(1) 狭山ユニオンクラブ(以下ユニオンという)
前々身は、狭山グリーンクラブでした。ユニオンクラブは現会長の篠原さん等により昭和56年に設立され
ました。
 当時、グリーンクラブで活動していた篠原さん等は、専用コートがなく、会員が多く、十分な練習が
できなかったので、専用コートを探していました。そんな折、市内の篤志家のA氏が、市内堀兼(現在地)
にコートを作り、貸してくれることになり、それを基盤にユニオンが発足しました。
 
ユニオンという名前の由来
発足時には、会員が多く、何とかして、会員相互の繋がり・結束を固くし、何時までも仲良くテニスを楽しん
で行こうということで、Union(結合)と命名されました。
 当時の会員数は、ほぼ100名で、練習には参加者が多く、コートは活気に溢れていました。皆、若く、
元気いっぱいでした。練習前には、ローラーで、コートを整地し、水に溶かした石灰でラインを引いてから
練習に取り掛かりました。
 午前中は、基本練習、午後から、試合形式の練習で、ほぼ、1日中、コートにいることが多かったと記憶
しています。そのせいか、数々の実績を残すことができました。(試合結果欄参照)

(2) 狭山富士クラブ
  昭和63年、都合により、オーナーが代わり、狭山・富士クラブとして,再出発しました。
 冬のよく晴れた、朝には、はるか西の彼方に富士を望めたののが。その名前の由来とか?

  
  
   
 














 

会員も年々歳を重ね,かってのように、一日中コートにいることもなくなりましたが、主に、実践形式の練習を続けています。
 特に、目覚ましい実績の一つは、狭山市長杯(壮年の部)での8連覇です。その他、県連主催の団体戦で活躍したこともありました。
これまで、会員の入退も多く、現時点(H26年4月)、会員数,約30名で活動しています。

トップページに戻る

ユニオン時代

ある年の忘年会

@、名称:狭山富士テニスクラブ(表紙では、Sayama富士ソフトテニスとしてあります)
A 所在地:狭山市祇園19−21
B、目的:テニスを愛し、楽しみ、健康増進を図る。
C、活動:ソフトテニスの技術向上のため、練習会、行事等えの参加。
   市連、県連主催の大会、行事への参加。
   社会体育機関との交流、その他。
D、組織:代表責任者 篠原 高道
   運営は、幹事会があたる。
   幹事は、次の部門の責任者が当たる。
    女子部、コート整備部、事務局部、合宿部、クラブ内大会部、宴会部等
E、会費: 年会費:¥18000
        年度途中入会の場合は、月割りとする。
F、コート、狭山市堀兼1946−2(県道126沿い、堀兼学校給食センター近く)
G、その他、本クラブの運営に支障をきたすと思われる会員は、幹事会で協議の上
       退部扱いとする。

2、会則(主なもの)

クラブ紹介

1、クラブの歴史



index