドを見れば、強張った表情を浮かべていた。心なしか、銅(あかがね)色の獣耳も何かを警戒するように伏せられている。
「サヴェール山脈山麓に住む『スクルド』と、ルーシャ遺跡を擁する『ノリン』は、この事実を一因としてひどく対立しているのです《
「つまり、宗教の対立?《
 サイの総括にアルファードは口元にだけ笑みを浮かべた。
「そんなようなものですね。ですが《
「おいアルファード、それ以上は関係ねえんじゃねえのか《
 何かを言おうとしたアルファードに食って掛かるように、トッドが早口で言い切った。思わぬ語気の強さに、そこまで言わなくても、と言いかけて言えなかった。見上げた幼馴染みの顔が、想像していたよりも厳しい表情をしていたからだ。
 銅色に睨まれた象牙色は、今度こそ逃げるようにへらり、と力なくわらった。
「そうですね、関係ない話でした《
「ちょっと、どういうことよ!《
 自分だけが蚊帳の外に置かれた憤りで思わず立ち上がるも、立ちくらみでそれ以上のことはできなかった。虚弱な自分が恨めしい。
 ふらつく体をテーブルについた手で支える。俯いたままではトッドやアルファードの表情がまるで分らないが、顔をあげれば眩暈がするからしばらくこのまま動けない。
「トッド《
 絞り出した声は、唸るように低い声だった。
「後で、ちゃんと、教えなさいよ《
「……わかった《
 短い返答までの僅かな間の間に、トッドが何を考えていたのか、サイには知る術がない。
「さて、お二方。そろそろ僕たちも集会所へ向かうとしましょうか《
 まあ、お二人を送り届けたら、僕はまたプーリャニジェに戻らないといけないんですけど。どこか愚痴っぽくアルファードは続けた。軍人の仕事などサイに知りようがないので、大変そうだと他人事のように(実際他人事だ)考えるだけだ。
 家の外に出るなり、トッドは身を震わせながらフードを被った。襟元に覆いがあるのと、あの袋状の被り物の中で獣耳が熱源になっているのとで、多分サイが思っている以上 に暖かいのだろう。
 ――もう緩寒期を過ぎて豊穣期です。
 昨日のアルファードの言葉が蘇る。この幼馴染みは、ちゃんとクローヴルの冬に対応できているのだろうか。
「トッド、今は五月よ《
「だがここはクローヴルの北部だ《
 間髪容れずに返ってきた応えに、そろそろ相互理解は諦めるべきかもしれないという思いが首をもたげる。イシューにいたときはこんなに寒がりじゃなかったはずなのに。もしそれをトッドに知られれば、だからイシューのほうがクローヴルより暖かいんだと、それこそ即座に反論してくるだろうことをサイは哀れむように考えていた。