噺家と行く!落語散策そぞろ歩き! 噺の舞台を見て!聴いて!歩き隊! =第2回= |
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笑福亭純瓶さんと上方落語の舞台を歩き、大阪の歴史を楽しもうという企画の第2回目。 2015年7月4日に繁昌亭で朝席を聴き、その後、散策に繰り出しました。 演目は の3席。林家染八さん「時うどん」 |
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【散策コース案内】 あいにくに小雨ぞぼ降るなか、天満天神繁昌亭を南へ、天満の天神さんの境内を抜けて参道を大川まで。左手におれまして河川敷を歩きますと、青物市場の跡でございます。子守唄の碑を尻目に殺しまして天満橋。ぽいとわたりますと八軒家浜。その昔、三十石船が伏見と行き来した船着き場です。そこから程近いところに江戸時代から時を告げていた時鐘が今も保存されて、日に3回コンピューター仕掛けで鳴っております。 大川に戻りますと天神橋の中ほどから、どぼんと、身を投げると見せかけてらせん階段をくりくりっとおりますと中之島公園です。難波橋までお花畑を歩きまして今度は北へ。 源蔵町の「笊屋重兵衛」さんとこは見る影もありませんが、中之島、栴檀木橋、丼池北浜、淀屋橋、大江橋、蜆橋(跡)と歩いて、露天神社隣の居酒屋「やまんそら」がゴールです。 |
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【大坂町中時報鐘】 「おおさかまちじゅうじほうしょう」と読みます。 寛永11年(1634年)三代将軍が上洛した折に、大坂城に入り、大坂三郷(北、南、天満)の地子銭(税金)免除を申し渡しました。これを喜んだ町の一同が、鋳造したのがこの鐘です。 江戸時代を通じて時を告げておりました。 四里四方に聞こえたといいますから、喜六・清八がうどんを食べた時に聞いた時の鐘はこの鐘の音だったものとすいりょうされます。 |
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【難波橋】 現在は、中之島に石造りの強固な橋桁を据えて、まっすぐな橋になっておりますが、江戸時代には中之島はこのあたりまではなく、大川を一跨ぎする長大な太鼓橋だったそうです。 橋の上から上流下流を眺めれば、なんと十六もの橋が見渡せたとか。 橋の四隅にライオンの像があるのは、「四四十六」に掛けて獅子がいてるんやそうで……。 誰も信じてくれないけれど、どうも、ホンマのようなお話です。 |
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大坂は八百八橋といいますが、実際には百八十くらいの橋が架かっていたらしいです。 ただ、このほとんどは、町人が自費で掛けて、管理もしただそうです。 幕府が架けて、管理をしたのは12橋。 浪花三大橋と言われる難波橋、天神橋、天満橋も公儀橋です。 |
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【遊山船】大川の風景も年々きれいになります。 現在夜景は、橋のライトアップなどもされてなかなかロマンチック。 屋形船風の遊覧船も行き来しております。 天満橋から天神橋方面を望む風景は、こんなんです。 |
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【米揚げ笊】 「おおまめ、ちゅうまめ、こまめに、米を揚げる米揚げ笊はどないです」の売り声が登場しますが、実際にどんなもんやったか、というと、こんなもんやったんです。 ご飯を炊く前に、お米を研ぎますが、その水切りをしてお釜に移すのに使いました。 |
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【樽屋橋】 難波橋を北に渡って源蔵町と、笊屋さんを探しに歩きますが、「旧町名」の解説看板はあるものの、今は、マンションと小さなオフィスビルの混在する「普通の」町になっております。 ふと堀川の有った場所の高架下をみると「樽屋橋」の橋の跡が。 「樽」や「笊」などの、木工製品を商う店がこのあたりにあったのかなぁ、と僅かに往時がしのばれます。 |
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【宴】 予定より約20分早目に「やまんそら」にゴールしました。 板長の心づくしの弁当を肴に、ビールで乾杯! みなさまお疲れ様でした。 雨の中の散策でしたが、どうぞ、お風邪など召されませんよう。 また、ちょいちょい、こんなんしてみようと思っています。 お楽しみに! 第3回は 9月19日(土)開催予定です。 |