その3.神さんが産湯をつかった玉の井の、お稲荷さんやのにオオカミとはこれいかに?

高津宮の前で客待ちをしている人力車に乗って、産湯まで行く「稲荷俥」という話があります。桂米朝さんの著書で「米朝ばなし 上方落語地図」(講談社文庫)によると、二代目桂文枝の速記録を元に米朝さんが復活した噺だそうです。

「近いからいや」「あの辺りは狐が出て悪さする」と渋る車夫をなだめて、車に乗り、途中でいたずら心から「ワシはお稲荷さんの遣いの狐じゃ」と驚かして、車賃を踏み倒したところまでは良かったが、降りた車に大金を忘れて・・・という噺。

産湯は、高津さんの鳥居の前からですと、千日前通の一本北の道を東へ1kmほど。谷町筋を渡り、上町筋を超えて、途中、創価学会の大きな建物があって、道を見失いそうになりますが、めげずに東へ東へ、たらたらっと坂を下りたところです。産湯稲荷というお稲荷さんが鎮座しておられます。北の住宅街、近鉄のターミナル上本町駅のすぐそばとは思えない静かなところです。歩いてみると結構あります。やっぱり、車に乗りたくなるかもしれません。
公園の北東の角に大きな鳥居があり、参道には「産湯稲荷大神」と書いた赤い旗の列が音も無くひらめいている。ちょっとシュールな空間です。お稲荷さんやのに、オオカミとはこれいかに、なぞと思いつつ、ご参詣をして、振り向くと、左手に下りの階段があって、井戸があります。「玉の井」という井戸で、「大小橋命」がこの井戸の水で産湯をつかったから「産湯」という地名があるそうです。大小橋命は、神功皇后の近臣・雷大臣の子で、藤原鎌足は大小橋命の十三代のちの子孫なんだとか。するとこの辺りは、藤原氏ゆかりの地だったのでしょうか。
井戸は、ポンプがしつらえてあって、お水を汲めそうな感じですが、「この水は飲めません」と書いてあります。

由緒書きによると、摂津名所図会に「水気軽く、佳味にして清徹。外に溢れ、四時ともに涸ることなし ・・・」と讃えられた名水だったそうですが、都市化と共に地下水位が下がり、水質も悪くなったそうです。ポンプは1996年に地元有志が設置、飲料には適さないものの汲み上げ可能な井戸として復旧したそうです。
井戸のところから、階段を上がると、別にうっそうとした鎮守の森でもないのに、少し薄暗く感じるのはなぜでしょうね。やっぱり狐に化かされそうな妖気が漂っているようです。

江戸時代に、味原大池という大きな池があって周囲は桃の名所だったとか。「桃山」「桃谷」などという地名は、その名残だそうです。

浪花・上本町 御可笑拵処「東雲堂」 狐狸窟彦兵衛 謹製
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